編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.662 2015.05.30 掲載

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『とうよこ沿線』No.36…昭和61年(1986)12月1日

 B5判 紙数:82ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

現役で横浜国大をパスした才媛。彼女には才女にありがちな“ぶる”ところがない。素直な、おっとり型。新聞『クロス』の編集委員として、また刷り上がると配達にも活躍する。
 特技は書道。大学では混声合唱団に所属。そんな彼女の最近の悩みは、郷里佐賀で教鞭に就くか否か、とか。

                   

           やっぱり続けたい!

       横浜国大2年  山下 千鶴子(反町

 入会してそろそろ1年になります。入会理由は、多くの例に洩れず、バックナンバーを買い編集室へ行き、編集長の甘い勧誘の言葉にまんまとはまってしまったわけです。

 編集にたずさわるようになって、編集の基本的な知識やら本作りの苦労などいろいろな事を教えていただきました。でも反面、私が『とうよこ沿線』に役立っているかと言えば…?なのです。
  私っていい加減で責任感のカケラもない人間ですから、時間があって気分が乗る時は、足繁く編集室へ通うのですが、大学やサークルの方が忙しくなってくると、すぐ投げ出してしまって迷惑ばかりかけています。今年の夏休みも、みなが汗水たらして頑張っている最中、一人呑気に旅行に出かけてしまったり……。

 でも、こんな私でも受け入れてくれる編集室の懐の大きさと言いますか、文章が書けるわけでもない、絵が描けるわけでもない私を過大評価してくださる編集長の期待にも応えねばという気持ちで続けてきたような気がします。

まだまだ編集に対して甘い考えを持っているし、一冊の本を作る時間に何冊の本が読めるかなんて、打算的に考えてしまう私ですが、でもやっぱり続けたいですね。


 会員番号200番という記念すべき時が彼女の入会。それゆえにテレビにまで出演した強運の持ち主。ものおじしない心臓と行動力は男性にも顔負けしないほど。 編集室の学生部、数年後のリーダーと期待される逸材。特技は水泳と早口言葉、どこでも眠れること。まだ16歳。

    西武新宿沿線の私

     都立富士高1年  高橋 園子西武新宿線野方


 

 私が『とうよこ沿線』を知ったのは、60年の暮れ、「NTTタウン誌大賞受賞」を報じる新聞で、でした。その記事中、「受賞記念に本誌プレゼント」という文字にひかれ、無料ならと手紙を書いたのが、入会のきっかけでした。

「西武新宿線沿線の私がなぜ『とうよこ沿線』? とも思いましたが、地元を見つめ直す″といったタウン誌の存在に前から興味があったし、何より編集室が多摩川の向こうの憧れの地・横浜市″にある(?)いうことで、単純な私は入会を決めたのでした。

体力と馬力だけには自信がある私は、配本やCROSSの配達を主にやっていますが、そのとき地域の方に「ご苦労さま、頑張ってね」と励まされると、参加してよかったなと思います。
  入会してよかったと思うことはたびたびで、その第一に入会していなければ縁もなかった温かい方々や土地に出合えたということです。

 これから先、さらにファイトで頑張って、同年代の他の優秀なスタッフの方々に見劣りしないよう努力したいと思います。
 私にとって、沈みっ放しのサブマリンが少し浮きあがって水面に出ているところ=@が『とうよこ沿線』だ、と思っていますので……。


        延べ2333名が登場の

   編集の音(抜粋)


  は本号から参加した会員です。

 「編集の音」登場基準が変わりました。「地域情報は歩かずして得られず」が当編集室の鉄則です。本誌の配本・新聞「クロス」配布(500部以上)に活躍した新旧会員が執筆対象。
 本誌や新聞「クロス」を小脇に抱え一軒一軒心をこめて配達する努力こそが編集のゴール――。作り手の「見えざる部分」を読者の皆様にお伝えし、作り手と読者との心の交流を図っていきます。(岩田忠利)





