■
|
自動車を手に入れてしまった。非常に便利な乗り物である。いくら混雑していても立つ必要がない。線路がなくても、道路さえあれば自由自在に行動できる。まさに文明の利器と言えよう。 (平塚・労働者・山本裕二)
|
■
|
もうすぐ契約切れでマンションを空けなくっちゃ。今度で5回目の引越し。どこか買っちゃえば話は簡単だけど、東横沿線はスッごく高いでしょ! 中曽根さん、住宅問題なんとかしてよッ。 (日吉・仏語講師・丸山アルメル)
|
■
|
City派感覚の東横線。その人気ナンバー1を盛り上げているのが、お嬢さま感覚の女子高生とマスコミ感覚の『とうよこ沿線』。さあ、そこのお嬢さま! PLEASINGな編集室へ! (中目黒・日曜の朝が似合う高2・神蔵雅之)
|
■
|
香港、広州、桂林、と1週間の旅。中国人が食べない物は、四ツ足では椅子とテーブル、空飛ぶ物は飛行機だけという。そんな中国料理が朝昼晩となると鼻につく。ヤッパリ日本国がなつかしい。
(元住吉・即席舞踊家・石野ひでお)
|
■
|
編集室に初めて足を運んだのは9月半ば、暑い日だった。時の過ぎるのは早いもので、今ストーブの傍らで、この原稿を書いている。冬は大の苦手だけれど、心は常に熱くありたい。
(綱島・夜型人間・久々宇 香)
|
■
|
渋谷駅とハチ公は懐かしい。大正10年東京農大に入学、東横線が渋谷発着となり、以来ハチ公にも毎日顔を合わせたわけだが、その銅像ができて初めて飼主が小生の恩師・上野博士であることがわかった。
(武蔵小杉・85歳の小林英男)
|
■
|
それは50年も昔のこと。未だ小学生だった私たちが、ある晴れた一日、青い芝生の小山で嬉々として遊んだ美しい庭園があった。その楽しさ忘れ難く、今一度あの地に立ちたし、西郷山公園ぞ……そこ、前号「代官山特集」を手に行って来ました。ありがとう。 (元住吉・50年前の少女・岡安柳糸)
|
■
|
昭和初めの路線案内図を見ていたら、目黒から多摩川園前で、東横線にはいり横浜方面に行く電車があった。将来、地下鉄乗り入れ線が同じような走り方をするという。歴史は繰り返すというが、その日が待たれる。 (緑が丘・阿部信彦)
|
■
|
東横線車内での会話。中学生A君「夜、勉強どうしてる?」B君「肝心の頁にセンベイを挟み、そこ迄くると食べるんだよ」。微笑ましい話と思ったのは十数年前のこと。良い社会人でしょうね、B君は。 (大倉山の物好き・山室まさ)
|
■
|
秋晴れの日曜日は、小3の息子、幼稚園の娘と3人で姉妹紙「クロス」の新聞500部を配りました(写真右)。娘は4歳。背伸びして郵便受けにやっと届くか、どうかの身長です。配達を終えた後の感想は、「犬のいるおウチがコワかった」。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)
|

パパとお兄ちゃん・信吾君(8歳)と一緒にクロスを配る畑田枝里子ちゃん(4歳) 撮影:畑田国男
|
|
■
|
初めて『クロス』の配布をお手伝いしました。やってみて一番感じたのは、もっと目立つ所に郵便受けを置いて欲しいな、という事でした。郵便屋さんの御苦労が少しわかったような気がします。
(中目黒・でもしか教師・松本高明)
|
|
■
|
新聞クロスを何百部と配っていると、次の日になってもビルやマンションを見る目が無意識に郵便受けを探すようになり、またその数が多いと思わず嬉しくなってしまう癖がついてしまうようだ。
(赤羽・岩井勇二郎)
|
■
|
「ごめんください。『とうよこ沿線』から配本に参りました」「今度はどこ(特集)ですか」と聞かれて嬉しかった。「代官山です。宜しくお願いします」「あ、御苦労様」と言われてホッとした。初めての配本に心のかよい合いが感じられました。 (元住吉・会社員・森本陽子)
