編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.676 2015.06.09 掲載

 
『とうよこ沿線』No.26…昭和60年(1985年)2月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 
 定価200円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、26号“榊”64〜65頁からの転載です。


 
              各駅停車で特集を

  毎号楽しみに読ませていただいております。特に「特集・わが街シリーズ」が好きです。
 各駅停車で特集して下さい。中でも、東白楽を取りあげていただきたくお便り致しました。
 いつも白楽のおまけで、東白楽だけで独立させてもらったことがないんですよ。東白楽は両側を山に囲まれた小さな駅ですが、良い所はたくさんあります。
 ――以下、東白楽の情報をたくさんお寄せいただきました――。

(お名前が書かれていませんでした。映画招待券をお送りしますのでお名前、ご住所をお知らせ下さい)





 「わが街シリーズ」にウチの街も、とのお手紙をたくさんいただきます。ひと駅ひと駅、取り上げていきたいと考えておりますので、そのうちあなたの街も…。東白楽駅周辺は、次号「反町・東神奈川特集」で取り上げます。たくさんの情報、ありがとうございました。(桑原芳哉)


       定期購読者だった片山泰子さん

  妻の在世中は色々とお世話になりました。このたびは小田急沿線の住人となりましたが、30年余も親しんだ東横線の思い出は忘れられません。
 (伊勢原市東大竹・片山彦三)
      

長い間本誌をお読みくださった奥様に、編集者一同、心よりお悔み申し上げます。引っ越されたとのこと、残念ではありますが、小田急沿線もまた違った良さがあるかと思います。東横線沿線への愛着も忘れないてくださいね。
 (東横・小田急線で通学している一色隆徳)


       「灯台モト暮らし」を実感

  我が街大倉山のフォーカス編,NO.23桐″の号を通して、自分がナント「灯台モト暮らし」であったかを実感しました。
 いつもは風景のひとつにすぎなかったあの道、あの店が、それぞれ息づいてきたみたい。単なる生活の場から、想いのあるものへと変わった様な気もします。
 これからは、貴誌を通じて同じ地域の読者同士が手を結べる様に、文通or電通(カナ?)コーナーや、バザー情報などを設けていただきたいものです。皆さん! フランクスマイルで握手しようヨ!
 (港北区太尾町・鈴木弘子・主婦・25歳)






「主婦・25歳」を見てか、当方の紀子さんが書かないので……。
 わが街、大倉山の特集号を作って、地元のことをいかに知らないかを私自身痛感しました。作っている方でも、こんな人間もいます。これからもお手紙下さい。
(大倉山在住10年になる桑原芳哉)


        忘れられない東横沿線

  私ども家族は、東横線白楽駅近くの白幡上町に、ちょうど15年居住いたし、2人の子供も「白幡育ち」です。
 昨年、現在住んでおります二俣川に転居いたしましたが、東横沿線が忘れられず、子供たちは月2回六角橋商店街や大倉山へ行ったり、私どもも妙蓮寺のお店へ出かけたりしています。この『とうよこ沿線』もNO.9から買って楽しんでいますが、子供たちと相談のうえ定期購読させて頂きたいと思います。
 (旭区二俣川・木村嘉孝)




木村さんご一家と逆に、私は10年前まで二俣川からバス10分の左近山団地にいました。だからときどき、二俣川の駅前を思い出します。たまには二俣川に行ってみようかな……。(かくれ相鉄沿線族″の桑原芳哉)


       今では懐かしい昔の物語

  私の人生も「とうよこ沿線」なので、毎回懐かしく楽しみに拝見しています。
 学芸大学の特集号も、いろいろ想い出して一人でホクソ笑んでいました。
 終戦直後、駅の切符売り場の上に舞台が作られて、唄や漫才、寸劇などの催し物があり、親がうるさかったので、かくれて見に行った想い出。松島トモ子さんが子役で売り出した頃、よくかわいいバスケットのバッグを持って、石井漠先生の所へオケイコに通う姿を見かけたものです。
 『とうよこ沿線』から、こんな想い出がたぐれて本当にしあわせです。今後も末長く続けて下さいね。
 (港北区篠原町・橋爪ヤスエ・主婦・52歳)






 だいぶ前にいただいたお手紙、掲載が遅れて申し訳ありません。長文のお手紙なので「思いつくまま」への掲載を考えていたのですが……。「昔が懐かしい」「想い出がいっぱいだ」というお手紙には、必ず「長く続けて」とあり、編集者一同、何よりも励みになります。(桑原芳哉) 

      やっとふんぎりがつきました!!

