編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.656 2015.05.26 掲載           編集:岩田忠利

 
『とうよこ沿線』No.30…昭和60年(1985)9月28日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

 大学受験突破をめざす18歳。ラグビーで鍛えた心と体で、配本・チラシ配布・取材と大活躍。その明るい性格は編集室だけでなく予備校でも人気の的。興がのると「フレー、フレーえんせん!」と本誌にエールを送ってくれる元気者。
 

          

      青春の舞台

          予備校生  浜田 充宏(鵜の木


 「え! まさか」の出来事だった。その日は某大学の入学試験で、その帰りに最寄駅には行かず、編集室に来てしまった。というのも友人の福田君が編集室にいるので、からかい半分のつもりであった。そこにいたのは、恐い恐い、お姉さん。そして恐怖のあまりに私は入会申込書を書いてしまった。

 最初のうちは、配本やチラシ配りしかせず、文を書くという仕事からは、逃げていたのである。
 数カ月後、編集長に朝市特集のスタッフを任された。何をやっていいのか自分自身ではわからなかった。しかし仕事をやっているうちにその不安は、なくなってしまった。実際に取材に行って、自分の足で歩き、自分の目で確かめるという今までの私には出来ないことまで経験した。

 いちばん心に残っていることは、配本後の慰労会だ。みんなで、楽しく騒いで、編集室の窓から電車に向かって叫んだのである。「とうよこ沿線をよろしく!」と。

 最近、受験勉強が忙しいために、編集室にはなかなか来られないが、ひまを見つけては来たいと思う。なぜって? 私にとってこの編集室は、青春の舞台なのだから。


 白い愛車でさっそうと現れる。さぞキザな若者かと思いきや、じつに素朴な好青年。明治学院大時代は落研に所属していたというコミカルな一面も。今後も取材に、編集にダイナミックな活躍が期待される。会社員。25

    私のお宝物

     会社員  山内 順一(戸越公園


 『とうよこ沿線』との出会いは何年か前、私がまだ学生であった頃、自由が丘駅売店で手にしたのが最初。その時は、電車の中でペラペラ見ただけで着駅でゴミ箱行き。同じ200円ならやっぱり「ぴあ』を買った方がよかったとばかりにそれを買ったような記憶がある。

 それから数年後の今、どういう訳からか、自分は編集室に座っている。入会して最初に行ったのは、配本。自分が車を持っていることもあり、2人ペアで各商店を回り、集金と前号の回収、新号の配本を行うのである。ただ単に事務的に行なうだけであるのだが、日常、気付かない街の一面を見ることができてなかなか面白い。また情宣(ビラ配り)もやらされた。(あえて、やらされたと書いたのは、いい歳して恥ずかしかったから)

 参加して気づいたのは、一冊の本を出すまでに多くの人の手を借り、多くの時間をかけ、やっと出来上がるということだ。
 それだけに、自分が参加して出来上がった本、そしてそこで得た友人は数少ない自分の宝物でもある。
 あなたも、新たな宝物そして思い出づくりに、「沿線」のドアをあけて入って来てはいかが……。


        延べ2333名登場の

   編集の音(抜粋)

  は本号から参加した会員です。




「あかまきがみ、あおまきがみ、きまきがみ」これが言えなくて、ずい分バカにされてます。今年の秋こそは、うんと練習してみんなを「アッ」と言わせたいなぁ。そんなことじゃあイバれないかしら?
(妙蓮寺・学生・杉村みゆき)





真夏にはわざわざお金をかけてまで人混みの中へは割り込まない。その分はすべて冷房代に廻して家の中で涼やかに蟄居する。これが私の銷夏法。さて10月、姉弟会の旅行に一泊短歌吟行会と忙しく、実りの秋としたい。
(武蔵小杉・自由人68歳・天笠伝次郎)





今度、情報処理技術者試験を受けます。これに合格すれば、少しは今の生活に変化があると期待しているのですが…。それにしても、会社に入ってから試験に苦しめられるとは思ってもみなかった。
(日吉・会社員・福井 勉)




京急沿線ガイド(だいぶあきましたが)Aわら葺き屋根の家――金沢八景駅のすぐ裏に、わら葺き屋根の家が2軒ある。沿線で、目の前にわら葺き屋根の見える駅など、あるだろうか。自慢にはならないが…。
(大倉山・図書館職員・桑原芳哉)





