編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.636 2015.05.14 掲載

 
『とうよこ沿線』No.10…昭和57年(1982)3月1日

 B5判 紙数:92ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
編集室は心のふれあいの場

          
  カメラマン  森 邦夫(日吉


 

五月晴れのある日の午後、日吉駅に程近い編集室を訪れてみた。中は小ざっぱりとして、編集長ほか2、3名の人たちが机に向かっていた。綱島街道に面した大きなウインドウからは、時折軽快な音と共に通る東横線が眺められた。

 初仕事は校正であった。写真撮影、取材、配本までは、昔取った杵柄とやらで何とかこなしていけた。が、「忙しいことに感謝せねば」との編集長のお言葉に従い、取次店開拓、スポンサー探しと進むにつれ、段々冴えなくなっていった。
 永年住んだ南カルフォルニアの生活環境は、万事「オーライよ、オーライよ」の大らかなもの。その中で、私の性格はオープンでフランクになっていった。それでも飛び込みの営業活動の成績は、芳しくなかった。そんな私が、一つ二つと広告主を見つけてくると、編集長とママは自分の事のように喜んでくれた。

 「この間、自由が丘でお見受けしましたけど」、「えっ」、「写真を撮ってらしたの」
  久しぶりに訪れた画廊の受付嬢と対話を交わしているうちに、文学作品『自由ケ丘夫人』の取材に話が進んだ。編集に携わるようになって、私の話題や人間関係は豊かになっていった。

 “編集っ子”には、人生経験や知識の豊かな人が多い。本作りに参加して、心の触れ合いを持つことが多くなった。渋谷方面から帰ってくると、いつも車窓から編集室を見やるようになった今日このごろの私である。



      

      仲間たち、ふれあい、そしてふるさと

                  大学生  桑原 芳哉
(大倉山)



 

 「こんばんわあ」
 この一言から、今日も『とうよこ沿線』でのひとときが始まります。

 外はどんなに寒くても、編集室のドアを開ければ、体の芯まで暖かさが伝わってきます。それは、古くさいストーブから伝わる暖かさではなく、人と人とのふれあいから伝わる暖かさなのです。だから、編集室に来る人が絶えない限り、その暖かさは消えることはありません。夏は暑くてたまらないかもしれないけど……。

 そんな暖かさがそうさせるのか、編集室での会話は、いつもなごやかです。「編集」の「へ」の字も知らないこの僕が、「編集室」と名のつく部屋で、堂々とうけない冗談を言っているくらいですから。

 「江戸っ子は、3代続いてはじめて江戸っ子」なんて言いますが、『とうよこ沿線』の人間は、編集室のドアを開けただけで、すぐ仲間になれます。群馬県のような田舎から出てきた人でも、何十年も田園調布に住んでいる人でも、みんな「東横沿線コミュニティ」の一員なのです。
 旅に出て、何日ぶりかで東横線に乗った時、「ああ、帰ってきたんだなあ」という、ほっとするような気持ちになるのも、僕がこの「東横沿線コミュニティ」の一員である証しなのではないでしょうか。

 「あっ、もうすぐ終電車だ」。
 あっ、と、もう遅くなりました。『とうよこ沿線』でのひとときは、今日もこの一言で終わります。
 「ごくろうさまでした。おやすみなさい」



         参加、惨禍、賛歌して

ヨガ教師  古賀 公子(新丸子)


 

 右手には迷い 左手には羞じらい、背中には好奇心を背負って尋ねた編集室。桜ふぶきの舞い散る日でした。あとずさりしながら話だけを聞いていたはずの私なのに、編集室を出る頃にはこうべをたてに振っていた。そして帰り道、胸には『とうよこ沿線』のバックナンバーを抱えて。あっぱれ! まさに編集長の情熱の力でした。

 さっそく参加して。
  いきなり表紙のモデル(?)一生に一度あるかないか、宣伝ポスターを見るたびに苦笑。5号ほど売れ行きが気になったこともなかった。

 おそまつながら惨禍して、いやー、原稿を書くこと取材すること、楽なはずはありません。しかし、自分の作ったページが、一冊の雑誌の中に惨禍するとなると、申し訳ないやらうれしいやら…。

 そして賛歌して。
  「住民の手づくり雑誌」この名のごとく、ひとりひとりの持ち味を活かし、無心に編集室に足を運ぶボランティたち、その満たされた横顔を見るたびに勇気づけられるこの頃です。また、これを機会として地域の方々との交流が、私にはかけがえのない財産となりました。まさしく『とうよこ沿線』を賛歌しています。より多くの沿線住民の心をとらえ、愛される雑誌作りを目指して私の小さな参加(大きな惨禍(?)かもしれません)。でもお役に立てたらと思います。
  読者の皆様、是非私といっしょに楽しく賛歌してみませんか!!