  今、やっとふんぎりがつきました。はっきり言って『とうよこ沿線』に入りたい。前にも入りたいと思った時期がありましたが、なんせ自分は照れ屋で口ベタ、人前に出るとあがってしまったりするので、考え込んでしまいました。しかも受験もかさなってしまい、一時は断念しました。
 しかし、自分は『とうよこ沿線』を読んでいて、たまらなくやりたくなってしまったのです。やるからにはなんでもやります。どうぞ、よろしく!!
  (港北区日吉本町・磯野幸治・高校生・16歳)
              





 こういう読者の方も多いんじゃないかな。「どうしようかなー」と迷っているあなた、磯野君を見習って、思い切って編集室へ!
(この手紙が編集室に着いたその日に、磯野君は入会しました。)――(桑原芳哉)


 
        「国際青年の年」について

  栗号の「ボイスBOX」で、佐藤健志さんが「国際青年の年」についてふれておりましたが、一言補足させていただきます。
  国連が1979年に決定した“International Youth Year”の訳は行政側では「国際青年年」とすることになっており、統一がとれておりません。ですから、できればIYY″という名称で、青年自らがワイワイ言いながら盛り上げてくださることが望ましいと思います。
  国レベルでの取組みは総務庁青少年対策本部が行っておりますので、疑問点等はこちらの国際青年年準備室にお問い合わせてください。(035816361戟j
 以上は、あくまでも役所の公式見解ではありませんが、ただ1YYについていろいろ取り上げていただければ幸いだと思っておりますので、どうかよろしくお願いします。
 (練馬区石神井町・山本茂樹・総務庁勤務)
            









 ひさしぶり、山本さんのお手紙です。″総務庁″だなんて、うらやましい。それはさておき、「IYY」については総務庁でも力を入れているようですね。でも「の」が入ると、入るまいと、どっちでもいいじゃないですか。山本さんのお手紙にもあるように、みんなで「ワイワイ」できればいいてすね。佐藤健志さんはじめ実行委員会のみなさん、活動の様子など、ぜひお知らせ下さい。(桑原芳哉)

      なつかしさ一杯の栗″号

  昭和269月から33お年余り当地に在住していますが、その間の綱島、新吉田町の発展は目を見はるものがあります。あの有名な旅館、花柳街も、マンションやショッピングビルになり、昔の面影はほとんどなく、栗″号を見るとなつかしさで一杯です。
  今後もこのコミュニティー誌を機会あるごとに読んでいきたいと思っております。「ひとさじの塩」で、今後は男性のテーマを望みます。
 (港北区新吉田町・佐藤 実・元公務員・63歳)






 各地域の特集を出すたびに、「初めて買った」に○をつけてハガキをくださる方ガ多く、うれしい限りです。これからもずっと続けてお読みください。「ひとさじの塩」は今回ページ数の関係でお休みしましたが、女性ばかりでなく男性のテーマも考えています。    (桑原芳哉)

           フラリと出かけたくなるものを…

このたびは、娘を「縁線で愛コーナー」に登場させていただき、ありがとうございました。一冊きりですが拝見させていただきました。ヤング向きらしい、なかなか良い編集だと感心いたしました。
  私の学校時代の友人に、東横沿線の住人がおりますが知らないとのことなので(もうオバアチャンですが)話しておきました。私のような沿線外の者にも楽しめる郷土資料等の記事でもあると、フラリと出掛けたくなるのでは…と思います。
 先の1214日は討ち入りの日、私の姉は本所に昔あった吉良屋敷周辺に、朝早く起きて埼玉くんだりから出かけるほどの歴史好き。
  もっとも私の方がスケールは大きく、1月に早くもトルコ一周、シルクロードの終点までという道中ですが…。
  (埼玉県鳩ケ谷市・大堀涼子)






  お嬢さんの「で愛コーナー」が、お母様と『とうよこ沿線』との出逢い″になりましたね。この号が出る頃には、イスタンブールあたりでしようか。それとも、もうお帰りかな。旅日記などもぜひお寄せ下さい。(桑原芳哉)

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