編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.685 2015.06.17 掲載

 
『とうよこ沿線』No.56…平成4年(1992)4月20日

 B5判 紙数:ページ76 +8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料  定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、56号“椒”68~69頁から転載です。


       息子のコツコツ努力が実って

 息子(中3)が卒業しました。横浜から東京へ転校したのが中2の2学期。転校生として何か光るものを……と思った息子は、バスケットボールの部活でがんばりました。3ポイント・シュートを打てるよう練習に励んでいたようです。
 鉄棒やマット運動などは苦手で、ただひたすらバスケットボールだけをやっていた彼が、なんと都知事・休育連盟から体育優良生徒として表彰されてしまいました。まことにうれし、はずかしの賞に本人も戸惑い気味です。努力が褒められたことが何よりうれしい母親です。「コツコツ努力」は、やがて実となる花となると口癖のように言い聞かせていました。
  (目黒区鷹番 黒ネコお母さん)






息子さんの表彰おめでとうございます。バスケットボールに専念する息子さんの姿が見えるようで、こちらまで嬉しくなってしまいました。『コツコツ努力』をモットーにされるなんて素晴らしいですね。実行となるととても難しいものです。どうか高校生になられても“光って”いてください。(小田順子)


  

      目蒲線がローカル線になるって?

 私事で恐縮ですが、「バオバブの会」では大変お世話になっております。まだ息子は大勢の子供達の中に入っていけず、ボーッとしていることが多いのですが出来るだけたくさん参加して、親子共々気長にやっていこうと思っています。
 ところで、ぜひ皆様に教えていただきたいのです。日蒲線と東横線の今後についてです。
 うわさでは東横線が渋谷方面行きと目黒方面行きと二手に分かれるとか、そして目蒲線が蒲田~多摩川園間のロ-カル線になるとか……。
 とにかく大田区住民にとっては東急線を使うのが不便になるらしいとのこと。現在の住いがマンションのため、回覧板などが回ってこないので、本当のところがどうなっているのか、さっぱり分からない状態です。
 (大田区南久が原・主婦・高橋久美子)
                    


「バオバブの会」、楽しそうでいいですね。数年前にこのことを知っていたらと残念に思います。
  さてご質問の件、さっそく東急広報課に問い合わせてみました。日吉~多摩川園間の複々線工事は平成9年までかかり、下記の図のようになります。

日吉から目黒を通って、都営三田線、営団の南北線へと直通運転するので、都心へ乗り換えなしで行けるようになり東横線の混雑緩和に役立つはずです。また、多摩川園~蒲田間が折返し運転となりますので、従来の目黒~蒲田の直通はなくなります。その点、不便に感じられる方もいらっしゃるかとは思いますが、「輸送の増強のためにご理解いただきたい」との東急お願いの弁でした。



イラスト:石野英夫

また、目黒~多摩川園間の目蒲線は東横線の乗り入れで4両から8両編成になるので、その間を改良工事をするそうです。(小田順子)


  

        メキシコから年ぶりに帰国して

 主人の仕事の関係で6年間日本を後にしてメキシコヘ行っていた、南方ボケした帰国老女です。
 少しは日本の文化を吸収しなくてはと、毎週火曜日には以前参加しておりましたコーラスのグル-プ、メキシコで始めたエレクトーンのお稽古が週1、忘れないようにとスペイン語のクラスが朝日カルチャーで週1。2月からはいよいよワープロ教室も上級クラスへ入ることになり、これがたぶん週3回くらいになりそう。
 「あっ、面白そう!」と思ったら後先も考えずにすぐ始めるという悪癖(?)に我ながら本当に困ったものだと思っています。またそれが必す役に立つものですから益々忙しくなり、身動きができなくなり、溜息をつく日々なのです。
 そこへまた、「東横沿線文化研究会」……のお話。ヌヌッ? 面白そうー。末端の末端のお仕事でもありましたらお手伝いさせていただきます。例えば名簿の整理など教室で習ったワープロがお役に立ちそうですが……。―――後略―― 
 (港北区大倉山 まだ好奇心は残っている帰国老女)











ひゃー、懐かしい!」と思わず叫んでしまいました。クルクルとよく動くパッチリ目などの姿が、私の頭の中はしばし走馬灯。
  本誌創刊時の取材、執筆はもとより配本、広告募集にとご協力いただいた貴方様の活躍ぶりは、今でも語り草になっていますよ。
 〝南方ボケ老女″とは情けない。72歳の本物老女の私だって、かくしゃく(?)と広告募集ですよ!  数々の日頃の活動にまた、『とうよこ沿線』をもう一枚加えて! これはボケ老女防止の妙薬ですよ。(本物の老女・鈴木善子)


     バックナンバーを読み、4月に移転

 3人の子供がそれぞれ、幼稚園・小学校・中学校へ上がる年になり、引越しを決意。現在住んでいる横浜寄りの相鉄沿線は賃貸マンションが少なく賃料が高いため、同じように商業地・住宅地・自然がうまく溶け合っている東横沿線に移ることを考え、『とうよこ沿線』を求め、紹介のあった菊名のポラーノ書林で横浜~日吉のバックナンバーを買い、じっくり読ませていただきました。
 このたび大倉山の物件が決まり、4月に引越すことになりました。
  (保土ヶ谷区星川・主婦・保田紀子)





