編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.648 2015.05.20 掲載

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『とうよこ沿線』No.22…昭和59年(1984)5月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

 講談社校正部や短歌結社「花季」の編集のキャリア がものを言って本誌の「校正部長サン」。悠悠自適の毎日だが、追い込み時には早朝7時に編集室に来る強い責任感があり、頭が日本語の缶詰みたいな人。最大の好みは愛妻弁当と晩酌のようだ。

    一念発起! 夜に強くなりたい

    
     自由人  天笠 伝次郎(武蔵小杉

 

 「現役を引退してから、本当の自分の人生が始まるのだ!」とそんな気がします。

 一昨年4月未、満
65で勤めを卒業した頃には2人の子供も、嫁ぎまたは独立してそれぞれに孫が2人ずつ。親の務めも全部すんだことでもあり、それからは10年程前から入っていた短歌結社の歌誌や歌集その他の出版の応援などしていたが、予てから少し暇が出来たらと思っていた『とうよこ沿線』のホワイト・メンバーに入会したのが昨年の2月のこと。

 爾来毎週木曜日に編集室の当番と、あとは戦前講談社にいたとき3年半ほど校正部にいた経験もあり、原稿段階からの校正担当が主な仕事である。
 スタッフも小学生から
80余歳までと千客万来で、勉強とよい刺激になるが、何といっても主力は若い学生や勤めの人たちのため、編集室の真骨頂は陽が落ちてから始まり、毎晩1時、2時まではザラで、〆切り時には朝行っても徹夜で泊っている人もよくいる。

 群馬の農家のせがれで、子供の時から早寝早起き。陽が暮れてからは外へ出掛けたことなしの小生が、この若い人たちのエネルギー吸収のため、革命的とも言える夜のペースにあわせられるかどうか、目下最大の悩みである。

 19号のデスクキャップ。
コピーの才能は埋没している金剛石のようだ。彼女がこの世界にいたら糸井重里以上に稼ぎまくるだろう。区役所戸籍係では勿体ない。せめて本庁広報課で思う存分やらせてみたら。
――細郷横浜市長御中――
 

    

   『沿線』は人生の百科事典なのです


     横浜市職員  込宮 紀子(妙蓮寺


 さて、さて、タウン誌づくりはおもしろくて、むずかしい。結果がカタチになって残る、この喜びを知ってしまったら、もう中毒。自己満足といわれようが、やめられない。

 「私には美的センスがないのよ」なんて嘆きながら、〆切りぎりぎりにやったレイアウトも、いざ刷り上がってくると思わずニンマリ。

取材というものも然りである。相手とアポイントをとるまでが自己との格闘。そう、何となく億劫なのである。ところが、いざ会って話を伺っていると実に楽しい。世の中にはいろいろな考え方や経験をしている人が、なんとたくさんいるんだナーとしみじみ実感する。一個人としては聴けないお話も、取材と銘打てば、ドンドン聴ける。自分の人間としての幅も広がるし、人間関係の輪も広がるってなもんである。

 ただし『とうよこ沿線』は同人誌ではない。多くの人に読んでもらうのが目的なんだから、それなりの内容がなくてはならない。地方の時代だからって、単にマイナー路線をつっ走るのも考えもの。時代と地域と人間の生きざまが伝わってくるマイナー誌―――そんなタウン誌を作れたらナー、と思いながら、『とうよこ沿線』の中で試行錯誤を繰り返している私である。

 東海大広報学科2年、まだ10代。女性にも男性にも子供にもモテる、ふしぎな男。秘訣は世話好きで思いやりがあることにあるらしい。「沿線の河川」連載は彼の提案でその編集リーダー。取材・写真・編集・配本に大活躍、東京側の牽引車的存在である。           

          一筋の流れのように――


     東海大学2年  一色 隆徳(祐天寺



 

 白い世界の中で、遠くから一筋のうねりが続いている――そんな風景に出合った。春まだ浅い北陸でのこと。一面の雪野原を割って流れる小川……ただそれだけの風景なのに、妙に心に残った。

 その時、ふと思い出したのが編集長の顔……。いつだったか、「代替のきかない人生、自分だけの生き方がしたい」と私に語ってくださった。
 その生き方こそが、今日の『とうよこ沿線』を方向づけ、スタッフの人生観に少なからず影響を与えているのだ。

 私も入会して1年、編集室の空気にドップリと浸ってしまったようだ。編集長をはじめ、気のいいスタッフ連中と語りあい、時には遊んだり……と実に楽しい。
 とはいえ、締切りが近くなると、この気持ちは一変する。鉛筆を片手に原稿用紙と「にらめっこ」しながら苦悶する。「自分は何故こんなことをしているのか」、と情なくなってしまう。

 それだけに仕事が終った後の開放感は最高で、それなりの満足感も得られる。ここには、自分の占め得る位置が見つけられ、ささやかであっても主張の場がある。
 『とうよこ沿線』はこの冷い世の中に刻まれる一筋の清流、強いては沿線のオアシスになっているのだ。


          延べ2333名登場の

   編集の音(抜粋)

    は本号から参加した会員です。




編集室から眺める東横線の車両は、なかなかいいもんですね。数ある飲食店の中には店内を巡回する蒸気機関車のミニチュアを売りものにしている所がありますが、実物の車両とは比べものにならない。 (日吉・会社員・山田光雄)




今年こそは計画をたてて勉強しようと決心したのが4月の初め。しかし計画どおりに張りきって勉強できたのはほんの1カ月。4月バカが過ぎると今度は重い5月病がやってくるのです。
(奥沢・奥沢中3年・数野慶久)





