編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.679 2015.06.11 掲載

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『とうよこ沿線』No.50…平成2年(1990)5月10日

 B5判 紙数:76ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料 
 定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、50号“柾”68〜70頁から転載です。


     東横線と田園都市線の違い

 いつも東横線を利用しています。田園都市線のようにキザでなく(失礼!)泥臭いところが好きです。やはり港北区・神奈川区は緑区(現青葉区)よりも都市として成熟しているのではないでしょうか(またまた失礼)。
 東横線は、東京へ急いで行かせる路線ではなく、東京と横浜を結ぶ路線であり続けてもらいたいものです。
 (保土ヶ谷区西久保町・面来直人・24歳)







  同じ東急でも東横線のほうが都市として成熟しているためか、各駅ごとに特徴があり、街としての.“顔”があるのに対して田園都市線はまさに新興住宅地で、まだ顔を持たない開発途上の沿線という感じがします。
  イメージ的にみると、後者が人工的に造られたという均一的イメージに対し、前者は個性的で人間臭さを感じられますよね。皆さんはどんなイメージを? 
(高橋かすみ)

       綱島は田舎なの?

 目黒から引っ越してきた近所の方は、「綱島は田舎ですよ」と言います。でも三重県から来た私は、とても都会だと思います。
  けれども、先日友人に「綱島の住み心地はどう?」と訊かれ、「ウン、田舎よ」と答えてしまいました。
  というわけで、この街のことをもっと良く知るために綱島特集のバックナンバーを申し込みます。
 この綱島の街にも前号「鬼人粋人伝」67頁登場の山下経一さんのような地道で非凡な人がいるのですね。私たちの誇りであり、素晴らしいことですね。
  (港北区高田町・野尻祥子)
    


 「ハイ、綱島は田舎です」と答えたら非難の声が殺到しそう…。でも、この東横沿線の中では比較的緑も多く、のどかな街。それだけに人情もあり、私は好きな街の一つです。ところで三重県といえば名所が“伊勢神宮”で赤福≠ェ名物。編集室には他県から引っ越してきた会員がたくさんいます。ぜひ一度お遊びにどうぞ!
 (佐藤由美)


            昭和の機械発明王・山下経一さん

  前号「鬼人粋人伝・山下経一さんの巻」を読み、まず、取得特許100個に驚いた。
  ラベリンクマシーンが世界を圧する高性能で、その成果が日常我々の周囲に表れていることも知らなかつた。
 ラベリンクもさることながら、次いで高能率の駐輪場が4月に綱島にオープンする。無人で1分間に24人分を処理できるとか。第1号機が綱島駅前にできれば早速拝見したいものだ。
 また駐輪場の次には、立体高速無人駐車場だ。自動車は自転車の数倍のスぺースを要する。これが完成すれば不法駐車や駐車場不足はたちどころに解決することだろう。
  彼は、発明研究のため新婚間もない妻を田舎に帰し、特許申請の登録料もバカにならない時代に唯一人、無から取り組む熱意のほどはまさに機械発明の虫である。
  いま55歳、油の乗り切った山下さん。私も同じ山下″で他人ごととは思えない。

「山下姓」では古くは、旧山下汽船の山下太郎。「上等兵のケッタロー」こと、山下敬太郎(落語家・柳家金語楼)。マレーの虎、山下奉文将軍。貼り絵の放浪画家・山下清。なだ潮の艦長・山下啓介。三日天下の山下官房長官など、良きも悪しきも山下にもいろいろな人間がいるもんだ。
  (神奈川区旭ヶ丘・山下二三雄・元銀行員)






 嫁いだ先が「佐藤」姓。ノーベル賞国民平和賞の佐藤栄作元総理大臣。「ちいさい秋見つけた」の詩人・サトーハチロー。その妹で作家の佐藤愛子。第2次海部内閣の組閣は佐藤孝行この人のことで大変でした。良きも悪しきも佐藤にもいろいろな人がいるもんだ。(佐藤由美)


