編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.638 2015.05.15 掲載

 
『とうよこ沿線』No.12…昭和57年(1982)7月1日

 B5判 紙数:76ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          

いつまでも走り続けたい

         
会社員  山室 まさ(大倉山


 

 『とうよこ沿線』という緑色の一冊を手にしたのは、一昨年の夏。娘が手話の勉強先から頂いた、それが創刊号でした。「地域社会をよくするため」という内容にひかされて、次号入手の方法を編集室に問い合わせたのが運のつき。「サァ、どうぞ、どうぞ」の引力で、即、編集員の一員に。以来楽しみながら、老骨に鞭打つ身となりました。

 思えばあの日、日吉駅から道順を尋ねたところ、受話器の向こうから定年過ぎての御隠居仕事かと想像される、落ち着いた声が、流れてきました。ところが、ドアを開けたとたん、40代の叩いても滅多に潰れないような休躯の編集長と、色白丸顔の補佐役のお母様のお二人が、にこやかに迎えてくださいました。

 男女年齢不問の編集室での集会は、活気に溢れています。原稿書きのほかに労働力として苗木の無料配布、移動編集室、比較的愛読者の少ない駅付近でのアンケート集め、どの仕事も楽しくできるのは、編集長の統率力とママさんの思いやりの結果でしょうか。

 能力と努力を提供しあうこの編集室に好感の持てるのは、非常に礼儀正しいことです。これが若い人たちの中に飛びこめる私の本心かもしれません。断りと弱音を吐くことのできない私は、自らを大倉山の物好きと任じ、自分の持ち分だけは消化してゆくつもりでおります。
 とにかく素晴らしい『とうよこ沿線』を、私はひたすら走り続けたいのです。いつとも、いずことも知れぬ、私の終着駅に向かって……。



      

         私の得意は、イラストです

              イラストレーター  石橋 富士子
(横浜)





         沿線を根として

ベビーシッター  大川 伊佐子(大岡山)


 

 『とうよこ沿線』という名の雑誌をはじめて知ったのは、かれこれ1年も前のことになります。読み終えるやいなや、「編集室の一員になりたい!」と感じました。
 けれども、どうしても編集室に行くだけの勇気が出ず、『とうよこ沿線』をはじめて手にしてから数カ月もの月日が流れてしまいました。

 そんなある日、『とうよこ沿線』を手にした私は、勇気をふりしぼって編集室の白い扉をたたいたのです。
 「沿線コミュニティー誌」と名のるだけあって、編集室に出入りする人も、さまざまな立場の人がいます。そのような、さまざまな立場の、多くの方とふれあい、語りあうことのすばらしさ、まわりの方々の温かさ、さらには編集長の人脈の広さ――はじめて行った編集室でも、とても楽しいひとときを過ごすことができました。

 それからというもの、編集長の巧みな言葉にまんまとひっかかった私は、「マイ・グループ」の担当者になったり、取材に、編集にとかり出されたり……。けれども、とても充実した毎日を送ることができました。
 今は「ベビーシッター」という仕事に追われ、自分の時間さえままならぬ毎日。編集室にもなかなか顔を出すことができません。それでも、編集室のあの明るい雰囲気、楽しい語らいは、どうしても忘れられません。

 『とうよこ沿線』が、この沿線を根とし、いろいろな地域へと枝葉を広げる大樹となることを、心から願っています。


     情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)






桂の材質は造船や建築用に適し、篆刻(てんこく)にも最良だ。「桂」の字は桂能宮、桂川、月桂冠などに使われている。元老の桂太郎、侠客・桂小五郎、明治の文豪・大町桂月、近くは桂三枝など人名にもよく出てくる。
(反町・会社員・山下二三雄)





今回初めて「編集ノート」に顔出す私。取材の難しさに圧倒されながらも、周囲の温かい目に支えられてがんばっている毎日です。これからも『とうよこ沿線』ともども、なが〜いお付き合い! 
(妙蓮寺・学生・川名亜佐子)





