編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.761 2015.11.18 掲載 
戦争
東西 比較文化論
第3回
  ふるさとの人びと
 
            文:帯 正子(作家・奥沢在住)  

                  ★昭和61年5月1日発行『とうよこ沿線』第33号から転載

 私は友だちから「多摩川の猫」と言われる。小学校から田園調布に育ち、今もなお、その隣の奥沢に住み続け、殆ど多摩川のほとりから離れたことがないからである。


 ▼田園調布と幼なじみ▽

 兎追いしかの山、小鮒釣りしかの川″が私の幼い頃の田園詞布であった。今の多摩川台公園、その頃は亀の子山と言ったが、河沿いの小高い丘陵に友だちと栗拾いに行った。マムシが出るとおどかされ、逃げ帰ったこともある。

 今のジャイアンツの練習場あたりは白砂が広がり、おだやかな流れの中で私たちは存分に泳いだ。岸辺には透き徹るような小魚が群れ、ハンカチですくい上げることも出来た。夕方になると細い支流に蛍が飛びかう。丸子橋が出来たのはその頃である。

 野にはスミレやタンポポが咲き、草むらの陰でキリギスやスイッチョンがさかんに鳴いた。私はトンボやセミとりが得意であった。いつも弟――光井武夫、今も田園調布に住み、理学博士で資生堂常務をしている――をしたがえて、一日中走り回っていた。やがて弟は早稲田大学の理工学部の頃からドストエフスキーに凝り、その影響で私も文学の道に入ったのである。姉弟ではあるが「よき友」の中に入るのではなかろうか。

 私が大井町から田園調布駅前の東調布第二尋常小学校(現、田園調布小学校)に転校したのは昭和27年、4年生になる時であった。その頃の友だちは大勢いるが、中でもことに仲の良かった川上やまとさん(その頃弓家さんと言ったが)は、今も田園調布のお実家の地所内に家を建てて住んでいる。

 彼女は小学校の頃から秀才で、青山学院高等女学部から東京女子大に学び、戦後女子の入学が許可された東大に最初に入学した十数人の女子学生の中の一人である。2、3年前まで明治大学の短期大学学長を務め、現在も経済学の教授を続けているが、時々私がその家を訪れると、庭先で花の球根植えをしていたり、伝統工芸展に出品する人形の製作に打ち込んでいたりする。実に女らしい優しい人柄と、色白のおかっぱ髪の可愛い顔立ちは少女の頃とちっとも変わりがない。

  ▼憧れの上級生∇

 私の女学校は、やはり田園調布にある調布高女(現、調布学園)である。ピンポン、バレー、テニスと私はスポーツに明け暮れていた。友だちも大勢いた。しかし女学生時代を思い出すたびに浮ぶのは、白滝弘子さんである。私の4年上の、憧れの上級生であった。

 何故憧れたかというと、実にたわいないのだが、彼女は私の救いの神であったのだ。
 1年生に入学した時、歓迎会が開かれた。最後に私が新入生代表で挨拶することになったのだが、高い壇上に登るとすっかりあがってしまった。「今日はこんなに盛大な」とまで言ったが、あとが出て来ない。謝恩会じゃない、送別会じゃない、頭の中はくるくるまわるがどうしても歓迎会が浮んで来ない。「もうだめだ」と思った時だった。
 壇の下から「カンゲイ会よ、歓迎会」と囁くような優しい声が聞こえた。私の前に5年生代表として挨拶された白滝さんの声であった。
 小柄で美しく整った顔立ち、優しく聡明な彼女に私はすっかり惹かれてしまった。私の理想の女学生像であった。


 

 彼女の在学中は殆ど言葉をかわしたこともなかったが、不思議なことに、最近よく会などで顔を合わせることが多くなった。彼女のお実家の中元家も田園調布に大正の頃から住んでおられ、婚家先も同じ田園調布の草分けのお宅であるという。
  彼女は現在アートフラワーの飯田深雪先生の高弟であると同時に、母校調布学園の同窓会会長として活躍している。そのきびきびとした美しさは、今も昔とちっとも変わってはいない。

  ▼曽野綾子さんの人柄∇

 曽野綾子さんのお宅に初めて伺ったのはもう20年も前、私が新人賞をもらって間もなくであった。選考委員のお一人であった彼女の家に、私は前回の受賞者に連れられて行ったのだが、お目にかかったとたんに、その暖かい純粋なお人柄を感じると同時に、失礼だが、田園調布に育った者同士の何か通い合うものを感じてしまった。

 それから私は幾度かお宅に伺うようになったが、編集者などの来客がある時も、「待っていらしてね。あとでお夕食ご一緒しましょう」と、私の前にビールのコップなどをそっと置いていってくださる。(私は無類のビール好きなのだ)


作家.曽野綾子
 彼女の細やかな心遣いを一つ一つここに書いていったら、紙面を全部使っても足りないぐらいだが、彼女の作品に触れた方はその美しい人柄と生き方を充分に読みとっておられることと思う。最近はことにお忙しい彼女に私はお目にかかるのを控えているが、それでも曽野綾子というすばらしい先輩とふるさとを共にしている喜びは大きい。










筆者・帯正子さん

作家・世田谷区奥沢1丁目
在住

 1924年(昭和13年)東京生まれ。青山学院、旧女子専門部家政科卒。1965年『背広を買う』で第8回女流新人賞受賞。現在玉川高島屋SCコミュニティクラブなどで小説講座講師。日本文芸家協会・日本ペンクラブ会員。

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