編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.641 2015.05.16 掲載

 
『とうよこ沿線』No.15…昭和58年(1983)3月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
  学んだ三つのこと

         
会社員  上井 徹(田園調布


 

 2年前、春の休日のこと、自由が丘のある本屋さんの店頭で何気なく『とうよこ沿線』第5号橘″が目に止まり、ペラペラとめくってみたら地域の情報がいっぱい。読むほどに創刊号からのバックナンバーも読んでみたくなり、編集室へノコノコと。それがいつの間にか会員に。

 東横沿線には20年近くも住み、この沿線地域のことならなんでもこいというほど知り尽くしていたつもりの私が、立場が変わっていざ取材となると、なんと地域に無知であったことか……。また、今までの私がいかに問題意識をもたずに地域を見ていたかを知りました。人から聞いたこと、見たことがいかに表面的で、吹けば飛ぶようなものであったか、でした。

つぎに自分で得た情報をいかにして表現するか、そのむずかしさを知ったのでした。口で表現するのは日常のこと、社会人の私にはなんの苦もない昨今ですが、それが文で表現すると、それはもうハチャメチャ……。

 最後に学んだのはそれがひとたび活字になった時、その社会的影響力のいかに大きくなることか、それすら私は知らなかったことでした。自分の書いたものがいかに多くの人に読まれているかを思った時、そこに私の存在価値も少しは認められることになります。人間の生き甲斐とは何か、それはやはり、より多くの人に自分の存在を認めてもらえる実感ではないでしょうか。

ちょっと哲学的ですが、今での生活環境を変える勇気をちょっぴり持てば、生きがいのある人生≠ノなるのですね。


      

         編集室を訪ねて

              イラストレーター  原田 たかこ
(JR横浜線大口)



「こんにちは!」。私がはじめて編集室を訪れてから1年余りたってしまいました。

初めて編集室にお邪魔する時、私が何を手伝えるのか、私みたいな者でも使ってもらえるのか、と心配ばかり先にたっていたことを、今考えると、とても損をしたような気がします。
 
 月日がたつのはとても早いので、思いたったらすぐに行動をおこさなければ、と当会に入会してからつくづくと感じます。

 編集室を訪れると、いろいろな仕事を持っている方とお話ができてとても楽しいのです。そして自分の知らないことがたくさんあるので知識を豊かにすることもできます。
 編集室のスタッフの皆さんは、とても忙しい方々ばかり。なのにいっしょうけんめい取材や配本、雑用などをこなして目を見はるばかりで、私は足元にも及ばないのですが少しでも近づきたいと思っているのです。

 最近は週休2日制で暇を持てあましている方がたくさんいるようです。「つまらないな……」「何かいいことなぁい?」と言うようなことばをしばしば耳にします。そう言っている人たちは何かというとすぐ、「面倒くさい」と言って何もしないようです。ほんの少し重い腰を上げればいろいろなことができるし、暇がなくなり、有意義な生活になると思うのです。

 『とうよこ沿線』の編集室に、皆さん、暇つぶしのためでもけっこうですから、どんどんドアを開けて入って来て下さい。あなた自身が参加することによって、もっと楽しい雑誌を作ることができると思うのです。



         「出会い」は「De愛」に通ず

塾講師  阿部 正(旗の台)


 

 今年のお正月の話題を一身に集めた映画、そうスピルバーグ監督の「ET」。あれは宇宙人との交流を表現した作品なのですが、彼のちょっと前の作品に、やはり宇宙人との出会いを描いた「未知との遭遇」というのがありました。
  この遭遇という言葉をむこうの言葉で言うと、「エンカウンター」という言葉になります。心理学ではこの言葉に非常に深い意味をもたせており、心理療法の中の一つに入れているぐらいです。