       ぜひ「映画館特集」を…

  かつて、どの街にも映画館がありました。そしてそれは、街のシンボルであり、夢の玉手箱であり、ちょっと危ない冒険の場でした。
  子供の頃、私が期待と憧れを抱いたのは都心のロードショー劇場ではなく″近所の映画舘″でした。時代の流れに流された東横沿線の映画館の幻影を追ってみたくなりました。是非、特集「東横沿線の映画館」を組んでほしいのです。
  ちなみに私のホームグラウンドは、目黒文化圏です。昭和20年・30年代の日本映画のポスターは、ある程度持ち合わせております。資料提供くらいはご協力できると思います。
  (目黒区鷹番・鈴木誠一・団体職員・39歳)








「ミツバチのささやき」という映画の中で幼い女の子・アナは、巡回映画館で見た怪物の存在を信じてしまいます。
 この映画が気に入った私は、アナが見た「フランケンシュタインの怪物」を見に、ミニ・シアターに足を運びました。ああ、その古典的名作のおもしろさ! ミニ・シアターではなくて近所の真っ暗な映画館″で見られたら、もっとよかったかな。 
 (江川 久)


         49号はみな懐かしい記事ばかり

 反町で生まれて52年、待ちに待った「東白楽特集」見ました。皆なつかしい記事ばかりです。私は今も、これからもこの土地を離れません。また、白幡小学校があったとは知りませんでした。
 桜のシーズンともなると、ここ孝道教団の辺りの桜は見事に咲きます。
 神奈川熊野神社・照本宮司の作「ふるさとゆかり唄」に出てくる慶運寺には、先祖代々の墓地があります。27号「反町特集」もタンスの中に大切にしまってあります。
 
 (2通目のお便り――)49号、2冊目を購入しました。兄にプレゼントしたら、とても喜んでくれました。なお、27号に戦前の私の家が載っていましたが、残念ながら他人名義になっていました。次号を楽しみにしています。
  (神奈川区鳥越・渡辺スミ子・52歳)
    







  私は最近、「変化」という言葉がもつ本当の意味を改めて考えさせられます。自分により身近なものほど、あまり変わってほしくないものですね。でも、これが進歩というのなら仕方ないですね。(岩田忠利)
  

   東横線の「初代武蔵小杉駅」の写真が…

 47号「武蔵小杉・新丸子特集」の取材で貴編集室スタッフが我が家に見えたときには昔の写真はありませんでした。しかし、後で納戸を調べたら写真下が出てきましたので送りします。



東横線の初代武蔵小杉駅。現在の東京銀行野球場の1塁後方付近から小杉2丁目方面を望む。右が新丸子駅方向、左は元住吉駅方向

  

「堤防の上に木の橋?」。いいえ、違います。これは、昭和20年6月に南武線との交差点に急造された、レッキとした木造の駅「初代武蔵小杉駅」の姿です。45年前とはいえ、すべて木造という駅は東横線でもここだけで、当時軍需工場であった富士通・日本電気などに通う従業員の乗り換え用の駅として使われていました。土手上のホームは屋根無しなので、傘を飛ばされそうになるが、天気のいい日は富士山が見える見晴らしの良い駅でした。
  この写真は戦後ホームを延長した頃のもので、当初は3両連結が停車できる程度の長さでした。昭和28年に写真左先の位置に現武蔵小杉駅が誕生したため、この駅はすぐ近くの同じ小杉にあった東横線「工業都市駅」とともに廃止されました。

写真中央に見えるガード下を南武線が走り、無人踏切もあった。当時南武線にはSLが運行、機関車単独で惰性で回送するときには煙は見えず、近づく音も小さかった。上を通過する東横線の音に気を取られていると、突然目の前にSLが……。この踏切は接触事故も多く、昭和30年代初頭に廃止となりました。

        兵(つわもの)どもの夢の跡

写真左の線路築堤下の場所は白い塀で見えないが、昭和14年の頃まで今でいう観光ブドウ園(現在の東機不動産駐車場付近)でした。
 またここは、昭和20年4月15日のB−29の川崎空襲で全焼した現日本医大病院の入院患者が、飛んでくる火の粉を避けるためガードをくぐり、避難してきた場所でもありました。当時野球場だった写真手前の空地には焼夷弾や爆弾の大穴があき、不発弾もー直線に並んでいました。
 ここは今、川崎市の駐輪場となり、このガードも南武線の高架化工事で駅が移動したため通れなくなりました。
  昭和生まれ世代が大半を占める現在、この辺りはまさに「兵(つわもの)どもの夢の跡」となりつつあります。
 (中原区新丸子東・渡辺昭二)









  貴重な写真をお送りいただきましたのに、掲載が遅れ、申し訳ございませんでした。
  渡辺さんのような地域の生き字引の方が近年、私の周囲から次々と居なくなっています。これはまさに地域文化の損失。勿体ないことであり、寂しいことです。くれぐれもご自愛のほどを。(岩田忠利)
 


                取り戻すぞぉ、青春!

