編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.642 2015.05.17 掲載

 
『とうよこ沿線』No.16…昭和58年(1983)5月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
  1万人の仲間づくりに

         
  和裁士  加藤 悦子(日吉


 

 出会いの場がほしい。いろんな人に接してみたい。何かをやってみたい――。

 ちょうど1年ほど前の私は、この言葉を毎日のようにつぶやいていました。そして家と職場との間を時計の振子のように往復する生活には、もうウンザリ。自分の青春時代を満たす、すばらしい世界がきっとあるにちがいない。私は、そんな世界をのぞいてみたくてたまらなかったのです。

 そんな或る日、ふと日吉駅の売店で2百円を奮発してこの雑誌『とうよこ沿線』を買ったのでした。と、「1万人の仲間づくり」というスローガン。この一語に、編集長のこの雑誌に賭ける煮えたぎった情熱が、私の胸にまで伝わってくるのを覚えました。

 ぜひ、私もこの仲間に入りたい! でも、文章を書くのは苦手。イラストを描くのも不得手、写真もダメ。それに編集なんてやったこともない。「きっとムリだわ、私は……」。と、思いながらも、やっぱり諦めきれず、とうとう、この会に入会したのです。

 あれからもう1年です。まさか、あの時の『とうよこ沿線』との出合いがこれほど見事に私の欲求を満たしてくれるとは……思ってもみませんでした。私がお会いした方々は、それぞれにユニークな自分を持っていらっしゃる。お話をうかがうだけでも私の今後の生き方にプラスになるのは確実です。

 あの時の出会いがなかったら、と思うと私はゾッとします。もし入会前の私と同じ心境の方がおられましたら、ぜひ私あてにお電話を!



      

         五里霧中・無我夢中

                 団体職員  岩沢 珠代
(日吉



 「ねえ。『とうよこ沿線』っていう雑誌、知ってる!」と、友人から6年ぶりの電話。毎日の生活に新風を吹き込む「何か」が、そこにあるというのです。
  そういえば、おとなしかったはずの悦ちゃんの声は、生き生きと弾んでいました。たった一度の電話に心を揺さぶられ、編集室を訪れてから1年になろうとしています。

 でも……会議、催しの準備、校正などで作業は深夜に及びます。「そんなことしてたって、何の得にもならないのに」と、理解のない周囲の人は言います。取材などで人に会い話をするのは、やはり苦痛です。文章だの、イラストだの、自信をもってお手伝いできるものがないのです。お菓子を食べて、ブクブク太るために編集室へ行っているようなものです。
  編集長はじめ、会員のみなさまの熱意に触発されるどころか、かえって萎縮してしまうのです。積極的に活動せず、与えられたことをやっているだけなのです。

 こんなふうに、あこがれの雑誌記者まがいのことをして、ほんの少しの自己満足を得ています。それから、職場に通うだけでは知り合えない、いろいろな人に会えます。当然、それらの人々から情報や知識を吸収できます。沿線の名所や旧跡へ行く機会に恵まれます。

 かろうじて『とうよこ沿線』にぶらさがっている私です。「参加して、よかった!」と、満面の笑みで言うことはできません。これから、自分がどうなっていくかを楽しみに……。



         初めの取材と七夕祭

会社員  板垣 ふじ子(日吉)


 

 前略 『とうよこ沿線』様

 雨あがりの午後、友達に誘われるまま編集室をたずねてから、早くも1年。編集のことなど何もわからず、ただ机の上のたくさんの鉛筆をみつめていたあの日々が、つい昨日のように感じられます。
 事務的なお手伝いをするはずが、その日のうちに編集委員に。そして今、こうしてもっとも苦手な文章を書くハメになってしまい、ほんとに困った、困った、であります。

 初めての取材が、名高き『釣りキチ三平』の漫画家・矢口高雄先生。あの有名な先生が私みたいな者に会ってくださるのか、不安で胸がいっぱい。いざ御対面が実現となるや、今度は先生のもとを逃げ出してしまいたいくらい。心臓はペシャンコ、手足はブルブル、極度にアガっている自分に気がついて、余計恥ずかしくなってしまったのでした。

 こんな体験をさせられるのに、またまた、編集室のみんなの顔を見たさにやって来てしまうのです。一日の会社勤めにクタクタになった身体を今晩も日吉駅東口に向かわせて。

 編集室は雑誌づくりをする所、と私は決めていました。ところが、この編集室はそれだけではなかったのです。「東横沿線を歩く会、七夕祭、UNO大会、初詣、ひな祭、お花見……」。
 とくに「七夕祭」は忘れられない思い出になりそう。入会間もない私の提案を、編集長が即断即決、実現したのでした。この雑誌の誕生日、7月7日がまたやって来ます。今年も賑やかな一夜にいたしましょう!!                                              かしこ


