編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.694 2015.06.22 掲載

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『とうよこ沿線』No.65…平成8年(1995)4月10日

 B5判 紙数:68ページ

 頒布:有料  定価300円
   
 読者と編集室との架け橋

        本誌ご支援に深謝。今後ともお力添えを!

              『とうよこ沿線』を支援する会・会長 大崎春哉

  集まりました! ご支援のお金が…、広告が…、そして一括購入のお申し込みが……。本誌ご支援の温かい手が次ぎから次ぎ、沿線の北から南から差し伸べられたのです。

 前号でギリギリの窮状をお知らせしましたのを機に、本誌を愛する仲間が立ち上がりました。
《『とうよこ沿線』を支援する会》を結成、走り回ったのです。感謝感激するばかりの反響が、連日編集室へ。その皆様は以下ご報告の方々です。まことにありがとうございました!

 おかげで当面のピンチは脱して、この65号が陽の目を見ました。しかし、継続発行のためには、まだまだ山が、谷が……。どうか引き続いてのお力添えを、心からお願い申し上げます。






































































































































 

           ■ご送金くださった皆様

  (掲載は最寄駅の北から南へ。敬称略。1口=1万円)

鴻巣……佐藤由美子(1口)/ 渋谷……藤田佳世(3口)

祐天寺……−色 雄(1口)/ 学芸大……笹崎たけし(1□)

都立大……額縁ニュートン(1口)・前川正男(1口)

自由が丘……西野満智子(3□)・鈴木武夫(1口)

田園調布……林 一男(1□)/多摩川園……徳永正晴(1口)

石川台……北川正保(1口)/二子玉川……如沢和夫(1□)

馬込……一色隆徳(1口)/大島……加賀紀子(1□)

成瀬……丸山敏郎(1□)

新丸子……山本五郎(3口)・日吉隆豊(2口)・立岡 修(2□)・漉辺昭二(1□)

武蔵小杉……斎藤文宏(3□)

武蔵中原……高野豊孝(1□)・フォトナカハラ(1口)・小島艶子(1□)

元住吉……石野英夫(3□)・中山武夫(2□)・今井茂雄(1口)・佐久間忠(1□)

日吉………ST(匿名希望。3□)・青木良一(2口)・前沢和夫(1□)・
      島田晴雄(1口)・
森 邦夫(1口)・中瀬大一(1□)・高綱文子(1□)

綱島……萩 正義(5□)・光洋自動機梶i5□)・東照寺(35□)・山火典子(2□)
     
東京油化学梶i1口)・生絹精子(1口)・加藤弘年(1□)・池谷光朗(1口)

大倉山……金田祐子(3口)・山室まさ(3口)・肥後裕行(1口)・茂木知子(1□)・
          冨川登(1□)・猪野浩史(1口)・奥村弘一郎(1口)・落合三郎(1□)・
          伏見満枝(1口)・小林義昭(1口)・三浦真澄(1□)・田中建具(1□)・
          高橋勲夫(半口)

菊名………大崎春哉(3□)・ポラーノ書林(3口)・平出田鶴子(1□)・
      三上理一郎(1□)・
三神武雄(1□)・早崎郁男(半口)

妙蓮寺……村市徹郎(3口)・田澤英子(3口)・八木裕代(1□)・小林 茂(1口)

白楽………込官紀子(2口)・大庭妍也(2口)・池田美佐恵(1□)・池田憲一(1□)・
     梶 美智子(1□)・中沢寿夫(1□)・末広園(1□)・魚春(1□)・
      北村政雄(1□)・
ミヤコヤ書店(半口)・メガネの太田(半口)・
      矢沢商店(0.3口)・
かいぬま文具店(0.3口)・オクダ゙時計店(0.3口)・
      フルーツ柳屋(0.3口)・
かまや金物店(0.3口)・カネサダ宮川商店(半口)
      雨宮商店(0.2口)・
名古屋書店(0.2口)・まんだら書店(0.2口)

