編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.643 2015.05.17 掲載 

 
『とうよこ沿線』No.17…昭和58年(1983)7月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
不思議集団に仲間入り

         
  大学生  中島 雅子(田園調布


 

 証明写真でこんにちは……同時執筆者の小椋氏は、何と言ったってカメラマンだし、川名さんは、あの可愛いスマイルだし、私一人が笑みの「え」の字も浮かべずに載るのだろうか……なんてくだらないことを考えてペンを執っています。

実際のところ、編集室はいつも何だか和やかで、皆々揃って「え」の字を飛び交わせているのです。
 しかし、〆切間際や記事の相談ともなると熱が入ってきます。あの熱気と気迫……。私、大好きです。何かを成したいがために雑誌を作る、雑誌を作ることによって何かが得られる――そんな力に魅了されてしまっている、そんな感じです。

 9カ月前、雑誌作りに興味があって入会した当時、思ったのは「何と異様(異色と言っておこうか)な集団ダ」。入れ替わり立ち替わり、夜遅くまで人の顔が絶えない。一体どんな関わりあいがあるのだろう?――それが今では、知らない者同士が寄り集まっているなんていう感覚は何処へやら。編集室そのものが、行政区画を超えたコミュニケーションの場になっているのです。
 様々な仕事をしている人、様々な勉強をしている人、様々な趣味を持っている人。人。人。人間の数だけ個性はある、という感じ。そんな中にいると自然と自分自身の世界が拡がったような気がします。

 沿線住人が読んで作って、コミュニケーション。これはまさに、“えんせんっ子のえんせんっ子によるえんせんっ子のための雑誌”です。また一つ心にアンテナを立てられた気がします。


 

      東横沿線を歩けば、無限の広さ!

                 写真家  小椋 隆
(自由が丘



 奥沢の風呂屋で、さりげなく見かけた1冊の本、それが2年前の『とうよこ沿線』との出合い……。
 そしてその第6号榎≠フカラー表紙は沿線の緑豊かな風景写真でした。誘われるままにページをめくると、今まで知らなかった沿線の歴史、風俗、文化、人間関係など、盛り沢山の情報が目に入り、そのまま長椅子に腰かけて読みふけっていました。

 その後、この本の愛読者の一人となってからは、近くの神社の祭や七五三の写真を何度か投稿し、掲載させていただいたこともあります。昨年暮れ、編集長から電話をいただき、編集室をのぞきに行ったその場で会員に。

 あれから早いもので半年が過ぎ、現在、暇をみつけては写真撮影で活躍させてもらっております。いつ行っても、一見気さくな編集室のムード、その中に気迫のこもった仕事ぶりのスタッフに、沿線に注ぐ愛情が感じられます。編集長のリーダーシップもさることながら、仲間同士の連帯感の素晴らしさも、この本の内容の充実していることでうなずけます。

 写真撮影の仕事は楽しいものです。多くの人との出会い。初めての場所や物との遭遇。狭いと思った東横沿線ではありましたが、歩けば歩くほどその広さは無限のようにさえ感じられます。
 また、いざ本になったときには、自分の作品の出来栄えに一喜一憂の連続。ともかく、入会したおかげでいろんな体験をさせていただいております。



       自分の道を見つけるために

                 大学生  
川名 亜佐子
(妙蓮寺)


 
 大学に入学した当時、友達同士の間でどこ、どこのサークルがいいとか、悪いとかとサークル選びで話はもちきり。しかし、どれをとってもワンパターン化されていて、私の興味をひくものはなく、おかげで私一人が話の外。
  そんな時、知人の話から本誌を知り、「これはいいぞ」とばかりに、自分の能力も考えず編集室のドアを叩きました。

 これが、私と『とうよこ沿線』との出合いと活動の始まり……。私が初めて取材することになった仕事は、そう、ちょうど昨年の7月号に載せる赤ちゃん探しの取材でした。一人で恐る恐る訪ねた産婦人科医院では、周囲の視線が鋭く、自分でも顔が赤くなっていくのがよくわかりました。
 それでもめげずに、あちらこちらの沿線の病院を訪ねて歩き、やっと55年7月7日生まれの『とうよこ沿線』と同い年の赤ちゃんが見つかりました。その時には、うれしくって思わず「わー、よかった」なんて声に出してしまったほどです。

 そんなこんなで飛ぶように過ぎてしまった1年と2カ月。誰よりも人と話すことが不得意だったうえに、何もわからなかった私が今まで続けてこられたのは、やはり編集室の人達の暖い目があったからだと思います。困ったことがあると、みんな仕事が忙しくても親身になって考え、そして手伝ってくれます。

 まだまだ私は、修業の身。これからも多くのことにチャレンジし、いろいろなことを学び、本当の自分の道を早く見つけ出したいと思います。


     情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)

    は本号から参加した会員です。





先日久しぶりに編集室に顔を出したら、スタッフ10人ほどが真夜中まで熱心に本づくり。『とうよこ沿線』はこうして作られる!! この現実をみて驚いた。感動した私は今回「酷勢調査鶴見の人びと″」の紹介で微力ながら協力させてもらいました。
(鶴見の駒岡・建設業・小山和雄)






