編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.674 2015.06.08 掲載

 
『とうよこ沿線』No.48…平成元年(1989)10月10日

 B5判 紙数:68ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料 
定価改定 定価300円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、28号“栴”59頁からの転載です。


   寺家町のおじいさん″に感激
27号「ボイスBOX」から)

先日、自由が丘の 「シャンプーボーイズ」いう美容院で雑誌をめくっていますと、あるページにとてもなつかしい顔が写っていまして、本当に驚いてしまいました。

NO.26の5ページ左下(写真右)、「畑仕事の手を休め“一服”。緑区寺家町で」という見出しがついていたと思います。
  私が23年間、生まれ育った故郷、緑区寺家町……。私の家の隣のおじいちゃんだったのです。彼はもう3年程前に亡くなっておりまして、今は近くのお墓で安らかに眠っております。私の祖父と大の仲良しで、私にもよくしてくださった方です。野路文之丈さんというお名前ですが、「文ちゃん」と呼ばれていました。 



寺家町のおじいちゃん
26号「あの時あの場所」から

  とても良い写真に感激しました。人柄がよくわかるから。そのままに撮れていて、ホントにジーンときました。
 
今、寺家は「ふるさと村」となるべく準備がされていて、なぜかテニスコートなどもできるそうです。昔の、あの頃の私の寺家が、はるかかなたに遠ざかっていきます。
 (世田谷区等々力・清水敦子・主婦)



  お手紙拝見して、スタッフ一同、感激しました。特に最後の一文‥。「偶然見た雑誌に、隣のおじいちゃんを見つけ、故郷の町を想う……」。スタッフとしてもうれしくなります。清水さんには、野路さんの写真をお送りします。(桑原芳哉)

    寺家町のおじいさんの写真、その後

  先日はわざわざ写真を届けていただきまして、本当にありがとうございました。
  さっそく、寺家町の野路宅へ届けてまいりました。思いもがけず、生き生きとしたおじいちゃんの顔に会えたおばあちゃんは、心から喜んでいらっしゃったようです。私もうれしくて涙がこぼれました。御厚意、感謝いたします。
 (世田谷区等々力・清水敦子・主婦)

見ず知らずの私よりお手紙を差し上げます失礼をお許し下さい。清水敦子さんより頂きました写真、実は私の夫で、去る5611月に亡くなりました。生前の写真でしたのでびっくりいたしました。本当にありがとうございました。
  なお、私は明治生まれなので筆を持つことができません。長男に代筆させました。
  (緑区寺家町・野路フサ)
 

前号(NO.27梓″)の「ボイスBOX」にお手紙をくださった清水敦子さんから、緑区寺町の野路さんに、(NO.26榊″)「あの時あの場所」掲載の写真が届いたというお手紙です。
 こんなぐあいに『とうよこ沿線』とのつながりが広がっていくのって、本当にうれしく思います。清水さん、野路さん、ありがとうございました。(桑原芳哉)


      小さな駅のひとくち紹介とか…

  私は多摩川園に住んでいるOLです。とても楽しそうな雑誌、私も参加できたらなあ、と思います。つたないながら写真をやっておりますので、何か少しでもお手伝いできることがありましたら……。
 人々の話題にものぼらない小さな駅のひとくち紹介など、やってみたらいかがでしょう。
  「多摩川園」のことも一度のせていただきたいのです。
 また、なんでも版≠フようなコーナーがあったらなあと思います。「あげます、下さい」「売ります、買います」「教えます」などなど、読者の交流も別な意味で広がるのではないでしょうか。
 (大田区田園調布・行方明美・ホテル勤務・25歳)





 「多摩川園」ってのは、人々の話題にものぼらない小さな駅ですかね。それはともかく、なかなかいいですね。ぜひやってみたいものです。なんでも版″の方は、「えんせん回覧板」の方に、なんでもどうぞ。(桑原芳哉)


        東横線は安心線

  田園調布育ち、玉川聖学院を卒業した私にとって、この東横線は安心線≠ナす。
  渋谷から寝ていても、多摩川園になると目がパッと開きます。電車から降りて坂道を歩き、多摩川園の上まで行きます。私にとってはここが故郷です。
 NO.26榊≠フ「多摩川にサケ帰る」の星野さんも知っています。みなさん、お元気ですか?
 (中原区西加瀬・宗像清子・39歳)





偶然ですが、田園調布・多摩川園付近に縁のある方からのお手紙が続きました。今号は田園調布特集、いかがでしたか。「ここは知ってる」、「こんなところは知らなかった」と思うことがありましたら、またお手紙下さい。(桑原芳哉)