東白楽……小林敏男(2口)・ロッキー(1□)・笠松治良(1□)・兜s二出版(1□)・
          斎藤幸紹(1□)・ニュービーバー(1□)・早川エンタープライズ(半口)・ 
          高石書店(半口)・青池犬猫病院(半□)・かしま書房(半口)・
      由不動産(半口)・とんかつたちばな(半口)・どんどん小田店長(03□)・
      間宮将明(03ロ)・
清華飯店(02□)・平川町米店(02口)・
      エマーブル(02□)

反町………開進交易梶i1口)/横浜……北澤建設(半口)

高島町……ムーンライト(02ロ)/鶴見…鰹ャ山組(1口)

東神奈川……兵庫屋履物店(2□)・照本 力(1□)・
       リサイクルショップぽけっと(半口)

鷺沼……西野裕久(2□)/青葉台……小田房秀(1□)

長津田……吉谷恵美子(1口)/新横浜……伊奈利夫(1口)

鴨居……湯浅嘉之(1□)/戸塚……藤井松次(1□)

北鎌倉……小山 清(3口)/藤沢……鳥羽洋一郎(1口)

茅ヶ崎……山本裕二(1口)     以上、《合計l181475

   ◆毎号一括購入してくださる皆様(敬称略)

■市川宝クリニック(綱島。70冊)・ ■山室まさ(大倉山。50冊)

■小林美年子(武書小杉。50冊)   ■神奈川童謡の会(反町。50冊)

■ユニ−綱島店(綱島。50冊)    ■協栄リサイクル(武蔵小杉。50冊)

■八木裕代(妙蓮寺。50冊)     ■長谷川栄子(綱島。50冊)

■光洋自動機梶i綱島。40冊)    ■新横浜ゴルフ(白楽。40冊)

■千葉税理士事務所(綱島。20冊)  ■有文堂書店(等々力。20冊)

■高野動物病院(武蔵中原。20冊)  ■西河製菓(二子玉川。20冊)

■古美術伯楽(東白楽。20冊)    ■子供服シスター(白楽。20冊)

■はすだ(大倉山。20冊)      ■NTT横浜西支店(横浜。15冊)

■レストランプク(日吉。10冊)   ■大倉山動物病院(大倉山。10冊)

■日横クリニック(日吉。10冊)   ■あさひ銀行綱島支店(綱島。10冊)

■伊藤妙子(日吉。10冊)      ■笠松次良(東白楽。5冊)
                                  以上、24件
 


         駅に専用電話がない!

 昨秋のこと、車で妙蓮寺駅前通り(旧綱島街道)を白楽へ向かっていた。東横線妙蓮寺駅ホームと並行する地点にさしかかった時のことである。

 「ビシャ!」。異常な音とともに目の前のボンネットに何か変なモノ″がくつ付いた。車から降りて見ると、ネバネバするチューインガム″だ。事態を直感した。電車待ちの乗客がホームから吐き捨てたものに違いない! そのマナーの悪さに六角橋の自宅に帰っても私の腹の虫はおさまらない。

                     信じられぬことが発覚!

 そこで、妙蓮寺駅の管理責任者である東急の駅側に事情を話すつもりで駅の電話番号を調べた。すると、もっと重要なことが判った。駅に電話がない″のである。横浜北版電話帳を調べると、JR各線や横浜市営地下鉄3号線、私鉄の京急も相鉄も各駅に電話があるのに、東横線は妙蓮寺駅だけでなく東白楽駅も反町も駅専用の電話がない。信じられない! 駅は街の玄関口、不特定多数の人々が利用する地域の最重要公共施設″。しかも、丸子多摩川〜神奈川間は東横線の中でも最も早く大正15年2月に開通している。


イラスト:石野英夫

 それ以来70年以上も、この3駅には電話がないのであろうか……。今まで公的施設である駅に対して乗客は、駅に忘れ物とか病気など緊急連絡できない不便を感じなかったのであろうか……。少なくとも私は、妙蓮寺駅に電話したくとも電話がないのには閉口した。
 今や、高校生でも携帯電話を持つ時代。公益事業の鉄道、東急が真に乗客へのサービス向上をめざすなら、各駅に1本は専用電話を架設すべきだと思う。この件について本誌上で東急の見解を伺いたいものである。
   (神奈川区六角橋2丁目・会社役員・Y・S)










