編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.688 2015.06.18 掲載

 
『とうよこ沿線』No.59…平成5年(1992)8月31日

 B5判 紙数:ページ68 +8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料  定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、59号“椹”60〜61頁から転載です。


                 取材に興味があります

 白楽にある大学に片道3時間かけて通学しています。時々空しくなってしまうけど、アットホームな街の雰囲気とかは気に入っています。せっかくここまで来てるんだからこの街をもっと楽しみたい!
 商店街の人々の人生模様とか気取らないのがすごくいい。美味しいお店とか受験のネタとか、なぜ急行が止まらない! というボヤキなどを取材し紹介したいと思います。こういった(編集の)仕事にとても興味があり、大学に入ったらやりたいなあと思っていたのですが……。
  
(千葉県山武郡芝山町・大学生・土井みどり)






  通学に1日6時間もかかるのですか、大変ですね。でも大学生活にも大分なれ、取材や編集に興味をお持ちのようですね。ぜひ一度編集室へお遊びがてらどうぞ!
  あなたの大学の先輩たちも多くの皆さんが参加され、今ではそれぞれ当時の経験を生かし社会のいろんな分野で活躍しています。(岩田忠利)

  

          真珠占いの黛先生からのお便り

創刊されて間もない頃、愛犬2頭を掲載していただきましだが、あの子たちも天国へ旅立ってしまいました。『とうよこ沿線』は毎号、私のファンの港北区新吉田町の廣谷さんが送り届けて下さっておりますので楽しみにしております。
  前号には2、3度お目にかかっております同業者、早崎さんの記事もあり、なつかしい思いです。
 さて、私もやっと独り立ちに馴れて歩けるようになり、占いを通じて老人へのボランティア(これは私の課題でしたから)をやってゆきたいと考え中です。難しいことですが神様から与えられたことと考え、小さくていい、やってゆくつもりです。(後略)
  (大田区田園調布・真珠霊感・黛 志芳)
                 

 お手紙を9年ぶりに拝読、先生の柔和な美しいお顔、またわが子のように可愛がっていた2頭のシープドック、「ウインク」と「ゼア」(本誌5号登場)の姿が昨日のことのように浮かんできました。
 2頭の愛犬との最期の別れの模様、お手紙で拝見、先生の温かいお人柄には心打たれました。現在は田園調布にお住いで、あれ以来『とうよこ沿線』をご愛読くださっているとは嬉しい限りです。
(鈴木善子)


体重63`のシープドッグ、「ネンネ」と言えば私の横に…


                千葉県多古町のことが57号に

小生の長女が綱島の東照寺に嫁いでいる関係で、本誌はよく読ませて頂いております。
 中でも5753ページの「新日本婦人の会」紹介記事中に「有機農産物を多古町から購入」とありましたので、懐かしさの余り、お便りしました。
  当地は小生の郷里で学校も多古農学校出身です。教員時代は地理が専門でしたので、新婦人の会の皆さんに何かお役に立てれば、ご協力したいと考えております。
 ふるさと多古町は成田飛行場から銚子方向へ1里半、畑が広がるのどかな所です。私にできることがありましたらお知らせください。
 
(世田谷区用賀・84歳・石井利雄)







新日本婦人の会の皆さん、世田谷の石井さんからこんなうれしいお便りが届いています。
 日頃当編集室でお世話になっている東照寺の程木住職の義理の父上とは、奇遇ですね。今後ともどうぞよろしく。ますますお元気でご活躍ください。(岩田忠利)


        住人なのに牛坂とは初耳

  いつも楽しく『とうよこ沿線』拝見しております。
  ところで、5715ペ−ジに万葉学者・犬養孝先生が鳥越の丘「牛坂」とありますが、私も鳥越に住んでいますのに初耳です。近くに小さな牧場はありますが……。(後略)
  (神奈川区鳥越・主婦・漉辺すみ子)
     