自動車を手に入れてしまった。非常に便利な乗り物である。いくら混雑していても立つ必要がない。線路がなくても、道路さえあれば自由自在に行動できる。まさに文明の利器と言えよう。
(平塚・労働者・山本裕二)





もうすぐ契約切れでマンションを空けなくっちゃ。今度で5回目の引越し。どこか買っちゃえば話は簡単だけど、東横沿線はスッごく高いでしょ! 中曽根さん、住宅問題なんとかしてよッ。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)





ity派感覚の東横線。その人気ナンバー1を盛り上げているのが、お嬢さま感覚の女子高生とマスコミ感覚の『とうよこ沿線』。さあ、そこのお嬢さま! PLEASINGな編集室へ!
(中目黒・日曜の朝が似合う高2・神蔵雅之)





香港、広州、桂林、と1週間の旅。中国人が食べない物は、四ツ足では椅子とテーブル、空飛ぶ物は飛行機だけという。そんな中国料理が朝昼晩となると鼻につく。ヤッパリ日本国がなつかしい。
(元住吉・即席舞踊家・石野ひでお)





編集室に初めて足を運んだのは9月半ば、暑い日だった。時の過ぎるのは早いもので、今ストーブの傍らで、この原稿を書いている。冬は大の苦手だけれど、心は常に熱くありたい。
(綱島・夜型人間・久々宇 香)





渋谷駅とハチ公は懐かしい。大正10年東京農大に入学、東横線が渋谷発着となり、以来ハチ公にも毎日顔を合わせたわけだが、その銅像ができて初めて飼主が小生の恩師・上野博士であることがわかった。
(武蔵小杉・85歳の小林英男)





それは50年も昔のこと。未だ小学生だった私たちが、ある晴れた一日、青い芝生の小山で嬉々として遊んだ美しい庭園があった。その楽しさ忘れ難く、今一度あの地に立ちたし、西郷山公園ぞ……そこ、前号「代官山特集」を手に行って来ました。ありがとう。
(元住吉・50年前の少女・岡安柳糸)





昭和初めの路線案内図を見ていたら、目黒から多摩川園前で、東横線にはいり横浜方面に行く電車があった。将来、地下鉄乗り入れ線が同じような走り方をするという。歴史は繰り返すというが、その日が待たれる。
(緑が丘・阿部信彦)





東横線車内での会話。中学生A君「夜、勉強どうしてる?」B君「肝心の頁にセンベイを挟み、そこ迄くると食べるんだよ」。微笑ましい話と思ったのは十数年前のこと。良い社会人でしょうね、B君は。
(大倉山の物好き・山室まさ)










秋晴れの日曜日は、小3の息子、幼稚園の娘と3人で姉妹紙「クロス」の新聞500部を配りました(写真右。娘は4歳。背伸びして郵便受けにやっと届くか、どうかの身長です。配達を終えた後の感想は、「犬のいるおウチがコワかった」。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)



パパとお兄ちゃん・信吾君(8歳)と一緒にクロスを配る畑田枝里子ちゃん(4歳) 撮影:畑田国男







初めて『クロス』の配布をお手伝いしました。やってみて一番感じたのは、もっと目立つ所に郵便受けを置いて欲しいな、という事でした。郵便屋さんの御苦労が少しわかったような気がします。
(中目黒・でもしか教師・松本高明)




新聞クロスを何百部と配っていると、次の日になってもビルやマンションを見る目が無意識に郵便受けを探すようになり、またその数が多いと思わず嬉しくなってしまう癖がついてしまうようだ。
(赤羽・岩井勇二郎)






「ごめんください。『とうよこ沿線』から配本に参りました」「今度はどこ(特集)ですか」と聞かれて嬉しかった。「代官山です。宜しくお願いします」「あ、御苦労様」と言われてホッとした。初めての配本に心のかよい合いが感じられました。
(元住吉・会社員・森本陽子)





