編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.764 2015.11.18 掲載 
戦争
東西 比較文化論
第6回
多摩川を愛して
 
           話す人:萩坂 昇(民話作家 川崎市中原区中丸子)   取材・文:岩田忠利 

                  ★昭和62年3月10日発行『とうよこ沿線』第37号から転載

 

 ▼川崎市内の小・中学校の校歌

 川崎市内の公立小・中学校の釣4分の152校が校歌に多摩川をいれている。東高津小では私の知人・小林純一さんの作詞で、

 ♪名も清らかな多摩川の 流れの音をききながら 育つよここにわたしたち

  と歌う。こうして毎年、市内52校の生徒が多摩川を歌った校歌を、ことあるごとに合唱し、口ずさみ、社会へ巣立っていった。
 しかしいまは、その校歌は卒業式のときだけの歌になってしまった。

  ▼お金で買えないもの▽

 「多摩川を愛する会」の発足を思い立ったのは2年半前、日本野鳥の会・会長中西悟堂さんの言葉がきっかけであった。

 氏が病で倒れる直前の言葉である。



野鳥が留まる中西悟堂銅像

「ツバメがいない。ヒバリが姿を消した。いなくなってもそれに気がつかない。都市化が日本を殺した。舗装で、農耕で、化学肥料で……。自分の首を絞めていることを人間が気づいていない。ウィーン、キエフの深い森、野鳥の群れ、街路樹の豊かさにふれて市民の意識が根本的に違うのだ。産業や効率ばかりに目を奪われ、道路のために原始林を犠牲にし、神社の森まで駐車場にしてしまう日本とは‥…」。

 この言葉の意味は重かった。いま、自然と人間とのかかわりを考え直さなければならない世の中になった、と思った。
 世は、まさにお金万能の社会風潮。お金さえ出せばなんでも買える世の中だ。北海道を旅すれば、“香りの缶詰”や摩周湖の“霧の缶詰”そして富士山には“空気の缶詰”が売られている。

 こうした社会にどっぶり浸っていた私たちは、中西さんに忠告されるまでわからなかった。
 「いまの世の中は、お金で買えないものこそ大切だ」と、はたと気がついた。小鳥でも虫でも、一生懸命に生きている。その姿はお金では買えないものだ。そうだ、 家の近くの多摩川に行ってみよう!

 ▼「多摩川を愛する会」の仲間▽

 多摩川の自然を通して自分たちの生き方を考える「多摩川を愛する会」は、早くも3年目を迎えた。この間、すばらしい友人知己が数々できた。
 登戸に住む主婦、大峽(おおはざま)森子さんもその一人。人工透析を続けるご主人とダンボール会社を経常する忙しい彼女だが、124日から毎日毎日、会の連絡先・私の家へ「花」の絵はがき。それも自分で描いた美しい花の絵を送ってくる。そして、花とも語った文を添えてある。
 例えば「……ちりめんのお座布団の上に針でつっついたような濃いワイン色がみごとにふくらんでアカンベーの顔みたいな花が咲く。色といい、形といい、申し分ありません。春の花たちが霜の下でもぞもぞしている季節にきっと首をあげて咲いている。このケナゲさ……」



カラーでないのが残念! 毎日届く大峽さんの絵。その1枚


 名もなき花と語りあうような豊かな心を持った人である。私は彼女の手紙にいつも励まされている。

 多摩川の源流から下流まで石と地質を長い間研究している人もいる。元住吉小学校の阿部国広先生である。なんの変哲もない足元の石ころを指さして、地層からみて石の誕生を、どこから流れてきたか、想像もつかない何億年も昔の世界へ私たちを案内してくれるのだ。

  ▼ものを書<心を教えた少女▽

 確か昭和29年のこと、千葉県の富里分校(現在の成田空港の所)へ行って児竜の作文を読ませてもらったときのことである。当時私は郷土史を研究していたのでお地蔵さま≠調べていたが、小学4年生の池田千鶴子さんという女の子が書いた作文――「お地蔵さまや、その頃の暮らしはどうやったや? 年貢は納められたかや?……」とお地蔵さまに語りかけているのに私は脳天をなぐられたような衝撃を……。

それまでの私の調査は、建立の年号など表面的なことばかりに終始、内面を探ろうとしていなかった。
ものを書く心″をその幼い子に教えられ、われに返ったのである。以来私は、子どもに学ぶ姿勢をもつようになった。

 純真な子供心には教えられることが多い。  川崎市多摩区生田にお住まいの児竜文学者、まど・みちお先生からお聴きした話。


児竜文学者、まど みちおさん

 渋谷から新宿に向かう山手線の電車の中で母親に連れられた双子の女の子が車窓から外を見ていたが、電車が代々木に着いたとき、その子は「わたしとお姉ちゃんみたいね」と、「よよぎ」の駅名を見て言った。「よ」が二つ仲良く並んでいるのが姉妹のように見えたのだ。看板ともお話しているのだ。

それから私は子どものつぶやきにも耳をそばだてるようになった。
 「お魚が目をあいたまま、死んでいる。食べられるところまで見たいんだね」。
  夕食の膳に出された皿の中の魚にも子どもは語りかけているのだ。その目と心を多摩川でとらえたいものだ。












 萩坂 昇さん
 民話作家
 中原区中丸子在住

 大正13年東京生まれ、川崎で育つ。
 主な著書に『君たちが生きる社会』(筑摩書房、昭和37年サンケイ児童出版文化賞)、『神奈川のむかし話』ほか多数。多摩川を愛する会・会長やテレビ・ラジオで民話・民俗を解説するなど活躍中。

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