投げかける言葉「3つのタイプ」
正月の三が日を除くと殆ど毎日、取材や広告のことで東横沿線を飛び歩く。すると訪ねた先できまって私に投げかける言葉がある。話の内容はだいたい「3つのタイプ」に分けられる。
一つは「ところで岩田さん、本業は何ですか」とくる。『とうよこ沿線』が私の本業の片手間で生まれると思っているタイプである。
二つ目は「大変なコトですね、ご苦労さまです」。取材先や広告提供先のみなさんが雑誌づくりの現状がある程度わかり、その労苦に同情してくれるタイプ。
三つ目は「楽しそうですね、私もそういうコトができたらねえ」。雑誌づくりの楽しそうな一面のみを見て、羨望の眼でみるタイプ。
この沿線では地域雑誌は数少ない。こういった類の雑誌をつくる人間は、よほどヒマ人か、よほど道楽者とでも観ているのだろうか。
地味で根気がいる編集作業
1のタイプ「本業は」の質問のご仁は、大抵活字とは縁遠い人が多い。雑誌や本は読むがこれを作ることの経験がない人たち。無理はない。私もそうだった。雑誌を継続して発行するにはどれほどのエネルギーが必要で、どれほどの時間を要するか……、ホントのこといえばこの雑誌発行の言い出しっぺになるまで本人の私すら、知らなかった。
当編集室の古手の会員の中にも原稿を書いて持ち込めば、それを印刷屋さんが適当に活字に組んで雑誌にすると思っているのだ。
雑誌作りとは、本当は地味で根気のいる仕事である。編集のデスクワークはとくにそうだ。なかなか書いてくれない執筆者に“心を鬼にして”何度も何度も原稿の催促を電話や自宅訪問で行うのである。原稿が来れば一文字一文字を数えて白紙のレイアウト用紙に1行に何文字並べてページを組むか、それに写真やイラストを配していかに読者が見やすく、楽しく読んでもらうかを設計する。ただ、写真やイラストが揃っていなければそれもできない。遅れている場合はカメラマンや絵を描く人にも催促するのだ。
表紙の裏表4ページと広告誌面を含めた本文72ページが全部揃うまで、編集室はまさに戦場≠ニなる。
出稿してほっとする間もなく、枚正刷りが届く。初校、再校、3校と編集室と印刷所の間を原稿が3往復する。その間、カラー誌面の色校正、そして最終の製版作業のチェックである青焼き校正、あわせて5種類の校正作業がある。それが終わって、ようやく印刷工程の輪転機にかけられるのである。
自前の販売網づくりと配本
地域雑誌がマスコミ雑誌と異なるのは、配本まで編集室スタッフがしなければならない点にある。出版物を書店などの小売業者に卸す取次業者は巨大な全国組織であって、狭い一定地域を対象とした地域雑誌などは相手にしないのである。
『とうよこ沿線』を置いてくれる店や施設を一軒一軒訪ね歩いて本誌発行の趣旨を説明する販売協力店探しも自助努力。無料配布の3号まではその労力が不要だったが、有料となるとその販売網を自前で構築しなければならない。 昼間は取材や広告営業に回り、その開拓作業は夜間。夕食後、義母・鈴木善子と毎晩地域を決めて書店・喫茶店・レストラン・スーパー・クリーニング店などを回って協力を頼み歩くのである。そして発行の都度そこへ雑誌を届けるのだが、わずかな代金でもその場で清算する仕事(納品書・請求書・領収書の作成と新刊のポスター貼り)があるのである。
本誌の配本先は、販売店・協賛店(6月現在800軒)、広告提供先、誌面登場者、グリーンメンバーのみなさんのお宅まで配本するので、その数は合わせて1500軒を超える。
トラックに積まれた『とうよこ沿線』、これが納品になると、またもやハチの巣をつっついたような騒ぎに……。会員各人の担当配布地域は渋谷〜横浜元町・伊勢佐木町の間の東横線地域、溝の口〜鹿島田の南武線沿線、二子玉川園〜旗の台の大井町線沿線、大口〜長津田の横浜線沿線……と配本エリアはかなり広範囲である。会員はそれらの各地域のうち、土地カンのある地域と担当が決まっている。
会員は納品の知らせを受けると、一斉に車で編集室へ。綱島街道端の編集室前には車がずらーっと並ぶ。そして、二人一組でそれぞれに上記の“配本七つ道具”を持って各担当地域へ出発する。
これらの業務を2カ月に1回ずつ反復するのであるが、私の仕事はこれ以外に入会希望者との面談、来客の応対、資金源である広告集めなどの重要な仕事が待っている。
