編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.671 2015.06.06 掲載

 
『とうよこ沿線』No.45…昭和63年(1988)12月20日

 B5判 紙数:76ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料 定価200円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、31号“樅”60〜61頁からの転載です。

     憧れの東横沿線に住んで……

  学生時代(成城)井ノ頭線に乗る人と中央線に乗る人は吉祥寺で別れました。井ノ頭線に乗る人達はみな渋谷から東横線に乗るのでした。中野に住んでいた私は、それが羨ましく、社会人になってからは、学芸大学、中目黒と、沿線ばかりに住んでいます。
  (目黒区青葉台・円谷喜美枝・会社員・37歳)




 東横線は私鉄では若い女性の間で人気NO.1だと聞いたことがあります。沿線で生まれ育ち、雑誌の編集までしているので、こんなお便りを読むと、ますます東横線に愛着がわき、誇らしくさえなってしまいます。(五月女恵子)


      私が大人になるまでがんばって

 こんにちは。私は梓号の時、座談会に出席いたしました戸塚の藤井桂です。その時はとても楽しかったです。また機会があったら出席したいと思っております。よろしくお願いいたします。
  今回のプレゼント「フランス料理木ノ実」に当選いたしました。おかげ様で親孝行することができました。どうもありがとうございました。
  私の家が編集室の近所だったら、私もこんな仕事をしてみたいといつも思っております。大人になったらぜひやらせて下さい。だから、それまでがんばって続けていて下さいね。
 (戸塚区中田町・藤井 桂・中学1年)     


 梓号が出た時、まだ私はただの読者だったんですけど、桂ちゃんのこと、すごくしっかりした子だなあって感心したのね。桂ちゃんが編集を手伝ってくれる頃には私いくつになってるのかしら、オソロシイ。 (五月女恵子)

      初めて当選したのです

 過日は思いがけず、高島屋の商品券を受取りまして、驚喜いたしました。いまだかつてこのような賞品に当選したことがありませんでしたので、信じられませんでした。早速使わせていただきました。
 また、楠号にカルメン≠ノついて載せていただきましてありがとうございました。早速に、反応がありました。
 (港北区太尾町・増田 久)





 高島屋の商品券は予想通り、たくさんのハガキがきていたんですが、本当にラッキーでしたね。皆さんも、誌上で伝えたいことがありましたら「えんせん回覧板」あてに何でも送ってください。(五月女恵子)


       入会したいけれど…

  こんなに面白い本があるなんて今まで全く知りませんでした。(どうもすいません…)。

ところで僕は今、高1なんですが、もし入会できるなら週12回ぐらいしか活動できないと思います。それでもOKですか?  ちなみに僕は小2の時からずっと東横線のことを深く研究してみたいなあ、と思い続けてきた鉄道ファンです。ヨ・ロ・シ・ク!
 (目黒区目黒・神蔵雅之・高校生・16歳)





こんな面白い本を知らない人、まだまだたくさんいるんですね。惜しいなあ。神蔵君は1026日に入会、「え★なあに?」でもすでに活躍してくれています。こんなふうに広がる会員の輪、いいですね。(五月女恵子)


       カナダで想う東横沿線″

  私の住むカナダは、もう冬じたくにかかっています。今ごろは、日本も寒くなってきたことでしょうね。
 今年の夏、2年ぶりに日本に帰国しました。私の生まれた武蔵小杉は大工事中、私の育った日吉は、ずい分と変わり果てていました。こうやって、年月と共に変わってゆくものは、ささやかな私の思い出と共に、自然と姿を消してゆくのですね。
 淋しいけれど、でも、こちらで知り合う日本の方に、東京−横浜の方が一人でもいたら東横線沿線ですか?≠ニふるさとを追い求めてしまう私です。
 (カナダ・T・TANAKA)








  私には日本に帰国しても戻れる家はなくなったし…そんな個所を読んだら「編集室にお寄りになって私たちとお話しませんか?」そう、お声をかけたくなりました。次に帰国なさった時にはどうぞお気軽にドアを叩いてください。“変集室”という名の通り、変わり者がわんさかお待ちしています。(五月女恵子)

    「アルバム拝借」に魅せられて

貴誌「とうよこ沿線」創刊号から1号も欠かさず愛読保存致していますが、最近は何と申しましても「アルバム拝借」のページに惹かれております。毎号毎号この連載が一番の楽しみです。そう言えば朝日新聞でも読者の写真を元にこういったページを設けていますね。これに限れば貴誌の方が先輩格ですね!!  
 今後益々の充実を期待致します。他国者の私があの写真に魅せられているのですから、古くからこの沿線にお住まいの方には感慨ひとしおの写真ばかりと想像しています。
  (港北区新吉田町・宮原嘉嗣・会社員)






いつもご愛読ありがとうございます。本誌でも人気の高い「アルバム拝借」は即、地域の歴史そのもの。そしてタイムスリップしてしまう感覚を味わえるのがいいですね。古い写真を足″で探す特集スタッフも見つけた時は疲れを忘れるとか。みなさんも古い写真をお持ちでしたら、編集室へ御一報を! (杉村理一)
  


