編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.680 2015.06.12 掲載

 
『とうよこ沿線』No.51…平成2年(1990)10月1日

 B5判 紙数:68ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料  定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、51号“椰”58〜61頁から転載です。


              亡父と廃刊の地域雑誌

 創刊10周年、サントリー地域文化賞受賞と重ね重ね、おめでとうございます。
 父・故草野桂冶が人生の終りに近づき、皆様と親しくさせていただき、ささやかなお手伝いができたことを、私共とても喜んでおります。『とうよこ沿線』を読みながら、いつも母と話しております。

 私、10年前金沢区に転居するまで菊名で両親と住んでおりました。主人の実家も学校も友人達も東横沿線で、どこへ出かけましても東横線に乗るとほっとしました。なかなか京浜急行になじめなくて困りました。私の所は埋立地で計画され造られた新しい街です。緑が多く環境のすばらしい所です。
 「新しい街だからこそ必要なのでは…」と『なみきみち』と名付けてコミュニティ誌を発行した方がいらしたのですが、いろいろな理由で維持できず廃刊となりました。そこで私は配布のお手伝いしたり愛読したりしていましたので、とても残念に思いました。

『とうよこ沿線』も創刊当時はいろいろご苦労もおありだったことと思います。岩田様のご尽力と地域の方々のご協力があればこそ続くというものですね。
  皆様のご健康と貴会のますます
のご活躍を心よりお祈り申し上げます。
  (横浜市金沢区並木・主婦 桂田宏子)

















  初夏の蒸し暑いある日、汗びっしょりの草野さんがビニール袋二つをさげて編集室へ。「日曜農園でできたジャガイモです。これが編集長の、こちらがナナちゃんの袋」。1歳の女の子、奈奈の袋の中にはコブシ大のジャガイモにマジックで黒々と“似顔絵”が……。そんな粋な一面もある草野さんの訃報に接したのは、それから数日後のことでした。――合掌 
(編集長・岩田忠利)


  
草野桂治さんとは、息子が生まれる前の数カ月間、編集室でご一緒しました。高齢ながら若い者に負けず劣らず熱心で、『とうよこ沿線』のために一生懸命活躍されていた姿が今も心に残っています。
  50号でお孫さんの康太さんの取材をしたとき、「おじいちゃんが亡くなってみつかった日記を見て、どんなに僕のことを心にかけていたかを知り、胸が熱くなった」と話した言葉も忘れません。産後に聞いた悲報は信じられませんでした。ご冥福を祈ります。
(主婦・日吉 佐藤由美)


  

       登場がご縁の元小学校長から

 今日、朝日新聞で貴会が、“サントリー地域文化賞”というすばらしい賞を神奈川県下で初めて受賞された記事を見て、心からお祝い申し上げます。
 過去に私も取り上げてくださったご縁で強い関心をもって御誌に接していました。
 創刊10年という尊い積み重ねも貴兄のたゆまざる熱意の結晶と敬意を払う価値がありますが、地域文化に大きな貢献が今回の受賞であると考え、喜びを込めてお祝いを申し上げます。
  (横浜市西区藤柵町・元小学校校長・斉藤止女男)
           


白幡小学校の校長先生も永年務められた斉藤先生、本誌49号「白楽・東白楽特集」をお読みいただいたでしょうか。ご高齢の現在も、地元西区の文化活動の指導者としてご活躍と伺っておりますが、ご自愛のうえ、いつまでもご健勝でありますように……。(岩田忠利)


    サントリーの工場長の奥様とは……

   サントリー地域文化賞受賞おめでとうございます。
  私の家でサントリー玉川プラント工場にビ−ル瓶の置場を貸しておりまして、そこで2年前まで工場長をやっておられた加藤さんという方の奥様と10年近く仲良くさせていただいております。そして私が何回か『とうよこ沿線』に原稿を載せていただいた時も大変喜んでくださいました。
 「今回も創立10周年記念誌に原稿を書いたのよ」と話しましたら「あら、もう10周年なの」と、驚いておられました。
 本社が大阪のサントリーと雑誌『とうよこ沿線』とがこんなに身近に感じられるようになって本当に良かったなあ、と私は喜んでおります。
 
(川崎市中原区下小田中・主婦・小島艶子)





 縁とは不思議なものですね。この秋は、お互いに虫の音でも聞きながら『とうよこ沿線』を右手に、サントリー“モルツ”を左手に取り、旧交を温めると、いきますか? (糸井 保)


               渋谷駅売店にも置いて!

