編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.668 2015.06.03 掲載

 
『とうよこ沿線』No.42…昭和63年(1988)5月20日

 B5判 紙数:68ページ+8ページ分の綴じ込みマップ

 頒布:有料 定価200円
   
  読者と編集室との架け橋
  この「ボイスBOX」は、34号“樺”65頁からの転載です。

          いつまでもとっておきたい本ですね

「アルバム拝借」のページが、いつもすごいと思います。よく入手できたな、感心しています。これだけでも一冊の本になるのではないでしょうか。

 若者の参加が素晴らしいと思います。でも岩田さんなりの苦労があるのでしょうね。
 さらにさらに良くなっていくことでしょう。躍進を期待しています。電車の網棚には絶対に乗っていない本だと思います。誇りを持ってください。
(中原区中丸子・民話作家・萩坂 昇)









若者のパワー…いえいえ、底で支える熟年いや実年者の力も忘れてはいけません。新聞「クロス」のスタートに伴ない、主婦の方々のお力を渇望している今日この頃です。この本をアミダナに乗せる人、見たらハリ倒してやる! (おとめ)   


           横浜見物にたいへん役立ちました!

 先日、我が社(NTT)の広報誌で『とうよこ沿線』が第1回タウン誌受賞という記事を読み、ぜひ読んでみたい、見てみたいと思っていたところ、ちょうど雪国脱出、横浜見物≠ネる旅に恵まれました。

 祐天寺に下宿している息子と、横浜で落ち合い、二人とも初めての横浜で、息子の持ってきた、横浜を詳しく紹介している本をたよりに、母子で山下公園や、異文化の感じられる税関、開港記念館、県庁など…ワクワクしながら見物し、中華街で、パンクしそうな程おなかをふくらませ、満足して、田舎に帰ってきました。

 なんと、その本が『とうよこ沿線』31号・みなと横浜特集――だったのです。よく買うよ、という息子から本をもらい、家でじっくり読みながら、楽しかった旅を思い出し、ウーン!NTTもなかなか目が肥えているな、と思い我が意を得たり、といったとてもハッピーな気分です。  タウン誌大賞受賞、本当におめでとうございます。
(新潟県北魚沼郡・NTT小出電報電話局・星野節子)


じつは私も、知らない駅に降りる時は、バックナンバーをごそごそ掘り返しているのです。次号の渋谷特集も、こんなふうに渋谷見物のお供になってもらえればなあ…と願っている私達なのです。(五月女恵子)


 

          川崎に.もっと緑を!!

多摩川園駅を過ぎ、川崎市に入りますと、突然街の風景が変わってしまいます。なぜだろう、と考えてみますと、思い当たることが一つありました。「緑」です。

 私は、生まれてこの方、東横沿線から離れたことがありません。生まれは武蔵小杉、学校は田園調布、現在の住まいは新丸子、勤務先は渋谷、と本当の沿線っ子″でず。
 ところが、緑の少なさは、なにも沿線に限りません。綱島街道も、丸子橋を渡ると並木がなくなったりで、緑のない殺風景さが目立ちます。なぜ川崎には緑が少ないのでしょう。

確かに生田などには、あふれる程の緑があります。だからといって、こちらに緑がなくてもいいという理由にはならないと思います。無味乾燥な街に花を植える運動でも起こしてみたい気分です。
 東京都と神奈川県の差とか、川崎だけというだけではなく、川崎市に住むことを誇りに感じている人間の一人として、なんとかしてほしいと切実に思っております。
(中原区・新丸子・兵頭すみ子)







川崎市の場合、10年前でも全人口に対する樹木の割合は、必要量の10分の1だったといいます。それでも横浜市や東京都からの空気の流れのおかげで、川崎市民は助かっていたとか…。
  『とうよこ沿線』のシンボルマーク、シンボルカラー、そして毎号の樹木の名前は緑あふれる東横線″への願いがこめられているのです。(五月女恵子)


 

             雨の日の東横線に揺られ…

33号「元住吉特集」の写真を見ながら、30年前の元住吉の街の様子、家族や友人のことなど思い出しました。当時、駅から自宅までの間には大きな建物はなくて、法政大学の時計塔のむこうに見える東横線を見ては、「小杉の方から電車が来るよ」と話したり、満開の井田堤の桜(それは見事で、祖母に手紙を出して、花見に誘ったりしていました)の下で近所の方たちと楽しいひと時を過ごしたものです。

以前は通学に毎日利用していた東横線ですが、ここ10年余りは、年に34回行われている学生時代の悪友との飲み会に乗車するだけです。久しぶりの友人達との再会に、上気がちの私を落ち着かせようという天の配慮なのか、それは何故か、雨の日が多いのです。
  雨の降る夕暮れの中、ライトをつけてホームにすべり込んでくるステンレスの車両は、落ちついて品があって、とても素敵です。

