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♪反町のトンネルを抜ける そこはヨコハマ 港、山下公園、中華街 心に安らぎを与えてくれる街 ああ、わが街、ヨコハマ
(松原団地 木村敦郎)
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本誌創刊時に少々参加し、また最近定年後の身となり編集室に顔を出すようになってびっくりした。本誌がこれほどまでに東急沿線住民に愛され、そしてバックナンバーの注文がこんなに多いとは……。本誌の発展をただ祈るとともに協力したい。
(菊名・無職・浅野和昭)
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『とうよこ沿線』が創刊して13年目に入りました。能力と努力を出し合って本づくりをしてきた編集室も今は人手不足が悩みの種です。どんな僅かな時間でも編集・配本などお手伝いできる方、どうぞ本誌と一緒に走ってみませんか?
(大倉山のもの好き・山室まさ)
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道路には種々のマンホールがある。そのフタは何の変哲もない黒い鋳物だ。それを街ごとにカラフルな物に変えたら夢があると思う。町名を入れたり街のシンボルをデザインしたり。今はそんな技術があるようだから。
(菊名 本田芳治)
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仕事のからみもあって、戦後の東京の都市計画について調べたが、いかに当初の遠大な計画が挫折したかがわかる。やれる時にやることの大切さを強く感じるこの頃である。
(明大前・会社員・西野裕久)
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伝統や歴史が寺や神社、文学、名木、石塔や石仏にあるように、雑誌にも歴史を残したい。
『とうよこ沿線』‥…そんな気持ちで雑誌を作っている。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)
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初めての広告取りの体験と実感は、まさに「人に出会うことで、何らかの影響を受け、自分の中で何かが微妙に変化していく」でした。
(日吉・主婦・中村節子)
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取材で素晴らしい方々に出逢いました。自分に正直で本物の人生を送っている人の眼は輝いています。心の触れ合いと優しさ、人とのつながりの大切さを教えてもらっています。
スタッフ不足! 読者や会員の皆さん、ご協力を……。
(学芸大学・主婦・藤川育子)
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いとこの子どもが10カ月になった。彼の得意技は電子オルガンを弾くこと。両手だけでなく、頭も使って弾いてしまう。将来国際的な作曲家になったらどうしようと期待するのは、私だけか。
(綱島・専門学校生 矢部ルリ子)
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安易に考えていた通信教育。いつでも出来ると思っていた通信教育。初めて通信教育を試みた。半額会社負担で修了証と交換に手当を支給するというご褒美つき。しかし、あっという間に受講期間が過ぎた!
(大倉山・会社員 秋元重雄)
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上京して2回目の夏を迎えます。昨年の夏は花火を見に行きました。今年の夏は是非、蛍を見に行きたいと思っています。だれか、穴場を知りませんか?
(日吉・パスタを愛する学生・鵜飼留美)
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ビルにすっぽり包まれた横浜駅周辺の撮影は、梅雨時の不安定な天候でも、とても楽でした。いつまでも途切れない人の波、種々雑多な専門店。この街は、常に動いている……そんな印象を改めて受けました。私はヨコハマが大好きです。
(鎌倉・会社員・宮下幸恵)
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編集長から「ちょっと原稿見て」。頼まれておっとり刀、本誌編集に初参加。少ない人数で皆さん、よくやってると改めて感嘆。「ついでに『編集の音』に」とは、岩田さん、仲間作りの名人です。
(菊名・フリーライター・大崎春哉)
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取材、原稿、編集、発行、配本と本誌の流れをつぶさに見ることができて、とても勉強になりました。取材に応じてくださった方々、編集室の皆さんにこの場を借りてお礼を言います。
(日吉・主婦・小田順子)
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東京に来て、早くも5年に。写真が好きで好きで、ついに仕事になってしまいました。今年、国際フリーカメラマン連盟に入会。良い写真を撮りたいですね。写真好きな方、連絡ください。
(祐天寺・フリーカメラマン・深谷光男)
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七夕飾りを豪華に付けた大きな竹は編集室の2階の屋根まで届く。拍手と歓声、飲み、歌い、花火に興じ、夜の更けるのも忘れてワイワイ…。この行事は数年前まで続いたっけ。みんな幸せにしているかなァ、あの顔この顔がしきりに浮かぶ今宵は七夕、創刊12周年記念日なのです。
(編集室・鈴木善子)
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私の姓「徳植」は、元住吉に多い。一度、そのルーツを訪ねてみようと思っていますが、時間のほうが……。元住吉地区の「徳植」さん、詳しいことを教えてください。
(渋谷・会社員・徳植数正)
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地元のお年寄りを世話する「大きな木」という組織づくりに参加し、このほどようやくスタートすることができました。私もお年寄りですが世話される側でなく、世話する側で頑張りたいですね。
(綱島・長谷川栄子)
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6月6日、奇しくも同じ日にかれこれ10年近く当編集室の貴重な戦力であるスタッフ2人が発病……。
以来陰うつな毎日だ。
毎週木曜日〝愛妻弁当″持参で武蔵小杉からやって来ては文字や文章の校正を一手に引き受け、いつも大きな声でスタッフを元気づけていた天笠伝次郎さん。
もう一人の石野英夫さんは、本誌の看板誌面のイラストマップや挿し絵の作者。毎号の特集地を私と2人で車で回ってはスケッチ。またその後、自転車で現地を丹念に回り、原稿を仕上げる凡帳面な人。
早く元気な姿を再び、と祈る日々……。
(編集長 岩田忠利)
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