  「サントリー地域文化賞」受賞に創刊10周年、おめでとうございます。
  読売新聞6月6日の夕刊を見て、5年ほど前にも新聞で貴誌がNTTの「第1回全国タウン誌フェスティバルで大賞」になったのを知り、記念のプレゼントに私も応募したのを思い出して、とてもうれしくなりました。その時に戴いた2冊の『とうよこ沿線』は、今も競争率の高い″本棚の中にあり、ときどき引っ張り出しては読み返しています。

(中略)――。それ以来、改めて読んでみたいと思っているのですが、なにぶん横浜まで行く機会が少なくて……。せめて渋谷駅の売店にあれば、学校が近いので私も買いに行けますし、販路も広がると思いますが、どうでしょうか。
  あと、バックナンバーも欲しいのですが……。最後に、さらに20周年、30周年と先を目指してがんばってください。私も応援しています。
 (東京都調布市国領町・学生・高橋香代)














あの「NTTのタウン誌大賞受賞」は、4年半前のこと。その朗報を聞きつけたスタッフたちが編集室に集まり狂喜乱舞、大変な騒ぎでした。しかし今回の受賞には、みな、静かにその喜びを噛みしめ、今後の責任の重さをも合わせ感じているようです。
 沿線外に香代さんのような支援者がいらっしゃることは非常に心強いですね。当方の販路拡大までお考えいただき、ありがとうございます。東横線の渋谷駅売店には創刊当時から置いてあります。また、東急プラザ内の紀伊国屋書店でも売っています。
(編集室 鈴木善子)


             岩田編集長に親しみが……

  朝日新聞で「創立10周年、サントリー地域文化賞受賞」の特大記事≠拝読し、同慶至極に存じます。衷心よりお祝辞申し上げます。
 創立当時より岩田編集長は存じ上げ、弟の母校・立教大学の先輩であり、とくに親しみがありました。岩田編集長は私財を投じて創設され、創刊号などを我が日本電気横浜事業所にも数十冊を無償配布され、それを私が沿線住民の関係者に配布したことが昨日のことのように想起されます。
 私は今、小田急線と横浜線を利用して新横浜へ通勤していますが、東横線で外出したときは貴誌を駅売店で買っています。多くのタウン誌を読みますが、内容・写真・イラスト等抜群です。サントリー地域文化賞受賞は当然な気がします。
  (川崎市多摩区三田・日本電気勤務・原 博巳)











 原さんには創刊当時、お世話になりました。以来10年、毎日が試行錯誤しながらの雑誌づくりに明け暮れる日々と、僅かな時間を見つけては住民の皆様とのふれ合いの場づくりに費やすことを心がけて参りました。ご無沙汰のほどをお許しください。
  またこの度は、『とうよこNET』開局に当たり日本電気(株)の代表取締役・会長の大内淳義様のご好意によりNEC関係者皆様に大変お世話さまになりまして、77日に開局実現に漕ぎ着けることができました。(岩田忠利)


     著名人の返信を連載する企画はいかが?

  貴誌の「創刊10周年」――ほんとうにおめでとう。そしてサントリー地域文化賞を受賞。これはまさに二重の喜び。 
 ところで、この受賞は、雑誌作りだけでなく、住民の交流に力を入れたためと思う。
  そこで、この際、読書が沿線の著名人に手紙を出し、そしてこの返信を、本誌に連載する企画をお願いしたい。
  (港北区新吉田町・新聞社社友・名取義一)













  名取さんの新聞紙上でのご投稿は、いつも拝読させていただいております。仰せのとおり、受章事由は「タウン誌出版を核としたコミュニティ活動の優れた業績」と盾に刻まれております。
 「沿線著名人からの通信文」を誌上で紹介する企画、面白そうですね。やってみましょう。名取さん! 手始めに名取さんがどなたかにお手紙を出していただけませんか。
(岩田忠利)
 

               滄桑の変とは、かくの如し

 

