編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.672 2015.06.06 掲載

        画像はクリックし拡大してご覧ください。


 
『とうよこ沿線』No.46…平成元年(1989)4月1日

 B5判 紙数:76ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料 定価200円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、30号“楠”66〜67頁からの転載です。

      頼りになりそう

  九州から引越してきて5カ月。ただただ「とうよこ」という名に魅かれて買いました。
 友達もいないし、初めての土地なので、とっても頼りになりそうで期待してます。3年ぐらいこちらに住むと思うけど、無駄にはすごしたくないな、って思ってます。
 (港北区日吉本町・山本恵子・OL・23歳)






じつは、私も九州出身なのです。この沿線には全国から集まった多くの地方出身者が住んでいます。今回から「ふるさと自慢の連載も始まりました。あなたのご意見・投稿をお待ちしております。(山本裕二)
 

       大阪もそれなりに……

 横浜って山地ですよ。自転車でうろつくと非常に疲れてしまいます。地下鉄三ッ沢上町駅のホームは入り口からかなりもぐった所にあるのですが、あれは電車が横浜駅からの急坂を登りきれないせいではないでしょうか。まさか核シェルターがわりではないでしょうし。
 ところでNO.27の「え★なあに?」の雑談で大阪の悪口をおっしゃってた方に一言。
 ワレ、なにぬかしとん…いえ、何をおっしゃるのですか。大阪もそれなりにいい所ですよ!
 (港北区篠原北・岸田泰雄・自由業・25歳)
     

全く横浜市は山地ですよね。私も坂道に苦しめられています。三ッ沢上町駅は地下5階。「これでもか、これでもか」という感じでエスカレーターが続きますね。
 ところで、横浜市の人口は大阪市より多いってご存じ?(山本裕二


       自由が丘のケーキの情報を

 ゴルフ場で主人が初めてもらってきた本なんだけど、けっこうおもしろいですネ。
 まだ東横沿線にはひっこして来たばかりだけれど、色々なお店をもっと知りたいです。それから自由が丘のケーキの情報もおしえてほしいナ……。
 (港北区岸根町・中沢澄子・主婦・27歳)





 本誌「ケーキDEデート」の執筆者・畑田国男先生は、男だてら(?)にケーキの権威者。みずからケーキをつくるハンパじゃない、いい男。しかも自由が丘に住み、あの街の生き字引。先生の電話をお教えします。直接ぜひ!(岩田忠利)


      「ドアーエンジン」の思い出

 「幼、小、高、青春と私の思い出は東横沿線にいっぱいつまっております。田園調布で生まれ育った主婦です。
 思えば50数年前、東横線のドアーはほとんど手動でしたが、3台に1台ぐらい「ドアーエンジン」と書いたのがあり、何台も待っては「ドアーエンジン」に乗ったものです。日吉の苺狩り、綱島の桃、なつかしいことです。本当に楽しく拝見いたしました。
 (茅ヶ崎市松ヶ丘・高屋静子・主婦・60歳)






 今や東横線のすべての電車が「ドアー工ンジン」ですね。まさに隔世の感がありますが、真夏に、冷房車を心待ちにする私たちと相通ずるところがありますね。少しでもいい車両にという乗客心理は変わりません。(山本裕二)

       本当に身近な本

  西区の浅間下周辺に住んでいるので、昭和30年頃の横浜、大正の浅間神社等、興味深く見ました。母にも見せ、往時をなつかしく思い出し喜んでいます。
 なにしろこの『とうよこ沿線』は私にとって本当に身近な本と感じます。白楽で生まれ反町で育ち、浅間下で暮らしているのですから。
(西区・遠藤晴代・地方公務員・40歳)








 喜んで頂けてホントに編集のやり甲斐があります。一枚の古い写真を探すために、どれだけの苦労があるか! ある時は押し売り扱い、ある時はゴロつき新聞に間違えられ……。白楽や反町特集号もどうぞご覧ください。(岩田忠利)

          移り変わりが見られて楽しい!


