■
|
教本片手に30センチも足を拡げ、見える裾よけ何のその、ふん張っている姿は紛れもなく着付け教室で帯と格闘している私の姿だった。 (大倉山・町田久美子)
|
■
|
胡弓という楽器を、上海旅行の際に買って参りました。三味線に似た、美しい音色の二弦の楽器です。どなたか弾ける方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。胡弓を抱えて、参上します。 (日吉・主婦・佐藤由美子)
|
■
|
最近なかなか編集室に来る暇がない。というのも、週に授業が20コマ.(1コマ90分)あり、実験がそのうち3日あって、その都度レポート(物理・化学・専門)を提出しなければいけないのである……。
(上野毛・理系の大学生・松田達生)
|
■
|
久し振りに新横浜へ降り立ってみて、全く視界が効かなくなっているのに、ビックリした。もう新羽の資生堂の研究所も、ビルとビルの間から、チョコンと顔を出している程度だ。 (自由が丘・会社員・西野裕久)
|
■
|
「原発に頼る電気のマイクもて 原発反対を叫ぶかなしさ」――今や消費電力の3分の1は原子力発電に依存しているという。それだけに危険増大とともに、益々それ無しでは済まされぬジレンマとかなしさ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)
|
■
|
大倉山のギリシャ風の商店街を行ったり来たりして、写真を撮り回りましたが、各商店の皆様の温かいご協力を得られて本当に楽しい毎日でした。人と人とのふれあいがいかに大切なことかを、今さらながら感じました。
(上野毛・杉村理一) |
■
|
風が冷たい今日この頃。自称「寒がりの王者」の営業マンとしてはつらいところです。お客様のところでコタツに入り緑茶をすすり、猫の頭をなでるのがささやかな幸せ…なんて言っちゃいけませんね。 (祐天寺・会社員・一色隆徳)
|

■(葉山・赤尾直香・学生) |
|
■
|
優雅で親切な街・大倉山は、4年前にも特集を企画したが、街全体がガラッと変わり、洋風な建物の店が並んでいる。とうよこ沿線……また横浜の名所ができた。 (妙蓮寺・会社員・菅問映二)
|
■
|
ファッションで記帳する人々、音声しか出ない証人喚問の中継、原発は必要だと思い込ませるCMなどなど…おかしなことだらけで、私の頭の中はパッパラパーなのです。
(それでも私は一国民・高橋かすみ)
|
|
■
|
久しぶりに登場です。子供が生まれて7か月も経ちましたが、毎日が子供に振り回されています。忙しくとも充実した毎日を送ってますが、少しずつでも編集に参加したいと思います。 (片倉台団地・団体職員・伊奈利夫)
|
■
|
大倉山記念館が素敵なのは、機能オンリーの画一的ではないから。今の建物にはない持ち味が生かされ、それが個性的でいい。新しい丸子橋も、現橋の持ち味を継承した美しさとなりますように…。 (元住吉・遊歩人・五十嵐 淳)
|
■
|
勤務先近くの特集は、やりにくい。無論、勤務時間外の無報酬の労働(趣味というのかなぁ)だし、「物好きねえ」と言われるのがオチだけど、なんとなく気まずくて、あまり取材に回れなかった私です。ごめんなさい。 (日吉・鈴木ゆうこ)
|
■
|
私、只今雪谷特集後の追加注文の配本などアフターケアに奔走中。「雀の子 そこのけそこのけ 私か通る ちっさ」。夕べは、“国士無双”の夢を見た。 (雪谷大塚・ピアノ教師・川島稚左)
|
■
|
アドベンチャーゲームのことで頭がいっぱいの今日この頃。一日何時間、コンピューターの前にいることか。夢の中でも証拠品片手に犯人を求めてゲーム画面と同じ風景の中を歩いている私です。 (東白楽・家事を忘れた主婦・石川映子)
|
■
|
目蒲、池上線の緑の電車がついに引退するらしい。冷房電車が増えるのは有難いが、独特の走りが楽しめなくなるのは、少しさびしい。1編成くらいなんとか残せないでしょうかねえ、西野サン? (都立大学・大学1年・吉野嘉高)
|
■
|
11月相次ぐ会員の死去。元川崎市議・小林英男氏(86)と元横浜国大学長・越村信三郎氏(81)のお二人です。時折の会合には必ず顔を出しいろいろ語ってくださった思い出が胸に迫ります。――合掌 (元住吉・石野ひでお)
|
■
|
欧州から帰国後、たて続けに友人の結婚式……11月はあっという間に過ぎてしまった。気がつけば師走。またまた本業の繁忙期がやってくる。ああ、どうして人々は盆暮に移動したがるのかしら。
(洗足・会社員・小松ゆかり)
|
■
|
大変残念なことに大晦日のウォークラリーが中止となりました。編集長から年中ハッパをかけられ、自分も76歳の掉尾を飾る(?)べく、踏破を覚悟してましたのに、惜しいこと! 本当は一寸安心しました。 (大倉山のもの好き・山室まさ)
|
■
|
「俺は子供好きじゃないけど、この赤ん坊はかわいいと。ペットと同じだね」と編集長。越村・小林両全員の相継ぐ急死に編集室は意気消沈。そこへ、かすみママに背負われた生後6カ月の可愛い盛りの奈々ちゃんが毎日訪れる。「この子は、いまにすごい女編集長になるぞ」と熊のような手であやす編集長。彼って、おじいちゃんの気分でいるのかな?
(編集室・鈴木善子)
|
■
|
50年生きてきて、今年みたいに私の黒のスーツ≠ェ活躍した年も初めてだった。 第2回ウォークラリーで幕をあけた今年は、さぞ幸先がいいだろうと期待したら、母の危篤の知らせと訃報が1月。その葬儀の3日後に、また親戚の葬儀。亡母の法事のあとは、碑の除幕式、ゴルフ練習場改装オープン、商店街プロムナード完成祝賀会とおめでた続きで、ひと息。
と、間もなく、7月は父の危篤。そして通夜と葬儀。すぐ1週間後には両親の新盆に。初秋から晩秋にかけて東京で結婚式2回、実家の前橋で1回と、お祝いが続く。
もう今年もあと1カ月足らず、これですべてが打ち止めさ、と決め込んでいたら、どどっ、ときた。
11月24日、この「編集の音」の常連、日記王・小林英男さんの急死。またもや3日後、師と仰ぐ横浜国大元学長・越村信三郎先生の予期せぬ他界。どちらも通夜と告別式にと、黒のスーツは、衣紋掛けで休む間もない。
いよいよ師走――。今度こそは、とタンスに仕舞い込んだら「申し訳ない。編集長に招待状を出し忘れました。あしたは、大倉山エルム通りの完工式です」と役員さんからの電話。今年は二度と黒のスーツは着まい、とジャケットで行った。
私の半生で、今年ほど慶弔が相前後し、私生活面で多忙だった年もなかった。そのたびに私の黒のスーツは、たった一着だけで大奮闘した。
じつはこれ、十数年前、香港旅行の折、一晩で現地仮縫い仕立ての安物。しかも、「これで出っ腹を隠せ」と友人から贈られた代物だった。
(本会代表・編集長・岩田忠利)
|