編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.657 2015.05.27 掲載

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『とうよこ沿線』No.31…昭和60年(1985)12月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

 前号のサブキャップ。電気工事士。23歳。趣味が天体観測。星を好み、詩を書き、イラスト描く、優しいロマンチスト。深夜仲間を自宅まで次々送る“白タク”の運ちゃん役を買って出る人の好さ。
 現れるたびに服装を変える編集室きってオシャレで有名。

              

   ペンチをペンに持ちかえて

       電気工事士  高田 信治(綱島


 ドアをあけて最初に思ったこと……。レイアウト? トリミング? 級数? 歯送り?……ここの連中は本当に自分と同じ地球人なのか? 訳のわからない言葉をいいながら、チャカチャカとコマネズミのように蠢(うごめ)いている。

 なにか、大変な所に来てしまったような気がしましたよ。だってそうでしょ、普段はペンチとドライバーを握りしめてる電気工事屋さんが、本の編集をやってる所に飛び込んじゃったんだもの。

 それでも、なんとか出来るようになったのも、優しい諸先輩と、恐い恐いお姉さん(?)のお陰かな、なんて今はひたすら感謝!

 でも、まだあるんですよね。配本とかチラシ配り、それに取材! 自分はこういうの苦手なんですよね。ぜんぜん知らない人と話しするのってダメで、困ったもんです。でも編集長はしっかり私のこと、見てるんですよ。 「もっと対社会に働きかけてくれよ!」とハッパかけられたりして。これからの私の課題の一つですね、がんばりましょ。

 でも最近考えるのは、入会してよかったなと思うことですね。すごく密度の濃い時を生きてるな、と感じていることです。


 前号の「ボイスBOX」で予告したとおり、編集室の“姫君”をここに写真入りで紹介しよう。姫と言っても、おとなしく座っているわけじゃない。取材、配本と飛びまわり、日吉駅最終電車まで編集でがんばる“終電オトメ”の異名をもつ“姫”。跡見女子大2年。20 

      終電乙女

     女子大2年  五月女 恵子(反町


 私が『とうよこ沿線』を初めて見たのが妙蓮寺の石堂書店。自由が丘の特集号で、ふと見ると次号予告、反町・東神奈川特集……わあ、とうとう東横線で一番汚ない所に来たな…そうしてNO.27「梓号」を買って…。

 4月のうららかな日曜の昼下がり、編集室主催のリサイクル交換会に古着を抱えて編集室を訪れ、その日の夕方には学生部の会議にちょこんと座っていて、あっという間に「横浜のデートスポット」の取材が決まっていた…こうして私の日吉通いが始まったのです。

 きちんとした目的もないまま何となく毎日を過ごしている人の多い中、大学以外にサークル、バイト、編集と、やりたいことが多過ぎて時間が足りないほどの毎日を送っている私は幸せだと思います。あまりのハードスケジュールに疲労、寝不足でクタクタになっても(授業中に、その分休養をとっています)

 何年かしたらきっと、充実した学生生活を送れたなあ、と満足できると思うのです。
 サークルの後飲んだ日には渋谷06分、編集室に寄った日には日吉030分、今では終電が当たり前になってしまった娘を家族は半ば見捨てているようです。でも周囲が何と言おうと、こんな生活、当分は続きそうです。


         延べ2333名登場の

   編集の音(抜粋)

  は本号から参加した会員です。



あることがきっかけで、『とうよこ沿線』編集室のドアをあけました。初めてやった仕事はチラシ配りで、最初重かったチラシがどんどん軽くなっていくのは、感動ものでした。またやりたいな。
(綱島・高校2年・安達友里子)





寒いのは、大きらいです。ミジメな気持ちになってしまいます。どうして冬が来るんだろう? 夏の間は、冬が来るなんて思いもしなかったのに……。うーん、科学的な態度じゃないな。
(妙蓮寺・学生・山本裕二)





また1年が過ぎて、歳をとってしまいました。でも先日、乾物屋のおばさんが嬉しいことを言ってくれました。「アルメルさんによく似た若い女の人がマンションから出て来たけど、妹さん?」ですって。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)





アンケートハガキに答えて、数日過ぎたある日、僕は編集室におりました。何が何だかわからぬままに、担当ページをいただいてしまって、それでも頑張ってみました。結果はどんなものでしょう?
(大倉山・本屋のバイト・宮田昌裕)