  「牛坂」について以下、神奈川熊野神社宮司の照本力さんのご説明をお伝えします。
  あの乾(いぬい)牧場入口の所から路地を入って行くと鳥越23番地の金森桝太郎さんのお屋敷に出ます。その西側から孝道幼稚園へ向かう胸を突くような細い急坂を「牛坂」と呼んだのだそうです。その名の由来は牧場の牛がよく登った道であったためか、定かでありませんが……。(岩田忠利)


            私の「沿線の3大○○」

   私の「とうよこ沿線の3大○○」は、以下の3つを上げます。

1.二ケ領用水(武蔵小杉)
 今でも跡が残っているのか分からないが「東横沿線にこんなのがあるんだ」というもののうちの一つに上げていいと思う。ジモティでも知っている人は少ないんじゃないでしょうか。

 2・元住吉商店街(現ブレーメン通り)
  あの狭苦しさが逆にいい。

3・慶応大学
  あのボロさがカンロクを増す。理工学部の校舎の電気がついているのを見ると、少しもの悲しい。でもアカデミックという感じがした。
 (緑区中山町・小野かおり)



綱島街道から見た二ケ領用水
イラスト:石野英夫




「私の『とうよこ沿線』の3大○○」を前号で予告し呼び掛けましたが、読者の方からの応募は小野さんほか3名だけでした。これでは特集にならず、今後に延ばしました。スイマセン!  (岩田忠利・山室まさ)


 

                初めて出合った本誌

 3月のある日、初めて『とうよこ沿線』を本屋さんで見ました。第57号まで出ているのに今まで一度もお目に掛かつたことがないなんて「ちっきしょう!」という気持ちです。
 バックナンバーの第52号楡″に下丸子のことが載っているそうなので、是非とも手に入れたい! 明日、郵便局へ走ります!
 
(大田区下丸子・会社員・井上弘美)







  創刊13年、60号近くになっても初めてという人もたくさんいますよ。52号の編集では、あなたの街・下丸子の情報収集や取材にスタッフが日吉から日参したのです。下丸子の「オモシロ情報」がありましたらメモにしてお寄せくださいね。(山室まさ)


       この街日吉に愛着を感じる

 前号の「釣り名人の岸上勝さん」の記事には感激しました。じつは、あの釣り名人は私の知り合い。年中、釣りたての魚を料理してごちそうして下さる奇特な方です。一昨年のタコの大漁には私どもも仰天しました。
 近隣に有名な方々が住んでいらっしゃるということを知りましたし、ますます日吉の歴史とともにこの町に愛着を感じます。駅ビル建設は大反対です。日吉の良さが失われます。
  (港北区日吉・主婦・木村弘子)









 土地の良さを失いたくないのは同感ですね。編集室では知らなかった人、モノ、場所、地域問題などを読者の方にお知らせします。私も東横沿線に生まれ育って80余年、『とうよこ沿線』に関わって13年ですが、この沿線では未知との遭遇の連続です。
(山室まさ)


 

            小生、目黒区八雲の生まれ

 過日、小生上京の折、理髪店(目黒区八雲通り)で貴誌を閲読し、懐かしさを禁じ得ませんでした。
 余談ですが、小生の出生地は目黒区八雲(旧宮前町)です。八雲に在住したのは東京オリンピック前年まで、以来30年間ずっと関西におります。
 つきましては、渋谷など周辺の特集号に残部がございましたらご送付下さい。
   (奈良市学園北・平田 喬)







  この雑誌は、平田様のように皆様が移転されますので県外各地に愛読者がおり毎号郵送しています。これからもご愛読者として東横沿線の良さを懐かしんでください。
 (山室まさ)


       情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。






中島みゆきの歌に、「♪世の中はいつも変わっているから、頑固者だけが悲しい思いをする」というのがある。『とうよこ沿線』は、まさに頑固者≠セ。しかし、「悲しい思い」にかられないような「世の中」で、ぜひあってほしい。
(明大前・会社員・西野裕久)