      学校のニュースや、お寺の特集も

 綱島特集号に続き、今回もなんとなく購入しました。小学校、中学校のニュース(たとえば、校長、名物先生、有名人の先輩など)を入れると、今の小、中学生はとても経済力があるので、口コミで飛躍的に部数が伸びることを、オジサンが保証します。お寺、神社、墓地の特集でもシリーズでやると、オモロイと思います。
 
(港北区高田町・大槻道夫・会社員・37歳)





  学校のオモシロニュースなどは、「え★なあに?」のページに掲載するよう、取材などしております。お寺や神社、墓地の特集も、今までになかった企画だけに、オモロイかもしれませんね。(桑原芳哉)

 
             毎号読んでますよー

 なんと、私は毎号欠かさず読んでおります。ミニコミ誌なのに中身が充実していて、隔月刊だと編集も大変だろーなーと、思ってます。
 何をかくそう、私も編集に足の小指の爪の先くらいつっこんでいたのです。がんばって毎月出せるようにしてください。
 それから、「縁線で愛コーナー」、もっといーオトコ、のせてください。なーんちゃって。
 (目黒区目黒・斉藤佳子・グラフィックデザイナー・22歳)



“いーオトコ”は、ここにもいるんてすけどねー。(くわ)


 
               彦根でも読んでます

  現在、私は滋賀県の大学へ通っておりますが、帰郷の際は『とうよこ沿線』を購入し、持ち帰っております。『とうよこ沿線』は他の多くのタウン誌のように、単なる地理的な紹介誌ではなく、沿線で生活する人々の、また利用する人々の「生の声」で語られる、さながら大きな回覧板≠ニいった感じです。
  それだけ沿線住民の誇りとコミュニケーションが浸透しているということでしょう。私事ではありますが、母校神中≠フ生徒たちの意見やら随想やらが、私のそうした印象をより一層強めます。
 私も本年度は4回生ということで、就職に翻弄される年になりそうです。就職先は東京方面にしたいと考えております。再び東横線で通える日を楽しみに頑張りたいと思います。
 (滋賀県彦根市・大槻泰公・学生)
     






 遠い所からのお手紙って、本当にうれしく思います。「こんな所でも読んでくれているんだなあ」と、つくづく感じます。早く沿線に戻って、一緒に雑誌作りができるといいてすね。当方会員の神中卒業生たちも、待ってますよ! (桑原芳哉)


         こんな会もありますよ…

本誌はいただいて拝見したのですが、非常に面白く、ぜひ多勢の方に見ていただきたいと思いました。田園調布小学校には「青塔会」という同窓会があります。ユニークな会ですので、ぜひ取材してみてください。
 
(大田区田園調布・藤井 浩・牧師・57歳)






 同窓会っていいですね。胸がキュンとなるほど懐かしい響きです。本号38ページの「アルバム拝借」に田園調布小学校が載ってます。いかがでしたか? 
  小さい頃の思い出ばなしや「青塔会」のユニークな活動のことなど、またお手紙下さい。(まるみ)


      情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。





無病息災で喜寿を迎えられたので心祝いにワープロを始めました。最初の失敗は「今日」が全然出ないのです。そのはず、「きょう」を「けふ」と打っていたのです。今更ながら、なーるほどネ。
(大倉山のもの好き・山室まさ)





久々の旅行は夏の北海道。川崎の土砂崩れを映しだすテレビに見入った旭川は30度のカンカン照り。釧路は33晩霧の中。夜の石北本線では鹿をひいてしまうという珍道中であった。
(都立大学・大学生・吉野嘉高)






半年足らずの間に、総理大臣が3回も変わろうとも、株や円の暴落は全くなかった。エライ先生と思っているのは自分だけ。政治家というものの果たしている役割の程が、よくよく分かった。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





一昨年は香港、桂林.昨年はバンコクとシンガポール。今年は北海道一周と歩けるうちは大いに旅したい。
(元住吉・旅好き・石野ひでお)





先日、生れて初めてSLに乗車した。ゆったりと走るSLは、車と並走するとお互いに手を振り合ってあいさつができる。ヒューマニズムって.こんなところにあるものかなと思う。
(自由が丘・会社員・西野裕久)





広告取りで、同じところを何回も歩き回っていると、なんかそこに住んでたような気がしてくる。懐かしい気分になることさえある。不思議なものだ。
(上野毛・大学生・松田達生)






女の一生は.20代は美しく、30代は強く、40代は賢く、50代は豊かに、60代は健やかに、70代和やかに、80代は愛らしく、そしていぶし銀のように、再び美しくとか。然らば我々男性は、どんなかな。まさかオール仕事仕事、働け働けではないでしょうね。可哀想だもん。
(菊名・本田芳治)





最近「村」という言葉をよく耳にしますね。ひと昔前は過疎の農村のイメージでしたが、都会では緑豊かで親しい仲間が集い、一杯やりながら情報交換できるコミュニケーションの場であれたらいいですね。
(田園調布村の住人・上井 徹)