 日吉で生まれて、白楽に嫁に来て、『とうよこ沿線』を読むのが何より楽しみです。港北区から一歩も出られない私。沿線の様子、東京・川崎・横浜の移り変わりが見られて楽しくて、楽しくて…。
  横浜駅の写真等は子供心に覚えています。びっくりですよネ。これからも、ぜひぜひいろいろな風景写真を見せてください。楽しみにしてます!!
 (港北区篠原西・森永ヤス子・39歳)
   






「アルバム拝借」は、毎号地域の方々のご理解とご協力で成り立っています。私たちの力だけでは、古い貴重な写真を探し出すことはできません。古い写真の情報があったら、編集室まてご一報を! (山本裕二)

       長野県と同じ地名が…

 神奈川区には、軽井沢とか浅間神社とか長野県と同じ地名がありますね。昔、地形が似ていたためなのか、と思っていますが……。
(神奈川区六角橋・保母・上原豊子・47歳)




 こういう方がいるとうれしくなります。「軽井沢」のほうはまさしく、似たような地形を表わすものと思われます。浅間下から三ツ沢に登る坂が碓氷峠ということになるのでしょう。(桑原芳哉)

       明るくなった表紙絵

 久しぶりに『とうよこ沿線』を見たら、表紙が明るいイメージに変わっていたのでビックリしました。
 今までも内容はよかったのですが、表紙が地味すぎましたね。ポルタ、シァルの広告によるところも大きいと思います。でも、まだ読みにくく、目が痛くなる記事もありますね。
 (中区港町・鈴木康夫・開業歯科医、50歳)






 

 前号NO.29では、見開き2ページのNTTのカラー広告も出ていました。本を開くと薬師丸ひろ子ちゃんが飛び出すという大胆(?)な展開に、ファンの間ではひっぱりだこになっているというウワサもちらほら…‥。(山本裕二)


      いろんな散歩道を教えて!

 横浜在住3年目の主婦です。子供が小さいので、あまり遠くには遊びに行けませんが、『とうよこ沿線』を読んで近くにいい所がたくさんあるのを知りました。
 休日になったら東横線に乗り、好きな駅で下車し、その街を散歩してみたいと思っています。これからも買い続けますので、いろいろな散歩コースを教えて下さい。
(港北区大豆戸町・緒方純子・主婦・31歳)






 うれしいお便りです。スタッフ一同、思わず気合が入ります。『とうよこ』のイラストマップは見て楽しく、使って便利。電車賃プラス200円で休日を最大限に楽しむ。これがこの秋の流行になりそう。(山本裕二)


       友達や兄にも送るつもり

 「ボィスBOX」にのせていただきまして、ありがとうございます。NO.28の栴≠買ってびっくりしました。
 「アルバム拝借」の39ページ、「昭和28年浅間神社の祭、西守稲荷神社前で」の写真に、私がいないのが不思議なくらいです。左端の洋服を着た女の子は私の親友です。今度会うときにこの本を持って行きます。ほかにも、昔の近所の友達や遠く離れた兄にも、昔をしのんでもらうために送るつもりです。
(中原区西加瀬・宗像清子・理容業・39歳)




 田園調布特集号は大変な反響があり、取材や編集の苦労もいっぺんにすっ飛んでしまいました。西守稲荷前での当の写真を提供してくださった山田運送店社長ご夫妻もご存じですよね。よろしくお伝え下さい。(岩田忠利)

      コレクションの整理法は?

  29号の“桑”の長谷川弘和家の「アルバム」はよかったです。偶然写されたのではなく、鉄道少年の氏のことですから、コレクションの一部として積極的に撮影されたのでしょう。それにしてもコレクションされたものの整理は、どうするのでしょう? 何か秘訣があるのかな。
 〈品川区小山台・田中香津子・図書館員・27歳)








  長谷川先生の本職は歯医者さん。先生のお宅に伺うと、それは見事になんでも記帳され、図書館のようにキレイに整理されています。そのコツのほどは、編集室の情報部長・くわ氏の取材で次号掲載予定です。(岩田忠利)


       私にとっては3周年

  東横線を使って図書館へ行って、受験(?)勉強をしています。日吉の編集室が線路から見えるたびに思わず手なんか振ってしまう私です。5周年おめでとうございます!!  私にとっては『とうよこ沿線』と出合って3周年なのです。
 (緑区寺山町・平本敬子・高校生・17歳)