サントリー地域文化賞をお受けになって、おめでとうございます。『とうよこ沿線』は初めて買いましたが、受賞するだけあって、なかなか充実した中身ですね。
  特に読み応え(いや、見応えかな)があったのは、「アルバム拝借」欄です。34年前の菊名〜大倉山間などをみると、滄桑の変″とはかくの如きものかと、感じ入りました。
 小生、昭和5911月から大倉山の住民です。「あの人その後」の欄も感慨をもようさせました。
 (港北区大豆戸町・ 団体職員 法橋義純)







 お褒めいただき恐縮です。おかげさまで「アルバム拝借」は大変なご好評を得ております。10年前の創刊当時からみて沿線の中でも変化の激しかった最寄駅周辺は、大倉山・横浜・高島町・新横浜の横浜側が挙げられます。今から11年後、21世紀の沿線はどんな街に生まれ変わっているか予想できますか。(菅間映二)


                思い出が蘇ってくる人々

  特集「あの人のその後」で「今は亡きあの人を偲ぶ」に『とうよこ沿線』10年の重みを感じました。
 地域社会に根をしっかりと張り、継続は力なり″を見事に結集させ、長洲知事の言葉を借りれば「街の魅力を掘り起こした雑誌」といえましょう。
 他界された方々のお名前に思い出がよみがえってくる方も数多く見受けられ、改めてご冥福をお祈り申し上げたいと思いました。
 なおご逝去の年月日が記されていると同時代に生きたということが心に深く刻まれることと思いました。
 
(港北区大曽根・会社員 石橋安男)

               

























『とうよこ沿線』づくり10年、それは私にとって素晴らしい多くの登場者との出会いと別離、その歴史そのものでした。あの前号の印刷中にも六大学やプロ野球の球史に残る名選手だった南村侑広さん(NO.26登場、最寄駅自由が丘)が帰らぬ人に。
  その直後には、創刊時から本会の企画にどんなことでも快く応じてくださった映画史や歌謡史を飾る高峰三枝子さん(最寄駅田園調布)が全国のフアンに惜しまれながらも他界されてしまいました。ああ、人生ははかない! そんな無常を改めて痛感させられますね。
  ご指摘のとおり死亡月日を記載すれば良かったのですが、一部遺族の消息がわからず平等さを欠く情報であったため割愛しました。
 (岩田忠利)


テレビ・映画・歌にと54年間スターの座を守ってこられた高峰三枝子さん、2年前のお姿

  

     実は、母も亡<なりました!

  第23号の「沿線住民酷勢調査」53ページに登場させていただいた″増田 久″の娘です。じつは、母は昨年817日に亡くなりました。
 今号を読ませていただいたら、亡くなられた方々のことが書かれておりましたので遅ればせながらお知らせいたします。
 (港北区太尾町・薬剤師・増田秀美)
 








 そうでしたか。誌上掲載できず残念でした。国際交流問題などボランティア活動にあれほど活躍していた若いお母さんだったのに…。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
  星薬科大学に入学されたばかりだった秀美さん、もう立派な薬剤師にご成長されたのですね。ご活躍ください。(岩田忠利)

        新丸子の思い出、そしてアルメルさん

私は昭和27年4月から結婚するまでの約7年間、新丸子と小杉陣屋町に住んでおりました。ですから、今でも電車が新丸子駅に着くと、下車したくなってしまうのです。でも、新丸子駅はすっかり変わってしまい、私が住んでいた当時は新築だったアパートも、現在は地上げ屋″に狙われて跡形もなく、淋しい限りです。
 話は変わりますが、アルメル・マンジュノさん、ずっと以前、NHKのフランス語講座をやっていらっしゃった方ではないでしょうか。とても、懐かしく思い出されます。
  独学でフランス語を修得しようとラジオにかじりついていたのでしたが、私のフランス語はいまだに片言、アルメルさんの日本語にひたすら敬服しております。
(世田谷区大蔵 小林千恵子)










 立派なプロムナードが完成した医大通り、高架化された素晴らしい駅舎、新丸子の姿は本当に昔の面影はなくなりましたが、独身時代の思い出は大切なものです。
  アルメル女史は、確かにあのNHKのフランス語読座の先生でしたよ。しかしあの方は語学の天才、特別な人です。私たち日本人が知らない熟語などもどんどん駆使するのですから、私たちスタッフも驚いているんですよ。(糸井 保)


