編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.703 2015.06.26 掲載

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『とうよこ沿線』No.74…平成12年(2000)7月31日

 B5判 紙数:52ページ
 頒布:有料  定価300円
   
 読者と編集室との架け橋

    ※この「ボイスBOX」は、74号“棗”32〜33頁から転載です。
     

  創刊20周年記念事業として

写真集第1巻「わが街の昔と今」港北区編発行!

 前号でご案内どおり、さる3月、上記の本を発刊しました。
 連日、編集室は盆と正月が一緒にやってきたような忙しさ……。神奈川県内各地からの問い合わせや書店からの催促で電話は鳴りっぱなし、地図を片手に配本に奔走する日々が続きました。

こう忙しくしてくださったのは新聞各社や各団体の広報紙で本書を取り上げてくださったからです。おかげで、お便りもたくさん寄せられました。その中から主なお便りを、以下紹介します。


   本書は地域コミュニケーションづくりの集大成

    鳥羽洋一郎(横浜市西区南幸一丁目。横浜高島屋リビング販売部部長)

 創刊20周年おめでとうございます。都市生活者の経済、社会的活動が量的にも質的にも拡大していくなか、ますます希薄になっていく「人間らしい」お付き合い。そんな時代にあって、一貫して地域のコミュニケーションづくりに取り組んできた『とうよこ沿線』。貢献度もさることながら、その編集方針と粘り強い制作活動には、本当に頭の下がる思いでいっぱいです。

 このたび発刊の写真集「わが町の昔と今」は、まさにその集大成とも言うべき内容で、貴重な写真の掲載にとどまらず、詳細な説明と古老の話やエピソードなど、時代背景を実に良く映し出していると思います。また内容は風俗にまで及んでおり、郷土史の資料としてはもとより、民俗学の資料としても大変に価値のあるものだと思います。
 それだけに編集に当たっての取材活動には、さぞかしご苦労が多かったのではないかと察せられます。スタッフの皆様、本当にご苦労様でした。そしてこのような素晴らしい写真集を出していただき、ありがとうございました。












 『とうよこ沿線』創刊号の裏表紙の広告を「横浜高島屋」様からいただき、そのとき鳥羽様から「3号(散号)雑誌にならないよう頑張って、また来年の7月に来てください。広告を出しますよ」このお言葉が私たちの心の支えになりました。
  毎年夏の号に広告をご提供いただき、お陰さまで創刊20周年を迎えられ、その記念事業として写真集を発行することができました。20年間のご支援、まことに有り難く心から御礼申しあげます。(岩田忠利)


        思い出がタイムスリップ

            中島 清(横浜市港北区高田東一丁目)

 立派な写真集、本当に感激いたしました。遠い所わざわざ岩田様みずからお配りに見え、心から感謝申し上げます。
 私たちは昭和28年、金融公庫の抽選に当たりまして現在地に13坪の居を構えたのです。同22年に満州から引き揚げ、やっと構えた家もお陰さまで48年が経ちます。
 あの写真にあるとおり、床下浸水にも遭いました。何か写真集によってタイムスリップしたいろいろの思い出が頭の中を駆け巡り、興奮してなかなか眠れませんでした。
 本当にありがとう。よく当時の記録写真を集められました。そのご努力に心から敬意を表し、実行委員の方々にもよろしくお伝えください。今では私たちにとって一番大切な港北のこの町がいつまでも益々発展することを祈っております。









 丁重なお便り、ありがとうございました。戦後満州から引き揚げ、昭和28年から綱島にお住まいになられ、激動の綱島周辺の模様が走馬灯のように浮かび、眠れなかったとは……。ご感想をいただき、「あ〜、つくって良かった」が実感です。
(岩田忠利)

 

     あれは電車ではなくガソリンカー

      太田重男さん(横浜市港北区太尾町)