今年は春から今までにない忙しさ。この夏も好きなキャンプにも行けず、家の庭で焼き肉を食べて過ぎ去ってしまった。「広告とらにゃいかん」と思いながらも、とるのは歳ばかり。『とうよこ沿線』……少しの間、充電させてください。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)






胸元に カマキリすがる 石ぼとけ拝まれることなく おがみて野にあり
もっぱら、石仏と植物を対象にスケッチをしている。実に多くのことを考えさせられ、体験させられる。
(大倉山・江川 久)






先日、変ないたずら電話がきました.「どなたですか?」と聞くと「山瀬まみです。……黒木 香でございます…」。どうやら物真似をしてたようなのですが….物真似をして遊ぶ友だちもいないのかしら。
(元住吉・高橋かすみ)




今回初めて取材に行きました。極度の緊張で.思うように質問できなかったことが心残りです。でも、日頃の生活では絶対話す機会のない人と会って、全く別世界の話を聞くのも楽しいことですね。
(白楽・会社員・山本珠美)





9月も半ばだというのに残暑続く東京から空路・北海道へ……。旭川空港に到着し、出口へ向かう通路での見知らぬ「おギャルさま」たちの会話――「わぁー、涼しい」「さすが北海道ね」実は冷房が効いていただけなのさ.あぁ、おポンチ!
(祐天寺・会社員・一色隆徳)






落ち込んでいる時期、人の情けが心に沁みるものです・亡夫とは一面識もない青山杉雨先生(書家・日本芸術院会員)が墓碑を書いてくださった。「南無阿弥陀仏」の墨痕鮮やかな書。発会以来、すべてを注いで逝った亡父への最高の供養となりました。
(編集室・鈴木善子)


   創立10周年に想いをはせて
  
                本会代表・本誌編集発行人  岩田忠利


    10
年は発起人みんなの願い

 「なんとしても、l0年間は発行し続けたいなあ!」これが、55年4月会発足当時の発起人みんなの願いでした。“なにごとも10年続けて一人前”といわれるように、10年というサイクルが個人や組織の持続的行為を社会的存在として認知する基準とされているようです。

     長期計画と編集方針

 まず私は10年間続けるための長期計画を立てました。3年を1期とし、基礎・成長・熟成の各期に分け、最後の1年間を完成期とする。そしてこれを仲間の会員に発表したものです。しかし計るは易く、行うは難しで、やはり問題は、計画どおりの実行と成果でした。

 こんな薄っぺらな雑誌を発行するのにも、1号ごとに何かしら必ず新しい問題が起き、その行く手の障害となる。とくに私たちの『とうよこ沿線』だけは、「政治・経済・宗教には厳正中立。特定な組織の“ヒモ付き”には絶対ならず、私たち住民の自由意思で編集する」の基本方針を貫いてやってきました。それだけに、金権万能の社会風潮がますます蔓延化する大都会の中で独自に持続する困難さは、私自身の予想をはるかに超えるものでした。

        ヒト・カネは慢性的難問

 人材と資金、いわゆるヒト・カネ問題は慢性的難問で、薄氷を踏む思いの連続です。このほかにも新しい問題や出来事が毎号降って湧くように。そのたびに私は、青菜に塩のようにしぼみそうになる自分に「問題こそは発展の源泉。これを乗り越えれば未来がある」と言い聞かせては試行錯誤の繰り返し、全力投球してきました。
 それでも体調のすぐれないときなどは、1号を発行するエネルギーのことを考えると、目標の10年が果てしなく遠い、荒海の向こうの岸辺のように思えたものです。

       幾多の人に支えられ、すぐそこに…

 それがとうとう――来年の春、念願の満10年という歳月が現実となります。どんなことがあっても走り続けて10年目、もうゴールは目前。

いま、過去の悲喜こもごもの記憶が走馬灯のように去来します。貴重な資金源として広告提供くださった延べ3千軒の、あの人この人の顔.取材や配本で出会った数千人の顔、顔、顔。さらに編集室で締切前に原稿に向かう編集仲間と広告スタッフ、発行後の配本やチラシ配布にがんばる諸君……。それぞれに持てる力を振り絞って深夜まで、いや連日連夜の徹夜でがんばった顔、顔、顔……。
 こうした人たちこそ、神が私に過ぎ去った10年間の代償として与えてくれた、掛け替えのない財産です。

 次号は49号.これが順調に進めば次々号は待望の「創立満10周年記念号、第50号」となる予定です。この記念すべき号では、いわゆる風雪10年を区切りとし、さらに21世紀に向けて飛躍する“改革的企画”を誌上で発表したいと今から検討しています。

 ご愛読者のなかに、本誌の一層の発展をはかる“斬新な具体策”をお持ちのお方は、ご一報くださいますようお願いいたします。

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