ようこそ、東横沿線大倉山へ! 引っ越しの片付けは終わりましたか。落ち書かれたらぜひ編集室へ遊びにいらしてください。そして大倉山の印象などをお聞かせくださいね。(小田順子)


           前号に所属する会の記事が出て

  ご無沙汰いたしております。前号54ページにご紹介の「ジャパン・ヒューマン・ハーバー」。そこの水間副会長は、じつは息子二人が受験でお世話になり、私もいろいろ教えて頂いた先生です。
  そんなご縁で先生から声をかけて頂き、その会でいま、会報作りと書記のボランティアの仕事をさせて頂いております。
  出会い』という会報の署名のない記事の大半と水間先生の記事は私が書きました。先生は手が不自由でいらっしゃるので、取材をして先生の文章として仕上げます。
  『とうよこ沿線』の名前が出たときはびっくりしました。何もわからない私に、初めて記事の書き方を教えて下さったのは岩田編集長。懐かしく思い出し、感謝しつつ、この仕事をしております。
 いつの日か、お目にかかれます日を楽しみに……。
  (目黒区東が丘・主婦・村上道子)

                       














 読者の皆さんはご存じないかもしれませんが、投稿者の村上道子さんは本誌創刊1年後に会員となられ、取材・執筆・編集にと活躍された、とても有能な方です。
  人とのご縁はどこでどのように繋っているか、わかりませんね。あの会をご紹介してくださったのは、私どもがいつもお世話になっている学芸大学の都ハウジング社長・一色 雄さんでした。
  身障者の皆様との触れ合いは救えられることも多いことと思います。がんばってくださいね。(岩田忠利)


     喫茶店で聞いた「ハマの米兵」の話

 以前、喫茶店でたまたま相席した老人から終戦直後の桜木町あたりの面白い話を聞いたので紹介させてください。

戦争が終わって、横浜港から米兵が上陸してくると、辺りの住民は物陰に隠れて様子をうかがっていたそうです。
 そのうち度胸のいいものが一人、二人と出て行って何やら物々交換を始めると、我も我もとゾクゾクみんな出て来て、上陸初日だというのに桜木町から関内にかけて、あっという間に大バザールができてしまった。

米兵は砂糖やタバコのかわりに晴れ着や帯をもらって大喜び。なかには赤い腰巻きのヒモを首に結わえ付け、マントのようにヒラヒラさせて闊歩する呆れた兵隊まで出る始末。ついに3日目には司令部から禁止令が出たそうです。



女性の腰巻をたなびかせ、悠然と闊歩する米兵
イラスト:石野英夫

その後、老人はヤミ屋に転じるのですが、よく不良米兵の追剥(おいはぎ)に遭い、有り金は言うに及ばす、せっかく買い付けた品物まで奪われてしまいます。ところが、奪われたとき「オー、ベイビー!」と言うと、「金だけ盗って品物は勘弁してもらえる」と、彼はヤミ仲間から教えられたのです。今度はその通りにしてみると、ピストルを突き付けた米兵は、ニヤリとして、本当にお金しか盗らなかったそうです。
 (藤沢市片瀬・通訳・石川浩延)










終戦直後の動乱期には面白い話が、いろいろありましたね。今だから笑って話せますが、東京板橋の長兄宅では家族全員が疎開、たった一人で残った娘盛りの私は本当に怖かったですよ。黒人兵4人の乗ったジープに追いかけられたりで、坊主頭にして顔に泥を塗ろうなんて真剣に考えたものです。
  ヤミ市にもよく買い出しに行きましたが、日本人の金儲けの執念は、今も昔もまったく変わりわりませんねぇ。(鈴木善子)


              日吉台地下壕を見学して

 先日は日吉台地下壕を見学させて頂き、有難うございました。
 奇しくも当日の12月8日は日米開戦の日であり、記念すべき日に旧帝国海軍の連合艦隊司令部跡の日吉台地下壕を見学して感動致しました。
 このような壕は日吉台だけでも他に数ケ所あるとのこと。出来栄えは想像を超して強固であり、今更ながら驚いた次第です。
 ぜひ、これを永久に保存して、特に若い方々に見学してもらい、二度と戦争を起こさぬ様に、戦争と平和について今後よく考えて頂きたいと存じます。
  (港北区篠原東・会社役員・小松崎恒雄)








その節はお疲れ様でした。その模様を取り上げた本号の特集、いかがでしたか。
  そういえば、あの企画を54号のこの誌面で提案されたのは小松崎さんでしたね。これからも何か面白そうな企画がありましたらどしどしお寄せください。実現可能なものは、すぐ実行しますから。(岩田忠利)


       情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。




「上納金の多い輩が出世する国会議員も暴力団も」――近詠一首。阿部氏をはじめ限られた国会議員の中からでは、悪の確率は暴力団より高いようだ。
(武蔵小杉・自由人・74歳・天笠伝次郎)