 拝読させていただきました。貴重な写真のご収集、大変なご苦労だったと思います。
 文中、乗り物編――6ページ、中央の写真ですが、説明に「手動式ドアの東横線木造電車」とありますが、東横が購入した「キハ1型ガソリンカー」だと思います。
 ご参考までに『鉄道ピクトリアル・600号』の誌面のコピーを同封いたします。細かいことですが、鉄道に興味を持つ者にとっては気になるところです。なお小生、昭和29年より東横線の利用者です。

























 あれはガソリンカーでしたか? 鉄道を走るのはすべて電車とばかり思い込むのは、こちら“鉄道オンチ”。ご指摘と資料、ありがとうございました。
 昭和11年に変電所の増設なしに輸送力アップをはかるため、時の東横電鉄が8両を購入したものの1両、“ガソリン動車”であることをご提供の資料を読み、知りました。
 ここに「電車ではなくガソリン動車」に訂正させていただきます。(岩田忠利)



「わが町の昔と今」<港北区編>116ページから。昭和11年鶴見川を渡る電車ではなくパンタグラフのないガソリンカー

        綱島首塚についてご存じの方へ

        三浦 精子(横浜市港北区大曽根二丁目)

 このたびは写真集発刊、おめでとうございます。大きなお仕事を終えられてどんなにかホッとされていらっしゃることでしょう。
 ご本の「綱島編」を拝見しながら自分の古い歌のノートをひも解いて見ていましたら、偶然『綱島今昔』と題した数首がありました。お恥ずかしいですが以下披露させていただきます。

  照乃家とふ 芸者置き屋のありしこと昔語りに 綱島変る

    宮中へ献上さるる 桃の畠 桜並木の北へひろがる

    二、三段上がれば 駅のホームなり 桃畠見ゆ 大倉山見ゆ

    軒下に 洪水用の舟吊りて 綱島の農家しみじみ哀れ

    鶴見川 大氾濫に 相手方の 土手を切らむと決死隊出でしと

    首塚(綱島首塚)は七千五人と刻まれあり 鶴見川原の氷雨にかすむ

     フォークリフト日毎川原を掘りすすみ 綱島首塚 跡かたもなし

 大綱橋際にあったこの綱島首塚、いったいどなたを供養したものか、誰に聞いても分かりません。今はどこに移されたのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけたら有り難いですね。






  鶴見川の大綱橋付近に罪人の処刑所があったことは聞いていましたが、7005人も処刑され、その遺跡、“綱島首塚”について私は知りませんでした。ご存じの方は、『とうよこ沿線』編集室.0455611000までお願いします。(岩田忠利)

       会長室と社長室に一冊ずつ

         野並直文(横浜市西区高島。崎陽軒・社長)


 神奈川新聞で拝見し、手に入れたく書店に行きましたが無く、貴編集室に問い合わせましたところ、早速ご郵送くださる由、本日手元に届きました。
 大変懐かしく、興味深く拝見しました。会長室と社長室に一冊ずつ保管させていただきます。心より御礼申し上げます。







 横浜を代表する会社、崎陽軒様の会長室と社長室に保存していただけるとは、タイヘン光栄なことでございます。今後ともご愛顧の程をよろしくお願い申し上げます。(岩田忠利)


      写真の現在地、教えて!

         内田晶子(川崎市幸区南加瀬一丁目)

 歴史、地理の好きな私は、この写真集を前にして地図と首っ引きで写真の位置を確かめておりますが、どうしても分からない所があります。
  13ページの谷戸池、竹の花裏山。19ページ袋河岸、53ページ榎戸、58ページ赤っ坂。教えていただけないでしょうか。
 「その場所に行きたい」と熱望する変なクセがあって困ります。車ではなく、自転車であちこち走り回り、主人からは「年を考えなさい」と注意されますが、「ヘイ、ヘイ」返事はするものの、出歩くしだいです。
 綱島駅開設前の写真、池谷様の数々の写真等々、胸の熱くなる思いです。





