編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.709 2015.06.28 掲載
NO.6

   反オカマ・デモの巻

              
  沿線住民参加のコミュニティー誌『とうよこ沿線』。好評連載の“復刻版”

   掲載記事:昭和58年11月1日発行本誌No.19 号名「柿」


アルメル・マンジュノ

(フランス人、日吉在住)

NHKラジオ・
フランス語講座講師


アテネフランセ・
フランス語教師

 前号ではお休みをいただき、lカ月ほど里帰りをしてきました。今回はフランスの話題を取りあげようと思います。
 717日の夜、私がドゴール空港に着いた頃、パリでは街の女たちによる反オカマ・デモという珍事件が起っていました。それでは、「現地の報道によりますと……」という具合に特派員気取りで、この事件を報告いたします。




花のパリで起った反オカマ・デモ


  オカマの進出に街の女の怒り爆発

 ちょっと下品なことばですが、直訳すると、「くたばれホモ野郎! くたばれオカマ! サン・ドゥニ街はあたしたちのものよ」
 こう叫びながら、コン棒やホウキやチェーンを手にした娼婦たちは、街娼で有名なサン・ドゥニ街をデモしたのです。そして、コース近くにあったバビロンというタイ料理のレストランに押しかけました。ジャーナリスト、ファッション関係者、芸術家などに愛されたこのレストランは、オカマ・ショーを売り物にしていたため、娼婦戦士の攻撃の的にされてしまったのです。それを見て、オカマ・ショーを計画していた他のレストランは、急きょ計画を白紙に戻したそうです。

 こんな事件に巻き込まれるのはご免だとばかり、警察が本気で介入しないのをいいことに、デモは数日間にわたり毎晩行なわれ、娼婦たちは、
「街の女にだって、街の女の権利があるんだ!」
 と訴えていました。
 いったい何が彼女たちをこれほどまでに激怒させたのでしょう。
 今年のパリは例年になく暑く、それが頭に血がのぼる一因だったことは確かですが、それだけではありません。有名なサン・ドゥニ街で男に春をひさぐ女性は2000人以上にのぼり、彼女たちが仕事場にしている間きりのアパートは、サン・ドゥニ街全体に約250もあるそうです。
  ところがここ数年、美人オカマ――大部分は外国人、それも特にブラジル出身――が彼女たちの縄張りを荒らし始めたのです。1976年には20人くらいしかいなかったオカマは、現在1000人近くまで増えています。初めはナイト・クラブやキャバレーだけで働いていたのですが、数が増えるにつれて街頭にも立つようになり、娼婦たちの客を奪いだしたのです。

 ついに娼婦たちは、自分の生活基盤の将来に不安を感じると同時に、オカマたちの商売は自分たちに対する不正な競争との不満を爆発させ、デモをするに至ったのです。彼女たちは言います。また直訳しますと、
 「今はオカマが流行だからね。奴等はあたしたちからプ一ローニュの森を奪い、ビガールにまでやって来て、次にヴァンセーヌの森を取りあげようとしたんだよ。今じゃあ、あたしたちの中にも、お客をつかまえやすいように、オカマみたいな格好する娘まで出てくる始末だよ」
 「売春はねえ、野郎の仕事じゃないよ。あたしたちは正真正銘の女だよ。あたしたちと遊べば、服を脱がしてみてビックリなんてことは絶対にないんだからね」


 自分たちの縄張りの支配権を守ろうとする売春婦闘士のパワーに驚いた記者もいたようですが、マスコミはこの事件をあまり大きくは取りあげませんでした。たぶんバカンスの夏には、マスコミも緩慢になってしまうからかもしれません。


 

  日本では考えられない売春婦組合

 トルコ(風呂)とノーパン喫茶とオカマ・バーが並んで仲良く商売をしている日本の歓楽街を見馴れた私は、この事件にびっくりしたと同時に、フランスらしいなと微笑んでしまいました。

 日本では、あらゆる種類の性欲が自然のままにあり、その多様な性欲を満足させるための施設が、多ければ多いほど良いと思われているような気がします。そして、それを利用して大いに稼いでいるセックスの商人は、商売敵(かたき)を攻撃するよりも、自分の営業努力の方がたいせつだと思っているようです。

 ともかく日本では、本誌NO.16柏号で紹介したオカマ・ショーにトルコ嬢が殴り込みをかけたり、リヨンのように売春婦の組合ができたり、パリのように売春婦の業界誌が発行されるというようなことは、けっして起こらないでしょう。

  イラスト:石橋富士子(横浜)







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