∇毎日新聞社時代▼
戦争から復員して2年目に入社した毎日新聞社では、当時学芸部の副部長であった井上 靖さん、婦人記者の山崎豊子さん、外信部の若い記者であった大森 実さん(アメリカに移住の前、日吉に在住)などと知りあった。しばらくして、フルブライト留学から帰国した竹村健一さんが英字新聞の記者として入社してきた。痩せて精悍な行動する青年記者であった。
いつだったか、そのころ同じ学芸部の音楽担当記者だった渡辺 佐さん(現評論家)の家で、井上さん、山崎さんたちと一晩語りあかして雑魚寝(ざこね)をした懐かしい想い出がある。
40代のはじめだった井上さんはまだ文壇に出る前で、たいそう礼儀正しい端正な紳士の文芸担当記者で、伊東先生がジャーナリズム嫌いでなかなか新聞に詩を寄せてくれないんだよ、と嘆かれていたりした。
ある日、小説ができたから読んでみてくれないかと、原稿を渡された。それは、のちに佐藤春夫が激賞し、井上さんが文壇にデビューするキッカケともなった記念碑的作品『猟銃』であった。
都会人の心理をみごとな構成で描いた実に洗練された作品であったが、私はそのとき若気の至りで「たいへんブルジョア的ですね」と批評したのをいまでも冷汗がでる思いで思い出す。
それから間もなく、井上さんは『闘牛』で芥川賞を、山崎さんは『暖簾』で直木賞をそれぞれうけ、やがて退社していった。
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作家・井上 靖
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作家・山崎豊子
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▽サントリー時代▼
さて、昭和35年の年末で、私も新聞社を退職し、洋酒メーカーのサントリー宣伝部に入社した。3カ月ほど大阪の本社で見習いをしたあと、東京支社に移り、そこで開高 健、山口 瞳、柳原良平という才人たちと出会うことになった。
私は生まれてはじめて関西を離れ、川崎の元住吉に移り住むことになった。そして直木賞作品『江分利満氏の優雅な生活』の舞台となった山口さんの社宅は、私の社宅かち歩いて5分ばかりの隣町にあった。
柳原さんもその頃はたしか池上線の雪谷のあたりに住んでいた。
こうして私の新しい生活がはじまった。
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筆者・今井茂雄さん(64歳)
サントリー音楽財団
理事
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大正9年大阪生まれ。昭和22年毎日新聞社(大阪)に入社後、昭和36年サントリー入社。宣伝部の制作室長、同部長を経て、昭和55年定年退職。現サントリー音楽財団理事。
川崎市中原区伊勢町在住。
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