      遠くへお嫁に行きます

  私は12号から2年程、仲間に入れていただいておりました。
 今年の4月から小さな会社の秘書的な仕事をしていましたが、社長の話を聞いて文書としてまとめるような作業の時に、そのころのことが生かされていたように思い、よい経験をしたんだな、と改めて感じ入りました。

 さて、私は、生まれて以来日吉に住んでいることを誇りに思っていましたが、このたびこの地を離れることになってしまいました。学生時代にアルバイト先で知り合った人と結婚し、福島県河沼郡会津坂下町というところに住むことになります。蔵の町≠ニしてPR中の喜多方の近くの雪深い町で、只見線という単線の列車が1日数本走るだけで、まわりは田んぼばかりのイナカです。
 遠くから『とうよこ沿線』の発展をお祈りしています。御健康に注意して御活躍ください。
  (港北区日吉・岩沢珠代・会社員・27歳)





 ご結婚おめでとう! 「マイグループ」や「クイズ」の担当で大活躍してくれた岩沢珠代さんがついにお嫁に。正直、淋しい気がします。でも雪をも溶かす熱い関係″なのでしょう。ご両人の前途に幸あれとお祈りします。里帰りの節、編集室にお寄りください。(編集長・岩田忠利)


      家族で楽しんだ「レストラン木の実」

  先日、貴誌の「5周年記念」の節に、東白楽にある「レストラン木の実」のフランス料理ご招待に運よく当選し、おいしい料理を家族でいただき、大変楽しい思いをしました。ありがとうございました。
  特に長女(小3)は大喜びで、「また行こうね。おいしかったね」と今でも話題にしております。今回は中目黒特集、前に駅前に住んでいましたので、さっそく買い求めました。時間を作って、ぜひ一度うかがいたいと思っております。
  (港北区太尾町・佐藤信子・主婦)






 よかったですね。本誌のプレゼントをこんなに喜んでいただいて、私たちも非常にうれしく思います。ぜひまた「レストラン木の実」へ、また機会があれば当編集室へお越しください。一同お待ちしております。(山本裕二)


      沿線住みやすさランキング

 先日、日吉のテニスの仲間と月例会(飲み会)を行い東横沿線における住みやすさのことを話したら、次の順番となりましたので報告します。
  1.日吉 2.大倉山 3.菊名 4.綱島 5.妙蓮寺
 みんな横浜の住人なので悪しからず。
 (神奈川区神之木台・新関正明・会社員・32歳)







 さすが日吉、編集室の地元だけあって、強いですね。綱島もがんばってますねえ。「綱島をバカにするな!」といったとこうでしょうか。あれ? 妙蓮寺が5位だって!? もっと上位に入るはずなのに……。(妙蓮寺の山本裕二)


        延べ2333名が登場の

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。




教本片手に30センチも足を拡げ、見える裾よけ何のその、ふん張っている姿は紛れもなく着付け教室で帯と格闘している私の姿だった。
(大倉山・町田久美子)






胡弓という楽器を、上海旅行の際に買って参りました。三味線に似た、美しい音色の二弦の楽器です。どなたか弾ける方がいらっしゃいましたら、是非ご連絡ください。胡弓を抱えて、参上します。
(日吉・主婦・佐藤由美子)





最近なかなか編集室に来る暇がない。というのも、週に授業が20コマ.(1コマ90分)あり、実験がそのうち3日あって、その都度レポート(物理・化学・専門)を提出しなければいけないのである……。
 (上野毛・理系の大学生・松田達生)





久し振りに新横浜へ降り立ってみて、全く視界が効かなくなっているのに、ビックリした。もう新羽の資生堂の研究所も、ビルとビルの間から、チョコンと顔を出している程度だ。
(自由が丘・会社員・西野裕久)






「原発に頼る電気のマイクもて 原発反対を叫ぶかなしさ」――今や消費電力の3分の1は原子力発電に依存しているという。それだけに危険増大とともに、益々それ無しでは済まされぬジレンマとかなしさ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





大倉山のギリシャ風の商店街を行ったり来たりして、写真を撮り回りましたが、各商店の皆様の温かいご協力を得られて本当に楽しい毎日でした。人と人とのふれあいがいかに大切なことかを、今さらながら感じました。
(上野毛・杉村理一)








風が冷たい今日この頃。自称「寒がりの王者」の営業マンとしてはつらいところです。お客様のところでコタツに入り緑茶をすすり、猫の頭をなでるのがささやかな幸せ…なんて言っちゃいけませんね。
(祐天寺・会社員・一色隆徳)



(葉山・赤尾直香・学生)






優雅で親切な街・大倉山は、4年前にも特集を企画したが、街全体がガラッと変わり、洋風な建物の店が並んでいる。とうよこ沿線……また横浜の名所ができた。
(妙蓮寺・会社員・菅問映二)







