編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.650 2015.05.22 掲載

 
『とうよこ沿線』No.24…昭和59年(1984)10月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…
 代官山に生まれ、今の横浜国大工学部(旧制・横浜高工)に学ぶ。70歳。ご存知『とうよこ沿線物語』執筆者。軽妙洒脱ま文体は人柄そのもので、各主管好物に健筆、ファンが多い。とくに「呑川物語」、5年間全国の戦友に送り続ける「野重1だより」は稀有なもの。

    3年間の「とうよこ沿線物語」

      会社役員  前川 正男(都立大学


 目黒区郷土研究会の役員会の席上、山本副会長から『とうよこ沿線』という,タウン誌が配られた。
 体裁、内容とも、大変立派な本だと思った。しばらくして、自由が丘の熊野神社社務所で「古老に聞く」という座談会が開かれたとき、また、山本先生が『とうよこ沿線』の最近号を配られた。みると内容はますます充実している。

 そこで、バックナンバーを全部揃えたくなり、日吉の編集室へ伺いドアをあけた。幸い岩田編集長がいて、入会し、毎号送ってもらうように依頼した。
 「慶応の先生かと思いましたよ」
 と後に言われた。

 それから「とうよこ沿線物語」渋谷編(6号・567月の榎号)から書きはじめ、代官山、中目黒……と桜木町まできた。約3年間かかった。
 この3年間の反響はスサマジク、新しい情報が沢山舞い込んだが「続沿線物語」を書く元気も無いので、沿線風土記″として今度は、駅にとらわれない読物を書いてみようかと、夜もすがら考えている最中である。

 横浜市立神奈川中学3年、15歳。編集室話題の“神中シスターズ”の中核。『とうよこ沿線』イラスト・マンガ大会で入賞の実績を持つ。一見かわいらしい女の子だが、その実は……。広く何にでも興味を持つようだが、今は受験勉強中。

           

  苦しみを乗り越えると…

   神奈川中学3年  中岡 奈津美(妙蓮寺



 「もしもし、こちら『とうよこ沿線』です。座談会に出ませんか?」――きっと、写真とか載って目立てるんじゃないかしらん。と、甘い考えで日吉の駅を降り立った私でした。方向オンチで駅から何分もかからない編集室まで、20分かかってやっと着いた私でした。
 
 そんな私の前に編集長は入会申込書を持ってきて、こうおっしゃったのです。

 「会員じゃないと、座談会には出られないよ」。なにか、だまされたような気もしましたが、

「まあ、小さい頃から東横線大好きなのだから」と、ファンクラブにでも入るつもりで、気軽に申込書を書いた私でした。

 今、思うと苦しみの中に自ら飛び込んでいった私でした。何十冊もの本をかかえ配本に行った冬の日。えんせんっ子のみんなと、汗だくになりながら川の流れをたどって行った夏の日。PRのための無料配布では、関心を持ってくれる人もいれば、まったく無関心で私達の話を聴いてくれない人も中にはいて、世の中の厳しさを知った私でした。

 でも、その苦しみを乗り越えた時、さわやかな風が、暖かい日射しとともにやってくるのです。
 学校ではけっして習うことの出来ないことを、『とうよこ沿線』は与えてくれて、どうもありがとう。

 蒲田の日本工学院専門学校の2年、20歳。川崎高時代は陸上選手で仲間内ではちょっと知られた 存在だった。最近はバイトで水泳を教えていたという“水陸両用人間”。明るいスポーツマンの又の名を「エヘへおじさん」と呼ぶ。エヘ、エヘヘ……。 

       編集の実践は…

   専門学校2年  戸次 政明(武蔵小杉



 『とうよこ沿線』に入ったきっかけは、昨年の暮れ、府中県道端の中原ホンダで本誌を手に取ってから。

 特に武蔵小杉について載っている本がほしくなり、その日の夕方編集室へ。気がついたら入会申込書を書いていたという次第。

 以来、私は特集の一部のレイアウトや配本を中心に活動しています。
 家業が写真植字(印刷業のひとつ)なので、本が印刷されるまでの工程はだいたい知っていました。が、企画・編集に関しては右も左もわからず、仕事を実際にやりながら一つ一つ覚えていきました。
 「私の街のベスト店」のレイアウトで、時間ばかりが過ぎていき気が付いたら朝だった、なんてことは毎度のこと。忙しい時は体がいくつあっても足りない! という感じ。級数計算(文字の大きさと配置を決める手段のひとつ)は知っていても、実践には生かせませんでした。

 タウン誌を作り出すというのは、非常に大きな苦労がつきまとうものです。それだけに一冊の本が出来上がった喜びは、大きいのです。
 特に自分で取材したり、レイアウトしたりした結果が活字となって後々まで残るというのは、普段では味わうことのできない、貴重な体験ですね。


          延べ2333名登場の

   編集の音(抜粋)

    は本号から参加した会員です。







721日、市内のタウン誌編集者が「細郷横浜市長と語る会」に招かれた。私も編集長と出席。市長、市職員の地域雑誌に対する深いご理解と温情にただただ驚嘆。本牧のヘリポートからへリコプターに搭乗し東横沿線・田園都市線沿線・市街地・横浜港などを視察。さすが文化発祥の地ヨコハマなりと痛感、大感激の一日でした。
(編集室・鈴木善子)






川崎市制施行60周年で、71日に市長から表彰を受けた。「市政だより」には市長、市会議長と並んで紹介され、TVK42チャンネル・神奈川テレビ)の川崎の時間にも登場できた。8月には家族でオーストラリアヘ。
(武蔵小杉・火災保険代理店・小林英男)





