堺町(1カ所)、弁天通(4カ所)、南仲通(8カ所)、北仲通(4カ所)、太田町(5カ所)、高砂町(4カ所)、常盤町(5カ所)、元浜町(4カ所)、小宝町(1カ所)、相生町(3カ所)、入舟町(1カ所)、駒形町(1カ所)、住吉町(7カ所)、尾上町(5カ所)、真砂町(3カ所)、港町(1カ所)、鉄橋際(1カ所)、羽衣町(2カ所)、弁天杜(4カ所)、衣紋坂(1カ所)、姿見町(7カ所)、吉原町(12カ所)。
また、「立ち小便をした者には銭100文の罰金刑!!」と布告。政府の苦心の策がうかがえます。
この便所は、四斗樽を地面に埋め、横囲いをしただけの簡単なものでした。その後、人口が増え、市街地も拡張されてくると、今までのような辻便所式のものでは体裁が悪く、道にあふれ出るため、住吉町で薪炭商をしていた浅野総一郎が神奈川県令の許可をもらい、2千円の補助金で改善を進め、1879年(明治12年)年に63か所を完成させました。
このころから、共同便所と言われるようになったそうです。今はトイレもファッショナブル。
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