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『とうよこ沿線』との出合いは、創刊号キャンペーンで本を手渡された時。だから共に歳をとっているわけです。もうすぐ3年目になるのですね。これからも、お互いに美しく成長して行きたいな。
(日吉・会社員・久保島紀子) |
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創刊号の号名「夏」から、秋、柊、椿、橘、榎、萩、楓、梅、桃、今回の欅と続き、7月の12号の号名は何となるか、楽しみだ。桃号は品切れの現状。まる2年をむかえて、よくも成長したものだ。
(反町・会社員・山下二三雄) |
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「とうよこ沿線物語」の取材でようやく、日記王・小林英男氏にお目にかかれました。60余年、60十余冊の日記群を拝見し、大きな感動を覚えました。60年かかって彫り上げた仏像を拝むような気がしました。
(都立大学・随筆家・前川正男)
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“日記王”の称号には恐れ入った。早速前川氏御来訪。どんな記事が出るか心配だ。日記は偶然スタートして自分中心に家庭、近所、生活、健康、公共の事等書いて早や68年。カキクケコの人生はまだ続く。
(武蔵小杉・元郷土研究会・会長・小林英男)
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編集長から届けられた30冊の楓″と梅≠フ2号を近くの家庭に配布。自宅の塀にビラ3枚を張り出したら、5人から問い合わせがあった。統いて桃″10冊をある会合で配ったら大変喜ばれた。これからも続けてゆきたいと思う。努力が第一だ。
(妙蓮寺・銀行員・横田祝甫)
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朝5時30分から4時間も電車にゆられてたいくつだった時、ふと考えました。こんな時に『とうよこ沿線』があればと……。それからというもの『とうよこ沿線』をいつも持ち歩いています。
(田園調布・中学生・村田 毅)
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皆さんの親切に甘えていていいのかしらと思い、どうやってお礼をしようかしらと考えていると、不肖息子が言いました。「いい原稿が出来ればいいんじゃないの」。それが出来れば言うことないさ!
(緑が丘・主婦・内野瑠美)
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足掛け3年。今まで、いかに多くの人の参加・協力があったことか……。整然としたものは、すっきりしているが冷たさを感じる。渾然としたものは、雑多ではあるが親近感がある。『とうよこ沿線』は
(日吉・カメラマン・森 邦夫)
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アンチ巨人の集まり、嫌巨会(けんきょかい)をつくりました。冗談半分、本気半分です。ただし、会長の椅子はいまだ空席です。何しろ、なり手がいないのです。全員、ごく謙虚なものですから。岩田さん、会長になってくれませんか。
(緑が丘・漫画家・畑田国男)
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考えているより、やってみよう……こういう性格って、いくつになっても直らないものですね。「面白そーう!」と、考えなしに取材をお引き受けしたものの、ペン一本で伝えることのむずかしさ――。初参加です。どうぞよろしく。(上野毛・主婦・久木朋子)
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スキーの魅力のひとつは死んでもいい!≠ニ思う一瞬と死んでたまるか!″と思う瞬間にあります。『とうよこ沿線』にも、背中を走る同じ緊張感があって、すっかり魅了されてマス。
(自由が丘・学生・丸田起弥)
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信頼――好きな言葉の一つです。「人を見たら泥棒と思え」一番きらいな言葉です。でも現実を知った私の心は抑えようもない淋しさが……。反面、徹夜で本作りに頑張る若者たちが私のそばにいてくれたのが救いでした。
(編集室・鈴木善子)
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ついこの間、桃号が発行されたと思っているのに、なんともう欅号。僕もどうやら、この頃では、皆に名前と顔が一致してもらえたみたい。これも毎号少しずつ編集室に顔を出すようになったからでしょう。その分だけ頑張らなくちゃ! と思いつつ……早く本当に頑張った、と言えるようになりたいもの。(桜木町・団体職員・伊奈利夫)
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「東横沿線を語る会」が55年4月l日に発足して、ついに丸2年の歳月が流れた。その間、日吉の小さな編集室を舞台に人さまざまな出会いのシーンが演じられた。その数は延べ2000名を超えた。これから何年目にして1万名を突破するか、楽しみだ。
(本会代表・編集長・岩田忠利)
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