編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.661 2015.05.29 掲載

 
『とうよこ沿線』No.35…昭和61年(1986)9月30日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…


 「酷勢調査」などにイラストでプロ並みの腕を発揮している彼は、横浜翠嵐高校2年生。イラストのほかに取材から配本・新聞配りまでこなす編集室の若手有力スタッフ。
 ハッキリした明るい性格で、これからの成長が楽しみ。

              

     社会勉強室

       横浜翠嵐高校生  石原 辰也(反町




 横浜のインフォメーション会社に勤める23歳。底抜けに明るい性格は、アルコールが入るとますます強調される。
 独特のタッチのイラストが彼女の才能を物語る。34号では、奥沢特集スタッフとしても活躍。

  

  『とうよこ沿線』出会いの図

     会社員  倉田 和枝(戸越公園


        延べ2333名が登場の

   編集の音(抜粋)

  は本号から参加した会員です。



25歳になってしまった。四捨五入したら30! お肌の曲がり角(?)でもある。私がガキのころは、25歳なんてオジサンだと思っていた。そして今、私は35歳ぐらいのオッサンに見られがちである。
(平塚・労働者・山本裕二)






3年前から楽しみにしていたインドの旅が今年やっとできました。現地での料理にはなかなか慣れなくて困りましたが、いろいろと勉強になることがたくさんありました。とくに印象に残ったことは、みな貧しいのにとても明るく生活していることです。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)





新聞「クロス」3号を自由が丘一丁目で配っていたら、ある主婦は、「『とうよこ沿線』は今まで雑誌だったけど、今度は新聞になったの?」と言う。やはり関心があるなと感じた。汗を流して配り終えた時の喜びは大きい。
(菊名・会社員・小山秀雄)





今年の3月に入会した時、代官山特集の話を聞き、手伝わせてもらう事になりました。その本がやっと完成しました。少しでもお役に立てていれば良いのですが…。
(溝ノロ・専門学校生・橋口稔秀)





「人さらい」と言っても判らないので説明したら「あ、誘拐か」と領いた子がいたと知人から聞きました。では、橋のたもとや軒先に来たおこもさん(乞食)のいた時代をどこまで理解するかしら?
(大倉山のもの好き・山室まさ)





憧れの京王線に乗って、よみうりランドへ行った。残念なことに、行きも帰りも車輌が汚かった。窓ガラスが曇っている。東急線について文句ばっかり言ってきたが、今回だけは見直すことにしよう。
(大倉山・会社員・多胡義昭)





34号から始まった「博子の玉手箱」、お楽しみいただけているでしょうか。ご感想、ご意見をぜひお寄せ下さい。抽選なしで、編集室へ月曜日に御招待いたします。麦茶、グリーンティーつき。
(日吉・エッセイスト・庄田博子)





はじめまして。月末編集室におじゃまして「CROSS」の配布のみの活動をして0ヵ月、このような私を見たい人は、月末の昼間にお会いしましょう。
(大倉山・高校生・大城達雄)





昨年の夏は「中目黒」、一昨年は「都立大」を歩いていた。今年は「奥沢」と「田園調布」だった。寒いときより暑いときの方が想い出深いのはどうしてだろう。さて来年はどうしているだろうか。今年は特に暑かった。
(元住吉・石野ひでお)





中国領シルクロードを旅行してきました。ゴビ砂漠で、本物の蜃気楼を見て感激。でも、地平線まで続く砂の世界のどまん中に立っていると、不覚にも編集室のことが恋しくなってしまった私でした。
(新聞「クロス」4姉妹長女・鈴木ゆうこ)









代官山の旧山手通りに面した古い豪邸。ヨーロッパ映画に出てくるような昼なお暗い広大な敷地に西洋館が建っています。ここに毎日昼となく夜となく故人のご主人が現れ、生前の姿そのままで出没し、お話までなさるという本当の話。
(編集室・鈴木善子)



■(蒲田・石橋富士子)








8月の出来事――。昭和20年、15日は玉音放送で終戦。昭和8年、1日は中原町が川崎市に合併。昭和4年、26日は中原町2回目の町議改選で私の当選、27歳。遠くは大正18年、1日は徳川家康、江戸入城。この辺では「八朔(はっさく)」といって祝日だった。
(川崎市中原区・火災保険代理店・小林英男)




編集室に念願のワープロとファックスが導入された。遅ればせながら、我が編集室にもやっとOAの波がやってきたのかな。代官山は素敵な街だ。並木の通り、ハイセンスなお店、ウーン誰かいっしょに歩こうよ!
(自由が丘・免停中・小田房秀)




僕は赤羽に住んでいるもので、いつか『あかばね沿線』を創刊します。そして編集長になって、「NTTタウン誌大賞」を受賞したらどうしよう……と悩んだりしています。ってか!
(赤羽・FA・岩井勇二郎)





最近健康のため、代官山で降りて渋谷の会社まで歩くことにしているが、その道すがらは、決して都会の喧騒を感じさせない静かなものだ。閑静な家並、木々の緑は通勤のひと時のアクセントである。
(自由が丘・会社員・西野裕久)





入会して最初の仕事は、配本と新聞くばり。平凡な仕事なのに、とても充実感を味わった。一日一日を無駄なく過ごせるようになった。人との出会いの素晴らしさを感じた暑い夏の出来事。
(鶴見・主婦・壷田綾子)





『とうよこ沿線』のテレホンカードが多くの人々の協力で、素晴らしい物ができあがりました。是非、多くの人に見ていただきたい。一枚のカードの中には、いろいろな人の思いがこもっています。
(日吉・会社員・福井 勉)





天野渋谷区長様、原稿のお願いを快諾して頂き、誠に有難うございました。しかし、私がお手伝いした仕事は、たったこれだけ。編集長及びスタッフのみなさん、ごめんなさい!
(中目黒・でもしか教師・松本高明)






大きな町の商店街や会社訪問は楽しい。雨にも風にも暑さにも負けず、毎日話がはずむ。限られた時間の中、いろいろな知らない経験もした。『とうよこ沿線』……今日は久しぶりに青い空。 
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)

















ご縁とは、まったく不思議なものです。創刊準備の頃から今までに出会った沿線の皆様の名刺がホルダー4冊分。これほどの名刺の山の中に、代官山駅周辺の人のものはたったの一枚。それはヒルサイドテラスのオーナー・朝倉徳道社長の名刺でした。
 「郵便局の隣の隣、トモエ薬局の若旦那、小山邦雄さんのところに私の名前を出して行ってみたら? 代官山商店会を発足させたいと、一生懸命活動している人ですから」

当の小山邦雄さんにお会いするまでは、「代官山特集号」がこの世に出るとは夢想だにできませんでした。抜群の洞察力と行動力の持ち主、小山さんでした。
  彼は「代官山は数年後、急激に変化します。いまの姿を後世に語り継がなければ」と賛同され、街の有力者の皆様をつぎつぎとご紹介してくださいました。しかも、私どもスタッフのために特集取材中の仮事務所提供までしてくださった家主、潟Zフティの岡部社長も小山さんの紹介でした。
  こうした縁の連鎖が原動力になって35号代官山特集号はついに発行の運びに至りました。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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