編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.683 2015.06.15 掲載

 
『とうよこ沿線』No.54…平成3年(1991)8月1日

 B5判 紙数:ページ76+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料  定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、54号“榛”70頁から転載です。


       当時を知っている方は?

  何ともタノシイ『とうよこ沿線』久が原・千鳥町号、ありがとうございました。
  あらためて、ご苦労のほどがわかります。
  私が子供の頃、目蒲線にたしか「本門寺道」という駅があったと思うのですが……、どの辺だか、ハッキリしません。蒲田駅も省線″(もっと昔は、院線″『修道院の院』)と直結していませんでしたかネ? 当時を知る方がまだ、残っているかしら?
  
(大田区久が原6丁目・青木一雄)







 50代からの日本人ならだれでもご存知の、NHKラジオ番組「とんち教室の青木先生」からのお便りです。地域のことにも大変興味を持たれる先生、私は改めて敬服いたしました。
 先生に良い方を紹介いたします。目蒲線鵜の木駅売店前の中華屋さんのご主人・鎌田朝太郎さん、この人は下丸子出身の長老で矢口村の頃からの土地っ子です。一度散歩がてら、ラーメン食べに伺ってみてください。(岩田忠利)


  

               防空壕の見学会を!

  さて小生、『とうよこ沿線』を創刊号より愛読し参考とさせて頂いております。
 今般、貴編集室近在の日吉台地下壕、帝国海軍・連合艦隊大本営跡地の防空壕を「横浜の空襲を記録する会」の紹介で見学会に参加することになりましたが、参加希望者が多く、小生は残念ながら見られません。
 つきましては、貴会の近辺でもあり、貴会主催で見学会を主催して頂けませんでしょうか?
ぜひよろしくお願いいたします。
 
(港北区篠原東3丁目・小松崎恒雄)
        

当編集室近くにこんな隠された名所があるとは、全然知りませんでした。面白そうな企画ですね。じつは、本会には「歩くことを手段に街角″を知ろう」をテーマとした《とうよこ歩く会(通称とよ歩会)》があります。
  ぜひ、この会で見学会を実現したいですね。小松崎さんも、計画段階から参加してくださいね。(橋口稔秀)


  

          取り壊される多摩川園駅の取材を

 本日、偶然駅の売店で買い求め、楽しく読みました。多摩川園駅近くに50年以上住んでいます。この駅は近く取り壊される予定らしいのですが、この雑誌『とうよこ沿線』にこれまで一度も取り上げられていないのは淋しい限りです。楽しい雑誌なので、残念です。
 (大田区田園調布1丁目・後藤延一)





 

後藤さん、早速本号64ページで取り上げました。ご覧ください。
  次号NO.55は地元の「田園調布」大特集です。人・場所・店・動物など面白い情報がありましたらご提供くださるようお願いします。(岩田忠利)


     編集室にテレビあげましょうか

 『とうよこ沿線』53号(61ページ欄外)にテレビが欲しいような記事がありました。
 我が家の16インチでよかったら、差し上げますが……。
  (港北区日吉本町 きくちゃん)









 先日はすぐ編集長がご自宅まで戴きにあがり、ありがとうございました。
 あのテレビ、よく映っています。校正の天笠伝次郎さんはテレビの時代劇が大好きでありまして…、編集長は野球中継が大々好きでありまして…。あ、人のことばっか。
(江川 久)


                西河製菓の豆大福

 きよう、休暇だったのでブラッと二子玉川まで出かけました。そこで、さっそく御誌53号の「食べある記」に載っていた西河製菓に寄ってきました。
 午後3時、幸い豆大福が売れ残っていました。あんこに質感があって、高価な食べ物といった趣の印象を残す大福です。我が家でも好評でした。この日、店番は女性2人。半分商売、半分おしゃべりで忙しそうでした。
   (目黒区大岡山・稲葉昌二)
             





 我が家でも味の探究心旺盛な者がおりまして、大福が食べたくなると日吉から二子玉川の西河製菓まで行くのです。あの店の奥さんの声は風に乗って二子玉川駅からも聞こえるとか。聞こえましたか。(岩田忠利)


      情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。




「自分以下以上でもなく在るがまま74年を生きて来にけり」――誕生日の一首。満州国郵政官吏、北朝鮮での11か月に及ぶ避難民生活、昭和219月引揚げ。よくもまあ、今まで死なずにいたものとの感が深い。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





