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今年は70歳。若い人から見ると、ずいぶん年寄りに見えるらしい。本人は体力、智力ともまだまだ……。だからあるときは年寄りのように、またあるときは働き盛りの熟年のように、絶妙に使い分けて人生を楽しく過ごしたいと思う。
(菊名・本田芳治)
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編集長に馬車馬のようにムチ打たれながら、なお、パソコン通信の夢を追い続けて東奔西走。夢のあることを持っていることは素晴らしいことだ。編集長のムチ使い、こういうのを愛のムチというのでしょうか。クシュン…。
(武蔵小杉・日吉湘南堂店長・糸井 保)
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パソコン通信なるものの断片に初めて触れてみたが、日頃から「日本一のものぐさ男」を自負(?)する自分にとってはチンプンカンプン…。コンピュータと英語のわかる人、心から尊敬します。
(それでも勤まる会社員・一色隆徳)
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去る3月20日1%、ここ1年足らずの間に4回も公定歩合の引き上げが行われたが、却って円安、株安は止まるところを知らない。打つ手はすべて後手。日銀総裁も大蔵大臣も小粒になったものだ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)
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今、流行性感冒かアレルギー性鼻炎かで体が大奮闘しています。どちらも似たような症状といわれています。前者は熱がありますが、後者は熱がなく、カゼの初期の症状といわれ、ある日突然なることもあるそうです。
(大倉山・単なる風邪であってほしいと願う男・秋元重雄)
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私がメガネをはずすと、娘が泣くようになった。風邪で気弱になったせいだといわれたが、どうも先日、パックした白い顔で驚かせたせいではないかと、私は思っている。
(つきみ野・高橋かすみ)
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東工大のお花見に、今年は5回も行ってしまった。日曜日には学生さんのヤキソバが史上初出店。40年来の大岡山桜のファンだといったら「ありがとうございます。近隣住民には感謝の心で」と、ショウガの盛り付けを沢山してくれました。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)
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今年は梅や桜の開花が早く、大倉山公園にもたくさんの人出。でも足元に咲くスミレ類の花には、眼を向けぬ人がほとんど。かのスミレも今や時代遅れなのかな。目立たないからなあ。
(大倉山・江川 久)
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春ともなれば、ヘンな病気が出る季節。当編集室はいま、花粉症に次いでパソコン病(?)が大流行。編集長ほか数名の重症患者が、朝から夜明けまでチャカチャカ、パチパチ……。メカに弱い私は、しょんぼり見ているだけ。
(編集室・鈴木善子)
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スポンサー探しに気合いを入れて回ったものの、年度末とも重なって苦労。久し振りにやったチラシ配りも、人員が少なくて苦労。50号が納品されたときは、『とうよこ沿線』……思わず「やったあー!」の歓声。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)
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春4月、身近な友人の中にも就職して社会人の仲間入りを果たした人間がいます。「自分もそんな年になったのかなぁ」と思いつつ、就職した友人の活躍を祈る今日この頃です。
(都立大学・まだ2年ある大学・吉野嘉高)
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本当はこの「編集の音」の原稿を送るにあたり、編集長からの要求は「パソコン通信で送ること」であった。しかし、まだ通信方法を熟知していないので、結局ファックスで送ることになってしまった。次回は是非パソコン通信で送ります。
(自由が丘・会社員・西野裕久)
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編集室から見える東横電車にピョンピョン、ジャンプして大喜びの息子、拓磨も5月で満1歳。キユーピィ顔もいつしか金太郎顔に。『幼年隊』を組む日も近い(?)。第2のジャニー喜多川をめざし、赤ちゃん会員募集中!
(日吉・佐藤由美)
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とらば−ゆ、してしまいました。週3日はブティックで販売。ピアノの生徒5人。音楽活動は続けています。
(今どきオシャレなフリーアルバイター・雪谷・川島稚左)
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昨年11月喜寿を祝って頂き、責任の重い仕事からも解放され、これからが私の青春時代に入ります。生涯勉学のつもりで3つほど手掛け、気長に励んでいます。今なお、無病息災が最大の感謝です。
(大倉山のもの好き・山室まさ)
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「機械や電気に強い人間というものは先天的な才能で別の人種だ」と、1年前まで私はそう固く信じていた。
大学卒業時に自動車免許を取った私を評して、友人たちは「特別なコネがあったんだろう」と、腕前を認めようとしなかった。
結婚以来20数年、停電の時はいつも家内が懐中電灯探しで大騒ぎしながらヒューズボックスに走るが、私は真っ暗な食卓の前でじっと我慢して明るくなるのを待つのだ。子供の頃から感電死した話をよく聞かされたので「電気は怖いもの、危いもの」という先入観念が植えつけられてしまったようだ。だから編集室にワープロがあっても、2年間一度も触ったこともなかった。
ところが、そんな私が独学でワープロを覚え、ここ1年間で3台のワープロを買い替えた。その度に操作が違うので呻吟したが…。それだけではない。そこへ、少なくともコンピューターと名のつくパソコンが、1か月に2台も私の目の前に導入されたのである。1年前の私だったら、恐らく気が狂ってしまったであろうこのOA化や情報化の大波。
最近の私は、この波にも溺死しない自信が徐々についてきた。それは、これらの導入に力を貸してくれた青年スタッフ、小田房秀君の一言「すべて道具ですよ。扱えて当たり前なんですよ」の影響である。
お陰様で創立10周年のこの機に、沿線住民の皆様によってお役に立てるパソコン通信ホスト局開局に漕ぎ着けることができた。小田君、ありがとう! 皆さん、ありがとう!
(本会代表・編集長・岩田忠利)
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