編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.663 2015.05.30 掲載

 
『とうよこ沿線』No.37…昭和62年(1987)3月10日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

 横浜国大工学部在学中の昭和60429日入会し、以来11カ月間323日来室の記録を持つ“ミスター編集室”。異名のとおり取材・編集・広告・配本とあらゆる分野で活躍。30号と32号でデスクキャップも。
 現在は同大を卒業後、三菱樹脂兜ス塚工場勤務の社会人。誠実な人柄で、編集室内では“ヤマさん”の愛称で親しまれている。

                          元ミスター編集室

       横会社員  山本 裕二(平塚


 

 私は、このページに登場させてもらうことが長い間の夢であった。一人の人間を3分の1ページものスペースで、しかも写真入りで紹介させてもらえるというのは、私にとってこの上ない光栄である。

 この雑誌を知ったのは、57年の春のことである。菊名東急ストアのレジのそばに『とうよこ沿線』という本が置いてあり、田舎の佐賀から出てきたばかりの私は、もの珍しさについ買ってしまったのだ。読んでみるとなかなか面白い。それから本が出るのを心待ちにするようになった。

入会したのが60429日。3年間迷い続け、意を決して編集室を訪ねたその日に思わず入会してしまったのである。「何が起ころうと、とにかく編集室には行く」という生活が始まった。

 帰省時などどうしても行けない日を除いて、雨が降ろうがや槍が降ろうが泥酔していようが構わずに編集室へ通い、気づいてみたら何の才能も特徴もない私が、なんとデスクキャップを2回もやり、広告取りや配本などもやっていたのである。

 昨年暮れ、就職のため妙蓮寺から平塚へ移ったが、この編集室ほど自分の存在価値を認めてくれる場は少ないだろうと思っている。


 好評の35号・36号のサブキャップ。会員の中で唯一の渋谷在住の彼は、特集号編集上、欠かせない存在であった。当方編集スタッフとして、また大学生として多忙な毎日を送っている専修大学2年生。
 またの名を「ハンサムボーイ」と自称するが、果たしてみんなが認めているかな?

   自称ハンサム・ボーイ(?)

     専修大生  足立 将渋谷


  昭和601130日。一色隆徳さんに連れられて編集室に来たのが、入会のきっかけでした。

 初めての仕事は、32号日吉特集の「仕事人」でした。編集室内では名文の誉れ高い(!)あの文章も、実は16回もの書き直しを経て、読者の皆さんの手元に渡ったわけです。

 当時(でもないかな?)は、現在の主力スタッフの小田さん、鈴木裕子さん、斉藤かすみさんが居らず、私のような新入りでも、即ものを創る%しさと楽しさを体験することができました。

 ですが、会員唯一の渋谷住民でありながら、なかなか時間が取れずに、実際は34号で特集するはずだった渋谷特集号≠半年以上も遅らせてしまい、せっかくサブキャップに据えてもらいながら読者の皆さんや編集スタッフに迷惑をかけたのが、心苦しい限りです。

さて、最近ふと気づいたことがあります。それは、32号から今号まで、私は全号何らかの文章を書いている、ということです。自分の文章が活字になる嬉しさが、私を1年間支えていたのでしょう。そして、それに喜びを感じ続けられる限り、どうやら『とうよこ沿線』から脱け出ることは無理でしょうね。


        延べ2333名が登場の

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。

 「編集の音」登場基準が変わりました。「地域情報は歩かずして得られず」が当編集室の鉄則です。本誌の配本・新聞「クロス」配布(500部以上)に活躍した新旧会員が執筆対象。
 本誌や新聞「クロス」を小脇に抱え一軒一軒心をこめて配達する努力こそが編集のゴール――。作り手の「見えざる部分」を読者の皆様にお伝えし、作り手と読者との心の交流を図っていきます。(岩田忠利)





春近し、北から南からセンバツの鼓動が聞こえてくるこの頃、人里離れた陸の孤島での警備の仕事は本当に大変だが、当編集室の暖かい雰囲気を思い出すと、全身にファイトがわいてくるのだ。
(菊名・メモ魔の警備員・小山秀雄)





『とうよこ沿線』テレホンサービス、大変おもしろかった。今度は上野毛の五島昇さん、大倉山の佐々井典比古さんのような実業家・教育者・文化人の方で沿線の有名人を登場させたらどうだろうか。
(武蔵小杉・火災代理店・小林英男)






「まあ、しばらく」「おや、太りましたね」。年ぶりに菊名・妙蓮寺特集で街を歩くと、みなさんがこう、声をかけてくださる。ふるさとへ帰ったような懐かしさで魚の目だらけの足取りも軽い。またまた御協力の皆さまに心から感謝!
(編集室・鈴木善子)






8711日「沿線徒歩ラリー」。この日ほど横浜駅が大きく見えたことはありませんでした。
 何しろ東京・川崎・横浜、この3つの行政区分を歩き貫いてしまったのですから! 足腰の痛みなど、この感動に比べたら安い代償ですよ。
(野方・高1・高橋園子)





もう早いもので、この目蒲沿線に引っ越してきて、1年が過ぎ去ろうとしています。時々、耳の奥から湘南の波の音が静かに響くことがあるんです。そんな時、故郷湘南に帰りたくなってしまいます。
(鵜の木・会社員・中尾修二)





