夫婦問題は日本の民放の十八番
「出演希望者不足で番組打ち切り」という見出しで、最近フランスで始まったばかりのプシ(心理)ショーという番組が継続不可能になったことを、現地の新聞が報じていました。どんな番組かというと、夫婦が出演して、カメラの前であけすけに浮気、セックス、親子関係など自分たちが悩んでいる問題を語るもので、月1回国営放送(フランスに民放はない)から流されていました。
ところが、1回目が放送されるや、爆弾が破裂したような騒ぎになりました。新聞雑誌はこぞって、恥知らずで商業的で安易な見せ物番組だ、と非難しました。だから、出演希望の夫婦が集まらず、たった3回で終わってしまったそうです。
それにくらべて日本では、このての番組が民放の十八番になっていますね。妻に逃げられた夫が子供を連れて出演して、涙を誘う身上話をしたあと、「○子帰って来ておくれ。また初めからやり直そう!」と呼びかける。と、すぐに視聴者からたくさんの情報が電話でよせられたりしますね。私たちフランス人は、こうした視聴者の協力に非常にびっくりします。フランスでは警察へだろうと、マスコミへだろうと他人を売り渡すべきではないと考えられています。
あるいは、後悔した妻が泣きながら電話をかけて来ることもありますね。司会者は、「ご主人はすべてを水に流すと言っています。お子さんのためにも今度はいいお母さんになってください」と励ましと道徳の説教をひとくさりやって、終わりよければすべてよし、ブラジャーとハンバーガーのCMが入るんですね。
なぜ、あの日本人が……
もっとセンセーショナルなのもありますね。夫が、愛人をつくって逃げた妻のアパートをスタッフと急襲して、百万の視聴者が見守る中で、つかみ合わんばかりの夫、妻、愛人の3者会談が繰り広げられたり、スタジオで夫の若い愛人に対面した中年の夫人が、涙ながらに主人を返してちょうだい、と訴えたりするんですね。
こうした番組がいつまでもすたれないところをみると、不快に思う人はだれもいないようです。いったいどうしてなのでしょう。日本を観察した多くの外国人のように、日本人は2つの顔を持っている、と結論を下さなければならないのでしょうか。それとも、日本人はマスコミの質に関してフランス人よりも寛大だ、というだけのことなのでしょうか。
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フランスで打ち切られたわけ
それでは、なぜフランス人はこうした番組に我慢できないのでしょう。私には、3つの理由があるように思えます。
第一に、フランス人自身は否定しますが、キリスト教的モラルから受け継いだ厳格さがまだ残っているので、自分の不幸な生活をみんなの前にさらけ出すのは、過ちを犯すことであり、他人の同情を買うためのうわついたわざとらしい行為とみ なされるからです。
第二に、フランス人は、マスメディアが過大な力を持ち、個人の日常生活を支配するのを恐れて いるからです。日本のように個人がマスメディアにふり回されたら大変だ、と思っています。フランスの評論家の中には、日本を許してデモクラシーではなく、テレクラシーの国だ、と言う人までいるんですよ。
第三に、テレビから子供扱いされて道徳の説教なんか聴くのはごめんだと思っているのです。私もフランス人のはしくれですが、別に腹も立てずに日本のテレビを見ています。だって、日本のいろんなことを知ることができるんですもの。だれがなんと言おうと、テレビは社会が映る鏡なんですよ。
でも、いくら出演料をもらっても、ああいう番組には出たくありません。恥ずかしいからじゃないんです。
夫婦の問題は夫婦で解決すべきだと思うからです。もし助けが必要なら、専門のカウンセラーか弁護士のところへ行きます。テレビの司会者のような素人には頼みません。でも、司会者の皆さんはテレビ界の人間としては立派なプロですね。本物の涙が出るもらい泣き、励ましの言葉をかける間の取り方、時間内にきっちりと終わらせる手際よさ……私はいつも感心しているんですよ。
ほかの在日外国人は、どう考えるのでしょうか。
イラスト:石橋富士子(横浜)
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