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人々が集い、語らえる場作り。私がMM21に期待するのは、そんな「もう一つの横浜」の姿です。新しい世界への生みの苦しみの時代に私達は生きています。あなたならどんな横浜を作りますか。 (妙蓮寺・会社員・須藤優子)
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南武線武蔵小杉駅が新装。小杉町3丁目は近くなったが、川崎行には階段がふえた。壁画多摩八景はすばらしいが、絵は6つしかない。バス発着点も大移動。駅前交番はいつしか駅横へ。駅のシンボル八百八橋の碑を早く復元して! (武蔵小杉・火災保険代理店・小林英男)
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温故知新、4月28日、日本丸展示始めを観に行きました。見事な展帆には驚きました。戦後一生懸命仕事をしてきた帆船はだまって私達を威圧するように、また何か語りかけるように静かに立っていました。しかし何を語りたいのか、家に帰って静かに考えました。 (日吉・製図や・平岡竜之)
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「今の世に残る絵島の物語り 人愛しみて 跡を訪め来る」高遠吟行会での一首。
権力に驕れる者の儚なさと空しさ。今の世に高遠城主であった人の名など憶えている人が、果たして何人いるだろうか。
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)
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夏の匂いってありますよね。潮風やひまわりや、太陽に照りつけられた土の香りが混ざったような――。今年もそんな匂いを感じていたい。都会じゃ無理かしら? 学生時代の夏は、残すところあと2回。 (妙蓮寺・大学生・杉村みゆき)
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この会も本号で創刊5周年を迎えた。これまでにはいろいろなことがあったイバラの道だったろうが、今年はまた、ひと脱皮し更に成長してゆくだろう、イヤそうなることを願うメンバーの一人です。 (元住吉・石野ひでお)
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『とうよこ沿線』を読んでいて、頭の中が『とうよこ沿線』でいっぱいになり、思わず電車に飛び乗り、編集室のドアをあけてしまった僕。こんな僕をとってもかわいいと思います。 (妙蓮寺・本当はかわいくない学生・山本裕二)
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よこはま――ぼくはこの街が好きだ。使いやすいし、雰囲気もいいし、それでいて他にない情緒がある。♪ハーバーライトが朝日に変わる……ちょっと古かったかなぁ……。
(自由が丘・会社員・西野裕久)
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また夏がやってくる。いつもながら時のたつのは早いものだ。いつしか秋になり、冬が過ぎ、春が訪れ、そして夏に戻る。一年を顧ると、日常は余りに他愛なく、成果とは残像であることに気づく。 (祐天寺・学生・一色隆徳)
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子猫が生まれました。虎模様のかわいいのが5匹。いつもは優しく子猫と遊んでいるママ猫も、庭にしっぽの曲がった犬が来ると途端に顔つきが変わります。どこの世界も母は強いのですね。 (綱島・病院職員・嶋田美佐子)
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最近は、編集室も活発になってきましたね。僕が入ってからもう20名位入って、より上昇してきたようです。もっともっと入ってもらいたいですね。僕もいそがしいのですが頑張ります。 (奥沢・高校生・平林知長)
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知ったかぶって鼻を高くする人。百も承知で知らないふりをする人。どちらも快くお付き合いしかねます。ところで編集室のスタッフは、優秀なフツウの人達の集まりなので楽しいんですよ、ね!
(大倉山のもの好き・山室まさ)
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近くの公園の横を夕暮れ時通ると、コウモリが飛び交うのに出合う。小さい公園なのに、いやに木が生い茂っている。昼間元気に走り回って遊んでいる子供達を木の間から、うつらうつらん眺めているのかしら?
(大倉山・主婦・長谷川千恵子)
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30代最後の誕生日を迎える。あと1年オンナを演じ、40代になったら女を演じるようになりたい。そしておんなで死ねたら…。なんちゃって。
(学芸大学・悪足掻きの主婦・小池康子)
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「類は類を呼ぶ」と言いますが、学生の時の友人が毎年一人ずつ結婚していくなかで、まさかあいつだけには先を越されたくない思いの強い親友が式をあげる。独身貴族もいいけど、私も人並みになりたい。
(日吉・会社員・山田光雄)
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「編集ノート」を書くたびに恥ずかしくなります。この1年間私が『とうよこ沿線』にしたことと言えば、原稿を書いて編集ノートを書くだけ。もっと配本とかいろいろしたいのですが、本当にスタッフの皆さんごめんなさい。 (日吉・フランス語講師・アルメル・マンジュノ)
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田園調布特集の日々は春爛漫の花盛り。丸子橋から見渡す桜の霞、色とりどりの花咲き乱れる住宅街を車で回りながら「酒と肴の無いのが無念」とぼやいてた編集長。すてきな夫妻との出会いと花見に恵まれた、いい春でしたね。 (編集室・鈴木善子)
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独りの昼休み、ビル裏に思わぬ小路をみつけて遊ぶ。綿帽子タンポポの路を歩いていると、ボケッとしているのが気に入られたのかサラリーマン風の男性にお茶に誘われた。勿論断りましたが。
(田園調布・広告の会社勤務・中島雅子)
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わーい、念願のスタッフになれたぞ! とニコニコしていたら、いきなり原稿をまかされて四苦八苦。原稿なんか嫌いだぁと思ったけど、終わると、うん、またやりたい。こんな私は二重人格かしら?
(日吉・高校2年・田中美奈子)
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『とうよこ沿線』5周年記念号、本日発売。皆様のご協力、感謝・感謝の号なのだ。私も何かを記念にと自分の書いた詩に曲をつけ、『とうよこ沿線』の歌を作ってみた。 『とうよこ沿線』……歌ってみて。
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)
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創刊5周年記念号の終わりに
外はうっとうしい梅雨。そのうえ、きょうは台風のおまけ付きの豪雨だ。矢上川が氾濫しなけりゃよいが……と気にしながらペンを走らせる。
出来たての雑誌特有のインクの匂いがする昭和55年7月7日納品の創刊号、胸ときめかせながら開いたのもこんな梅雨空の日であった。あれから、もう5年――。指折り数えると、60カ月、1825日が過ぎたことになる。なのに、自分の気持ちと進歩のほどはちっとも変わっていない。ただ自分の周囲だけが凄い勢いで変化しているように思える。
いま私の後ろで何やら独り言をつぶやきながら原稿を書く桑原君、彼も大学2年生で参加して、もうパリッとした公務員。ハイ、ハイと返事をしていた小学生のイソッペ君は、この春高校の空手部に所属し、ときには「オッスー」と挨拶して編集室に現われるとか。ともかくスタッフ諸君は、各人能力や個性に応じ、それなりに変わった。という私は、悲しいかな、ときどき天眼鏡をもつに至ったことくらいである。
それにしてもこの5年間、何千人という沿線の人々にご迷惑をおかけした。この不況の折、広告をお願いしたスポンサーの皆さま。真夜中、いや太陽が昇るまで原稿を書かせたスタッフ諸君。みなさんには、なんとお礼の言葉を申し上げるべきか。ゴメンネ! アリガトウ! さらにヨロシク! でご勘弁を。 (本会代表・編集長・岩田忠利)
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