 「エンカウンターIという言葉を、誰が遭遇と訳したのかは知りませんが、これは実に的を射た訳だと思います。何故かといえば、人と人との出会いというのは、多分に偶然に左右されることが多く、意識的に逢うというのはわりと少ないものなのです。その偶然出会った人たちが、その後どういう付き合いをしていくかということが、鍵になってくると思います。

 本誌第2号の読者からの反響≠ノ2行程度の文章が載ってから、表に顔を出すまでに実に2年。縁があって、第11号に4ページにもわたる記事が紹介されてから、編集室に幾度か顔を出すようになりました。そしてどういうワケか定かではありませんが、今ここにまた原稿を書いているのです。これなど、本当に出会いの不思議さというような気がします。

 編集室に顔を出すと、色々な人たちがたむろしておられます。学生の人もOLの人も若い人も年配の人も、職業や年齢・性別・国籍に関係なくいつもワイワイガヤガヤ……。その中にいると、人の優しさ、素晴らしさ、温かさを感じとれます。まさに「De愛」を感じるのです。


     情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)





今の私の楽しみは、テレビ「オレたちひょうきん族」を見て笑うことだけです。特に、タケチャンマンに出てくる安岡力也を見るたびに編集長を思い出し、ケタケタと笑いころげてしまうのです。
(日吉・団体職員・岩沢珠代)




成人の日に、『とうよこ沿線』のスタッフ一同と熱海へ行きました。その晩、私がへタなシャンソンを歌ったせいで、翌日は生憎の天気。せっかくの花見なのに残念でした。でも、とても楽しかった。
(日吉・フランス語講師・アルメル・マンジュノ)





毎月一駅ずつ、その駅周辺の風土記を書いているが、暇さえあれば、毎日でもその駅へゆき、下車して歩き回り、喫茶店でコーヒーを飲み、本を読む。しだいに第2の故郷のようになる。こうならないと風土記は書けない。
(都立大・随筆家・前川正男)




栃木県立佐野女子高校時代のクラスメイト。なんと5人のうち4人が東横線沿線。代官山、祐天寺、学芸大学、日吉、最後に残った一人も、中目黒辺りに引っ越しの予定とか。栃木県人会が作れそう。
(日吉・会社員・久保島紀子)





「この“編集ノート”って、英語で書いてあるの? こんな所にカンマなんていらないですよね」とスタッフ。「いや、それでいいんだ。カンマ君のだから」と編集長。それ、なんのこっちゃ?
(妙蓮寺・会社員・菅間映二)





「ハイッ、本誌初登場」。読者のみなさん、よろしく。去年の11月、仲間に入れていただきました。家族は神奈川県の最西端、湯の町湯河原。私だけは昼間は会社、夜は大学、夜半が編集室。勿論独身。
(武蔵小杉・会社員兼学生・斉藤真弘)




今や厳しい冬の時代。これから暖かくなるのか、凍ってゆくのか。その真只中に15号が出た。正月2日、編集室有志で初詣。等々力不動。日吉神社。やる気観音など12カ所。ご利益はどこのかな。
(日吉・カメラマン・森 邦夫)






1月1516日のスタッフ熱海一泊旅行に参加した。参加人員21名。初日のMOA美術館の見学、その夜の羽目をはずしてのカラオケ大会もさることながら、翌日梅林での渓流横にゴザを敷いての梅見は初めて。一献酌み交しながら、ちらほらと咲き始めた紅梅・白梅を眺めた風情はまた一入(ひとしお)であった。
(妙蓮寺・団休役員・横田祝甫)





めまぐるしい世相をよそに、またある時は並行するように『『とうよこ沿線』は充実して走り続けています。そのエネルギーは編集室の若き行動派スタッフ連の献身的奉仕と熟年・老練組の経験とから湧き出ています。愛読者の皆様! 今年一年ご協力のほどを。(大倉山・会社員・山室まさ)





「えんせん族」を担当しました。若くて真剣に生きている石川次郎さんと知り合えてよかった。意外と身近にすばらしい人がいろいろいらっしゃるんですねえ。
(綱島・主婦・山火典子)