ガンバルことは良いことです。頭も体も、大いにガンバラセテあげましょう。何をどのようにガンバルかにつきましては、それぞれ、よきに計からって下きい。ムチャクチャにガンバッテイルと信じこんでガンバルと、目的も見えてくるのです。
(学芸大学・評論家・水谷 勝)




『とうよこ沿線』は、とうとう3周年記念号になりました。僕が編集長からよく聞いてきた言葉に「石の上にも3年」というのがあります。これから先は、若い世代の僕たちがもっともっと伸ばしていかなければ……。
(奥沢・中学2年・数野慶久)




『とうよこ沿線』も、やっぱりせかいに広げよう、友だちの輪≠ネーんて、いった調子じゃいけないですヨッ。そう地道に、ひたむきに。
(自由が丘・大学生・西野裕久)














 ぼくは、最近入会したコマオカ・イソジです。
 ぼくのおじいちゃんは『とうよこ沿線』の大ファン。毎号が楽しみで鶴見区駒岡からバスに乗って綱島の本屋さんまで『とうよこ沿線』を買いに来ます。

ぼくのツナギ風洋服と毛糸の帽子は、75歳のおじいちゃんが毛糸で編んだものです。編集室に来たその日からみんなが「イソジくん! イソジくん!」と言って可愛がり、今ではすっかり編集室の“マスコット”になってます。どうぞよろしくね!
 そう、そう、ぼくを描いてくれたのは石橋富士子お姉さん。
(鶴見・フリー・駒岡イソジ)
 






光栄なことに、とうよこトマト嬢≠ニの配本。気分も軽く出発したのだが、途中俄かに水(雨)が入り、彼女が「洗濯物が!!」と。ひたすらハンドルを操ってゴールヘ。手づくり誌.『とうよこ沿線』 配本の一幕でした。
(日吉・写真館経営・川田英明)





夏です。生ビールの季節です。今シーズンは何リットルぐらい飲むことでしょう? ネェ、キリンさんにサッポロさん、アサヒさんにサントリーさん。広告だしてヨ!
(日吉・会社員・田岡秀樹)





柏号は原稿の段階から校正をしていたが、ミスがなかったかどうか? とにかく新緑の候、清々しい。一首――マンションの窓より小さき鯉幟 五月の風に高く翻る
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)





似顔絵をたくさん描いていると、不思議にその人の心が浮かんできますね。でも整形した顔はダメですね,心がよく見えない顔になります。でも『とうよこ沿線』に登場する人でそういう方はいませんね。
(向河原・似顔絵担当・大和功一)





わかった! 『とうよこ沿線』はただ読む雑誌ではない。参加してホントーのおもしろさが分かるのです。この実感、あなたにもあげたい。編集室の白いドア、ちょっとよごれてるけどノックしてみて。
(日吉・ケーキおばさん・藤野真紀子)




『とうよこ沿線』No.15桜号の「地域一番店」に私が始めた店、染色工房“澄”を載せていただいたところ、ホントにお客さんが来てくださったのです。本誌の長い間の愛読者の方々が……。私、感激しちゃって。
(妙蓮寺・染色家・高石正子)





前号「柏」号より一足遅い「柏もち」を食って、ちょっぴり有名になった気分。編集室で一人ニヤニヤしていた俺。編集長「俺の顔に何かついているのか?」。菅間「えっ、ええ、アンコが……ハハ」
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)





締切り日に、レイアウトまできちんと終了。ほっと一息のある日。元町公園のプールでゆったり泳ぐ。帰りには、レストランでタンパルエリーゼを。と、昼寝の夢だけは優雅な夏の午後。
(日吉・団休職員・岩沢珠代)





今回は主婦向けのページ「暮らしのONEポイント」を担当。「良い奥さんになれるよー」と編集長に言われてしまった。最近、この手の言葉に弱いのです。痛いところを突きますよね……。
(日吉・主婦予備軍?・加藤悦子)





『とうよこ沿線』との関係は、催し物に参加する、たまに「ボイスBOX」に投稿する位と思っていたのですが、「編集ノート」を書く羽目になってしまった。1万分の1の協力で頑張ります。
(日吉・会社員・佐藤宏也)






いやぁ、暑い……実に暑い! 毎日毎日2時間もかけて通学する身には実にこたえるんだなあ。東急さん、早く冷房を入れて下さい!  ところで、早く夏休みにならんかなぁ……7月には免許もとれてルンルン気分!
(祐天寺・学生・一色隆徳)





初めての取材。西伊豆キャンプ。紋谷医院。そして編集室。すこぶる純粋な人々との出会い。多少軌道から外れたっていい、純な方が…。大丈夫マイフレンド。
(日吉・英語溝師・稲生由美子)




