編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.784 2015.11.30 掲載 
戦争   昨日、今日、明日
    まちを歩けば宝ものに当たる
 
NO.3
文:山路 郁子(港北区菊名
  
        ★平成11年10月25日発行『とうよこ沿線』第73号から転載

  まち歩き術

初めての土地を旅するとき、まず始めに駅に行き、市役所、町役場を訪ねることにしている。駅はその土地の顔だと思うし、駅に行けば土地の人にも出会える。どんな駅にも町周辺案内板がある。地図やその地域の情報を仕入れ、時には改札の駅員と話ができたり、通学の学生と話すこともある。

 小さな町や村の役場では、よそ者が何しに来たといった顔で見られ入りづらい時もある。「地方分権」「高齢化社会」を地域で考え、地域で決める必要性に迫られている地方自治体だが、住民とともに創ってゆこうと元気印のところも見られるのは頼もしい。

 自分なりの地域の情報を把握して、地図を頼りに歩いて確かめてみる。観光パンフレットでは見えてこない町の良さや生活を知ることができる。伝統や技を伝承している老舗の和菓子店や醸造元を訪ねて、羊羹、酒、味噌などを買い、店主に土地のことを聞く。食べ物には話し好きの人が多く、気さくに話 してくれる。知らないところを歩く楽しみは、こんな所にあるのかもしれない。

旅の楽しみ方を云々するつもりはなく、例えば美術館、市場、スーパー、町を見下ろせる場所、商店街など、人それぞれ興味のある視点で町を観察して、自分の身近な地域と比較してみることは大切なことだと思う。



地元で「屋号街道」と呼ぶ旧綱島街道を歩く筆者

  ヒト・ネットワーク

 自分が住んでいる身近な道、通勤、通学、買い物道を変えて、遠回りでも違った道を歩いてみると目につくモノや出会うヒトが違う。いつもの道と比べて緑が多くて涼しいとか、可愛い犬がいるとか、道にゴミが多いとか、ちょっとしたことに気づかされる。いつもの慣れた道では、他の道やバショでは敏感に働いていたアンテナも甘くなってしまい、少しの優しさや思いやりに気づかず通り過ぎてしまっている。

 かつての日本の家は、通りに沿って調和のとれた家並みを形成していた。垣根越しの隣との行き来も日常的に行われ、突然の雨に隣の家の洗濯物を取り込んだりしたものである。今は、門を一歩入った内側は自分達だけのプライベート空間。そして、外側は関係のない別空間と考え、家造りが行われている。隣近所とはよそ行きの顔で会釈をする。


 春に桜草がいっぱいになる道が私の家の近くにある。はじめは一軒の店先に満開に咲かせていた桜草が今では向こう三軒両隣。見事な桜草の道になっている。近くの小道に入って観察してみると、あちこちの庭、玄関先に同じ桜草が咲いている。たぶん種を分けてもらって咲かせているのだろう。



サクラソウが咲く道

 桜草を媒体としたヒト・ネットワーク。園芸店で3百円ぐらいの鉢だが、種を分ける人と種をもらう人。そこに笑顔のあるコミュニケーションが生まれる。これって、すごく大切なことだと思う。

 地域の中の共同スペース

 最近の集合住宅の中には、建築計画の段階から住人たちが、共同生活をしていく上での考え方や住まい方を話し合い、合意のもとに計画を練り、建設するコーポラティブハウジング。

 また、北欧において多くの事例があるコレクティブハウス。共同の厨房、共同のダイニング、多目的室、プールなどを共有し、子育てや介護も共同で分担し合うケースもある。各住戸はその分だけ専有面積が少なくなるが、互いにサポートしながら共に暮らす住居システム。このような新しい集合住宅が各地で試みられ始めている。

冠婚葬祭を自宅で行わなくなり、二間続きの座敷を作る人も少ない。隣のコンビニが大きな台所(冷蔵庫)、住まいに台所は不要と騒がれたことがあった。
 食べ物を作り、集まって食べることは住まいの中の重要な部分と考えているが、近くに泡風呂サウナ付き銭湯があり、手頃な値段で利用できれば自宅の風呂は簡単でいい。近くの図書館が充実していれば本棚は必要最小限に抑えられる。宿泊施設が近くにあれば客間はいらない。高齢者、障害者の地域介護システムが充実すれば、あれやこれや家の中をいじくり回さなくても、最小のスペースで有効な住まい方が可能かもしれない。
 地域の中に共同のスペース、共同の仕組みがあれば、もう少し楽に、簡潔に暮らしてゆけそうだ。


       山路 郁子

 少女期を仙台市で過ごし、結婚後菊名に住み27年。身近な地域で長く住み続けるために、みちからはじまるまちづくりを、平成1010月「きくなミチカラット塾」開催。ヨコハマまちづくり本舗・港北として市民活動中。1級建築士、山路建築設計事務所主宰。


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