所属しているアマチュア劇団が、大倉山・秋の芸術祭に出ることに。頭の中に酸欠の金魚が泳いでいるようです。
(日吉の新参者・石川美智代)





労災病院のある元住吉駅に近い家の前に、修理された小学校用の椅子に「疲れた方はお休みになって下さい」と伝言が添えて置いてありました。病院通いの老人や松葉杖の多い近道での善意に感激しました。
(大倉山の物好き・山室まさ)






営業であちこちの街を歩いていると、東急沿線にもまだまだ身近にハイキングができるところがあるのに気付いた。歴史散策コース、野鳥の森、その他。『とうよこ沿線』……老後のため少しずつ歩いています。
(妙蓮寺・会社員・管問映二)





社会人となって1年が経ち、後輩もできた。そんな先日、上司の勧めでゴルフ道具を買った。週に2回は練習場へ通っているが、真直ぐに飛ばない。社内で「コースに行くぞ」という話がつらい。
(溝の口・会社員・橋口稔秀)







今回担当の「昔の街並」は私の地元ということもあり、ことのほか思い入れが強かった。これを書いているうちにも新しいビルが建ち、街の変化の早さを肌で実感した取材であった。
(都立大学・学生最後の年・吉野嘉高)



(白楽・イラストレーター・
西尾真理子)






「東京都天然記念物、大榧(おおかや)」と対面したのは3年前。樹齢千年で枝が地面につくそうだが、あの時は地上から30センチ。久々に訪れた等々力の善養寺、そびえ立つ榧の枝先は地面にあと数センチだった。来年こそ千年!
(編集室 鈴木善子)





 ベテラン主婦でありながら、今までお料理を楽しいと思ったことはありませんでした。でも、4月から料理セミナーに通い始め、やっと楽しさを感じ、食べ盛りの息子2人のお腹を満足させています。
(綱島・主婦・原陽子)




どこかの国ではレニングラードの名をペテルブルグに戻そうという運動が…。東京もその名を江戸に改めのんびりしてはどうか。(マジ?)そういえば「都立大学」にも駅名改称派がいたっけ。
(大倉山・江川 久)




夏の青空が好きです。
(祐天寺・会社員・一色隆徳)





若葉の季節、家族揃って奈良へ家族旅行に行ってきました。女学生にお菓子をもらい大喜びの拓磨(2歳)も鹿に蹴られて大泣き。宇陀や飛鳥をまわり思い出の多い旅行でした。
(日吉・佐藤由美)




火砕流が水無川に樹木燃やして土石流。島原くわばら、雲仙うんざり。早く平静に祈るや切!
(元住吉・石野ひでお)





取材がきっかけで、人と人との出会いの架け橋になることがある。時には数十年振りの懐かしい出会いも。さまざまな形で『とうよこ沿線』の輸が広がる今日このごろ…。
(松原団地・木村敦郎)





私の職場は羽田空港。旅客は増加の一途をたどり、空も地上も最早、限界。現在工事が沖合展開に向け急ピッチで進行中。成田のような国際線の華やかさはないですが、世界のVIPは羽田に来ます。
(田園調布村の住人・上井 徹)

















「『とうよこ沿線』を月刊誌にしてもらえませんか」。「最近の『とうよこ沿線』、隔月誌から季刊誌になったのですか」。
 そんな要望や質問をよく受けます。要するに愛読者の皆さんは、その発行周期を短縮し年間発行回数を増やしてほしいということです。当編集室としてもできるだけ皆さんの要望に添いたいと思うのですが……。
  しかし現実は本文編集に要する時間よりも発行軽費を捻出するための広告募集に時間がかかり過ぎ、どうしても遅刊になってしまうのです。
 昨年暮れには本誌の先輩タウン誌『浜っ子』は各層から惜しまれながらも廃刊に追いやられてしまいました。同誌のスタッフを知っているだけに、その無念さは察するに余りあるものがあります。
 正直いって、こうした厳しい現実の中にあって広告にそれほど時間をかけず、発行周期を短縮できる妙案″はないものでしょうか。
 金儲けだけに奔走すると悪評の日本の大企業、最近良識派大企業の間で《メセナ活動》(メセナとは、フランス語で文化・芸術への企業の経済支援活動″)が始まったそうですね。『とうよこ沿線』にこそ、そうした愛の手が欲しいものです。365日、休日なしに活動して、これですからねえ!
(編集長・岩田忠利)

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