 内田さん、お暇な折、編集室へお出かけください。私が地図を書いてご案内いたしますから、どうぞ!(岩田忠利)

     情報の“送り手”、延べ2333名の声の中ら

  編集の音(抜粋)









 「浦島小学校の1期生で開校80年のお祝いに。浦島太郎です」と本誌スタッフの山室まささん。「ホントに浦島花子」と浮かれたら「この年になったら男も女も」。でも大正9年の1年生、まさちゃんはどんな子だった? 気にしているのは昭和7年の1年坊主、春ちゃん。
(菊名・大崎春哉)








 時代の進歩をつくづく感じました。それは……。
○そのむかし明日の遠足気にかけつ テルテル坊主に願ひこめたり
○現代の子はテルテル坊主を笑ひたり 前線南下は避けられぬとて
(新羽・雀のお宿・山室まさ)







 「とうよこ沿線ママネット」もオープン以来2430カウントを超えました。沿線ママのネットワークがどんどん拡がるといいな。みなさんアクセスしてね! 今年の夏はどんな夏か、今から楽しみです。
(日吉・SOHOママ・三浦有子)






 チャボの黒ちゃんがカラスに突つかれ大ケガをした。いまだ片足でしか立てない「障害鳥」。それでもいい、長生きしてくれ。家族と連れ合いの白ちゃんの切なる願いだ。
(菊名・鈴木みづえ)














 本牧に住んでいた昭和16年の東横線の思い出。桜木町駅から東横線に乗り、菊名駅を出てすぐ右手車窓の田んぼの向こうに、確かワラぶき屋根が一軒ポッンと見えた。それを指さして母は「あれは役場だよ」と言った。その役場とは、いったい今のどこなのだろう? 南武線に乗り換えるのに現在の武蔵小杉駅が無く、新丸子駅から歩いて武蔵小杉に戻って乗るので大変不便であった。
(綱島・自営・加藤弘年)







「とうよこ沿線ホームページ」に貴方の意見を反映させよう。沿線地域の情報発信をさらに促進するために、「オンライン編集室」を開設します。参加希望者は編集室へ。
(武蔵新城・会社員・菊池清美♂)








 先日、ついに念願のノートパソコンを購入。「いつかは在宅で仕事を!」とはりきってWordから始めたものの、ムズカシーイ! 仕事ができるようになるのはいつの日か……。
(元住吉・主婦・鈴木栄美)










 創刊20周年にして念願の写真集第1巻が出ました。本誌の創刊号を手にした時のような安堵感と感激でした。ズシリと重いその本の配本は老骨の身にこたえましたが、行く先々で「いい本ですねえ!」のお褒めの言葉にどれほど励まされたことでしょう。今は第2巻 「川崎中部編」の発行に意欲満々でございます。
(編集室・鈴木善子)










『とうよこ沿線』のスタッフに交ぜてもらって早や3年。毎号ドキドキワクワクの連続です。今回もトビキリの出逢いがありました。エコライフ研究家の大内えりかさん、女優の五大路子さん。今素敵に輝いているのは何故か女性が多いような。気のせいカシラン……。
(反町のフリーター・品田みほ)

















 当編集室スタッフの農園「東横ファーム」にも最近、都市化の大波が容赦なく押し寄せています。
  横浜市の都市再開発とやらで、道路沿いの畑は道路拡張に8メートル削られ、もう一方のジャガイモやネギを植えた畑はブルが入って新道工事が間もなく始まります。ここは腰ほども生い茂る雑草を引き抜いて開墾、堆肥や化学肥料を与え、水を自宅から車で運んで土壌改良しましたが、その間、わずか1年ほど。都市化の波頭は、まるで襲いかかる恐竜のよう。
  ここでの最大の収穫は、汗して土を耕し育てた野菜の美味しさを知ったこと、その栽培法を相談し合い、協力し合った”土仲間”がいたことでした。
(編集長・岩田忠利)

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