隕石に吸いつけられるように編集室に来てしまいました。これからどうなることか、自分でもわからないのですが、一日も早く雰囲気に慣れるようにしたいと思っています。よろしく!
(武蔵小杉・ただの学生・大塚健嗣)





一昨年の冬は雪また雪の毎日。編集室の前は綱島街道でカーブの登り坂だからストップ車が続出。編集長と二人であと押しばかりしてたっけ。で、菊名特集号は大赤字……。スキーもだめ、雪見酒もだめ、やっぱり雪はイヤ。
(編集室・鈴木善子)





始めまして。微力ながらお手伝いを始めました。いやー、やっぱり裏方作業(広告取り)はしんどいわ。毎号皆さんが苦労して作ってきはったいう事がようわかりました。私もがんばんな、あかんな。
(菊名・自由業・岸田泰雄)





京急沿線ガイドB  大岡川プロムナード一日ノ出町から南太田まで、京急の電車は大岡川沿いに走る。川沿いには材木屋が多く、高架線なので眺めがよい。夜には伊勢佐木町のネオンも見えて、思わず。
(大倉山・図書館職員・桑原芳哉)





字を書くのがつらい! 文章に対する恐怖症になっているらしい。レポート・原書訳・原稿・私的な手紙、もうじき賀状も……といったものが身のまわりにひしめいている今日この頃、全く頭の痛む季節です。
(祐天寺・学生・一色隆徳)




ひさしぶりに来た編集室、入会して8カ月にもなるのに仕事らしい仕事は何一つしていない私。でも今号では、がんばりました。これをきっかけに、またみなさんよろしくお願いします。
(南方騎が原・信金ギャル・谷口珠子)




この号が出る頃、暮れである。もう12月、早いものだ。光陰矢の如し、『とうよこ沿線』もNO.31をすぎた。そのうちNO.100もすぐだ。「早いもんだ」を書くときがあるでしょう。
(日吉・製図や・平岡竜之)




赤手帳で市バスに乗り、すぐ降りるので柱につかまっていました。「おばあちゃん、座って下さい」「‥…・」「座らないと発車できませんヨ」。イヤーダ、私のことだった。親切な運転手さん、ごめんなさい!
(大倉山のもの好き・山室まさ)





「編集ノート」が前々号から「編集の音」に変わった。そういえば英国の新聞社が募集した国際漫画大賞コンテストテーマは“音”だった。ところで深夜暴走する「カミナリ族」の騒音も「音なしの構え」にならぬかナ。
(元住吉・石野ひでお)




赤壁、参上! と言っても忍者ではありません。始めまして、私は遠くの町の下宿生です。下宿は小田急、自宅は目蒲線沿線、毎週乗ります東横線。東海名物の変人は、“沿線ふとどき”のホームラン王です。
(武蔵新田・大学院生兼大学講師・赤壁毅彦)






岸 知博君。川崎の若人よ、頑張って! 川崎ッ子は向こうっ気が強く、バカにされてるなんて思ったことはない。歌人の岡本かの子(高津区)・女優の川崎弘子(大師)も川崎生まれ。坂本九ちゃんも川崎区にいた。ただ残念ながら一世を風靡するような大物が出ていない。
(武蔵小杉・83歳・小林英男)




あの忘れもしない1026日――所沢では六甲おろし≠ェ響きわたり、ここ日吉の編集室では僕が会員となった。たいした事件ではないが、以後よろしくお願い致します。
(中目黒・高校生・神蔵雅之)




久しぶりに行った馬車道。その裏通りで、馬の水飲み場を見つけた。そうか! 市電が通る前は、ここを馬車が通っていたんだ。それにしても、なんにも知らないね。20年以上も横浜市に住んでいて。
(日吉・カメラマン・森 邦夫)





先日、帰り際に編集長に「編集ノート」を書いて早急に持って来るように言われ困惑してしまった。筆が進みません。入会後、初めての仕事だと言うのにこんなことでは先を思い知らされる有様です。
(大倉山・会社員・秋元重雄)