駅に電話がないとは……開いた口がふさがらないとはこのことですね。他の駅はすべて電話があるのに東横線3駅に設置されていない。おっしゃるように多摩川園から神奈川間は大正15年2月開通の“東急電鉄発祥の路線”。今までY/Sさん同様の不便をかこつ人が多数いたことでしょう。
 東急本社では本誌を毎号社内回覧しているはずなのに、残念なことに現段階では、まだ東急電鉄鰍ゥらなんらの回答がありません。(岩田忠利)


                         消えたトンネル

 平坦な丸子にも東横線の土盛り線路部分にトンネルがある。中原区新丸子東3丁目と小杉3丁日との間に2カ所あり、そのうちの南武線寄りのトンネル(写真下)は平成7年9月に姿を消した。

2カ所とも本来は昔の上丸子・中丸子方面に水を供給する用水通過のために造られたが、戦後しばらくして道路に変わった。この用水では戦前にはアユ・フナ・ウグイ・エビやシジミが捕れるが、臭いドフ川に変身すると一転して厄介ものになった。
 下水道の完備で用水路の役割は終わり、上部にフタをされて道路や駐輪場となり、以前が用水路とは知らない世代の住民が武蔵小杉駅への近道として利用してきた。

 東横線の複々線工事により土盛りはH鋼による仮高架になり、土が除かれると7月にその全貌が姿を現し、トンネルを横から見てそのコンクリートの頑丈さに改めて驚いた。


かつては用水路跡だったトンネル。新丸子東から武蔵小杉駅への連絡通路として使われていたが平成7年に消えた。左は東銀丸子クラブ

取り壊しには10日以上かかったのも無理はない。

 昭和204月以降のB29夜間空集の際、小杉一丁自、二丁目の被災者がこのトンネルを防空壕の代用にしたが、地元丸子の住民は南武線と交差する近くなので危険を考えて利用していない。
 東横線武蔵小杉駅南口から中小企業婦人会館に抜ける通称“メガトンネル”はまだ残っているが、東横線開通当時を偲ぶ古き思い出は消えようとしている。
  (中原区新丸子東2丁目・渡辺昭二)






  単なる連絡通路のトンネル、と思っていたら“秘めたる歴史”のある建造物だったのですね。
 地元の大先輩ならではの貴重なお話とその痕跡を未来に残すお写真、ありがとうございました。
(岩田忠利)


   63号の記事に誤りを発見!

 貴誌『とうよこ沿線』ときどき拝見しております。大変貴重な資料と思います。

63号「アルバム拝借」25ページの「美智子妃殿下ご一行が多摩川に」(写真右)という個所での写真説明で、皇族一行がご来臨したのが昭和40年とありますが、「昭和37年」が正しいと思います。わが家にあった同封の資料を参照してください。
 小生の妻は美智子皇太子妃がおいでになるというので現場に行ったとのことです。

 (大田区田園調布本町 水上市郎平)



昭和37年5月16日皇族ご一行が多摩川の丸子橋下での日本赤十字・救難演習を参観されたとき


















ご指摘と資料ご送付、ありがとうございました。事実を裏付けるには「文字」は強いですね。昔の写真を紹介する「アルバム拝借」編集の裏話を披露しますと、まず最も難儀するのが“古い写真探し”。つぎに写真持ち主の写真説明をチェックすることです。「いつ、どこで、だれが、どんな情景を写したものか」を殆ど記憶だけを手掛かりにします。
  場所や人物という有形のものは覚えていても、無形である年月というのは正確に覚えていないことが多いのですね。

 水上さんの資料では「昭和37516日(水)午後1時〜4時まで。当日は、日赤名誉総裁であります皇后陛下はじめ美智子妃殿下ほか三宮様の妃殿下がご臨席されることになっております」とあります。これで、昭和40年は誤りであることが明白。「昭和37年」に訂正しお詫びいたします。
 
(編集長・岩田忠利)

情報の“送り手”、延べ2333名の声

編集の音
     ■は本号から参加の会員です。





35年前の話。松戸の友達が家探しの条件に東横沿線を希望しました。理由は東横線の乗客はホームでのマナーが満点とのこと。マナーは住人の品性まで見透かすものかと大変勉強になりました。
(大倉山の物好き・山室まさ)