一つのことを始める時、いつもだれかれとなく力になってくれる。暖かい隣人にとても感謝して、また明日からも燃えて生きていきたい。
(元住吉・主婦・金田京子)





初めてのインタビューで、島田さんの心暖まるお話をうかがいました。とても充実した一日でした。編集委員になって、ほんとによかった! 
(元住吉・主婦・村上明子)





「沿線物語」がようやく軌道に乗ってきたような気がしてきました。古くて新鮮なオドロキを誌面に反映したいと常に念じております。いま、元住吉車庫取材中です。乞御期待。
(都立大学・随筆家・前川正男)





白い扉を開けて入会してから2年目です。1年間を通して、いろいろな人に出会いました。この会に入会した事で自分の人生が変わりました。編集長を始め、会員の皆さんありがとうございました。
(奥沢・中学
1年生・千葉敏行)





みなさん、この本がお手元に届くのが遅れたら、それはぜ〜んぶ私のせいです。取材、執筆に手間どり、原稿締切日なんのその。なぜ、バッと出来んのだ。あっ、頭がイマイチなんだな、きっと。
(大倉山・主婦・翠川秀子)





物事には、始めがあって終わりがある。始めることは簡単だが、終わりまで締めくくることがなかなかできない。また難しい。しかし、やらねばならぬ何事も。いやはや、編集も同じ、締めねばならぬ。
(日吉・会社員・植松洋文)





故郷に帰ってはや2年。なのに我が心は『とうよこ沿線』という大樹の幹のもと。小枝を離れて舞う先は、何処の里か山中か。それでもやっぱり戻りたい。『とうよこ沿線』で花を咲かす姿は遠くとも、いつか必ず、花を咲かせましょう。
(名古屋・テレビ局勤務・平井 雅)




今回は大好きな横浜の取材。記事そっちのけでたっぷり楽しませて頂きました。潮風が心地良いミナト横浜はこれからのシーズンにぴったりの所。皆さんも是非いらして下さいませ。
(白楽・学生・中本英美)






この間、電車の中のキャッチフレーズが視線に焼きついた瞬間、私もこの言葉どおりアクティブに頑張らなければ、と自分にいい聞かせました。
 Shall人からWill人へと!! やる気はあなたの思考の流れが変わりますよ。
(戸塚・病院勤務・戸塚洋子)





何の因果でこの私が『とうよこ沿線』の一員に……悩んではいられない。地球は回っているのです。いつも元気な女の子がお相手します。皆さん! 編集室にはちょくちょく顔を出しましょうね。
(緑が丘・編集室留守番・渡辺実千代)





“ミス編集室”なんておだてられて、ウフなどと笑ってる場合ではなくなりました。いよいよ次号櫟(くぬぎ)″のデスクキャップ。ミスといっても、純粋に23歳独身というだけなの。あしからず。
(日吉・会社員・久保島紀子)






「お若いですネー。40代かと思いました」……ウヒヒ、これ本当の話。若くなりたい人、編集室まで来たれ!! 意欲あるあなたに20歳若く見える秘法そっと教えます。広告募集に奔走しているうちに若返ってしまった(?)女性より。
(編集室・鈴木善子)





日本一のケチ私鉄・東急に冷房車が走り始めると、いよいよ本当の夏が来るのです。皆さん!素晴しい夏休みを……。私は、ひたすら予備校に通うのみ(のハズ?!)
(日吉・学生・成島 烈)





はじめて配本を手伝ったけど、いつもはどうってことない駅の階段が二つ目、三つ目の駅になるにつれこたえた。運動不足ぎみの方、ジョギングがわりに、『とうよこ沿線』の配本なんかいかがですか。
(溝の口・会社員・倉林昌浩)




遅れてきた青年(?)参上。第2号と第8号で名前だけ参加していたオチコボレが、なんと『とうよこ沿線』始まって以来の紙数4ページで登場!  本人は感涙にむせっておりましたが、果たしてその反響は…?!
(旗の台・オチコボレ講師・阿部 正)