   初めて読ませて頂きました。白楽、東白楽は神奈川大学がある場所なので興味を持ってヒョイッと買ったのです。
 実は、何を隠そう私は、今年神大(入試)に落ちまして、いま同大学の市民講座なるものに通っているのです……。10年遅れた青春を取り戻すぞぉ! 来年こそ白楽に通います。
 
(西区西戸部・主婦・蔭山由佳里・27歳)
             





 当編集室には、かつてお嬢さんだった方(77歳)でこっそり高校に通っていた人もいます。あなたは彼女に比べれば50歳も若い。頑張ってください。それにしても、どちらもエライ! (岩田忠利)

                 結婚しても東横沿線がいいなぁ

横浜に生まれて29年、高校・通学・通勤は東横線を利用しています。なんといっても東横線が一番。ちなみに住んでいるところは「東白楽」。結婚しても東横線沿線がいいなあ!
 今後取り上げてほしい企画は「各駅の有名人」。例えば……いつも同じ時間に電車に乗るご夫婦、とか。
 (神奈川区斎藤分町・会社員・佐伯貴子)






「今どきの若い女性人気NO.1」といえば、なんといっても田原俊彦と東横線。その共通点は、上品さの中にも気取りがなく、気さくに付き合えそうなところ。
  佐伯さんのように東横沿線ですてきな出会いを夢見る方(カレがいたらゴメン)は、本誌の「縁線で愛コーナー」にぜひ、ご応暮してみてください。 (佐藤由美)


      東横線の車内放送に物申す

東横線の駅構内・車内放送は余計なお世話″的なものが多い。
 「危ないですから白線の内側に…」は、安全は自分の責任。「お年寄り(高齢者には失礼!)「身体の不自由な方には…」は、譲る者は自然に行う。「お忘れ物はないよう…」、これも各人の責任だ。
 今は静粛が尊ばれる時代。放送は必要最低限に……。乗客がどうしても必要なものに止めるべきだ、と私は偏見と独断で申し上げたい。
 そんなに放送がしたければ、「座るときは、健康のため大股の広げすぎに注意しましょう」とか「健康のため(ウォークマンの)シャカシャカ音の大きすぎに注意しましょう」。
 このほうが皮肉たっぷりで、ビリッと効果があるのではないだろうか。世は省エネ時代である。
  (神奈川区上反町・栗山 徹・64歳)



たまには、車内に小鳥のさえずりでも流して頂けたら楽しいでしょうね。
 東急サマ、こんな提案もありますが、いかがでしょうか。(江川 久)


      情報の“送り手”,延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。





今年は70歳。若い人から見ると、ずいぶん年寄りに見えるらしい。本人は体力、智力ともまだまだ……。だからあるときは年寄りのように、またあるときは働き盛りの熟年のように、絶妙に使い分けて人生を楽しく過ごしたいと思う。
(菊名・本田芳治)




編集長に馬車馬のようにムチ打たれながら、なお、パソコン通信の夢を追い続けて東奔西走。夢のあることを持っていることは素晴らしいことだ。編集長のムチ使い、こういうのを愛のムチというのでしょうか。クシュン…。
(武蔵小杉・日吉湘南堂店長・糸井 保)




パソコン通信なるものの断片に初めて触れてみたが、日頃から「日本一のものぐさ男」を自負(?)する自分にとってはチンプンカンプン…。コンピュータと英語のわかる人、心から尊敬します。
(それでも勤まる会社員・一色隆徳)




去る3月20日1%、ここ1年足らずの間に4回も公定歩合の引き上げが行われたが、却って円安、株安は止まるところを知らない。打つ手はすべて後手。日銀総裁も大蔵大臣も小粒になったものだ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)




今、流行性感冒かアレルギー性鼻炎かで体が大奮闘しています。どちらも似たような症状といわれています。前者は熱がありますが、後者は熱がなく、カゼの初期の症状といわれ、ある日突然なることもあるそうです。
(大倉山・単なる風邪であってほしいと願う男・秋元重雄)