桜を見るたび、初来日を思い出します。日のたつのは早いもの。振り返ってみれば、この興味ぶかい国で私がしたかったことの半分しかできていなかったなんて思うと、もったいない……。ああ! がんばらなくちゃ。
(日吉・仏語講師・丸山アルメル)





『とうよこ沿線』の内容はどこが良いか。私はまず表紙∞散歩マップ′繧ヘどこを開いてもOK! 編集長・岩田氏の30万部発行も夢でない。私も頑張っていくつもりだ。皆様よろしく。
(日吉・製図や・平岡竜之)





あっという間に、就職かぁという感じです。この雑誌が出るころには、東急の緑の制服に緑の制帽をかぶって、駅を徘徊しているのかと思うと、おかしさとも言えぬ何かを感じてしまうのです。
(上野毛・会社員・西野裕久)




2月29日初の内孫誕生。この子は4年に1度の誕生日が来る……。現在孫は♂5人、♀3人だが今度も♂。将来1213人になる可能性大。益々賑やかになりそう。「直也」と小生命名す。私事にて恐縮です。
(元住吉・石野ひでお)




昔はこの辺はどうなっていたのだろうか、川や町や住んでいた人など。この疑問に答えてくれたのが『とうよこ沿線』でした。昔日の事をあれこれと想像してみるのもまた楽しいものですネ。
(二子玉川園・会社員・小田房秀)





この前、遊びに行く途中急に横道から子供づれのおばさんが飛び出してきて、ぶつかりそうになったら「あぶないじゃないの!!」と文句を言われた。明らかにおばさんが悪かったのに大人は勝手だ…。
(奥沢・奥沢中3年・島村 創)





北アの山の季節です。去年も同じこと書いちゃったけど、行きたいなァ〜あの山。山は変らなくても私の足腰、年々弱くなるんだもの。広告集めの仕事、誰か代ってやってくれる人いないかなァ。
(編集室 善子おばさん)





念願叶って、今年より出版社のデザイン部に勤務しています。仕事は面白いの。でも……学生に戻りたいなぁ。ちなみに会社は八丁堀(日比谷線)。これ言うと、友達が笑うの。中村主水(もんど)みたいだねって。
(埼玉県加須市・会社員・飯島早苗)





「皆さん、東横線はこんなによい電車です。みんなでたくさん乗ろう」と東急が広める本かと思っていたら、地域の人たちの手によってこんな楽しい雑誌ができていました。街が大好きな人々の情報を交換しよう!
(菊名・主婦・竹内つぎ子)






失敗すれば歳のせい、巧くいけば歳の功とよく言いますね。歳とは、いったいイクツからなのか? 私自身は年齢の事など思ってもいないと言いながら毎号この欄は歳のこと。今後は体調を考えて歳甲斐もなく、と言われないようにしましょ。
(大倉山・会社員・山室まさ)





『とうよこ沿線』21号を読み、自分にも何か、みんなと一緒になって出来ることがあるのではないかと思い、4月1日入会しました。皆さんよろしくネ。そこで一句――沿線に集う仲間の気はひとつ。
(綱島・建築業・加藤 清)





オフィスコンピュータ、ワープロなんかが流行ってる時代である。非常に便利な機械のようだが、使い方を誤まると、金と場所だけを浪費する羽目になってしまう。機械購入には気をつけましょう。
(武蔵小杉・情報技術科学生・戸次政明)





「戦艦大和の最後」という映画を見ていたら、「日吉の裏山の連合艦隊本部棟」という言葉が出てきた。ビデオ録りしていなかったので……。誰か調べて書いてください。
(都立大学・随筆家・前川正男)




東横線に乗ってもここ3,4カ月、車窓から見える景色も寒々しく、眼をつむって乗っていましたが、きょう久々に乗ってみて、何となく景色が生き生きしてきたようで、嬉しくなってしまいました。
 (学芸大学・主婦・小池康子)




私の大好きな春がやって来ました。草花の芽がスクスクと出てきました。さわやかな春風にのって何かドカーンと良いことないかな!
(菊名の美人(?)・斉藤敦子)





皆さん新しい編集室のドアをよく見てくださーい。私がつくったんですよ。キレイでしょ! 会社の人が“変集室”にしたら? と言っていました。私も思わず、「ウン!」とあいづち。今度作りかえようかな。
(大口・雑用・原田たかこ)





「いいかげんにしろ!」と言いたいほど雪が何度も降って、どうやらやっと春。都会は密集して人々が生活していても他人同士、自分勝手な都会人。こうではなかったはずの日本。変えていきましょう。
(日吉・技術職・山本忠雄)






『とうよこ沿線』は、よく読みましたが、「編集ノート」なるページには気を留めていなかった。「電話当番なら…」と思ったのが間違いのもと。入会そうそう文章を書かされるとは……箱入り主婦(?)は大いに戸惑っています。
(大倉山・主婦・長谷川千恵子)







雑誌づくりの本当の苦楽は資金集めなり――これが4年前の私には全然わからなかった。特に苦しみが。10号を突破すれば苦しみから逃れられるとがんばった。まだダメだった。今度は20号を越せばと歯を食いしばった。まだほど遠かった。本号でも最後の最後まで裏表紙の広告で苦しんだ。土壇場で菊名の富士食品工業・松倉社長の温情に救われ、ホッと。薄氷を踏むとは、このことか?
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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