ファッションで記帳する人々、音声しか出ない証人喚問の中継、原発は必要だと思い込ませるCMなどなど…おかしなことだらけで、私の頭の中はパッパラパーなのです。
(それでも私は一国民・高橋かすみ)





久しぶりに登場です。子供が生まれて7か月も経ちましたが、毎日が子供に振り回されています。忙しくとも充実した毎日を送ってますが、少しずつでも編集に参加したいと思います。
(片倉台団地・団体職員・伊奈利夫)






大倉山記念館が素敵なのは、機能オンリーの画一的ではないから。今の建物にはない持ち味が生かされ、それが個性的でいい。新しい丸子橋も、現橋の持ち味を継承した美しさとなりますように…。
(元住吉・遊歩人・五十嵐 淳)






勤務先近くの特集は、やりにくい。無論、勤務時間外の無報酬の労働(趣味というのかなぁ)だし、「物好きねえ」と言われるのがオチだけど、なんとなく気まずくて、あまり取材に回れなかった私です。ごめんなさい。
(日吉・鈴木ゆうこ)





私、只今雪谷特集後の追加注文の配本などアフターケアに奔走中。「雀の子 そこのけそこのけ 私か通る ちっさ」。夕べは、“国士無双”の夢を見た。
(雪谷大塚・ピアノ教師・川島稚左)






アドベンチャーゲームのことで頭がいっぱいの今日この頃。一日何時間、コンピューターの前にいることか。夢の中でも証拠品片手に犯人を求めてゲーム画面と同じ風景の中を歩いている私です。
(東白楽・家事を忘れた主婦・石川映子)






目蒲、池上線の緑の電車がついに引退するらしい。冷房電車が増えるのは有難いが、独特の走りが楽しめなくなるのは、少しさびしい。1編成くらいなんとか残せないでしょうかねえ、西野サン?
(都立大学・大学1年・吉野嘉高)





11月相次ぐ会員の死去。元川崎市議・小林英男氏(86)と元横浜国大学長・越村信三郎氏(81)のお二人です。時折の会合には必ず顔を出しいろいろ語ってくださった思い出が胸に迫ります。――合掌
(元住吉・石野ひでお)





欧州から帰国後、たて続けに友人の結婚式……11月はあっという間に過ぎてしまった。気がつけば師走。またまた本業の繁忙期がやってくる。ああ、どうして人々は盆暮に移動したがるのかしら。
(洗足・会社員・小松ゆかり)






大変残念なことに大晦日のウォークラリーが中止となりました。編集長から年中ハッパをかけられ、自分も76歳の掉尾を飾る(?)べく、踏破を覚悟してましたのに、惜しいこと! 本当は一寸安心しました。
 (大倉山のもの好き・山室まさ)







「俺は子供好きじゃないけど、この赤ん坊はかわいいと。ペットと同じだね」と編集長。越村・小林両全員の相継ぐ急死に編集室は意気消沈。そこへ、かすみママに背負われた生後6カ月の可愛い盛りの奈々ちゃんが毎日訪れる。「この子は、いまにすごい女編集長になるぞ」と熊のような手であやす編集長。彼って、おじいちゃんの気分でいるのかな?
(編集室・鈴木善子)























 50年生きてきて、今年みたいに私の黒のスーツ≠ェ活躍した年も初めてだった。
 第2回ウォークラリーで幕をあけた今年は、さぞ幸先がいいだろうと期待したら、母の危篤の知らせと訃報が1月。その葬儀の3日後に、また親戚の葬儀。亡母の法事のあとは、碑の除幕式、ゴルフ練習場改装オープン、商店街プロムナード完成祝賀会とおめでた続きで、ひと息。

 と、間もなく、7月は父の危篤。そして通夜と葬儀。すぐ1週間後には両親の新盆に。初秋から晩秋にかけて東京で結婚式2回、実家の前橋で1回と、お祝いが続く。

 もう今年もあと1カ月足らず、これですべてが打ち止めさ、と決め込んでいたら、どどっ、ときた。
 1124日、この「編集の音」の常連、日記王・小林英男さんの急死。またもや3日後、師と仰ぐ横浜国大元学長・越村信三郎先生の予期せぬ他界。どちらも通夜と告別式にと、黒のスーツは、衣紋掛けで休む間もない。

 いよいよ師走――。今度こそは、とタンスに仕舞い込んだら「申し訳ない。編集長に招待状を出し忘れました。あしたは、大倉山エルム通りの完工式です」と役員さんからの電話。今年は二度と黒のスーツは着まい、とジャケットで行った。

 私の半生で、今年ほど慶弔が相前後し、私生活面で多忙だった年もなかった。そのたびに私の黒のスーツは、たった一着だけで大奮闘した。
  じつはこれ、十数年前、香港旅行の折、一晩で現地仮縫い仕立ての安物。しかも、「これで出っ腹を隠せ」と友人から贈られた代物だった。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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