7月7日、創刊5周年の飲み会。新丸子の文福へ行くのに南武線沿いに歩き、団地の若い旦那さんに道を訊き、帰りは日吉から桜木町まで熟睡して妙蓮寺駅まで若い女性に送ってもらった。この場を借りてスミマセン!
(反町・女子大生・五月女恵子)





この場を借りてスミマセン! 30号特集地、中目黒では大変お世話になりました。駅前図書館と交番・テレホンカード・愛用の自転車・定期券・急行元住吉行・筆記用具・クーラー、そして目黒銀座の皆様の温い心。
(大森・昭和枯れすすき浪人・福田智之)





真夏の炎天下、配本のお手伝いをしました。場所は綱島近辺。予想に反して、お客様の当りが良く、こんなはずがない、世間はもっと冷たいのだと思いつつも、暑さで頭がパーになっていくのでした。
(大倉山・会社員・多胡義昭)




自分の価値観あるいは概念を、すっかり覆させてしまう出来事、若しくは人物に出会う……誰しも経験したことがあるかと思います。自己変革の触媒となるような事・人、常に探し続けたいものです。
(祐天寺・学生・一色隆徳)





味覚の秋です。果物は大好きなのですが、日本の特産・柿はあまり好きではありません。でも冬になって大好きな干し柿が店先に並ぶのをとても楽しみにしています。いつもたくさん買うので、お店の人がびっくりします。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)






数年前、慶応の見知らぬユニーク学生さんがわが家の玄関に。「お宅の柿、なぜ取らないんですか? 毎日お宅の前を通るたびに気になって……」。予期せぬお尋ねに「すいません、あれ渋柿なもんで……」。どうしてるかな、あの粋人?
(編集室・鈴木善子)








えっと、最近編集室に来る回数が少なくなった。別にこれ≠ニいう理由はないんだけど…。けど編集室ってさあ、一度来ると病みつきになると思いませんかあ? だってここっておもしろいんだもん。
(日吉・高校生・田中美奈子)


(鶴見・学生・米澤 裕)








埼京線の開業で、埼玉の浦和には、「浦和」のつく駅が7つになった。東西南北の「浦和」と、中浦和、武蔵浦和、それに本家本元の浦和。それがまた全部国鉄。個性化の時代に、逆行しているのでは?
(自由が丘・会社員・西野裕久)





東横線の車窓からよく見える当編集室の外壁に大看板を作ろうという話が出て、皆でワイワイガヤガヤと…。それを一日でデッチあげようというから凄い。サテこの本が出る頃どんなものがついているかな。
(元住吉・石野ひでお)




今日、初めての編集作業(?)は、ポスターの霧吹きでした。会社と違って、和やかだし、のんびりしていて、いいなあ…。もう納品待ちだからかな。旅行のおみやげと冷麦茶、おいしかったわ!
(武蔵新城・OL・萩原直子)





大倉山公園撮影会に臨時会員で参加。その時モデル嬢の肩に下着の紐が覗いていたので隣りの人にささやくと「アレでいいの」との答。近頃街で若い女の子が背中半分下着を現わしていますね。わからない!?
(大倉山のもの好き・山室まさ)





「ぎせい豆腐とは豆腐を犠牲にして作るから、と信じて疑わなかった私は…栄養士です。(本当は“擬製”豆腐)豆腐と卵に野菜が入って、夏バテ回復にもお薦めの一品です。
(妙蓮寺・栄養士・生方由美子)





聖子ちゃんの挙式、タモリの引っ越しと今年、目黒区は注目の的。区民もみんな活気にあふれイキイキしています。そ、目黒の人は生きている。で、目白のヒトは……?
(緑が丘・漫画家・畑田国男)













 今年の夏も猛暑だった。頭上に容赦なく照りつける太陽、足元にコンクリートの照り返し、真夏の外回りは、罪なき者への釜ゆでの刑″みたいなものだ。
 止めどもない汗を拭き拭き訪ね歩く広告募集や取材活動、これこそ体験者でなければわからない。「ゴメンクダサイ」と冷房完備の建物に入るや、「『とうよこ沿線』? そんなものは、ウチは間に合ってマス」。つれなく断わられるたびに、再び炎天下に追い出される。
 おと年の夏の特集は「新横浜」、去年の猛暑の最中は「都立大学」、今年の暑中は「中目黒」であった。とくに今年の夏は、末永・福田・山本の若いトリオが私と鈴木の老人組を応援してくれて助かった。「商売は2・8(ニッパチ)が不振」というが、雑誌づくりも2月と8月をどう乗りきるかが、ポイントのようだ。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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