東横線で通園・通学・通勤すること20年、文字通り東横沿線で生まれ育った小生、桜号からみなさんの仲間に入れていただきます。どうぞよろしくお願いします。
(日吉・会社員・辻村 功)





たとえば、1週間くらい旅に出て、帰る。白楽で降りてホッとした気持ちでたどりつくのは……わが街、東横沿線。だから、『とうよこ沿線』かな?! それにしても、リライトって作文の時間を思い出しますね。
(白楽・公務員・込宮 誠)




お初におめにかかりやす。このたび、皆さんの仲間入りをさせてもらいやした京急沿線の住民です。今、せっかく書いた原稿を半分に減らしたところなのです。ガックリ。エ〜、末永くおつきあいお願い申し上げやす。(金沢八景・公務員・鈴木紀子)






今、編集室には、編集室に来た人が誰でも書ける“記楽帳”というのが置いてあります。一昨年の10月から大学ノートに書き始めてもう14冊。いろーんな人が、いろ−んなことをおもしろおかしく、またタメになることを正直に書いています。
 編集室へ来るみなさん、「読むなら書こぅ、書かぬなら読むな」と書いてあるのを知ってますか。
(奥沢・中学1年・数野慶久)




今入れて頂いたお茶が湯気をたてております。私の横で。手が延びます。鉛筆にではなく、お菓子に。思わず落ち着いてしまうのです。編集室だと。お仕事の手は? って。頑張ります。見てて下さい。
(田園調布・学生・中島雅子)







会話があった町――。「ねえ! ねえ! こんな雑誌があるの」「へえ―、なーにこれ、『とうよこ沿線』」「……」「面白そうじゃない、どこに売ってたー?」「駅売店に…」「私、帰りに買って帰ろう」「私も…」。
喫茶店でコーヒーを注文、こんな会話をしばらく聞いていました。
(日吉・写真家・川田英明)





駅売店のお嬢さんお姉さん、今度の桜号ぜひ週刊誌の最前線に並べて下さい。後列になって雑誌名だけでは通行人の目につきません。井崎先生の表紙絵が売り物ですから。
(武蔵小杉・郷土史家・小林英男)




横浜に住み始めて10年、今や私にとって第二の故郷である。青春のエネルギーを燃焼させるに十分な文化的施設が充実しているし、市の広報やタウン誌からの情報は毎日の生活のビタミン剤である。
(日吉・会社員・山田光雄)





以前、何度か写真を投稿しました。今度編集長の勧めで入会、早速の仕事が「イラスト・マンガ大会」表彰式の記念写真の撮影。時間の許す限りいつでもどこでも飛んで行きます。皆様、よろしく。
(自由が丘・カメラマン・小椋 隆)





最近いろんなタウン誌のルーツ紹介の本が目につく。わが『とうよこ沿線』も間もなく創刊3周年、ここらで他誌にない強烈な個性を打ち出さねば……。私も新企画を考えます。皆様の良質な脳味噌のご提供を。
(向河原・会社員・大和功一)













正月の2日、スタッフ10名と一緒に初詣のはしご≠したとき、綱島西口駅前の東照寺の参道脇にこんな言葉の掲示板があった。
<本気ですれば大抵のことができる。本気ですれば何でもおもしろい。本気でしていると誰かが助けてくれる>
 「人生これだ!」と合点してから20日余り。この言葉の真意を実践している本気人間≠ノ出会った。それは54ページ「編集長インタビュー」に登場の深川兵吉さんその人。日向の縁側で何やら手作りの暦らしきものに熱中していた。その手を休めてのお話は、建前と本音の区別など全くない。まさに本気そのもの。もうすぐ102歳の長老が「わしが生きているうちに社会のためになること、社会から尊敬されること、それを一つぐらいは残したいもんだ。今に社会をビックリさせてやる」。
 こう本気で語るこの気塊に、こっちが圧倒されそうだった。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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