なぜか前々号と姓の変わってしまった私……。生活していくことの厳しさをシミジミと、ビシビシと、ガンガンと感じ入っている今日この頃です。てなわけで、名のみのデスクでゴメンナサイ。
(妙蓮寺・公務員・込宮紀子)





愛犬ラッキーが交通事故に遭った。一晩入院、翌4月23日死んだ。犬の葬儀屋さんの骨壺に入ったラッキーは、戒名までいただき家族と2週間暮らした。そのあと、田舎の霊園の樹の根元にこっそり埋葬された。
(日吉・主婦・栄喜久仁






「えんせんっ子」の取材で、5月8日に電車とバスの博物館へ行きました。初めての取材なので、ちょっぴり緊張した面もありましたが、とても楽しかったし、勉強にもなって、しかも、電車やパスのことにも、多少は詳しくなれたつもりです。
(奥沢・奥沢中2年・玉城創達)




「ママさん、もう2回も見ましたァ」。半生で初めて私が本誌紹介のためテレビ出演。そのビデオを、スタッフをつかまえては見せたくなっちゃって。みんなの感想はフ、フーンだが、私だけニヤニヤ。
(日吉・編集室・鈴木善子)




事情で住まいを移すことになりました。幸い、すぐ近くにあるマンションに入ることができたので嬉しい。東横沿線、とくに日吉に住み慣れたら、もうここを離れられませんねェ。
(日吉・仏語講師・アルメル・マンジュノ)





3月に高校卒業10周年の同期会があり、名簿を作成。それを眺めてみると、東横沿線に住んでいる者がなんと多いことか。にもかかわらず、本誌の知名度は今ひとつ。これは早速なんとかしなければ!
(旗の台・オチコボレ溝師・阿部 正)





夕涼みにツッカケで東横沿線の商店街へ冷やっこの豆腐を買いに行く――これ、私の永遠の夏の回想シーンです。もう一度、そんな世界に戻りたい!
(名古屋市・名古屋TV局勤務・平井 雅





えんせんっ子スタッフ¢謔Q番目の女の子です。メ切日直前に入会したので始めからアタフタしています。さあ、何を書こう!  ともかく、がんばります。みなさん、よろしく。
(白楽・神奈中2年・山影昌子)





10円玉を拾った5歳の息子が、自由が丘の交番へ届けに行った。さて、おまわりさんがどう処置したか? その見事な対応ぶりは次号で。乞ご期待。
(自由が丘・漫画家・畑田国男)






「沿線族」の取材で学生市議・木内博さんの熱っぽい話に耳を傾けるうち、いわゆる60年安保の頃を思い出しました。いつの時代も若者は、正義を信じ明日を信じ、自分たちの手で明るい未来をつくろうという意欲に燃えているのですね。
(綱島・主婦・山火典子)




何故か近頃の私は、アイドル歌手並みの過密スケジュール。でも、私などよりもっと忙しい昔の人々が、『とうよこ沿線』を支えている姿を見ますと、ただもう頭の下がる思いです。
(自由が丘・花嫁修業・丸田起弥)





微力な僕の役目です。新刊を近くの官公署や学校に届けること。購読者はホテルザ・エルシィに会合する川崎中、北、日吉ロータリークラブの会員と鶴首待望のご常連数十名。時には名士、恩人、火災保険の契約者に贈呈。情報取材、広告募集も少々。
(武蔵小杉・火災保険代理店・小林英男)

























春のある日、横浜市役所本庁の広報課長・大澤 浩さんがわざわざ当編集室にやって来られた。

「市長も毎号楽しみにしています。市としても何かご協力できることがあれば……。最近のご時世、発行はたいへんでしょう。がんばってください」。

 270万市民への広報活動のカナメである、初対面のこの人からの激励に恐縮。またこの時、金沢区のタウン誌『なみきみち』が経済的理由で、10号で廃刊になったことをうかがい、ショックだった。あちらの編集長さんの心中が痛いほどよくわかる。なんとか復刊に漕ぎつけてもらいたいものである。
 今だから言えることだが、『とうよこ沿線』もいくたびかの危機に直面したのだった。
 そのたびにドロドロした現実の世界を夜を徹して動き回る。と、そのたびに救いの手が差し出され、ピンチを脱することができた。それがスポンサーだったり、印刷会社だったり、金融機関だったり、共に徹夜したスタッフだったり。

 苦しいときには、先を見る余裕もない。ただ、手元のその号の発行に全エネルギーを集中させるだけだった。創刊の頃は「なんとか3号まで」を目標に、それからは「どんなことがあっても満3年までは」、と行動目標を3という数字≠ノ一歩でも近づけるよう、がむしゃらにつっ走ってきた。1という数字は点≠ノ、2は線≠ノ、3は面≠ノつながると自己暗示にかけて。

 今ここに創刊満3周年――。ついに一応、当初の目標を達成することができた。みなさん、ありがとう! アリガトウ!
 これからは3の3倍、創刊9周年を目標にがんばりたい。読者諸兄、スポンサー諸氏、会月諸君! お引立てを切にお願い申し上げます。        
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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