      情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)




編集室に顔を出すと、何故か宴の席という場面が多い。根が嫌いでないから、ツイ誘われるまま。当然帰りは遅いから日吉発渋谷行最終。そして、自由が丘で大井町線最終で旗の台。ああ〜今日も…。
(旗の台・オチコボレ講師・阿部 正)





ちょっと営業でもと思い編集室に飛び込んだのですが、気がついた時には会費を払って会員になっていました。ミイラ取りがミイラになってしまった私です。
(元住吉・フォトグラファー・出口道和)




ヤマバト、ヒヨドリ、ツグミ、メジロなど、わが家の庭には私のまく餌をお目あてにした鳥たちが、毎日訪れます。昨日は幼いウグイスが「キヨ、ケキョ」と、さえずってくれました。
(日吉・在住35年・辻村 弘)




ワインをこよなく愛す編集長のため、今夜もまた編集室は深夜スナックに。飲むほどに、語るほどに、夜の更けるのも忘れて午前3時。三雲孝江さん、午前3時に別れましょう≠ニいうのはいかがかな?
(田園調布村の住人・上井 徹)





わあ、「編集ノート」なんて、久しぶりだなあ。だって、前の号は「日吉4417」だったし、その前の号は「スタッフお国自慢」だったでしょ。何書こうかな。あれ、もう終わりじやないの。90字は短かいよ…。
(大倉山・学生・桑原芳哉)





5月は私の誕生月。誕生日が来るのはいやだけど(プレゼントはいただきます)、ヤングの季節・夏に向かってルンルン気分なので〜す。大学生から会社員に変わって、何かいいことないかしら。
(菊名・会社員・浅野桂子)





「われらコロンブス」で今回デビューしました。新しいもの、流行りのものが大好きなボク、いつまでもそんな自分でいたいと思います。『とうよこ沿線』ファンのみなさん、どうぞよろしく!
(日吉・会社員・田岡秀樹)





ほんの小手先の受験勉強からやっと解放されて編集室を訪れると、何やらあわただしい様子……。で、入会当日からいきなり大ソウジを手伝うことになってしまいました。大変ヨイ経験をさせてもらいました。ちょっとわざとらしかったりして。
(祐天寺・学生・一色隆徳)





あと2カ月で創刊3周年。相変わらず風の吹くまま、足の向くままに編集室へ。最近しばらくぶりで訪れると、見知らぬ御仁がほとんど。会員は即戦力のある人が増えているとかで、心強いかぎり。
(日吉・カメラマン・森 邦夫)





『とうよこ沿線』史上に残る第1回編集室大掃除にちょっぴり参加した(ただ立って見ていただけだけど)。ぶ厚いほこりと無数の反古紙はとうよこ≠フ歴史を語っていました。
(白楽・学生・中本英美)





これから暑くなりそうです。汗かきの僕は夏が大嫌いです。湿度100%でクーラーがついてない電車、夏期講習、それに量が多く中身の充実した夏休みの宿題。思い出すとへドが出そうだ!
(奥沢・奥沢中2年・数野慶久)





一生の間に何人の人に出会うと思いますか。私は、多くの人たちとの出会いを大切にしたい。今からでも遅くありません。編集室へ来てみては? 人生が変わるかも……。
(武蔵小杉・会社員・斉藤真弘)





今回、新しく入らせていただきました。日吉=学生の街、と連想される人が多いと思います。少しでも早く、日吉=とうよこ沿線編集室、と連想されるようにしたいですね。
(都立大学・目黒十中2年・吉野嘉高)





ニイハオ! おばんです。初の編集参加。感動、感激、緊張、緊迫。都も遠くなりにけり、日吉で過ごす時多し。おいしくない雑誌って、むずかしいです。どうしましょう? 
(奥沢・大学生・西野裕久)





フレッシュマンです。222日にお仲間入りさせていただいたばっかり。でも年齢の方は66歳の、満州からの引揚者の老頭児(ロートル)。毎週木曜日編集室の留守番と校正、時々取材のお手伝い。どうぞよろしく!
(武蔵小杉・自由人・天笠伝次郎)




ゲイバーの春灯よぎるのど佛――という感じで、先日ゲイバーへ行ってきた私。アルメルさんじゃないけれど、こんな世界があったと驚き。ぜひ一度、編集長をエスコートしたいです。
(名古屋:テレビ局勤務・平井 雅)





5月の声をきくと無性に山が見たくなる。氷雪にきらめく北アルプスの穂高なんてもう最高。残雪の山路をフキノトウを摘みながら歩きたいなあ……なんて贅沢(ぜいたく)です。この沿線を広告スポンサー探しに歩き回る私には……。
(編集室・鈴木善子)