以前は、東横線に乗ることが、日常生活の始まりだったのに、この頃は、日常生活の流れを、距離をおいて振り返るために乗車するようになってきました。
  また、そろそろ誘いの連絡が入る頃です。傘を新調しておこうかな、と考えています。
(宮前区野川・小学校教諭・井上ほつみ)






  東横線に乗らない日はないほど、私にとっても日常生活の一部になっているこの電車。今は若さを武器に目まぐるしいほどの毎日を送っていて、自分を見つめる余裕もありません。何十年かたって、こんな豊かな愛着を持って東横線を、そして人生を、振り返れたらいいなあと思います。(五月女恵子)


           懐かしい思い出をプレゼントされ…

元住吉・木月の友人から頂いた本誌「柳号」だが、「ヤア、なつかしいなァ」と思ったのは、元住吉特集記事と写真でした。戦時中勤務した東京航空計器鰍フことが出ていたからです。
 当時としてはスマートな建物で、誇らしげに通勤していたものです。現在は平和公園となっていて、戦争への反省がこめられて意義深い転身といえましょう。
 茅場町から横浜へ、東横線で月2、3回は出かけている私ですが、立派なミニコミ誌で驚いています。
(江戸川区江戸川・菊地治雄・自由業・70歳)


 東横線と共に歩んできた方々のお便り、何通も頂きました。日吉止まりの日比谷線にお乗りになった際には、これも何かのご縁…と編集室までお立ち寄りくださいネ。
(五月女恵子)

     OLだけじゃ物足りなくって…

  生意気なようだが、編集に携わる仕事が、ず――っとやりたかった。しかし、どこをどう間違えたのか、普通のOLと化してしまった。
 まあ、その方が時間的自由はあるものの、面白くない。何かやりたい……と思っている時にこの『とうよこ沿線』を見つけた。ホントに「見つけたっ」って思った。レポーターやらせてほしいな。とりあえず、決算が終わって仕事が楽になってきたら、即、伺うことにしよう。よろしくお願いしますね。
(中原区木月住吉町・井道由美・OL21歳)


  井道さんも622日に会員になり、きょうも取材に飛びまわって来ました。
  キュートという言葉がピッタリの彼女も、早くも夜の編集室の味を覚えてしまったようです。(五月女恵子)


        延べ2333名が登場の

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。




「病床の古稀の我をば励ますと 花束給びし 人のいましぬ」――胃カイヨウを切らず治すため79日間入院。人の情けと健康の有難さが身に沁みた。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





早いもので大学4年生、学生最後の年であると共に、就職の年でもあります。私は、デスクワークよりも肉体労働に向いているかなと編集室での配本・広告取り活動にて思う今日このごろです。
(日吉・酒好き大学生・藤本秀樹)






本職のお勤めと、『とうよこ沿線』の手伝いと、家事と、プライベートタイムの、ほどよいバランスがつかめてきた……と思ったのに、どうしてもペースが乱れてしまう。どれかに集中できたらなーとしみじみ思う入会3年目の春。
(日吉・鈴木ゆうこ)





25年間住んだ世田谷区から越して半年。新居にも慣れたけれど、花の季節を迎えたら、実家の庭が懐かしく思えてきた。マンションは寂しい。お里帰りしてモクレンとヤマブキを幾枝かわけてもらってこようかなあ。
(大口・目標は主婦の鑑・石川映子)





チラシ配りに行く途中、誤って事故を起こしてしまい、生まれて初めて救急車のお世話になった。停車中の車に自転車で衝突し警察沙汰になるのも珍しいが、病院帰りにちゃんとチラシを配るのも、やっぱりおかしい?
(武蔵小杉・普段は正常な会社員・戸次政明)





「ナジギ」……秋田弁でひたいのこと。先日、東横線の中で、「ナジギぶつけだ」とワイワイ騒ぐおじさんの群れに遭遇。恥ずかしいやら、懐かしいやら。
(大倉山・会社員・町田久美子)








ついに大学入学! 渋谷・新宿・池袋をすべてカバーする定期券なのだが、往復3時間半の通学で、寄り道をする気にもなれない。
(都立大学・日大1年生・吉野嘉高)












3月入会以来、目まぐるしい2カ月が終ろうとしています。ドジな私はバッグを紛失、でも正直な相川君に拾われ助かりました。どうもありがとう。
 初心はどんなことでもドーンと引き受けますと誓ったのですが、実際は大変むずかしいことばかり。次号は大丈夫かしら。
(武蔵小杉・主婦・永塚住子)