店頭に並べられた冊子の多いこと。日々生まれては消える冊子も多い。読者の眼は肥え、サイフは固い。こうした中で、本誌はヨチヨチ歩いている。しかしその歩みは確実だ。いいのだ今は、倒れるな。
(市が尾・フリーエディター・原園 謙)





イラストをたのまれて編集部に来るまで、とても眠かったのですが、編集長の顔を見たら(?)すっきりさわやかになりました。眠くてしょうがない時は、皆さん、編集室のドアをノックしましょう。
(大口・イラストレーター・原田たかこ)





食っちゃ寝、食っちゃ寝のくりかえしで20余年。みごとなウドの大木ができあがってしまいました。『とうよこ沿線』を通じて、少しでもだれかのお役に立てれば、と思っています。
(日吉・団休職員・岩沢珠代)





近郊の都市化の中、わが家の裏に地元の植木屋さんが残した雑木林がある。この林はオナガ、ハト、スズメなど野鳥の巣になっていて、狭い家の庭にも時々ハトやスズメの親子が遊びに来る。この林をこの親子≠フためにも、ぜひ残してもらいたいものである。(横浜・随筆家・山崎国男)




『とうよこ沿線』梅号からの出会いです。暖かさ、思いやりの伝わる今までにない雑誌に胸ときめきました。本との出合い、人との出会いに人生が変わります。読者の皆様、参加してみませんか。
(元住吉・主婦・望月ますみ)




今日は読者の皆さんに伏してお願い。先日祐天寺・自由が丘とPRキャンペーンを実施したが、本誌を知らな過ぎます。で、心ある横浜・川崎の皆さん、東京の知人最低3人に本誌をすすめて下さい。
(綱島のセールスマン・鈴木秀俊)





今までは“武蔵小杉”という小さな地域社会しか見ることができなかった。それが最近、「一本の線」、東横沿線というより広い地域社会が見えてきた。これは本誌のお陰。これからは武蔵小杉のイベント情報提供で力になりたい。
(武蔵小杉・レストラン経営・三日市忠明)





それはノックで始まった。雨あがりの夕暮れ、友達をたずねて編集室へ。素敵なスタッフたちに囲まれて、いつの間にか仕事として画用紙を前に鉛筆をにぎっていた。やはりこれが縁だろうか。
(日吉・会社員・板垣ふじ子)





東横沿線に移り住んではや1年。めげたり転んだりしながらも、少しは成長してきたような気がする。編集室へはごぶさたばかり。それでもよろしく。
(綱島・会社員・笠井希代子)






初夏の陽を浴びて多摩川の鉄橋を走る東横線の電車を見るのが好きです。今年の夏で2周年を迎える『とうよこ沿線』。1年また1年と住民の一人一人に広がっていく息の長い雑誌になるよう、皆さまと一緒に応援したい。
(大倉山・会社員・内山時生)





最近、念願の自転車を手に入れるコトが出来ました。近くのスーパーにもこれで毎日お買物に行っています。この間は、元住吉〜多摩川までチャリンコでテニスをやりに行きました。(気持ち、よか?)チャリンコってホントにいいですね!
(祐天寺・OL・加藤京子)




お風呂屋さんに行った。滑って転んだ。悪ガキたちが笑った。彼らと友だちになった。縁は異なもの味なもの。『とうよこ沿線』のキャップ岩田さんと親しくなれたのも全くの偶然。出会いは大切にしたいものだ。
(桜木町・
TV局,栗林幸生)




「東横沿線を歩く会」これを本誌で見た時に、これだ! 日頃の私の運動不足解消と交友関係を広げるのにはもってこいの催し。私はすぐに飛びつきました。そして、ワインとビールばかり飲んでいて名所の菖蒲の美しさは? あまり覚えていないな。
(日吉・和裁見習い・加藤悦子)







「情熱はヒトのこころを動かす」。これが、私のいまの実感。本誌発行を一昨年3月に思い立ち、行動を開始してから2年と5カ月――。元旦だけは休日と決め、あとの364はオツムもデッ腹も『と』の一字にぶっつけてきた。「本当の情熱を証明するのは、創造的な行動の持続しかない」創刊2周年を迎え、しみじみそう思う。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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