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「上納金の多い輩が出世する国会議員も暴力団も」――近詠一首。阿部氏をはじめ限られた国会議員の中からでは、悪の確率は暴力団より高いようだ。
(武蔵小杉・自由人・74歳・天笠伝次郎)
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都立大学に移り住んで約半年。やっとこの街にも馴染んできた。散歩していると飲み屋が多いので今日も一軒、明日も一軒と、しらみつぶしの毎日です。 (都立大学・写真学校生・塩野貴之)
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60の手習いと言いますが私は80の英会話。ニュージランド美人の先生と娘のような同志5人のグループです。子供の頃異人さんと話せたらと思っていたことを今楽しんでいます。
(大倉山のもの好き・山室まさ)
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7年ぶりの自由が丘特集。広告募集で連日歩いた街は、大きく変化した町並と当時のままのお店だったり。私の顔を覚えていてくださった方が大勢いらしたりで嬉しかったですね。あ、それと素敵な店もいっぱい発見しましたよ。
(編集室・鈴木善子)
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前回の配本は、久しぶりに学芸大学を担当した。学芸大学は、今を遡ること8年前、20号の編集デスクキャップということで、駆けずり回ったところ。懐かしさと同時に、過ぎ去った時の流れを肌に感じました。 (明大前・会社員・西野裕久)
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綱島特集号を読んでからの『とうよこ沿線』のファンです。編集室へ足繁く通うほどに雑誌作りの大変さを知りました。今まで編集長とママさんだけの経済的支えでやってきたものを、今回、沿線の皆さんが応援するようになり、私はホッとしています。 (綱島・長谷川栄子)
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この春は中3と高3の受験生を抱え、今は戦い終わってくたびれて、身辺整理をしています。お陰様で2人はK高校とT女学院大学へ入学しました。お休み中、編集室当番を長谷川栄子さんに代理していただき、ありがとうございました。 (大倉山の暇人、主婦・内橋直美)
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12年間も家庭に閉じこもっていたので精神的贅肉がいっぱい(もちろん、お腹の脂肪も負けていません)になってしまいました。これから編集室に迷惑をかけないよう頑張るつもりです。
(日吉・主婦・小田順子)
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世代交代という言葉が、大相撲の若貴ブームでクローズアップされた。しかし私たち70代にも、まだまだやることはあるはずだ。あの名古屋の「きんさん、ぎんさん」からみれば、私なんか、まだ末っ子の鼻たれ小僧。 (菊名・本田芳治)
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家内に内緒でハーフマラソンに出場しました。応援のつもりが参加賞のダイコン欲しさに走って、あと30秒を余すところでゴールイン。だから嬉しくて嬉しくて、話したくて話したくて、どうしようかと迷っている毎日です。 (大倉山・会社員 秋元重雄)
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当て字や外国語……。常識では読めない店名が街にふえた。そしてまた、いまどきの親が子供に付ける名前……これがまた突拍子もない。服や車のデザインと同様に、名前にも〝機能美″が欲しい。 (大倉山 江川 久)
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学生時代によく訪れた街、自由が丘。おしゃれなお店や緑あふれる商店街の撮影でファインダー越しに見えてきたものは、若かった頃の自分の姿と時の流れ…。昔の思い出にひたれた良い一日でした。 (日吉に住んで20数年・宮下幸恵)
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時が経てば町並が変わるのは当たり前だが、今や僅か1,2週間で急変する時代。町の今ある姿をカメラにおさめ、記録に留めておく――東横沿線に限らず、どこの町にも絶対に必要なことだ。 (草加市松原団地・木村敦郎)
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4月初旬に『ちょっと意外な東京雑学』(同文書院)という本を出版します。自由が丘や東横沿線のこともいっぱい書きましたので、是非、書店でお求めのうえ、ご笑覧ください。
(緑が丘・漫画家 畑田国男)
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義姉は長野県出身。細い山道を登ること数十分、ようやく実家の青い屋根が見える。気分はもうアルプスの少女ハイジ。そこにも長野五輪にむけて、工事が進んでいる。嬉しいような、悲しいような。 (綱島・専門学校生・矢部ルリ子)
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学生の頃、毎日を会社と家との往復だけにはしたくないと思っていたが、社会人を2年過ごした今、確実にそうなってしまった。ただ、「とうよこ歩く会」のお蔭で、人脈は広がっている。 (溝の口・会社員・橋口稔秀)
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田園調布の駅舎がなくなってから久しい。駅改良工事のため田園調布や多摩川園周辺が日々変化している。多摩川にも新しい橋が架けられるという。散歩がてらカメラ片手に自然観察にと忙しい。 (田園調布村の住人・会社員・上井 徹)
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まず、ご愛読者の皆様やご協力者の皆様に対しまして、こ~んなに長いこと、発行が遅れたことを深くお詫び申し上げます。
「もう彼はこの世の人ではないのでは?」とか「雲隠れでもしていたのでは?」とお思いの皆さん、すいません、私はず一っと生きておりました。逃げも隠れもせず、今年は正月の4日から新組織『東横沿線文化研究会』の準備で沿線を飛び回っていました。
この組織づくりは創刊10周年を機して実現させたいと心に暖めていたものでした。しかし新企画に取り組めば編集が進まず、編集に励めば何もできず……。
本誌のような吹けば飛ぶような地域雑誌が特定の企業や団体の〝紐付き″にならず生き残ることの難しさを、今号ほど痛感したことはありませんでした。 (編集長・岩田忠利)
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