 毎号読んでくれて、ありがとう! 君も来年は受験だね。僕みたいにハンパせず、春には栄冠を勝ち取ってほしい。そして晴れて、この編集室のドアを開け! 一刻も早く僕の目の前の原稿を手伝ってほしい。君ならできる。期待してる∃! 
(ハンパの者の福田智之)

        昔の苦労が……

 わが家も職人なので、NO.29〃桑″号の「仕事人」の原石材店さんの話は、主人と二人で興味深く読みました。むかし苦労したことが、今となっては良かったのだと思います。
  ただ、友人などに送りたいのですが、郵送料が本誌代より高いのには驚いてます。
 〈中原区小杉御殿町・中村延子・主婦・62歳〉





職人の方の仕事にかける情熱は、すさまじいものですね。全く頭が下がります。ところで郵送料の件ですが、月刊誌でないと「第二種郵便物」に指定されず、そのため「書籍小包」で郵送するのて高くなってしまうのです。(山本裕二)


       キビシサでガンバッて!

 よほど気をつけていないと駅の売店で見のがすほど地味なマガジン。表紙のトーンもおとなしすぎていつ新刊(?)が出て変わったのかもわからない。まとめ郵送はトノサマ商法。
 数多い中から手にし選ばれるようなキビシサで毎号ガンバッていただきたいと思います。沿線という特殊性から地域ファミリアル交流システムの音頭取りができるのではないかと思いますが…。
(品川区旗の台・丸山陽太朗・商店経営・46歳)




 鋭いご意見、ありがとうございます。駅売店には、おびただしい種類の雑誌が置いてあってその中て本誌が目立つことは、非常にむずかしいのです。理解あるお店では、よく目立つ場所に置いていただけるのですが…。(山本裕二)

        遅れずに発行して!

  毎号楽しく見ています。発売されると、イッキに読んでしまいます。発行予定日に遅れることのないように願います。
(中原区木月・石野明夫・無職・61歳)





 実は、昨年の秋、1カ月半も発行が遅れたことがありました。なんとか半月はとりもどしたものの、本来の奇数月発行が1カ月ずれたままになっています。とにかくスポンサーの広告が集まらないと発行できませんので。(山本裕二)


       情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。





念願かなって仲間入りすることができて光栄です。私は元年生まれ。昭和の前時代、大正です。驚いたでしょう。まだまだ元気ハツラツ。先輩にご指導をうけてご期待に添えるよう頑張ります。よろしく。
(菊名・自由人・草野桂治)




桜の季節、出産を控えて暫く里帰りいたします。キユーピィのような元気な赤子を抱いて、編集室を訪れる日を楽しみにしながら…。お世話になった皆様に産休宣言。
(日吉婦人・佐藤由美子)






「♪春は名のみの……。あの歌がとても好きです。取材で港北ニュータウンの自然が破壊されてゆくのを見るにつけ、なおさら「春」の空気が懐かしく思えます。バイクで近郊の自然・田園を訪ねたいなどと思う今日この頃です。
(祐天寺・会社員・一色隆徳)





64カ国の元首、首脳と28の世界の機構・機関の代表の大喪の儀への参列。戒厳令下さながらの厳戒もうなずけるが、弔問外交に名を借りての不人気挽回策の方は、成果は殆どなかったようだ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





例によって綱島周辺「昔の町並」再現。これはちょっと苦労します。できるだけ正確、忠実に……と一週間は完全にカンズメ。
(元住吉・石野ひでお)






世の中には、頭の固い人がいるようだ。例えば、先日新聞をにぎわした「山梨県六郷町のプール壁画事件」のように。本人は気が付かないから始末が悪い。他山の石として気を付けたいと思っている。
(菊名・本田芳治)






綱島特集号の写真撮影で編集長に同行して回ったが、駅周辺の盛況ぶりに目を見張った。しかし道路の拡張、街並の整備など、再開発の早期実現が待たれる。一日も早く美しい街に生まれ変わる日を祈りたい。
 (上野毛・杉村理一)






