食べる、飲むにも西洋の波――アイスクリーム、ビール
建物や橋の話では味気ないので、今度は味な話。食べ物、飲み物も西洋渡来のものがいろいろある。その多くが横浜で育ち、全国へと広がっていったのである。
氷水発祥之地――馬車道
アイスクリームを日本で初めて売り出したのは馬車道の町田房造という人で、明治2年(1869年)のこと。この時は失敗し、大損をしたが、翌明治3年、伊勢山皇大神宮の大祭の時に再びアイスクリームを売り出したところ、飛ぶように売れたという。その後、横浜の市街地には「氷水屋」の看板がふえたとも言われる。
その元になる氷であるが、わが国で初めて機械製氷が行われたのも横浜。明治12年(1879年)、山手の「横浜氷製造所」でつくられた。
現在、アイスクリーム発祥の地、馬車道にはこれを記念して「太陽の母子像」がたてられている。
麦酒発祥之地――千代崎町、諏訪町
ビールが日本で初めて醸造されたのも横浜の地。当時の天沼、今の中区千代崎町・諏訪町の地であった。この地にビール工場ができたのは、アメリカ人醸造技師コープランドが、散歩中に偶然天沼の清水を見つけたためであるという。そして明治3年(1870年)ごろ、この地でビールの醸造が始められたのである。このコープランドの工場が、現在のキリンビールにまで引き継がれている。
現在、コープランドのビール工場の跡地には「キリン園」が開かれ、「麒麟麦酒開源記念碑」もたてられている。また、隣りの北方小学校内には、ビール井戸も残されている。
すっかり大衆化したスポーツ
――近代競馬、国際親善野球
飲んで食べたら、休も動かさないと――というわけで今度はスポーツ。横浜から広まったスポーツも、今やすっかり大衆化している。中には、大衆化しすぎたきらいのあるものもありそうだ。
近代競馬発祥之地――根岸
わが国の近代競馬発祥の地は横浜の根岸である。慶応3年(1867年)、初の近代競馬場「根岸競馬場」が完成し、以来昭和18年までレースが続けられた。
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明治初期、開設直後の競馬に出走した馬はほとんど日本産か中国産で、サラブレッドは一頭もいなかった。レースも宮内省杯、県庁杯からフジヤマ杯、「婦人たちのへソクリ賞」なんてものまであったという。
戦後しばらくは米軍に接収されていた根岸競馬場、返還後は根岸森林公園、根岸競馬記念公苑となり、「馬の博物館」では根岸競馬場の昔を振り返ることもできる。
国際親善野球発祥之地――横浜公園
現在、横浜大洋ホエールズのホームグラウンドとなっている横浜スタジアム。この地は、日本における国際親善野球発祥の地であり、また日本で初めてナイターの行われた地でもある。
国際親善野球は、明治29年(1896年)、当時クリケット場だった横浜公園内で、一高対居留民チーム「横浜倶楽部」との間で行われた。一高側はユニホームもなく、キャッチャー以外はグローブもなかったが、29−4で勝ったと言う。
初ナイターは戦後の米軍接収時代。当時、球場の名は「ゲーリックスタジアム」と言った。昭和23年8月17日、この米軍専用球場をプロ野球が借り、巨人−中日戦が初めてナイターで行われたという。
米軍から返還後は「平和球場」と名を変え、昭和53年装いも新たに「横浜スタジアム」として生まれ変わった。
現在この地にフランチャイズを置く大洋も、25年間優勝から遠ざかっている。阪神タイガースも21年ぶりに優勝したことだし、大洋も明治29年の一高パワーを見習って、がんばってほしいものである。
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このほかにも、ここに紹介できなかったものが数多くあります。日常生活には欠かせないものに西洋野菜、パン屋、レストラン、クリーニング、写真、マッチ、石鹸、病院、ゴム印、公園、近代式道路、外国郵便、クリスマス、パトロール、洋楽器、貸自転車などがあり、スポーツでもボートレース、射撃場などがある。
記念碑ウオッチング ガイドマップ
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★上のマップは、左右につながります。
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