私は編集室のすぐ先に住むオバアさんですが、朝に晩に編集室の前を通るたび、みなさんが本づくりに一生懸命励んでいらっしゃる。私も何かお手伝いを、とこのたび金曜日の電話番を引き受けました。
(日吉・主婦・栄喜久仁)





最近自転事を購入。編集室へも自転車で。ちょっと寒いかと着込んで妙蓮寺を出ましたが、途中でマフラーをとり、コートを脱ぎ、着いた時にはうっすらと汗ばんでいました。
(妙蓮寺・染色家・高石正子)




たった3日ほどで、みんなとしたしくなれました。編集長をはじめ、みんないい人ばっかしです。だからまだ会員になって間もない僕でも、気軽に編集室へ来られます。とてもうれしいです。
(奥沢・奥沢中2年・玉城創達)





私、初の参加です。私、“えんせんっ子”の中でただ一人の女の子だそうです。私、まだいろいろとわからないことがあるかと思いますが、私、がんばります! よろしくね。
(妙蓮寺・神奈川中2年・中岡奈津美)





最近は軽くて薄くて短くて小さいものが良く売れる時代だそうである。『とうよこ沿線』もそうすれば、もっと売れるようになるのかな?
(桜木町・団体職員・伊奈利夫)





自由が丘のある踏切で、ヒトの車がエンコ。4、5人の男が車の後押しを。カメラを持っていたボクは、一瞬、写真を撮るか、人助けをするか、迷ってしまった。まだ、人間ができてないんですね――。
(自由が丘・漫画家・畑田国男)





前号の特集「病院案内」は皆さんに喜ばれた。続いて沿線の行政機関、文化施設、金融機関、神社、寺院などの案内も出せば、新しくやって来た人たちにとって、参考となるのではないだろうか。
(武蔵小杉・郷土史家・小林英男)





ぼくは、こんど入った内藤栄光です。このあいだ入会しました。編集長やまわりの人がやさしいので、とても楽しいです。これからもがんばりたいと思います。よろしくおねがいします。
(日吉・矢上小6年・内藤栄光)





ぼくは3月のはじめに入ったのでまだあまりなれていないけれど、とても楽しいです。それは編集室でいろいろな話をしたり、自分たちで本を作ることです。これからいっしょうけんめいがんばります。
(日吉・矢上小6年・笠井一郎)




『とうよこ沿線』も、桃栗3年の3年が過ぎて、つぎの目標柿8年までということを考えながら、今号もせっせと沿線住民の似顔絵描きに励みました。私の絵も8年描いたらその域に達するやろか?
(向河原・似顔絵担当・大和功一)























 いわゆる編集後記にあたるこの「編集ノート」、今回は総勢46名が書いた。うち新入会員が14名。
 毎号1冊の雑誌を世に送り出すため、各人が自分の時間をやりくり、持てるものを出し合った。執筆、撮影、イラスト描き、レタリング、広告募集、前号の配本、編集室の当番……各人各様に同じ目標に向かって共に汗を流した実感がこの90文字のマスに詰まっている。みんなの活動、生きた証しなのである。
 この
46名は『とうよこ沿線』づくりをするまで、お互いに行きずりの人たちであった。それが、この10坪ほどの編集室に集まり、言葉を交わし一つのものを編み出す作業、その中でそれぞれが何か≠みつけ出し将来に役立ててほしい、と私はいつも願っている。
 出来栄えはともかく、自慢ではないが、これほど多くの人たちが1冊の雑誌に関わり、これほどたくさんの人たちが後記を書く雑誌、おそらく日本では類を見ないのではなかろうか。
 逆に雑誌編集のプロたちにしてみると、この点がおもしろくないようだ。「あの編集ノート=Aいただけないね。編集の楽屋裏をそんなに見せるもんじゃないよ。止めたら?」と、よくいちゃもんをつけられる。しかし私は、これに耳を貸さず創刊号から続けている。

 なぜなら、『とうよこ沿線』は純然たる営利を目的とした商業雑誌ではない。発行の目的が違う。片や雑誌発行がカネ儲けの手段、片や社会開発運動の一環のつもりでやっている。スタートラインが違うものを、一緒にされては困る。
 「編集ノート」を削るどころか、できれば私は、全ページをこの編集ノートで埋めるくらいにしたいのである。そのときには、「明るく住みよい東横沿線」をめざす仲間が1万人くらいになることだろう。そうなれば、この沿線を世界に誇れるコミュニティーの強力な推進力になっていることだろう、きっと……。笑わば笑え! こんなバカ者が沿線に一人くらいいたっていいじゃないか!?
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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