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桜木町駅前の歩道橋を昇ると必ず日本丸の4本マストを振り返り「見返りのマスト」と名付けています。思えば昭和初期に定期補修で横浜ドッグに入渠した頃の第一世練習船・日本丸も、私も若かった。
(大倉山のもの好き・山室まさ)
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41号も42号も多摩川を狭んでいるが、昔は隣村同様の地。千束には代々の親戚もあり懐かしい。洗足池にもよく遊び、維新の英傑を偲んだ。今度の武蔵小山は目蒲線開通当時は一番の繁華街。43号が待たれる。ふと創刊2、3号の座談会の記事を読み返し、沿線の発展に感無量。「早く枇杷(ビワ)号を食べたい。」
(武蔵小杉・小林英男)
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東京ドームに初見参。10年前の修学旅行以来で後楽園は跡かたもなかったが、「〇〇県○○中学校の修学旅行の皆さまァー」のアナウンスは昔のまま。
(大倉山・元田舎の中学生・町田久美子)
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5月入会、早速43号に掲載できる写真の撮影に取り組みましたが、何分このような企画に参加することは初めてで、暗中模索を続けています。一日も早く協力者の一員になれるよう頑張りますので…。
(上野毛・写真狂・杉村理一)
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「花みずき通りと呼ばむ 漸くに我が住む街にも並木植えらる」――昭和28年の定住頃と比べると、街も全くキレイに、そして住みよくなったものだ。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)
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武蔵小山商店街に初めて買い物に行った日。「ママ、お山はどこ。早く行こうよー」と泣いた5歳の弟。困りながらも笑う母の顔。今や彼も29歳。母は他界。武蔵小山はちょっと懐かしい街。
(大口・主婦業大好き・石川映子)
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学校のウサギが小屋から抜け出し、地中深く穴を掘って出産。人間に甘えず、賢い母さん。しかし息子どもは、買い物袋のサニーレタスと編集室の絨たんが大好き。甘やかしてはいかんな。
(臨時ウサギの母・四手井晶子)
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5月5日のチラシ配りの日は暑かった。私の担当は洗足池周辺一帯。日頃車や自動車で中原街道を通りながら池を横目でながめる程度だったが、実際に周囲を歩くと歴史の宝庫でもあった。視点を変えると、思わぬ発見をするものだ。
(綱島・会社員・田中久雄)
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自転事で通勤している。時間にして15分。仕事も自転車で得意先まわり。一日中自転車で走りまわっているので、この夏は陽に焼けそう。子供の頃に戻れそうな今年の夏です。
(祐天寺・銀行員・一色隆徳)
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■(元住吉・石野ひでお) |
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「白内障の手術を日帰りで」という某紙記事。で、早速5月31日手術。翌日は見える人達の症例が殆どだが、私の眼は網膜症というおまけが発見されただけ。命の火が消えるまで駄目の目と付き合うしかないとは……。
(編集室・鈴木善子)
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自動車学校をやっと卒業。「車はいつ?」と聞かれるけれど、駐車場なしの狭いアパート住まいでは当分無理。駐車場借りるぐらいのお金があったら、もっといいとこへ引っ越したい。いつもこんなことばっか言ってるな。
(日吉・鈴木ゆうこ)
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いまお茶の水まで約1時間かけて通勤しているが、その間、結構本が読める。幕末から明治維新に凝っていたが、最近は明治から昭和の激動期が面白い。良し悪しは別としても、戦後の政治家はアメリカに追従ばかりしていてなさけない。
(奥沢・最近またゴルフを始めた・小田房秀)
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冷房車の窓が開いていたりすると腹が立つものです。しかし先日車内で窓が開いていたので「何だ非冷房車か」と思い、我慢していると前のおじさん「窓を閉めませんか。これ冷房車ですよ。」
(日吉・学生・大沼慎太郎)
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死んだはずのおじゃま虫がまた編集室に現われ、手足をふるわせ、「お願いです、フマキラーだけは撒かないで下さい」と言っていた。『とうよこ沿線』……懐かしいんだもんねー。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)
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■(日吉・高校生・高橋幸恵) |
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通学途中、浦和〜北浦和間の線路左側にある看板にドギモを抜かれた。「カンナは男盛」。どうやらカンナとは、木材を削る鉋(かんな)のことらしい。前号の「変」特集以来、変な物につい目がいってしまう。
(都立大学・変な学生・吉野嘉高)
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果てしない宇宙の中で出会い、共に同じ時を過ごすハメになった皆様方。これも何かのご縁です。東京は柴又、帝釈天のそばで産湯につかった者でござんす。
(日吉・劇団員・佐藤由美子)
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先日、街で階段へ降りる為に手助けを求める車椅子の人に出会った。友人ら4人と勇気を出して手伝ったけれども、すごく重かった。体力のある自分でさえ大変だった。手伝える人がいなかったら、あの人はどうするのかな。
(日吉・学生・藤本秀樹)
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うちの近くの新築マンションは、所在地が緑が丘なのに大体「自由が丘」を名乗っている。住宅展示場も「自由が丘住宅公園」だ。自由が丘はどんどん拡大し、見栄・自由が丘も増殖中。それもこれも、自由が丘の街の魅力である。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)
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はじめまして! 絵(右の絵は自作)とカヌーと幸四郎が大好きです。
よろしく!
(葉山・赤尾直香)
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将来大人になって極道息子にでもなったら「親の死に目にも会えない親不幸者になるぞ!」。子どもの頃、親から何度も言い含められた言葉であった。
7月11日夕方、前橋市の実家から「父、危篤」の電話。続いて翌晩8時、「父、死す」の訃報。が、1カ月遅れの編集に追われる私は、ついに父親の臨終に立ち会うことができなかった。
今年1月30日夜半に他界した母親のときも、そうだった。「枕元に兄弟や近しい者、みな集まっているから…」との催促の電話を徹夜続きの編集最後の追い込みのときに受けた。どうしても抜け出せなかった。通夜と告別式を済ませ、トンボ返りするのが精一杯だった。
子どもの頃はもちろん、社会人になっても両親には青少年時代よりも手を焼かせた私だった。なのに、その両親の死に目にも会えないとは……。
ああ、私は、あの天下の極道者を自認する安部譲二さんと肩を並べるほどになってしまったのだろうか。
(本会代表・編集長・岩田忠利)
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