私がメガネをはずすと、娘が泣くようになった。風邪で気弱になったせいだといわれたが、どうも先日、パックした白い顔で驚かせたせいではないかと、私は思っている。
(つきみ野・高橋かすみ)




東工大のお花見に、今年は5回も行ってしまった。日曜日には学生さんのヤキソバが史上初出店。40年来の大岡山桜のファンだといったら「ありがとうございます。近隣住民には感謝の心で」と、ショウガの盛り付けを沢山してくれました。
 (緑が丘・漫画家・畑田国男)




今年は梅や桜の開花が早く、大倉山公園にもたくさんの人出。でも足元に咲くスミレ類の花には、眼を向けぬ人がほとんど。かのスミレも今や時代遅れなのかな。目立たないからなあ。
(大倉山・江川 久)




春ともなれば、ヘンな病気が出る季節。当編集室はいま、花粉症に次いでパソコン病(?)が大流行。編集長ほか数名の重症患者が、朝から夜明けまでチャカチャカ、パチパチ……。メカに弱い私は、しょんぼり見ているだけ。
(編集室・鈴木善子)




スポンサー探しに気合いを入れて回ったものの、年度末とも重なって苦労。久し振りにやったチラシ配りも、人員が少なくて苦労。50号が納品されたときは、『とうよこ沿線』……思わず「やったあー!」の歓声。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)





春4月、身近な友人の中にも就職して社会人の仲間入りを果たした人間がいます。「自分もそんな年になったのかなぁ」と思いつつ、就職した友人の活躍を祈る今日この頃です。
(都立大学・まだ2年ある大学・吉野嘉高)






本当はこの「編集の音」の原稿を送るにあたり、編集長からの要求は「パソコン通信で送ること」であった。しかし、まだ通信方法を熟知していないので、結局ファックスで送ることになってしまった。次回は是非パソコン通信で送ります。
(自由が丘・会社員・西野裕久)




編集室から見える東横電車にピョンピョン、ジャンプして大喜びの息子、拓磨も5月で満1歳。キユーピィ顔もいつしか金太郎顔に。『幼年隊』を組む日も近い(?)。第2のジャニー喜多川をめざし、赤ちゃん会員募集中!
(日吉・佐藤由美)




とらば−ゆ、してしまいました。週3日はブティックで販売。ピアノの生徒5人。音楽活動は続けています。
(今どきオシャレなフリーアルバイター・雪谷・川島稚左)





昨年11月喜寿を祝って頂き、責任の重い仕事からも解放され、これからが私の青春時代に入ります。生涯勉学のつもりで3つほど手掛け、気長に励んでいます。今なお、無病息災が最大の感謝です。
(大倉山のもの好き・山室まさ)





















  「機械や電気に強い人間というものは先天的な才能で別の人種だ」と、1年前まで私はそう固く信じていた。
  大学卒業時に自動車免許を取った私を評して、友人たちは「特別なコネがあったんだろう」と、腕前を認めようとしなかった。
 結婚以来20数年、停電の時はいつも家内が懐中電灯探しで大騒ぎしながらヒューズボックスに走るが、私は真っ暗な食卓の前でじっと我慢して明るくなるのを待つのだ。子供の頃から感電死した話をよく聞かされたので「電気は怖いもの、危いもの」という先入観念が植えつけられてしまったようだ。だから編集室にワープロがあっても、2年間一度も触ったこともなかった。

ところが、そんな私が独学でワープロを覚え、ここ1年間で3台のワープロを買い替えた。その度に操作が違うので呻吟したが…。それだけではない。そこへ、少なくともコンピューターと名のつくパソコンが、1か月に2台も私の目の前に導入されたのである。1年前の私だったら、恐らく気が狂ってしまったであろうこのOA化や情報化の大波。
 最近の私は、この波にも溺死しない自信が徐々についてきた。それは、これらの導入に力を貸してくれた青年スタッフ、小田房秀君の一言「すべて道具ですよ。扱えて当たり前なんですよ」の影響である。

お陰様で創立10周年のこの機に、沿線住民の皆様によってお役に立てるパソコン通信ホスト局開局に漕ぎ着けることができた。小田君、ありがとう! 皆さん、ありがとう!
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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