初めて取材と執筆を担当した。話を聞きながらメモをとるのは難しく、記事には自分の主観が入ってしまい、相手の人物像がうまく伝わったのかなと憂慮する。が人生経験豊富な人の話は勉強になった。
(綱島・会社員・横山直子)






気がつけばそこは白い街。白い道、白い建物、通り過ぎる人たち。頬をかすめる空気も真白い香り、いつしか心さえも真っ白に染められてしまう街。白、白、白が似合う街、港北ニュータウン。
(祐天寺・フリーカメラマン・深谷光男)






定年後の喜びは? と聞かれ、今自信を持って答えられる。それは愛犬(ゴールデンレトリバー)と日の出、夕日、富士山を見ることである。会社に勤めている時、こんな美しいものを忘れていた。
(北鎌倉・小山 清)







 出版の仕事で関西に行っていて、4年ぶりに編集室を訪ねたら……。体制も充実し安泰だと思っていたが、相変わらずの人材不足。ともかく本来の隔月刊に戻すべく、私も復帰し広告取材に飛び回ることとなった。
(武蔵小杉・俵 賢一)







鶴見線の「クモハ12」という昭和一桁生まれの電車が3月で廃止になった。木製の床に長いつり革。クーラーもなくたった一駅を往復する。効率や快適性を考えたら今のご時世に合わないけれど、さびしい。
(綱島・吉野奈奈)










港北ニュータウンの先の山内地区保木に私は昭和17年に疎開した。小学校への通学路は約4キロ、当然バスはなくて歩き。また当時はよく雪が降って、友達はたんぼの堀に何度も落ちたっけ。校庭には霜溶け用に稲わらを運んだもんだよ。
(綱島・自営業・加藤弘年)






合唱サークルに入りました。とはいっても文化の香りに触れているという程度。声は出ないわ、他のパートにつられるわ、で四苦八苦しています。でも、好きなんです。
(菊名・鈴木みづえ)






編集部のお手伝いするはずが、顔を出すたびにラーメンやら何やらをご馳走になるばかり。いやはやなんとも……。 そんなこんなで、はや3月。都立大の桜並木が待ち遠しい今日この頃です。
(都立大・ライター・加藤明典)





代官山まで通勤です。ラッシュアワーに身をまかせ車内広告を見るのが好き。最近感動したコピーは「私が好きになる人が私をさがしていたら幸せ」。40代に最早、青春の門はないのでしょうか。
(元住吉・自営業・野口一夫)






ご縁があり、岩田さん・鈴木さんとのお付き合いが始まりました。私に何ができるのか分かりませんが、『とうよこ沿線』を通じて地域に貢献できればと思います。SLOWSTEADYで頑張ります。
(大倉山・大和淑晃)









本号は9年ぶりの渋谷・代官山特集ということで、2カ月間もこの街を広告募集に歩いて、わずかに5件の成果。「ああ、東京サバク! これじゃ、発行できない…」
 急遽、港北ニュータウン特集に切り替え、初めてご当地をお願いして歩きました。初回なのにお会いした人達の優しさにすっかり魅せられた私でした。
(編集室・鈴木善子)






仕事をやめて丸1年。今はとにかくいろんなコトに挑戦してみたい。『とうよこ沿線』の広告営業や取材でたくさんの人と出会って、自分の足場を広げていけたらと思う。
(新丸子・秋野勢津子)






凝り性の自分の最近の的はインテリア。自分の部屋の持ちたる空気をうまく活かそうとあれやこれや改造中。独り暮らしも3年目へ。マイルームにあわせ、ここらで心身ともにリフレッシュするか!
(洗足池の散歩学生・木下雅世)














 本誌発刊を思い立って満16年、通巻65号の本号発行ほど難産″だったことはありませでした。この産みの苦しみに耐えられたのは、愛読者皆様のご支援、新旧会員諸兄のご好意、スポンサー・横浜市・マスコミなど各方面の皆様のご協力があればこそ、でありました。ご厚情に厚く、厚く御礼申し上げます。
 発行の歩みは遅くとも、歩き続けます。不況の中、知恵と努力で亀から兎になんとか大化け″したいものです。今後とも皆様のご支援ご協力を!
(編集長・岩田忠利)

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