編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏
NO.747 2015.11.13 掲載 
戦争
第4回
  眠れなくなっちゃう話
 
                      文:辻村 功(日吉・本誌編集委員・床下の仕掛け人)  
   
                    ★昭和58年11月1日発行『とうよこ沿線』19号から転載

 

地下鉄の電車はどこから入れるんでしょうね。それを考えると夜も眠れなくなっちゃう……」
 という漫才があったが、東横線の電車はいったいどこから入れるのだろう。

東横線のステンレスカーの生まれ故郷は、金沢八景にある東急車輌の工場である。そこで産声をあげた電車は、京浜急行逗子線(線路の幅が広いので、内側にもう一本レールを敷いてある)を走り、跡地問題でもめている米軍池子弾薬庫の敷地を通り抜け、横須賀線の逗子駅へやってくる。
 そこからは国鉄の線路を機関車に引っぱられて旅するわけだが、さてどこから東横線に……。

 昔は東横線でも貨物を扱っており、国鉄と貨車の受け渡しをするため、菊名駅構内に横浜線との連絡線があった。新車も当然そこから入れたわけだが、貨物廃止と菊名駅改良工事のため、昭和42年に線路は取りはずされてしまった。



イラスト:中岡 奈津美(妙蓮寺)

昔は東横線でも貨物を扱っており、国鉄と貨車の受け渡しをするため、菊名駅構内に横浜線との連絡線があった。新車も当然そこから入れたわけだが、貨物廃止と菊名駅改良工事のため、昭和42年に線路は取りはずされてしまった。

現在では、同じ横浜線の長津田から東急の線路に入ってくる。そこから田園都市線・大井町線で大岡山へ、そして目蒲線で田園調布へやってきて、ようやく東横線にたどりつくわけである。ただし、長津田駅構内で線路がつながったのは、昭和45年のことである。

すると約3年間、東急と国鉄の線路は結ばれていなかったことになる。その頃続々と誕生した7200系は、いったいどこから入れたのだろうか……? ヒントは“抜け穴”である。線路が敷いてある抜け穴といえば、もうおわかりだろう。北千住から地下鉄日比谷線を通り抜け、中目黒から入ってきたのである。

こうして考えてみると、東横線の線路は1067ミリという幅で、北は津軽の竜飛崎のはずれカら、南は薩摩の開聞岳の麓まで、延々と続いていることがわかる。空想の世界で直通列車を設定してみるのもおもしろい。国鉄の欧風客車を使って田園調布発軽井沢行なんて夢があるし、日吉発東武日光行の紅葉狩り電車など実現不可能な話ではあるまい。

秋の夜長、こんな夢をふくらませていると、また眠れなくなっちゃいそうだ。





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