118日放映のTBSテレビを見た戦前の友達から電話があり、私が昔と変わらぬ動作と口調で『とうよこ沿線』を語っていたと話す。絶えていた彼女らとの音信を本誌がつないでくれました。
(大倉山のもの好き・山室まさ)





最近、めっきりうちの周りに空地が増えた。地価の高騰等によるものだろう。けれども、今までとはまた違った景色が生まれるというのも、一つの地元民のかくれた楽しみ。
(自由が丘・会社員・西野裕久)




深夜、闇にまぎれて新聞CROSSを配りはじめる。街の中をうごめいているのは、俺一人だけだぜ。まるでハードボイルド小説の主人公さっ。でもニヒルな主人公は犬に吠えられねえだろうな。うるせえ。
(綱島・お調子者の電気工事士・高田信治)






神戸に嫁いだ娘が2年半ぶりに8か月の女児を連れて暮れに里帰り。親子水入らずの賑やかな正月を迎える事ができました。孫って本当に可愛いですね。あか切れで荒れた手がきれいになって娘は姑のいる家へ帰って行きました。
(元住吉・主婦・森本陽子)





今年の抱負、若干の材料があるので、都立大学駅から田園調布駅沿線にかけての、戦前の「海軍村」のことを書かせていただきたいと願っています。当時の人がどんどん減っているだけに何か残したい気持ちです。
(緑が丘・阿部信彦)





日頃、悪文悪筆を深く自覚している私としては、この文を書くことさえ気が重いのに、『東京人』の紹介も書いてくれよ」などと編集長がのたまうので、のたうちまわる私であった。
(日吉・東京理科大学・近藤 篤)





この季節、社会に出た大勢のフレッシュマンを見るたび、新社会人当時の自分を思い出す。『とうよこ沿線』から巣立った仲間も何人かいます。仕事、大変でしょうが、「沿線」のことも忘れないでね。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)




昨春、新聞「クロス」を配って歩いた菊名・妙蓮寺。今度は特集への協賛のお願いです。話も聞いてくれない所、申し訳なさそうに断る所、ニコニコと相槌を打ってくれる所。お店によって表情も様々。面白いよね。
(日吉・猫になりたい・鈴木ゆうこ)




今回の「沿線徒歩ラリー」の責任者は私だった。しかし当日は突然寝込んでしまって参加せず、この場を借りておわびします。この企画に参加してくださった皆さま、ありがとうございました。
(溝の口・学生・橋口稔秀)





成せば成る! こんなことを年賀状に書きました。生活に追われ、時間に流され不安がつのる毎日です。とりあえず、自分の心を整理する時間を作ろう。まずはこれから成せば成る!<Kンバルぞ。
 (元住吉・働く良妻賢母?・森田景子)





卒業できたら奇跡と言われながらも単位や卒論は難なくクリアー。何をやっても様(さま)にならない奴、と陰口をたたかれながらも、春からは社会人。皆さん、期待を裏切ってごめんなさい。
(祐天寺・最後の春休み・一色隆徳)




お正月が来た、と思ったらもう2月。梅の花がチラホラと。1万円の宝くじが当たるし、観劇でラッキーカードのお土産と、それにお年玉年賀はがきの当たりが6枚も……。今年は春から縁起がよいぞ。
(元住吉・石野英夫)




はじめて原稿を書くように言われた。締め切りという恐怖を味わってみて、「もう原稿なんてイヤだ」と思った。でも、また書きたくなってしまう。不思議だなあ。
(大倉山・高校生・大城達雄)





大倉山記念館に初めて行ってみた。とても立派な建物で、丘から見える風景はモンマルトルによく似ている。夜景もキレイだ。あとカフェができると、大倉山は横浜のパリになれる!?
(奥沢・フリーエージェント・小田房秀)





















「わが交遊抄」(58頁)の取材で最寄駅・南武線平間駅、中丸子神社の隣にお住まいの民話作家・萩坂 昇先生を訪ねました。多摩川岸からも歩いて5分、執筆に疲れると、河川敷を散策なさる先生の生活は、もう60年間も。

その先生がいま、「多摩川を愛する会」を主宰し、毎月お母さんやお子さんたちと一緒に多摩川流域を歩きながら、自分たちの生き方を考え、語りあう。

 先生は突然私の前に新聞の折込みチラシをひろげて「便利屋さんに2時間以内のお話相手を頼むと、いくらだと思いますか」。答えに窮していると、「ほら、4000円ですよ。食事もお茶の相手も2時間以内、4000円だって」。うむ、私は思わず唸ってしまった。
 「仲間というのは、お金にはかえられない大切なものですねえ」と先生。
 また、最近の母親は子どもの心をダメにするとも嘆かれた。

確かに先日、私は武蔵小杉駅の東横線入口前でこんな親子の光景を目撃しました。若いお母さんとお子さんが「ママ、喉かわいちゃった〜」。母親がぱっと百円玉を渡す。と、その子は水飲み場の隣の自販機へ走り、ジュースを買って来た。
 この母子の行動に、私は萩坂先生の言葉がダブって見えました。水道の水飲み場があるのに、子どもに自販機のジュースを買い与える母親、現代はこれが正しい教育なのでしょうか。

  あなたならどう対応しますか、ジュース派それとも水飲み場派?
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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