イラストを持って編集室を訪ねたら、編集その他全面的にやってみる気はないかとのお言葉。ふたつ返事で快諾…。下からみればオジン。上からみればハナタレ小僧の私ですが以後よろしく。
(大倉山・編集室・江川 久)






週1回大阪へ行く。菊名から新横浜へ出て、新幹線でゆくと、東京駅から行くよりも、わが家からだと40分も短縮できることを発見し、喜んでいる。JR横浜線の快速は菊名は停まらないのが玉に傷だが。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)







私は奈々子。昭和63610日生まれ。編集室では笑ったり眠ったりしているだけなのに、写真入りで載っていいのかなぁ。役に立つまで温かく見守ってください。
(元住吉・高橋奈々子)



『とうよこ沿線』次代のホープ、奈奈ちゃん








自分がやらなくたって誰かがやってくれていると思うのは、危ないことだと思う。……自分が編集室でできることを毎日せっせとやっていた“編集室のお父さん”、改めて行動することの大変さと大切さを感じている。
(元住吉・奈々子の母・高構かすみ)




もうこの会に入会して6年が過ぎました。その間、編集室にはいつも、見慣れた机や予定表、そして優しい「パパさん」の笑顔と美味しいラーメンがあったのでした――。
(都立大・大学生・吉野嘉高)





お義父様の消えかける命の炎を見つめながら、しかも同時に一日も早くと昼夜編集に取り組む編集長とママさん。そんな必死なご両人の姿に接しながらも、公的理由で思うほどのお手伝いができなかった私には、悔まれる第46号です。
(大倉山のもの好き・山室まさ)









お父さんが亡くなった。70歳だったという。私のように足かけ6年にもなると、その間お父さんと接した思い出はたくさんある。
 しかしいずれにしても、お父さんの出してくれたあのラーメンの味こそ、その思い出の頂点のような気がする。私好みの濃い口の、ダシのよくとれたあの味
は、おそらく私が食べたラーメンの中でも最も美味しい部類だったと思う。
 あのラーメンが、お父さんとともにこの世から消えていった。心からご冥福をお祈り申しあげます。
(奥沢・会社員・西野裕久)
































「綱島特集の原稿、もう全部出し終わって、出来あがりを待つばかりよ、お父さん!」。意識が薄らぐ主人を安心させるため、私はその耳元でウソをついてしまいました。手足も動かなくなった主人の首が大きく頷(うなず)く。これで安堵したのか大きく見開いていた眼を閉じ始める。そして数分後、眠るような最期でした。

 主人は昨年12月、胃がんの再発手術とは露知らず、花見の頃には治癒すると堅く信じながら病院での闘病生活を送っておりました。
 綱島特集に取り組む編集長と私は、仕事の帰途毎日訪れる病室でしたが、「俺は病いとの闘い、お前たちは仕事との戦いだ。早く帰ってやれ、身体に気をつけてな」が口癖でした。こうして私たちをいつも気遣い、どんな些細なことにも「ありがとう」の言葉を忘れない人でした。

 315日の通夜、翌日の告別式にはあれほど多くの“とうよこ沿線関係者皆様”に会葬をいただき、さぞ主人も「ありがとう」を連発していたことでありましょう。厚く御礼申し上げます。
(編集室・鈴木善子)



創刊準備段階から裏方に徹し本会の存続に尽力された「編集室のお父さん」こと、鈴木 寛(享年70歳)















本誌創刊の準備の頃、9年前から編集室の陰の力≠ノ徹しその存続に尽くしてきた義父・鈴木寛が、312日午前5時45分、胃ガンでこの世を去った。

 死の数日前まで病院のベッドの横にダンボール製の机≠ェ置かれていた。これは故人が看護婦さんから薬の空き箱をもらい、ガンに冒され歩行もままならぬ身で作った机。
 編集室の経理が心配のあまり、自宅から帳簿類を取り寄せては、この上で事務を執っていた。
 この愛情と執念は私には言葉に勝る無言の教えに思える。
(編集長・岩田忠利)

「とうよこ沿線」TOPに戻る 次ページへ
「目次」に戻る