都立大学に移り住んで約半年。やっとこの街にも馴染んできた。散歩していると飲み屋が多いので今日も一軒、明日も一軒と、しらみつぶしの毎日です。
(都立大学・写真学校生・塩野貴之)





60の手習いと言いますが私は80の英会話。ニュージランド美人の先生と娘のような同志5人のグループです。子供の頃異人さんと話せたらと思っていたことを今楽しんでいます。
(大倉山のもの好き・山室まさ)






7年ぶりの自由が丘特集。広告募集で連日歩いた街は、大きく変化した町並と当時のままのお店だったり。私の顔を覚えていてくださった方が大勢いらしたりで嬉しかったですね。あ、それと素敵な店もいっぱい発見しましたよ。
(編集室・鈴木善子)





前回の配本は、久しぶりに学芸大学を担当した。学芸大学は、今を遡ること8年前、20号の編集デスクキャップということで、駆けずり回ったところ。懐かしさと同時に、過ぎ去った時の流れを肌に感じました。
(明大前・会社員・西野裕久)







綱島特集号を読んでからの『とうよこ沿線』のファンです。編集室へ足繁く通うほどに雑誌作りの大変さを知りました。今まで編集長とママさんだけの経済的支えでやってきたものを、今回、沿線の皆さんが応援するようになり、私はホッとしています。
(綱島・長谷川栄子)







この春は中3と高3の受験生を抱え、今は戦い終わってくたびれて、身辺整理をしています。お陰様で2人はK高校とT女学院大学へ入学しました。お休み中、編集室当番を長谷川栄子さんに代理していただき、ありがとうございました。
(大倉山の暇人、主婦・内橋直美)






12年間も家庭に閉じこもっていたので精神的贅肉がいっぱい(もちろん、お腹の脂肪も負けていません)になってしまいました。これから編集室に迷惑をかけないよう頑張るつもりです。
(日吉・主婦・小田順子)






世代交代という言葉が、大相撲の若貴ブームでクローズアップされた。しかし私たち70代にも、まだまだやることはあるはずだ。あの名古屋の「きんさん、ぎんさん」からみれば、私なんか、まだ末っ子の鼻たれ小僧。
(菊名・本田芳治)






家内に内緒でハーフマラソンに出場しました。応援のつもりが参加賞のダイコン欲しさに走って、あと30秒を余すところでゴールイン。だから嬉しくて嬉しくて、話したくて話したくて、どうしようかと迷っている毎日です。
(大倉山・会社員 秋元重雄)





当て字や外国語……。常識では読めない店名が街にふえた。そしてまた、いまどきの親が子供に付ける名前……これがまた突拍子もない。服や車のデザインと同様に、名前にも〝機能美″が欲しい。
(大倉山 江川 久)





学生時代によく訪れた街、自由が丘。おしゃれなお店や緑あふれる商店街の撮影でファインダー越しに見えてきたものは、若かった頃の自分の姿と時の流れ…。昔の思い出にひたれた良い一日でした。
(日吉に住んで20数年・宮下幸恵)





時が経てば町並が変わるのは当たり前だが、今や僅か1,2週間で急変する時代。町の今ある姿をカメラにおさめ、記録に留めておく――東横沿線に限らず、どこの町にも絶対に必要なことだ。
(草加市松原団地・木村敦郎)




4月初旬に『ちょっと意外な東京雑学』(同文書院)という本を出版します。自由が丘や東横沿線のこともいっぱい書きましたので、是非、書店でお求めのうえ、ご笑覧ください。
(緑が丘・漫画家 畑田国男)





義姉は長野県出身。細い山道を登ること数十分、ようやく実家の青い屋根が見える。気分はもうアルプスの少女ハイジ。そこにも長野五輪にむけて、工事が進んでいる。嬉しいような、悲しいような。
(綱島・専門学校生・矢部ルリ子)





学生の頃、毎日を会社と家との往復だけにはしたくないと思っていたが、社会人を2年過ごした今、確実にそうなってしまった。ただ、「とうよこ歩く会」のお蔭で、人脈は広がっている。
(溝の口・会社員・橋口稔秀)





田園調布の駅舎がなくなってから久しい。駅改良工事のため田園調布や多摩川園周辺が日々変化している。多摩川にも新しい橋が架けられるという。散歩がてらカメラ片手に自然観察にと忙しい。
(田園調布村の住人・会社員・上井 徹)











まず、ご愛読者の皆様やご協力者の皆様に対しまして、こ~んなに長いこと、発行が遅れたことを深くお詫び申し上げます。
 「もう彼はこの世の人ではないのでは?」とか「雲隠れでもしていたのでは?」とお思いの皆さん、すいません、私はず一っと生きておりました。逃げも隠れもせず、今年は正月の4日から新組織『東横沿線文化研究会』の準備で沿線を飛び回っていました。
  この組織づくりは創刊10周年を機して実現させたいと心に暖めていたものでした。しかし新企画に取り組めば編集が進まず、編集に励めば何もできず……。
 本誌のような吹けば飛ぶような地域雑誌が特定の企業や団体の〝紐付き″にならず生き残ることの難しさを、今号ほど痛感したことはありませんでした。
(編集長・岩田忠利)

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