      マンジュノ先生は私の学校の先生

 「アルバム拝借」は、大変楽しく拝見しました。都立大・大岡山は子供の頃の最寄駅でしたが、戦前の写真を見たのは初めてです。これからもお願いします。
 「不思議の国のアルメル」のマンジュノ先生は、私の通うアテネ・フランセの先生なので、興味深く読ませていただきました。外国人の意見もどんどん聞いてみたいですね。
 「えんせん食べある記」も楽しみなべージです。
  (目黒区五本木・主婦・岸田絹枝)










  岸田さんのことをアルメルさんにお話しましたら喜んでおりました。物事は視点を変えると、考え方も変わってきます。外国人の目から見た日本やこの沿線、日頃、私たちが気が付かない長所・短所を指摘され、自分の姿を影絵で見ているようですね。
 ユニ−クな外国人の方や岸田さんが食べ歩く美味しい店をぜひご紹介くだい。
 (鈴木善子)


                図書館で見た本誌

東京都内から現住所へ引っ越してきて3年目。近くの師岡熊野神社へは毎年初詣に行っています。『とうよこ沿線』に出合ったのは今年になってからですが、近くの港北図書館でバックナンバーを見ました。貴重なガイドブックで″沿線生活″が豊かになりますね。
  (港北区菊名・地方公務員 細田永子)




少し足をのばして大倉山公園に出か けてみても面白いと思います。草木が豊かで、散策には申し分ありませんし、公園内の記念館は地元の文化、芸術活動の発表の場として活発に利用されています。(江川 久)


    「とうよこNET」のお手伝いを…

  『とうよこNET』構想は、Fine ですね。私も、BBSのシスオペをやっていたことがありますし、パソコン・ワープロを利用した通信は最大の興味でもあります。『とうよこNET』開局にあたって、何かお手伝いするようなことがあれば協力したいと思います。
 (港北区菊名・会社員 菊地寿博)








菊地さん、お便りありがとう! 
  じつは、彼はすぐに『とうよこNET』にアクセスして来られ、開局スタッフになりました。いまは(趣味のボード)の「無線ボード」のシグオペさんとして活躍してくれています。無線に関心のある方は、0455611000にアクセスしてこのボードに書き込んでやってくださいな。(岩田忠利)


     当店で多目的ホールを只今建設中です

  初めて読ませていただきました。地元を大切にする自分にとって、このような雑誌があることにほっとしました(妻は時々読んでるようだが…)。
 文化活動と美味しいお洒を組み合わせた、防音多目的ホール「エルブール」を12月オープンめざして、現在建設中です。いろんな活動をされている地域の皆様にお貸しすると同時に、自らクラシック・JAZZ・カントリー・ハワイアンなどのコンサート、個展・末輸入ワイン試飲会などを企画中です。
  (品川区荏原・酒類販売業・荻野義典)










  沿線の皆さんの情報交換と交流の場として活字媒体『とうよこ沿線』は、10年間その役割を果たさせていただきました。また新たにパソコン通信媒体『とうよこNET』が7月7日から開局しました。
  荻野さん、パソコン通信をやりませんか? そしてあなたのホールのイベント情報を『とうよこNET』に載せませんか? (岩田忠利)


      情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。




「上納金の多いやからに 都合よき政治をばする昔も今も」――前にも一度書いたが本年2月の総選挙では300億円、経団連の花村政治部長の時は250億円見返しなしに営利企業が献金のはずなし。私は日米協議の外圧を神風として歓迎したい。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎〉



今年の夏は、ことのほか暑さが厳しいので夏バテ寸前の状態の中、初めて編集に参加して、色々なことを経験し今までにない夏休みでした。
(綱島・主婦・原 陽子)




あるデパートで・ロココ調の絵画展覧会を見た。18世紀前半に描かれた名画の数々。人々の表情・しぐさが、現代と全く同じだ。「ここ数十年間に人間ずいぶん変わったものだな」と思っていただけに何故か、ホッとした。
(菊名・本田芳治)




現金1万6千円入りのサイフを落とし、どん底の心境に…。一縷の望みを託し日吉駅前交番に足を運べば、来、来たぁ〜!! 私のサイフを手にした青年が…! ラッキー! 今日はお寿司だ、パーティーだ。
(日吉・佐藤由美)