|
■
|
転勤しました。田園都市線を使う毎日となった今、東横線を使う機会がぐっと減りました。同じ東急の電車…だけど外の景色も、乗車してる人の顔もいつもと違います。見慣れた景色となるのはいつでしょう。
(妙蓮寺へ通勤していた・かすみ)
|
■
|
武蔵小山を少し気に入っている。ここに、アーケード街が日本で初めて作られてから、ちょうど私が生きてきただけの年月がたっている。歳が同じということだけで、友だちになってしまったパターンかもしれない。 (大倉山・会社員・多胡義昭)
|
■
|
百貨店の光が消え、オフィスビルの窓一つ一つが黒く塗りつぶされてゆく。あとには車の轟音だけが耳をかすめる。夜一人で残業していると、少なからずやドラマティックな気分が味わえる。 (自由が丘・会社員・西野裕久)
|
■
|
川崎生まれの川崎育ち。生まれ育って二十?年。会社に勤め、事業を営む。今一番充実しています。仕事一筋かって? ジョーダンじゃないヨ。北風の便りを聞けば頭はスキー一色。スキー大スキー。 (元住吉・会社員+自営業・松本 淳)
|
■
|
代官山・旧山手通りの街角に立つ中年の紳士。開いた本を横にしたり縦にしたり熱心に見ている。徐行中の車内から気付いた私「あっ、うちの本!」と思わず大声を上げた。運転中の編集長、同乗の漫画家・畑田先生も「嬉しいネェ」とにっこり。
(編集室・鈴木善子)
|
■
|
発車寸前の電車に片足をつめこみ、柱にタックル! 息つく間もなく例のアナウンス、「無理なご乗車は危険ですのでおやめ下さい…」そっと窓の方に向きを変え、うつむく私。 (池尻大橋・会社員・黒田直子)
|
■
|
「秋の日にさつきが一輪咲きにけり かなしと思うその真白さの」――秋深む日の一首。 斯くて今年もつつがなく逝くか…。皆さん、どうぞ良いお年を迎えるお支度を! (武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)
|
■
|
家の近くの『とうよこ沿線』を売っている店に入ると、まず本の数を数え、目の前で『とうよこ沿線』が売れてゆくのを見るのが快感になってしまった今日この頃。
(大倉山・高校生・大城達雄)
|
■
|
力レンダーを見て、あせった! 今年の秋はことさら早く過ぎ去ってしまったように思える。20プラスα回目の誕生日が秒読みにはいるせい? はたまた 『とうよこ沿線』に入会したためか…。
(学芸大・自由人・江部智恵)
|
■
|
歳月の流れは早いもので、「わが街シリーズ」が始まってすでに3年半、連載20号となりました。
いつも思い浮かぶのは、取材で出会った皆さんの顔、顔、顔……。「沿線住民酷勢調査」にご登場願った顔≠400余名、さらに広告の件でお邪魔した折や古い写真を探しにうかがった折にお目にかかった皆さんのお顔も加えると、その数は何千名になるのでしょうか。
運転中や一服したとき、ご無沙汰している皆さんの顔が次々走馬燈のように浮かびます。なかでも脳裏から離れないのは取材のとき、あれほどお元気だったのに今は故人となられた皆さんの姿……。
身障者や寝たきり老人の歯科治療に奉仕された小林恒友さん(元住吉)、全国に数万人の子弟をもつ書道界の鬼才・青木香流さん(白楽)、日能研の創設者・高木知己さん(菊名)、毎朝6時道路を掃除してお客を待つスーパー大野屋の大野孝治さん(小杉)、創刊時から本誌の愛読者で人間国宝で有名な赤地友哉さん(大倉山)、忙しく車庫で取材した俳優・和田浩二さん(都立大)、型染″の日本の伝承者・村上元彦さん(田園調布)、坂田種苗の店長鈴木徹男さん(鶴見)、伊勢山皇大神宮の宮司・龍山正道さん(桜木町)など……。
生前ご支援くださった皆さんの御冥福をお祈りし合掌――。 (本会代表・編集長・岩田忠利)
|