私の苦労はやっと終わりました。日本の暑い夏も、涼しすぎるクーラーも嫌いだから。喫茶店でも電車でも家の中でも今年も生きた心地がしませんでした。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)





一粒のお米を作るのに88回人の手を掛けると言いますが、この緑色の『とうよこ沿線』が発行されるまでに、何人の手を通るのでしょうか。今まで、何気なく手にしていた雑誌にも、心が留まります。
(日吉・主婦・山田ルミ子)





ないないづくし、ないづくし。まずは月並み、お金がない。不思議と何故だか時間もない。大学行ける頭もない。鳴呼、ないづくし!! あるのは恥と赤点だけかぁ!?
(大森・高3生・福田智之)





「アナグラム」って知ってますか。たとえば「ふくだともゆき」なら「ゆきだともふく」のように、文字を組みかえるのです。で、「反町」のアナグラムが…「ちんた〇」(下ネタですみません)。
(大倉山・相変わらず学生・桑原芳哉)





暑い、暑い、と家事には手抜きをしても、涼しい部屋からロスの日本選手に熱い声援を送っていられるのは、専業主婦だからかな、と何かに感謝しつつも、ニンマリしています。オリンピック万歳!!
(大倉山・主婦・長谷川千恵子)





613日会員ナンバー“100番”という区切りのいい会貝証を頂いて入会。以来、犬も歩けば棒に当たる協賛広告を求めて都立大の街をウロついた。そこにはサラリーマン生活では得られぬ出会いがあり、発見があった。
(目白・会社員・三木孝二)





「冷害が今年も農家を歎かすか 梅雨も明けぬに萩の花咲く」青森地方では苗が育たず、今年の稲作は諦めた人もいるとの放送に胸を痛めていたので、この夏はもっと暑くなれ! と声援の毎日でした。
(武蔵小杉・農家育ちの・天笠伝次郎)






富士山に登った。御来光・雲海・下界のパノラマ……黎明は期待通りの素晴らしさ。夜は夜で満天の星。思わず見とれていると、無数の流れ星――願をかけたけど、何ひとつ叶わず……あれこれと欲ばったせいかな? 我ながらセコかった。
(秋も飽きぬ祐天寺・学生・一色隆徳)





『とうよこ沿線』に入って約2カ月。初仕事は横浜方面の配本でした。今年の夏に生まれた次男も2カ月となり家族も増え、2児の親として仕事にスポーツに秋本番、収穫の秋、益々がんばります。
(菊名・会社員・小山秀雄)






真言宗のお寺の友達が、お念仏講のおばあさん達がイトも熱心なお念仏の稽古の後でお茶を頂きながら、お嫁さんの悪口を言っていたと笑っていました。そんなおばあさんになりたくないナと思いましたっけ。これ、昭和10頃のお話です。
(大倉山のもの好き・山室まさ)




夏といえば北海道。川崎からバイクでギンギンにフッ飛ばして北海道の民宿や旅館で海と山の幸を食べ、生ビールを飲んだ。もうそれだけで最高!
(新丸子・フリー・田地修一)





ロマンチックな秋になりました。秋の夜長、ロッキングチェアに揺れながら、クラッシックの名曲をBGMに大好きな詩集を読む。そしてそばにステキな人がいたら……な〜んちゃって!
(菊名・会社員・斉藤敦子)






この「編集ノート」を書く条件。発行号の編集スタッフ。発行号の広告活動者。前号の配本活動者。以上3点に準じ、編集長が認めた者。このどれか一つでも満たしている者。該当項目なしでもイイのかな…。
(旗の台・オチコボレ講師・阿部 正)





そろそろ秋の兆しが見えてまいりました今日この頃。皆様いかがお過ごしですか。私は元気です。ありがとう。でもこれから地獄のような冬になるかと思うと、一挙に元気もなくなります。
(多摩川園・学生・石井麻理)





わたしの家はあったかい。じつにあったかい。毎日34度の日が続く。厳しい寒さの冬が来たら、かつてこんな日があったことを思い出して暖まろうっと。
(妙蓮寺・公務員・込宮紀子)




最近、私が感じたうれしい事は、マスコミでは何だかんだとたたかれている現代っ子なのに、さわやかな青年達と、『とうよこ沿線』で出会えたことです。心当たりの方、私の期待を裏切らないでね。
(学芸大・主婦・小池康子)





8月に入会しました。入会した当日、大倉山駅前で小スズメを拾ってしまい、今ではスズメの母として、悪戦苦闘の毎日を送っています。
(大倉山・横浜市大4年・中西好美)






85日朝630分編集室に集合。特集大倉山<`ラシを各家のポストに配って回りました。朝からもうムンムンするし、急に雨が降ってくるし、汗と雨でズブ濡れ。皆さんにももう少し本作りと広報活動の苦労を理解してほしいですね。
(綱島・建築業・加藤 清)








本号の発行が1カ月も遅れたこと、愛読者の皆さまに深くお詫び申し上げます。
 言い訳めいて恐縮ですが、本号の取材・編集中のこの夏は観測史上空前の猛暑、弱体な編集休制をモロに直撃した形になってしまいました。昼間の本業に疲れ編集室に現れないスタッフたち、暑さにダラけた学生諸君、広告募集の主軸・鈴木善子のケガ、そして私ですら歯痛に悩む毎日でした。
 次号は秋。スタッフ一丸となって頑張ります。
(編集長・岩田忠利)

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