8月に赤ちゃんが生まれます。取材、広告取りでウォーキング、編集室では原稿書きで頭の体操。赤ちゃんが生まれたら本を見せてあげましょう。胎教に『とうよこ沿線』、あなたもいかがですか。
(武蔵小杉・主婦・大谷敬子)



(反町・大学生・石原辰也)





大岡山を取材などで回り始めた頃は、気がつかない人もいたのに、終盤に入ると「体に気をつけて」と声をかけていただくことも、しばしば。妊婦の体の変化と共に、心境の変化の大きさにも驚くばかりです。
(元住吉の不良妊婦・高構かすみ)






当時唯一の暖房であったタドンの炬燵でミカンと焼き芋を交互に食べてご満足の小学生を、若い皆さんは想像できますか? 物の数量は多く種類は少なかった時代からナント70年経ちました。Oh懐かしい!
(大倉山のもの好き・山室まさ)






自宅にいるとき、ふとバックナンバーのバインダーを繰ってみることがある。記事の一字一句、写真や地図の一点一点に思い出があって……。とくに「かわいい」渋谷・代官山の特集号は勤め先のロビーにも置いてある。
(祐天寺・一色隆徳)





先日、運転免許証の更新に行ってきました。講習を受けて改めて事故の恐ろしさを感じました。神奈川県は事故多発地域でもありますし、私も含めてドライバーの皆さん、くれぐれも気をつけましょうね。
(大倉山・主婦・高橋悦子)






久しぶりに大岡山の街を歩いた。というのも、20年ほど前住んでいたからだが、意外と変化がないのに驚く。自由が丘がせわしないほど、日々刻々変化する中で、ここはまるでゆっくり時が流れているかのようだ。
(自由が丘・会社員・西野裕久)






電車に乗っても、バスだけで行っても両方乗っても、全部足で行っても、たいして変わらない所へ転勤しました。都会がなつかしくなるこの頃ですが、ヒバリの声を聞きながら、チラシ配りの足を鍛えています。
(日吉・教員・四手井晶子)





1月下旬風邪をこじらせて肺炎で入院。何年ぶりかでゆっくり療養し、さまざまな人間模様に出合った今年の4月でした。
(元住吉・即席舞踊家・石野ひでお)






縄文時代の犬、柴犬の一種・縄文犬を飼い始めた。娘のピアノの先生からいただいものだが、その名を「テツ」とした。そのことを申し上げると、先生は笑ってから、おっしゃった。「主人の名前と同じです。」 スミマセン、本当に知らなかった。恐しい偶然の一致です。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)




体が大さいせいか、何かひとつ変わったことをすると周囲の人に迷惑をかけてしまう。スタッフの皆さんやバイト先のブックス・ジョイの皆さんには当分頭が上がらない。反省します。
(大倉山・学生・菅野竜也)






特集で毎回歩きまわる商店街。いろんな人との出会い、そして良い店が見つかった時の喜びは大きい。1カ月以上も同じ所をウロチョロするので買物も、ついその街で。地元日吉の皆さんゴメンナサイ。
(編集室・鈴木善子)





洗足池へ幕末活躍した勝海舟の墓を見に行った。維新後この地を気に入って住んでいたという。折しもこの日花見客、カラオケ、酒宴とさぞ海舟もうるさかっただろう。花は静かに見たい!
(東工大の桜は見事だ・会社員・小田房秀)





取材を記事にするのがこんなに大変だなんて、想像以上でした。本当に苦しみました。周りの人にかなり助けてもらって、やっとOKが出たときは、体中から力が抜けました。ほっとしました。
(綱島・会社員・八木美代子)




















連休前の編集室の夜――。大半の原稿も出稿し、残るは「映画招待コーナー」など数ページ。担当の町田久美子嬢がただ独り、室内で編集に奮闘中である。

そこへ広告担当の義母・鈴木善子がやって来て、「あら町田さん、連休中はどこへ出かけるの」「うーん……」「私なんか因果な身分よ。この仕事を始めてから日曜も休みもあったもんじゃない。そのうえ、7年間でこの本になけなしの貯金もみーんなつぎ込んじゃったしね」

こうグチる68歳の義母は、昨日退院してきたばかり。広告レイアウトに連日の徹夜が重なり、過労で鼻の奥の血管が切れたのである。
 すべて、諸悪の根源は私にある。正直私も、申し訳ないと思うと同時に、人並みに家族を旅行にでも連れて行きたい。しかし遅刊という現実が許さない。読者も広告主も、登場者も首を長くして待っている。
 「でもママさん、編集室には大きな“財産”があるでしょう、ヒトという貴重なものが…」
 「そうなの、私がこの仕事で得たそれが一番の宝なの
 私はこの言葉でやっと救われた気になった。
  本号大岡山地区特集の場合もそうだった。一人の知己も友人もいなかった。それが今、心おきなく話せる人の顔があちこちに。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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