転勤しました。田園都市線を使う毎日となった今、東横線を使う機会がぐっと減りました。同じ東急の電車…だけど外の景色も、乗車してる人の顔もいつもと違います。見慣れた景色となるのはいつでしょう。
(妙蓮寺へ通勤していた・かすみ)





武蔵小山を少し気に入っている。ここに、アーケード街が日本で初めて作られてから、ちょうど私が生きてきただけの年月がたっている。歳が同じということだけで、友だちになってしまったパターンかもしれない。
(大倉山・会社員・多胡義昭)





百貨店の光が消え、オフィスビルの窓一つ一つが黒く塗りつぶされてゆく。あとには車の轟音だけが耳をかすめる。夜一人で残業していると、少なからずやドラマティックな気分が味わえる。
(自由が丘・会社員・西野裕久)




川崎生まれの川崎育ち。生まれ育って二十?年。会社に勤め、事業を営む。今一番充実しています。仕事一筋かって? ジョーダンじゃないヨ。北風の便りを聞けば頭はスキー一色。スキー大スキー。
(元住吉・会社員+自営業・松本 淳)





代官山・旧山手通りの街角に立つ中年の紳士。開いた本を横にしたり縦にしたり熱心に見ている。徐行中の車内から気付いた私「あっ、うちの本!」と思わず大声を上げた。運転中の編集長、同乗の漫画家・畑田先生も「嬉しいネェ」とにっこり。
(編集室・鈴木善子)





発車寸前の電車に片足をつめこみ、柱にタックル!  息つく間もなく例のアナウンス、「無理なご乗車は危険ですのでおやめ下さい…」そっと窓の方に向きを変え、うつむく私。
(池尻大橋・会社員・黒田直子)





「秋の日にさつきが一輪咲きにけり かなしと思うその真白さの」――秋深む日の一首。
斯くて今年もつつがなく逝くか…。皆さん、どうぞ良いお年を迎えるお支度を!
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)




家の近くの『とうよこ沿線』を売っている店に入ると、まず本の数を数え、目の前で『とうよこ沿線』が売れてゆくのを見るのが快感になってしまった今日この頃。
(大倉山・高校生・大城達雄)






力レンダーを見て、あせった! 今年の秋はことさら早く過ぎ去ってしまったように思える。20プラスα回目の誕生日が秒読みにはいるせい? はたまた 『とうよこ沿線』に入会したためか…。
(学芸大・自由人・江部智恵)





















 歳月の流れは早いもので、「わが街シリーズ」が始まってすでに3年半、連載20号となりました。

 いつも思い浮かぶのは、取材で出会った皆さんの顔、顔、顔……。「沿線住民酷勢調査」にご登場願った顔≠400余名、さらに広告の件でお邪魔した折や古い写真を探しにうかがった折にお目にかかった皆さんのお顔も加えると、その数は何千名になるのでしょうか。

 運転中や一服したとき、ご無沙汰している皆さんの顔が次々走馬燈のように浮かびます。なかでも脳裏から離れないのは取材のとき、あれほどお元気だったのに今は故人となられた皆さんの姿……。 
 
 身障者や寝たきり老人の歯科治療に奉仕された小林恒友さん(元住吉)、全国に数万人の子弟をもつ書道界の鬼才・青木香流さん(白楽)、日能研の創設者・高木知己さん(菊名)、毎朝6時道路を掃除してお客を待つスーパー大野屋の大野孝治さん(小杉)、創刊時から本誌の愛読者で人間国宝で有名な赤地友哉さん(大倉山)、忙しく車庫で取材した俳優・和田浩二さん(都立大)、型染″の日本の伝承者・村上元彦さん(田園調布)、坂田種苗の店長鈴木徹男さん(鶴見)、伊勢山皇大神宮の宮司・龍山正道さん(桜木町)など……。

 生前ご支援くださった皆さんの御冥福をお祈りし合掌――。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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