「最近頭にきたこと」……我が家の前の道に吸い殻を捨てたり、ブロック塀の穴に空き缶を突っ込んでいく輩が多いこと。「最近うれしかったこと」……都議選で何もしていないでバッジを付けていた議員さんが、落選したこと。総選挙の結果が楽しみです。
(菊名・会社員・菊地原浩二)




人との出会いは緊張の連続です。しかしその緊張の後には必ず頂上を制した登山者の気分がやってきます。これがたまらなくいいのです。
(綱島・主婦・小森美貴子)






今度はエレクトーンのお稽古です。初めての楽器を骨そそう症で変形しかけた指先で、しかも両手弾きで一曲を。これをマスターするまでは飽きずに、末娘のような先生に師事しています。楽しいんです。
(大倉山のもの好き・山室まさ)



(市ヶ谷・阿部紀子)






写真撮影とは、体力なりと見つけたり。重い荷物を背負ふて長い長い商店街を行くが如し。或る時は交通整理、或る時は店頭の窓拭き、また或る時は自転車や空箱の後片付け……。と、まあ、広告写真の撮影裏話でした。
(祐天寺・フリーの写真師・深谷光男)





今回の特集地は元住吉。数年当地の配本を担当しているので沿線外の私にも知り合いができた。「あなたも古参よね」そんな声を励みに、今日もこの街を行く私。
(草加市在住・木村敦郎)





愛妻弁当持参で毎週木曜編集室の当番だった校正部長の天笠伝次郎さん、61日ついに帰らざる人となる。共に語りあった同時代を生き抜いた人生の一人、ご冥福を祈ります。
(元住吉・石野ひでお)





遊びのつもりで始めた通信教育講座に卒論があったとは…。期日目前の追い込みの中でクイズ作りはよい気分転換……ではなく、あやうくパニックでした。
(東白楽・主婦・石川映子)






ワープロを操作して、いつも思うのだが私の頭脳にもコンピュターを埋め込んで、一度人力したらいつでも覚えているよう改造できたらいいな。でも、日本人が一人1個ずつ入れたら今問題の黒字などは、どうなのかな?
(菊名・50年前の美青年・本田芳治)






夏になると夏バテをします。今年も何度となく、フラフラしてしまいました。食欲減退でダイエットといきたいところですが、冬になると、いつのまにか元に戻っている。毎年その繰り返しです。
(鎌倉・水上育子)






今なお続く普賢岳の噴火災害。北海道南西沖の地震災害。今夏の長梅雨の冷夏災害。いずれも痛めつけられるのは庶民。災害から国民を救うはずの国政が金権腐敗の政治に続く政変の嵐災害……。で、私、ノアの箱舟(実は船旅)で国外へ脱出します。ただ、旅先で災害がないことを祈るのみ。
(編集室・鈴木善子)

























   本誌の校正責任者、天笠伝次郎さん逝く

  昭和582月から約10年間、毎週木曜日奥様お手製の弁当℃搦Qで来室しては本誌の校正を一手に引き受けてくださっていた天笠伝次郎さん(中原区小杉御殿町在住)が、6月1日夜7時、心不全でお亡くなりになりました。享年76歳。

  現役時代は講談社校正部、また定年後は本誌編集のほかに短歌結社の選者を務めたり宮中の歌会始めへの応募作品数万点の中から佳作≠ノ入選するなど文芸面で活躍されていました。
  編集の追い込み時には早朝7時に来室し原稿に向かう責任感と律儀さ。若い会員を大きな声で励ますこの道の大先輩でした。


編集室での故天笠伝次郎さん

「現役を引退してから私の本当の人生が始まるんだ、編集長!」。初めて編集室に見えた当時の天笠さんの言葉を思い出します。前号編集時には退院されて自宅で校正してくださり『編集の音』に短歌を投稿。結局、これが辞世の句になってしまいました。

――命ありて百日振りに戻りたる我が家なりけり ふらつき歩む――

『とうよこ沿線』発行の労苦を知り尽くし、誌面の裏で支えてくださった天笠さんでした。心からご冥福をお祈りいたします。合掌
(編集長・岩田忠利)

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