編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.693 2015.06.21 掲載

 
『とうよこ沿線』No.64…平成7年(1994)10月10日

 B5判 紙数:ページ68

 頒布:有料  定価300円
   
 読者と編集室との架け橋


     本誌の経営ピンチってホント?

             大崎 春哉(菊名の『とうよこ沿線』ファン)

  『とうよこ沿線』が大ピンチだという。もう今度でおしまいかも、と聞いた。この夏8月、第64号の原稿を持って日吉の編集室を訪ねた時のことである。
 「ええ−っ!」「そんなこと!」思わず大声、そして絶句。若い女の人なら「ウッソー!」といいそうなところである。

経営難のことは前にもしばしばお聞きしていた。ても、何といっても文化成熟度、そして経済成熟度でも首都圏で抜群(と思っている)の東横沿線にある、わが『とうよこ沿線』である。3年ほど前にできた「東横沿線文化研究会」の入会者を見ても、そうそうたる顔触れがそろっている。いざとなればあっちこっちから応援、援助の手が……と考えていた。
  岩田編集長のもとで、建て直しの自助努力も進んできた。個人経営から会社組織に転換、編集陣にはピチピチの新人が入ってきた。新しい社屋に入るとともに、電話番号もそれまでのいささか心細い「ロク二(62)ヨサンナイ(4371)番号」から「ゴロイイ1000番」と縁起よくなった。何とかなりそうと思っていた矢先、これはまた、何ということ!

 いつも編集長と二人三脚の鈴木善子ママが切羽詰まったお顔でポツリひとこと。
  「あの手この手、いろいろやって頑張ってきましたが、今度という今度はもうホントに限界です」。
  伺っている方は、ただもう「う−ん、これは……。何とかなりませんかねえ」
  と声は苦しくなるばかり。

          起死回生策はないものか…

 でも、考える。この『とうよこ沿線』、決してこのままダウンさせてはならない……と。地域の文化活動としてまことに赫々の成果を挙げてきた栄光の、私たちの『とうよこ沿線』である。決して、無くしてはならない。無くしたくはない。関係の全員で、起死回生の策を探さなくてはいけない。

創刊以来15年、この号は「創刊15周年記念号」なのだ。本来なら、ここでまた景気よく、一大飛躍のアドバルーンを揚げるはずなのだ。それがこういう「ピンチ、助けて!」の一文を書かなきゃならないなんて、これはまた何たる無念、残念、言いようがない。
  でも、だからといって、『とうよこ沿線』は、この15周年を機に、更に伸びていきたい、いかせたいのた。

 では、どうするか。一案として、読者皆さんに広告スポンサーや営業面でご協力いただける方を自薦他薦で紹介依頼してみてはいかが? と編集長に提案した。この雑誌を愛するすべての人から、この雑誌存続のため、いや次なる飛躍のために、ぜひぜひ何がしかのご協力をお願いできないか、と考えるのである。
 この雑誌が沿線の皆さんからいかに高く評価されているかは、愛読者の皆様なら、とっくにご存知のはず。
 愛情と熱意あふれるご協力をとの提言、われらの『とうよこ沿線』ピンチ解消の大きな妙薬にと願うばかりである。
  (菊名北町会副会長・『菊名新聞』編集長)






























































             編集長から愛読者皆様にお願い!

創刊号からの愛読者で、公私超ご多忙な中、取材・執筆に情報提供にとご協力いただいてきた大崎春哉さんが義母・鈴木善子の話を聞き、早速投稿してくださいました。
 本誌への熱い思いを具体的な提案にまでふれて切々と綴ってくださり、胸が熱くなりました。

特定の企業や商店街のお抱えのタウン誌″を除けば、どこのタウン誌経営も火の車といわれます。 『とうよこ沿線』もその例にもれず、創刊以来15年、通算64号の発行は毎号崖っぷち″を歩くようなものでした。
  とくに最近、平成不況の風は強い。経費節約といえばまず3K″(広告費・交際費・交通費)で、本誌発行の財源である広告募集に従来の何倍もの労力と月日がかかります。そこへ月々の人件費・家賃・ガソリン代など固定経費が重なると、正直いってその経営は年々苦しくなる一方です。
  こうした先行き不安と不透明な中、大崎春哉さんのように、多くの皆様が「『とうよこ沿線』よ、がんばって続けて!」と激励してくださいます。そのたび「ネバー・ギブアップ」を心に誓い、自分を鼓舞してやってきました。

                    営業部門の新設

  この難局をどうしたら突破できるか……、私は日夜考えました。周囲の人たちにも相談しました。そこでの結論は、雑誌編集を支える営業部門″の新設とその活動でした。

「そんなこと今頃、おまえアホか?」とお叱りを受けるかも…。しかし現実は広告営業の人手が足りず、私と義母鈴木善子を中心とした数少ない陣容で目先の雑誌発行とその配本に追われる毎日……。
  取材と並行させながらの広告募集が一段落すると、編集室に籠っての原稿書きとレイアウトに約1力月。それから印刷所へ出稿、校正などを経て約1力月弱。トラックに積まれた新刊が納品されると昼夜約20日間、東京・川崎・横浜の行政境を越えて書店・コンビニなどの販売協力店や広告提供先、前記文化研究会会員宅への配本。その間、広告営業活動は全くの休止状態です。

