お盆のきょう、昼休みに店の近くを流れる等々力渓谷を歩いてみました。
水辺に下りると、相変わらずの深山渓谷の佇まいです。左右の崖からは20メートルを超える欅、樫、ミズキの大木が覆いかぶさって、都会の喧騒を忘れさせてくれます。小川の流れに沿ってカルガモ親子の仕草を見たり、小鳥の鳴き声や瀬音を聞きながら歩くと、ふるさと鹿児島での少年時代の思い出がよみがえってきます。
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きょうも本の配達に出かける筆者
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子供の頃から読書好き
小学校何年生から「南日本新聞」を読んでいたのでしょう。毎日の連載小説が楽しみでした。読むことの楽しみを教えてくれたのはその新聞だったのかも知れません。高校時代は図書館通いが日課で、吉川英治の 「宮本武蔵」「三国志」、ロマンローランの「ジャンクリストフ」など主人公の強い力に憧れて、また勇気づけられたものでした。その他多くの日本文学、世界文学に人間形成の時期に支えられて、今日の自分があるように思います。
いま気がつけば本に埋もれて40年、書店経営が趣味と実益を兼ねたライフ・ワークとなっていたのでした。
書店に厳しい冬の時代
さて不況といわれるこの頃、零細書店には厳しい冬の時代です。大型店の旭屋、紀伊国屋、丸善、三省堂、有隣堂の出店競争。中型チェーン店のアシーネ、文教堂、つた屋、平安堂などが強力なチェーン化を全国規模で進め、店舗数の拡大を図っています。今は各地で、まさに陣取り合戦の真っ最中。個人書店の生き残りは困難な状況にあります。
それに加えてコンビニの増加で、書店の主力商品の雑誌類を売られてしまうということになり、長時間営業や力関係で、とてもかなわない。
一時は「活字から漫画へ」と移りましたが、漫画もひと頃の活気がありません。「キン肉マン」がテレビ放映され、品不足で困った昔日を懐かしく思うこの頃です。
「景気はどうだい?」と言われると「ちっともあきまへんなぁ」とボヤキしか出てこない現況です。
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活字文化は生き残れるのか
文春5月号に大場満郎の『極点横断記』について触れた「野人南極をゆく」という記事がありましたが、皆さんは読みましたか。人っ子一人いない南極の果てでも、人工衛星で位置がはっきりと確認され、進む前方の雲の様子、地形などが電話で指示され、安全確実に目的を達成することが出来たのです。
かつて私も好んで読んだ、マッキンリー山中に消えた冒険家・植村直己の本。両者のそれを比較すると「いったい冒険とはなんぞや」「人工衛星、電話などの進歩は、かくも冒険というものを変えてしまったなぁ」という思いがします。
20世紀に入って発明された飛行機、車はこの百年で大きく社会を変えてきました。情報化社会といわれる今日、パソコン、人工衛星、電話はどんな便利さを人々にもたらしてくれるか、想像もつきません。パソコンはウインドウズ95の発売を契機に飛躍的に普及しました。その普及率は既に30%を超えたといわれます。
家に居ながらにしてなんでもできちゃう。世界中と交信ができ、どんな情報でも瞬時に得られる。買い物もできる。こんな便利なものはありません。未来に向けて多くの夢を私たちに抱かせてくれます。
本の世界はどうなるのか…、果たして活字文明は生き残れるのか……。それは疑問に思うかも知れませんが、私の答えは「イエス」です。
本は「心の豊かさ」を創造してくれます。充実した人間を創るには本に勝るものはないと思います。読書は孤独な作業で、一般的に孤独といえばマイナス・イメージですが、読書には教養、娯楽などの多面性があり、発展へのプラス・イメージが多くあります。
現在でも辞典類はCDブックなどに移行したものもあります。将来、何割かパソコンで見られるかもしれませんが、本という活字文化は日本人の本好きに支えられて存続するものと思います。
今、本の流れは出版社、卸屋、書店という流通経路ですが、最近他の流れも出てきていますので、現在の正規ルートと違った本流″ができる可能性もあります。
低迷の書店業界ですが、「いいサービスは必ずお客さんに信頼される」という信念で、心を込めた仕事を続けていこうと思う昨今です。
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中村 徳義
有文堂書店・店主。昭和14年鹿児島県出水郡東町生まれ、59歳。同県立長島高校出て上京し大田区の書店に勤務した後、30歳のとき昭和45年、世田谷区等々力に有文堂書店を創業。
なかでも本誌バックナンバーをはじめ地域情報出版物の販売、普及を通して地域文化向上に尽くしている。
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