東武伊勢崎沿線在住のニューフェイスでありながら東横沿線を自由に飛び回る。それもそのはず、昔から縁あって東急沿線とはもう20年以上のお付き合い。これからもどうぞよろしく。
(桧原団地・木村教郎)






創立10周年紀念号のあとには、サントリー地域文化賞、パソコン通信ホスト局開局とさまざまな大きな出来事に出合い、忙しい毎日が続く今日このごろ。『とうよこ沿線』……全国からの声援が聞こえる。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)






編集長・ママさん並びに『東棟沿線を語る合』の皆さん、サントリー地域文化賞受賞おめでとうございます。創刊10周年おめでとうございます。パソコン通信『とうよこNET』開局おめでとう!!
(大倉山・喜び叫ぶ会社員・秋元重雄)




猛暑でしたね、今夏は…。恒例の七夕祭りと「とうよこネット」の開局が同時、我が家の引越しも重なり暑さがひとしお堪えました。もっと堪えたのが毎日夜半まで入会の通信が入るのでパソコンに釘づけの編集長。本作りができず発行が大幅に遅れたことです。
〈編集室・鈴木善子)





編集室の最新鋭パソコンH−98は起動に時間がかかる。それはなぜか昔の真空管を連想させる。かつて鉄腕アトムにさえ真空管が使われていたもんだ。ハモンドオルガンの最高傑作も真空管時代に世に出た機種だ。
(大倉山・江川 久)









大倉山エルム街のイベントで福引があり、カメラ、ワンピースなど豪華賞品もありました。「ナーンだ、トウモロコシだわ」と呟いた人に「黄色いダイヤ、いいですね」と言ったら気を取り直しました。ちなみに私はスープ皿一対でした。もうお炊事は卒業したいのに〜。
(大倉山のもの好き・山室まさ〉


(大倉山・俵 賢一)





最近、生ゴミ入れ兼堆肥の製造をするコンポスター≠購入。ポリバケツの底がないようなもの。生ゴミ処理が簡単でその分ゴミは減るし、堆肥にもなるので一石二鳥です。
(つきみ野・高橋かすみ)





京劇の化粧の中に歌舞伎の化粧とよく似た、くまどりを見たり、衣装の中にも似た衣装などを見ると、昔からの文化の交流が感じられ親近感を覚えました。団員の方々と短時間のふれあいでも、別れが惜しまれました。
(白楽・主婦・中村和子〉





このコーナーで、次回の「編集の音」はパソコン通信でと書いたのですが、今回は祝賀会準備もあって編集室に来て、手で書いています。でも、今私の部屋にはパソコンが入ったので、ぜひ次の機会には!
(自由が丘・会社員・西野裕久)






「今年は何のバイトしようかなぁ」と情報片手に綱島駅を歩いていました。そんな時に目に入ったのが、「とうよこNET」のポスター。今思えば、今のこの状況を決定したのは、あの一瞬……。
(
日吉・大学生・新津研一)
















 「盆と正月が一緒にきたようだ」と年寄りがよく言った。去年の暮れから、私はそんな生活が続いている。
 自宅と事務所の移転問題で明けた新年。やがてパソコン通信ホスト局の準備と情報入力、そして3月10日には専用回線を引いてテスト開始。4月12日サントリー地域文化賞受賞の朗報! その新聞各社などの取材。6月18日、大阪での同賞授賞式・祝賀会……。

住み慣れた我が家の引っ越し……。その直後に7月7日の創刊10周年記念日に『とうよこNET』開局…。連日怒涛のように押し寄せるNET入会申し込みの新しい仲間たち、その人金手続き事務に追われる毎日。それと同時進行の9月3日ザホテルヨコハマでの「祝賀会」の準備……。また同時進行でこの51号編集も追い込み……。

 いやぁー、いろんな初体験をする年であること! 一昨年は肉親や知人の度重なる訃報で黒の喪服で飛び回る暗く寂しい一年であったが、今年は、忙しさの中にも将来に夢と可能性を秘めた明るさがある。
 おかげで、私の頭髪は歳の割に黒の部分が多いのだが、運動不足がたたって出っ腹のほうが限りなく臨月〃に近づくのが気がかりだ。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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