皆さんがよく私に向ける言葉は「楽しそうで羨ましいお仕事」ということですが、実際は文字通りの貧乏暇なし男″。ここ10年間一度も旅行ができないどころか、兄弟で一人だけ実家の両親の死に目にも会えなかった親不孝者でした。

余談はさておき、先日この営業部門を開設するため有志で「営業部門準備委員会」を開き、その活動の内容とスタッフ受け入れ態勢の骨子をつくりました。
 そこで、読者の皆様に“下記の5項目”の件について私からお願いです。皆様のお力で『とうよこ沿線』を続けさせてください! そして、さらに今後発展させてください! ご協力を伏してお願い申し上げます。
   『とうよこ沿線』編集長 岩田忠利

情報の“送り手”、延べ2333名の声
 編集の音
(抜粋)

     は本号から参加の会員です。




今年は冷夏? 予報が外れて嬉しいやら悲しいやら、蝉の声も何だか練習不足。行きませう、仕事ならば暑さもまた楽しみ。吾もまた街に吹く熱き風のごとく、熱き写真屋たらんと……。
(祐天寺・フリーカメラマン・深谷光男)








本号から休日を利用して参加し広告営業面にチャレンジしました。いやはや人好き、女好き、話好きだけでは商談も冗談になりがちで、「今は不況で‥…・」と何軒も断られました。それも快感になるほどに慣れ、結局仕事は体力でした。
(元住吉・自営業・野口一夫)









好きなんです。その土地が、自分の住んでる沿線が。そこで『菊名新聞』を作り、『とうよこ沿線』に出入りする。この新聞が、雑誌が、どんなに地域の人に喜ばれているかを私は知っている。そこで真夏のカンカン照りの日も、真冬の北風の日も、リュックを背に、古びた愛車(自転車)で菊名の町を走り、日吉の岩田編集長の所へ走る。
(菊名・大崎春哉)






いよいよ、食欲の秋の到来。秋は、本当に何でもおいしい季節である。面白いことに、果物豊富な秋には、和洋菓子の売上が落ちるとか。やっぱり、自然のおいしさには勝てないのかな。
(妙蓮寺・茶道教授・風間奈穂)











昭和20年5月26日、父が病死。その3日後がリヤカーで遺体を久保山火葬場へ運んだ火葬の日。が、頭上をB29の大群が旋回するので身内の者たちは久保山墓地内を逃げ回りました。幸い、全員無事でしたが、家は灰になっていました。その帰路、六角橋の路上で「どうぞ」と避難民にお茶を飲ませてくれた人達がいました。猛火の中を4〜5時間歩き、喉はカラカラ。そのお茶の美味しさは生涯忘れられません。その日が横浜大空襲の日、12歳の初夏でした。
(綱島・酒店自営・加藤弘年)








軍事郵便ってご存知? 戦地から銃後(家庭)へのラブレターでした。そんな言葉は忘れてもよいし、知らない人が殆どです。でも『とうよこ沿線』だけは、何年経っても忘れられたくない雑誌でありたい。そのために毎号努力しています。
(大倉山のもの好き・山室まさ)














日吉駅がびっくりするほど変わった。モダンな駅の上には百貨店と大型駐車場もある駅ビルに、隣には立派なバスターミナルも。西口駅前に置かれた白黒テレビを大人も子供も立ち見していた遠い日が妙に懐かしいこの頃だ。日吉に住んで42年、私も大いに変貌した。老婆に……。
(編集室・鈴木善子)






杉原千畝展を見に行きました。在リトアニアの外交官で、役職にありながらユダヤ人を出国させようと正義のために働いた偉大な人です。私にいい薬でした。
(菊名・鈴木みづえ)








もう秋なんですね。食欲の、芸術の…と様々に形容される秋に、私は運動したりリッラクスしたりと心の休養に時間をつぎ込んでいます。散歩はその代表的なもの。いざ外に出てみると「毎日」が呼びかけてくれます。
(洗足池・大学生 木下雅世)








生まれて初めて稲刈りに行ってきました。最近はコンバインがあるので、カマで刈るのは田んぼのフチの部分だけ。それでも、中腰の作業で翌日はちょっぴり筋肉痛に。昔は全部手作業だったとは、頭が下がります。
(綱島・主婦・吉野奈奈)















 本号の特別企画「空襲、そのとき私は』をお読みになって、皆さん、どんなご感想をお持ちでしょうか。
 登場者の中には故人の方もおりますが、私は以前からよく存知上げている皆さんです。どなたも性格は明るく、行動的で、何事にも全力で取り組む一途な面をお持ちだというのが共通項のようです。
 やはりそれは、あの生死をさまよう空襲体験の影響を受けているのかも……と考えたくなります。一生の中で死生観が有るか無いかで、その人の生き方は大いに違ってくるというのが私の持論です。平和時に病気や事故で体験する人もいるでしょう。「多くの人があの世に逝ったのに、自分はこの世に生きている」という自覚が「全力で生きる」気概を芽生えさせるのだと思います。
(編集長・岩田忠利)

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