横浜が好きで、東横線が好きで

    
                 大学生  
中本 英美
(白楽)

 

 日吉駅ホームに桜木町行の電車がすべりこむちょっと手前、真っ暗な外の風景の中に、電気が煌煌(こうこう)と点いた大きな四角い窓が一瞬見える。その明かりは終電車がなくなってもほとんど消えていない。いつも誰かが居て、文章を書いたり、お茶を飲みながら喋ったり……。明るくて、暖かくて、開放的な所、それが私たちの編集室だ。

 横浜が好きで、東横線が好きで、編集をやってみたくて……。東横線を媒介として集まった素人によって作られるという一味違ったこの雑誌を見た時、私は自分の能力も考えずに飛びこんだ。
 あれからもうすぐ1年。私にとっては何もかも初めてで、とまどうことばかりだった。

 同じ東横沿線と言っても、二つ三つ先の駅になると、通過するだけで降りたこともない。当然何があるかも全く知らない。しかし知らないだけで、すてきな場所、貴重な物は私たちの身の回りに案外多い。それを探し、発見し、取材して紹介する。難しいけれども、これはとてもおもしろくて、貴重な経験になるのである。だから私は、これからも失敗しながら『とうよこ沿線』を支える多くの人たちと一緒にがんばりたいと思う。

 さて読者の皆さん。あなたの回りにも、誰も知らないすてきな情報がきっとあるはず。それを他の人にも分けてあげたいと思いませんか? 思ったら、即、編集室へどうぞ。


              

人との出会いは心の栄養
            
             主婦  矢敷 和子(綱島)


 綱島に引越して来たものの、何かやりたいと思いながら、知った人もなく毎日毎日家の中でゴロゴロ。これが去年の私。
 そんな時、新聞で『とうよこ沿線』発売の記事を見た。これが運命だったのでしょうね。ついつい買ってしまったのです。たまたま『綱島特集』号で、綱島マップなどが載っていて、この雑誌がとても身近に感じられました。

 これが縁というものなのでしょうね。編集室にハガキを出してしまったのです。すぐ編集長からのお誘いの電話。編集会議後、駅名の由来の担当、これが初仕事。多くの人に会っては話を聞く。『マイ・グループ』取材で色々なサークルの方々と、『名門旧家』・『プラットホーム』担当で綱島の皆様と、先月号では国鉄横浜駅長さんの取材。みな、出会いなのです。そして、編集室で顔を合わせる奥様スタッフ、学生スタッフ、勤め人スタッフ……。

 出会う方、出会う方どなたも、何かピカッと輝く何かを持っている。あの人のあの素敵なところを、私も見習いたいな……。なんていつも思っています。

 出会い、出会い、出会い……。
 これからも取材や編集室での出会いを大切にし、私自身を大きくしたい。といっても体は一段とスマートにして『とうよこ沿線』」のお役に立ちたい、と生き生きしてきた最近の私です。
 この欄を読んでくださったあなたとも、お会いしたいなあ!


     情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)





82年の暮明け。「めでたくもあり、めでたくもなし」の心境。振り返るとあまりにも短く、あっけなく過ぎた1年だった。身も心も燃え立つような日が、今年、何日訪れることだろう。
(反町・フリーライター・小山節子)




会員になることができ、今うれしい気分。みんながいる編集室に早く行きたいなあ、なんて思っている別名・クジラです。本業の仕事と本作りに若さでハッスルします。
(祐天寺・
OL・加藤京子)




原稿締め切りは期日をきちんと守り、一字の誤字・脱字もなく、ユーモアとウイットに富み、読んでわかりやすい……。そんな文章を一度でも良いから書いてみたい。
(桜木町・団体職員・伊奈利夫)




締切を過ぎて早うん十日。まだ仕事が終わってません。今回は、いろんな企画に首を突っ込んだ割には何も…。皆様、ど−も失礼いたしました。
(田園調布・学生・有田智子)





