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『とうよこ沿線』創刊号の裏表紙の広告を「横浜高島屋」様からいただき、そのとき鳥羽様から「3号(散号)雑誌にならないよう頑張って、また来年の7月に来てください。広告を出しますよ」このお言葉が私たちの心の支えになりました。
毎年夏の号に広告をご提供いただき、お陰さまで創刊20周年を迎えられ、その記念事業として写真集を発行することができました。20年間のご支援、まことに有り難く心から御礼申しあげます。(岩田忠利)
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思い出がタイムスリップ
中島 清(横浜市港北区高田東一丁目)
立派な写真集、本当に感激いたしました。遠い所わざわざ岩田様みずからお配りに見え、心から感謝申し上げます。
私たちは昭和28年、金融公庫の抽選に当たりまして現在地に13坪の居を構えたのです。同22年に満州から引き揚げ、やっと構えた家もお陰さまで48年が経ちます。
あの写真にあるとおり、床下浸水にも遭いました。何か写真集によってタイムスリップしたいろいろの思い出が頭の中を駆け巡り、興奮してなかなか眠れませんでした。
本当にありがとう。よく当時の記録写真を集められました。そのご努力に心から敬意を表し、実行委員の方々にもよろしくお伝えください。今では私たちにとって一番大切な港北のこの町がいつまでも益々発展することを祈っております。
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丁重なお便り、ありがとうございました。戦後満州から引き揚げ、昭和28年から綱島にお住まいになられ、激動の綱島周辺の模様が走馬灯のように浮かび、眠れなかったとは……。ご感想をいただき、「あ〜、つくって良かった」が実感です。
(岩田忠利)
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あれは電車ではなくガソリンカー
太田重男さん(横浜市港北区太尾町)
拝読させていただきました。貴重な写真のご収集、大変なご苦労だったと思います。
文中、乗り物編――6ページ、中央の写真ですが、説明に「手動式ドアの東横線木造電車」とありますが、東横が購入した「キハ1型ガソリンカー」だと思います。
ご参考までに『鉄道ピクトリアル・600号』の誌面のコピーを同封いたします。細かいことですが、鉄道に興味を持つ者にとっては気になるところです。なお小生、昭和29年より東横線の利用者です。
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あれはガソリンカーでしたか? 鉄道を走るのはすべて電車とばかり思い込むのは、こちら“鉄道オンチ”。ご指摘と資料、ありがとうございました。
昭和11年に変電所の増設なしに輸送力アップをはかるため、時の東横電鉄が8両を購入したものの1両、“ガソリン動車”であることをご提供の資料を読み、知りました。
ここに「電車ではなくガソリン動車」に訂正させていただきます。(岩田忠利)
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「わが町の昔と今」<港北区編>116ページから。昭和11年鶴見川を渡る電車ではなくパンタグラフのないガソリンカー |
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綱島首塚についてご存じの方へ
三浦 精子(横浜市港北区大曽根二丁目)
このたびは写真集発刊、おめでとうございます。大きなお仕事を終えられてどんなにかホッとされていらっしゃることでしょう。
ご本の「綱島編」を拝見しながら自分の古い歌のノートをひも解いて見ていましたら、偶然『綱島今昔』と題した数首がありました。お恥ずかしいですが以下披露させていただきます。
照乃家とふ 芸者置き屋のありしこと昔語りに 綱島変る
宮中へ献上さるる 桃の畠 桜並木の北へひろがる
二、三段上がれば 駅のホームなり 桃畠見ゆ 大倉山見ゆ
軒下に 洪水用の舟吊りて 綱島の農家しみじみ哀れ
鶴見川 大氾濫に 相手方の 土手を切らむと決死隊出でしと
首塚(綱島首塚)は七千五人と刻まれあり 鶴見川原の氷雨にかすむ
フォークリフト日毎川原を掘りすすみ 綱島首塚 跡かたもなし
大綱橋際にあったこの綱島首塚、いったいどなたを供養したものか、誰に聞いても分かりません。今はどこに移されたのでしょうか。ご存じの方がいらっしゃいましたら、教えていただけたら有り難いですね。
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鶴見川の大綱橋付近に罪人の処刑所があったことは聞いていましたが、7005人も処刑され、その遺跡、“綱島首塚”について私は知りませんでした。ご存じの方は、『とうよこ沿線』編集室.045(561)1000までお願いします。(岩田忠利)
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会長室と社長室に一冊ずつ
野並直文(横浜市西区高島。崎陽軒・社長)
神奈川新聞で拝見し、手に入れたく書店に行きましたが無く、貴編集室に問い合わせましたところ、早速ご郵送くださる由、本日手元に届きました。
大変懐かしく、興味深く拝見しました。会長室と社長室に一冊ずつ保管させていただきます。心より御礼申し上げます。
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横浜を代表する会社、崎陽軒様の会長室と社長室に保存していただけるとは、タイヘン光栄なことでございます。今後ともご愛顧の程をよろしくお願い申し上げます。(岩田忠利)
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写真の現在地、教えて!
内田晶子(川崎市幸区南加瀬一丁目)
歴史、地理の好きな私は、この写真集を前にして地図と首っ引きで写真の位置を確かめておりますが、どうしても分からない所があります。
13ページの谷戸池、竹の花裏山。19ページ袋河岸、53ページ榎戸、58ページ赤っ坂。教えていただけないでしょうか。
「その場所に行きたい」と熱望する変なクセがあって困ります。車ではなく、自転車であちこち走り回り、主人からは「年を考えなさい」と注意されますが、「ヘイ、ヘイ」返事はするものの、出歩くしだいです。
綱島駅開設前の写真、池谷様の数々の写真等々、胸の熱くなる思いです。
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内田さん、お暇な折、編集室へお出かけください。私が地図を書いてご案内いたしますから、どうぞ!(岩田忠利)
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