創刊2、3号までは本業の経営診断や執筆もやっていたが、有料にした4号からは盆も正月もない始末。カネもヒマもない私に「一年一度くらい旅行に連れてって」と家族にセッツかれるのが、なによりつらい。
楽しい取材と愉快な仲間
つぎに2つ目のタイプ「大変なコト」と3つ目のタイプ「楽しそう」が、たしかにどちらも当たっている。
この仕事ほど楽しいこと、苦しいこと、苦楽相反する要素が重なりあっているものはない、と手前味噌に解釈している。
楽しいことといえば、まず取材そのもの。つぎに雑誌ができたときの喜びもさることながら、取材や編集活動の中で出会うスバラシイ人たちと知り合いになることだ。ちなみに私は、一冊の『とうよこ沿線』を出すたびに2箱の名刺が空になる。少くとも200名の人に出会うことになる。無名、有名、さまざまな職業の人たち……。
この人たちの会社や商店、そして自宅に押しかける。その言葉や態度が万巻の書を読むより生きた勉強になる。
また編集室に帰ると、いろーんな個性をもった編集スタッフの連中がつぎつぎやってくる。東京から、川崎から、横浜から。最近は名古屋、新潟、埼玉からも。小学生会員だった中学3年生から満82歳、私の両親・祖父に相当する年代の人まで100数名。職業や社会的地位がマチマチなので、いろんな話題が飛び交い、固くなった40代のオツムを軟かくしてくれる。
この連中は、ふしぎにみな共通項をもっている。例外もあるが、私を筆頭に大半がどこか、一か所抜けている。これがあまりにも顕著な最大公約数で、いま編集室ではスタッフの粗忽さを競う「どじコンテスト」なるものを、まじめに実施している。
関心のある方、自信のある方は、編集室備え付けの「記楽帳」を読むといい。正式な審査基準を設け、「だれがいつ、どこで、どんなへマをやりでかしたか」克明に記されている。
以下の共通項は偽善的に聞えるかも知れないが、よく言えば好奇心、悪くいえば野次馬根性旺盛にして向上心あり。意志薄弱にして持続性なし、話好きにして論理性なし、といったら「それは編集長だ」と、きっと彼らはなじるだろう……。
外に内にこうした、きのうまで知らなかった人たちと言葉を交わし、親しくなることは、何より楽しく、明日の鋭気となるのだ。
濁流上の一本橋
間題は「苦しいこと」である。これは、ただただ、編集室の台所をまかなう資金づくり≠セ。
その資金といっても各号発行するに必要な最低限の経費が捻出できなければ発行はその号でストップ、次号発行は望めない。『とうよこ沿線』は廃刊、ツブれざるを得ないのである。
経費には印刷費・家賃・電話・電気・水道・ガス・ガソリン代・人件費などもろもろのものがあるが、最も重要な経費項目は印刷所に支払う印刷費。この印刷費が滞ると、印刷所は次号の印刷を拒否してしまうのだ。
この経費を賄うのは、広告代と雑誌の売り上げ。ただし雑誌売り上げは1冊の定価200円、そのうち50円を販売店手数料と配本担当会員にガソリン代・食事代を支払うと消えてしまうので、当てにならない。経費にそっくり充当できるのは広告代金ということになる。
広告営業の経験者なんて一人もいない。みなズブの素人ばかり。それでも最近、フランス人のアルメルさんをはじめ数名のスタッフが「編集長とママさんだけを苦しめさせるわけにはいきません。私たちも……」と本号から大倉山の商店街を広告集めに歩いてくれた。
実際、22号までの雑誌づくりの資金と諸経費は、60代の義母・鈴木善子と私が毎号走り回り、なんとかやりくりしてやってきた。毎号ゼロからのスタート、これはまさに濁流の川に丸太一本をかけて恐る恐る渡るようなもの。一歩足を滑らせれば濁流に飲まれる……。
そんな危険なときは、東の空が白々と明るくなるまで一睡もできない。布団の上でアグラをかき、明日はどこへ行き、どうすべきか……危機脱出の策を必死で練ったものである。
紆余曲折の創刊4周年……。最近ようやく、沿線の皆さまにも、スタッフの諸君にも『とうよこ沿線』の存在と現状を徐徐にご理解いただけるようになった。将来に光明が見えてきたような気がする。その証拠に、私はしばらく布団の上でアグラをかいていないのである。
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