編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.716 2015.06.30 掲載

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NO.3

      インドネシア海上 14日間の船旅

         南海に浮かぶ孤島巡り

   多様な民族文化と極彩色の自然美

              
       取材・文:鈴木善子(本誌編集次長)     
  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”

   掲載記事:平成11年6月15日発行本誌No.72 号名「椏」


この航海を最後にドイツに長期チャーターされることになり、お別れの日本郵船所属「世界で最新・最大の探検クルーズ客船・フロンティア号」


 「フロンティア・スピリット号」がドイツの要請で長期チャーターされることになった。その最後の航海「インドネシア巡り」に深い哀惜の情を抱きつつの船旅。
 前回のオーストラリア航海同様、船に着くまでは私と娘の二人旅。前回で懲りたのか、娘は英語の勉強に励み(?)語学力アップの様子、前回よりやや安心できる。


 パスポートを忘れ、とんだハプニング

 8月17日。早朝、孫の大助の運転で日吉から横浜ワイキャットまで15分で着く。成田行きのリムジンバスに乗車。1時間ほど走ってから、なんと命の次に大切なパスポートを自宅に置いてきたことに気づき、愕然!

 車内電話で自宅に半泣きのオロオロ声で頼み込む。空港では9時の搭乗時間が刻々迫ってくる。なにしろ岩田(本誌編集長)は成田新空港をまだ知らないし、無事着くかしら…と不安が募るばかり。
 「あっ、来た! いま9時15分前、間に合ったぁ!」
 この瞬間、婿殿の姿が神様に見えたものです。出発からとんだハプニングで、「これから先が思いやられる」と、ぼやく娘と無事機上の人に。

 バリ島のインペリアルホテル着

 シンガポール航空のスチュワーデスは更紗のロングスーツで魅力的な美人ぞろい。台北空港で1時間待ちし、シンガポールヘ向かうため、再び機上へ。シンガポール空港発バリ行きに乗り継ぎ、バリ空港では出迎えのバスで一路、インペリアホテルへ向かう。

 ガイドの男性はスゴーリさんという日本語の達者な男性。車窓から見るバリの町並みは、高床式の素朴な民家が点在し、日本の田舎の村といった感じ。夕日が山のかなたに沈むと、あたりは急に暮色に包まれる。ネオンがチラホラ見え始めた。ホテルだけが暗闇の中に浮かぶ。
 いくつホテルを通り過ぎたかな? と思っていると、ひときわ豪華な建物の前にバスが停まる。バリ島一のインペリアルホテルです。



バリ島の帝国ホテル経営とあって、和風情緒の高級ホテル、インペリアルホテルの正面


 バリ島は葬式が結婚式費用の25

8月18日。昨日のバスで島内観光。更紗染めの村、木彫りの村、象の洞窟の寺(前世紀の寺)などをバスから降りては見学するが、さすがに暑い。が、生水は飲めない。不衛生だし、水分を摂れば余計に汗をかくので、我慢、我慢。バリは乾季と雨季だけ。米作は3毛作なので、田植えしたての隣の田は黄金色に実っている風景が面白い。家畜は牛、馬だけ。現地人も家畜も小柄だ。チビの私も、この地では標準型で胸を張れるわけ(?)。



日本の棚田そっくりなバリ島の田んぼ

 男子の1カ月の給料が約2万円、お手伝いさんが月3千5百円、結婚式費用が1万円くらい。なのに、葬式はなんと25万円という話にはびっくり。ヒンズー教、イスラム教、回教、キリスト教が4大宗教のこの地では死者があの世で出世(?)、つまり生前より高い地位に就くことを信じ、盛大なお祭りをするのだそうです。

 この葬式費用をつくるため、遺族は2年でも3年でも働き続ける。その間、遺体は薬漬けにして部屋の中に安置し、朝、昼、晩と供え物を続けるそうです。葬儀にはその大金をはたいて何頭もの牛を買って丸焼きにし、村中の人々を招待し、幾晩もご馳走するのだとか。





バリ島の葬儀の大行列――インターネットから

 男子は妻に子供が出来ないと4人までの女性を妻に迎えることができるのだそうです。その話をしていたガイドさんが、こんな説明までしてサービス。
 「私は残念ながら妻は1人ですが、バスの運転手は4人、めいっぱいの妻がいるんですよ」
 その話に車中のあるご夫妻がすぐ反応して、こんな丁々発止。
 「おい、退職金を持ってこっちに住もうよ」
 「わたしはイヤよー、あなたに退職金の半分差し上げますから、あなたお一人で、どうぞ!」
 この会話に車中は大爆笑でした。
          
 バリ語は、かなり簡単で「どうもありがとう」が[トリマカシ]、「どういたしまして」が[サマサマ]。買い物、バスの乗り降り、レストランの食事などのとき、すべて私はこの二言だけで通してしまいました。
 バリ島が暮れ始める頃、バスが埠頭に着く。と、あのオーストラリアでお世話になった「フロンティア号」の姿が目に入った。懐かしさとドイツに長期レンタルされてしまう一抹の寂しさが胸をよぎる。
  昨年のオーストラリアの旅は日本人5名だけでしたのに今回は50名、外国人客が200名。リピーターが8割がた、もちろん前回ご一緒の3人もいらっしゃる。
 今宵から始まる14日間の船上生活の一つ一つを、しっかり胸の中に刻み込んでおこうと誓いました。

  日本兵が駐留していたスンバワ島

 8月19日。午前中はスンバワ島です。8カ月ぶりのゾデヤック(ゴムボート)が紺碧の空からじりじりと照りつける太陽の下、波しぶきを上げて走る。飛ばされそうな帽子を片手で押さえ、一方の手はボートのロープをしっかり握って緊張とスリルを楽しむひととき。
 島に着くと、島民の盛大な出迎えを受ける。海岸近くに仮設された広場で島民の踊りが始まる。それは一口で言えば単調で素朴。村落は粗末な高床式住居で女性たちが石臼に入れたトウモロコシ、コーヒー豆を杵で搗いています。
 この島には第2次大戦中、日本兵が駐留しており、[八紘一宇]の4文字を彫った碑が日本の方角に向けて建っていましたが、戦後倒されて、無残な姿で今もその場所に。



スンバワ島の民家が並ぶ風景

 少々日本語のできる島長の案内で島内唯一の小学校を見学すると、子供たちも大人も私たちがよほど珍しいのか、終始ゾロゾロ後をついて歩くのです。

 午後はサトンダ島。無人島でなんにもない。島の中央部に噴火でできた湖があるのみ。ボートを降りて獣道を滑り降りるように下ってきたので土埃と汗まみれの私たちは、その澄んだ湖に大喜び、陽気な外人さん7、8人がさっそく飛び込んで大はしゃぎ。日本人は一人も飛び込まない。謙虚で大人しい美徳(?)が邪魔するようです。

              <次頁に続く>


 

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