何故! 勤め先が「とうよこ沿線」にあるんだ。お陰でNO.30中目黒編の広告取材が縁で会員として登録するハメになってしまった。まあいいか? 考えようによっては宝くじに当たるよりむずかしいのだから、いい出会いだ……。
(沼部・会社員・深町晴雄)





最近は“チラシの印刷屋さん”専門になってしまいましたが、新入会員も大勢いるとの事なので、こまめに編集室へ顔を出したいと思っています。
(桜木町・団休職員・伊奈利夫)




自宅の2階から町をふと眺めると、年々かなりの量で緑が減っているのに気づく。子供の頃遊んだ山や田畑は、もう見当たらない。今の子供たちは、どこでどうして遊んでいるのかな?
(綱島・会社員・内村 弘)




二子玉川遊園地がハウジングの展示場になってしまった。親子3代、思い出の多かった所だ。開場の日、さっそく行ってみたけれど、夢のようなモデルハウス街も、ボクにはゴーストタウンに見えた。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)







    『とうよこ沿線』初の朗報!

  一本の電話を、焦燥、極に達するほど待っていた。1114午後210分、ついに鳴った!
 NTT全国タウン誌フェスティバル事務局からの電話であった。義母・鈴木善子は、ずっと前からその結果を思うと、「心臓がヒャカヒャクするわ、わたし」と言っていた。受話器をもつ自分の手に心臓の鼓動が伝わるのを覚えた。

 「タウン誌大賞入賞、おめでとうございます!」――聞こえたのは、この言葉だけだった。

 この初の朗報にそばにいた高田信治君と義母、思わず机に顔を伏せたのだった。
 (本会代表・編集発行人・岩田忠利)

お陰さまで「第1回NTTタウン誌大賞」受賞!


昭和60年11月22日、品川・高輪プリンスホテルで表彰式。選考委員長・渡辺文雄さん(俳優)から表彰状を授与される本会代表・編集長の・岩田忠利と鈴木善子

   詳しくは「編集室の社会活動」をどうぞ!

  第1回NTTタウン誌大賞の審査対象、各号デスクキャップの言葉

 NO.27“梓”号

デスクキャップ
    
一色隆徳(祐天寺)

 かくいう次第で『とうよこ沿線』はこのたび賞を戴いたわけですが、それはとりもなおさず私達(編集者のみならず、スポンサー・協力者・読者皆さま御自身でもあります)の活動が、従来にも増して社会的に評価されたということです。

 「ふつうの」住民の作った住民のための雑誌、それが当誌のすべてです。私達(あなた自身です!)は、今回の受章をお互いの名誉として、沿線コミュニティの一層の発展に努めてゆきたいと思います。

 NO.28“栴”号

デスクキャップ 
 杉村みゆき(妙蓮寺)


 東横線の代表的イメージ・ステーション田園調布を取り上げた28号は、発行後の大チラシ作戦が功を奏してか、書店からは再三再四の追加注文やら、読者からのまとめ買いにテンヤワンヤ。

 「家がデカくてチラシはさばけないし、そのうえ、犬が多くて…」と嘆いていたスタッフは大喜び。
今回のタウン誌大賞でさらに浮足だってしまった私などは、慶応のイチョウの黄色いじゆうたんの上で、ついスキップなどをしたりして一。

NO.29“桑”号 

デスクキャップ
  
桑原芳哉(大倉山)


“大賞”をとったからといって別になんてこともありません。当然ですよ一などということを言う気はまったくありません。私が参加してから4年半、“大賞”と名のつくものをとるまでになった『とうよこ沿線』、本当に「やっててよかった」と思います。
 最後に、『とうよこ沿線』とこの私をここまで誰よりも強く引っぱってくれた編集長とママさん(鈴木善子さん)に、おめでとうございます。そして、ありがとうございました。

 NO.30“楠”号

デスクキャップ  
  
山本裕二(妙蓮寺)

“楠”号の編集作業は、猛暑の8月を中心に行われました。協賛広告が集まらないと発行できない私たちは、普及協力店が皆無に等しかった中目黒周辺を連日歩き回り、ずいぶんつらい思いもしました。

 しかし、納品、配本後には多くの反響があり、なかでも『アルバム拝借でとりあげた夏日漱石の松山時代の写真に写っていた当時の校長のご子息・横地さんからじきじきに激励の電話を戴き、編集室一同、「やっててよかったな」と思った次第です。

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