『とうよこ沿線物語』の取材は、現在、新丸子・武蔵小杉。先日、編集長と大陣京の原平八氏と、マンガ寺の土岐秀宥和尚にインタビュー。大きな感銘をうけました。次は、日記王・小林英男氏宅へお伺いしたいと思っております。
(都立大学・随筆家・前川正男)




私は駅の売店の配本を引き受けている。8号「楓号」の配本の時は大雨が降っていた。しかし、読者さんが発売日を待っていて買って下さる方がいるので、待ったなしの配本なのだ。残本僅少・嬉しい限りだ。(大倉山・広告業・井上 幹)




冬枯れの街のなか、小さなバイクで「とうよこ街道」あっちこっちへ。このホンダのカブを取材用にと編集室に贈ってくださった読者の直原さん、本当に助かっています。ありがとう!
(元住吉・カメラマン・三戸田英文)




私は今年から2歳ずつ歳を捨ててゆくことにしました。あと何年生きのびたなら頭脳活動フレッシュなスタッフ御一同 に追い戻ることが出来るでしょうか。
(大倉山・会社員・山室まさ)



人より半歩先んじてるものがあれば、それが武器となります。この人でなければできないと言えるものがなければ価値はないのでしょう。がんばらなくては。
(綱島・フリー・中野敏幸)



就職も決まり、卒論も書き終え、あとは卒業式を待つばかり。この4年間は本当に早かった。多くの友人、『とうよこ沿線』との出会い、当選した香港旅行の思い出………みんな私の財産だ。
(菊名・大学生・浅野桂子)





最近『とうよこ沿線』も、だんだんとあかぬけして立派な雑誌になりましたネ、でも素人ぽさはなくさないで下さい」などと言われることが多いのですが、嬉し恥ずかし、なかなかの御意見ですネ、編集長! (尾山台・絵画教室主宰・斉藤善貴)





春、いいなァ、身も心も若返ってくるようだ。足のヤケドも治ったし、陽春の街へさあ、飛びだすゾ! スポンサーの皆様、どうぞよろしく。編集室の若人たちよ、われに続けェー。
(編集室一の古娘・鈴木善子)





今年の初夢は、ズバリ鷹の夢! もう今から、やる気満々です。昨年はあまり良くなかったので、その分も今年に期待したいのです。(昨年は富士の夢だったなァ。)
(横浜・イラストレーター・石橋富士子)





編集室に行く時、電車の中で「『とうよこ沿線』っていい雑誌だな!」とわざとらしくなく言ったら、中年の男の人が耳をかたむけて聞いていました。みなさん、人ごみの中で宣伝しましょう!
(田園調布・小学6年生・磯野 猛)





編集長に「あげたその本を販売してみたら」と冗談みたいに言われた。それを本気にして販売したら何と売れてしまった。うれしい! 200円のこづかいがはいったぁ。
(田園調布・小学6年生・村田 穀)




本誌“楓”号を手にして友人と二人、歴史を秘めた坂と森の道(目黒・行人坂から目黒不動まで)を歩く。お昼は羅漢寺で羅漢弁当8百円を食べ、エビス顔。本当は俳句をつくりに行ったのですが……。
(日吉・主婦・野崎昭子)






フランスの格言に「継続は力なり」というのがあるが、『とうよこ沿線』も然り。これからが正念場――。みな、初心の情熱を忘れず続けよう。
 私も編集室の紹介で読売新聞の「ミナトヨコハマグラフティ」のイラストに追われ、編集室の似顔絵の〆切とにらめっこ……のこの頃です。
(向河原・似顔絵担当・大和功一)





一枚の葉書で、アッという間に仲間に入れていただけて、感動の一日。おまけにへのへのもへじ≠ノ毛のはえたような絵をイラストと呼んでいただいた。これ又感激。末長くごひいきの程を…。
(自由が丘・学生・丸田起弥)




「新丸子節」に桃の紅、菜の黄色≠ニあるようにその景観が綱島辺りまで電車の窓から眺められた。梅号は発行も早く内容も充実していたし、新年会など、会合も多かったので早くさばけた。
(武蔵小杉・火災保険代理店・小林英男)





毎晩会社や学校から編集室に直行、終電近くまでがんばる若い諸君。そのうしろ姿を見るにつけ、シラけムードの若者≠サんな看板を背負わせるのは可愛想だと思ったり、「うちの連中、特別かな?」と欲目で見たり。ともかく、彼らが一心につくった雑誌を読んであげてください、沿線の皆さま。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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