編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.633 2015.05.12 掲載

 
『とうよこ沿線』No.7…昭和56年(1981年)9月1日

 B5判 紙数:100ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      参加して…

          
退屈から脱皮した私

          
家事手伝い  石井 真由美(綱島)


 

私が、編集長にためらいながら電話して、早10カ月。あの頃の私、何もない退屈な日々に、ただいらつくことしか知らなかったのです。
 何度目かのベルで「ハイ、岩田です」と、こわそーな応対。
 「どうしようかな?……エイ、行こう」と勇気を出して以来、編集長との付き合いがはじまったのです。ある時は、きびしい声で怒られ、またある時は、心からほめてくれる人です。今では、私は編集長のとりこになってしまいました。

 つい先日、私が仕事のことなどで悩んでいた時、しばし編集室へ行かなかったことがありました。おそるおそるドアを開けた私に、編集長の、
 「オー、久しぶりだな」の明るい声、
 それにつづく鈴木ママの、
 「ご苦労さま」の澄んだ声、
  涙が出るほどうれしかったことを思い出します。

 そそっかしいことでは天下一品の私、失敗失敗の連続です。が、マンネリの日常生活では体験できないことを知り、それを文にあらわしていく、見ず知らずの人が読んでくれるこの魅力は、学校でも家庭でも会社でも味わえないものです。
 まだまだこれからが私の本番。そして尊敬する長嶋茂雄さんのように「とうよこファミリー≠ヘ永遠に不滅です」と胸を張って言える一人に、私も早くなりたい。



          
          熱中時代! 『とうよこ沿線』編

                主婦  藤田 聡子
(都立大学)



 

 私は、典型的なB型(バストじやないの!)主婦。その性質の中でも特筆すべきは、何にでも興味をひかれるクセである。私を今、東奔西走せしめていることはすべて、「ワァ、おもしろそう。私もやってみたいなァ」の一言から出ている。
 水泳、テニス、料理、etc……。そして、とうよこ沿線≠烽ナある。他の趣味とご同様は失礼かとも思うが、私が参加したキッカケは、友人の誘いに前出のセリフを、思わず言ってしまっただけなのだ。
 ところがである。
その友人は、自分だけ2階から駆け降りて(つまり転居してしまって)、ハシゴ段をはずしてしまったのだ。

 かくして、手紙すら年賀状と暑中見舞しか書かない私が、バックに筆箱を入れ、取材に飛び歩くこととなった。そして専業主婦とは名のみの忙しさに、家庭内火山(主人)≠フ爆発も目前に迫ってきた様子なので、ここのところ手を抜かせてもらっています。……と、ここまで読まれると、キャリアウーマン風であるが、内情は例の悪癖が災いして、どれも中途半端、迷惑を掛けっぱなしである。こんな私さえも歓迎してくれるなんて沿線バンザイ≠ナある。(イヤ、ホンマ!)

 お医者様でも草津の湯でも、このクセは治りそうもないのだが、最近ふと「こりゃ、命取りになるかな」と不安になる。例えば、70歳のオババになった私が「ナニ? 富士山頂でスキー! おもしろそうだネ。私も連れてっておくれ。」と、飛んで行きそうな気がするからだ。

私も惨禍して    

                  絵画教室主宰  
斉藤 善貴
(尾山台)


 

「こんな雑誌もらってきたけど」と母から手渡された『とうよこ沿線』第2号、これがこの本との初対面である。表紙は地味だが、内容の豊富さ、リズム感のある文章、これはそんじょそこらのタウン紙ではないぞ! いったいこんな雑誌を発行しているのはどんなやっちゃ! 「責任者出てこーい!」。

 さっそくイラストを通して編集に協力させて頂くということで、後日に控えた編集会議でその問題の責任者とお会いし、この雑誌に対する熱意や、今までの人生経験の中のエピソードなどお聞きし、その説得力のある口調には、驚き桃の木――。「たった一度の人生、一人の人間として自分でなくては出来ないことをしなくては!」と鋭い目で話す編集長の言葉には感銘を受けました。

 人生の上で自分の気持ちを的確に伝え、主張する手段として、編集長は活字を、私の場合絵というものを選んだわけである。絵具皿に絵具をとき、白紙をひろげる時、必ず感じるある何者かに対するあこがれに似た感動、心の底からふきあがる想い、白紙に、絵具に、そして筆に、それらが持つあるぼう大な可能性への深いあこがれ……。 絵を描くものならだれでも抱く気持ちだが、これ以上の感情が『とうよこ沿線』にとりつかれた男にはあるに違いない。その人間的魅力にひかれ早7カ月、優柔不断な編集員ながら、なんとかスタッフの一人として出入りさせて頂いています。

 しかし今のところ私の場合「参加して」というよりは「惨禍して」の方が正しいのかも。


              あれもしたい、これもしたい     

                 主婦  
浅野 左多子(
大倉山)

 

 前略 いつもカットやイラストで参加している浅野は左多子のほうです。

 私もぜひ、「お宅訪問」や「わが家の味」といった取材をやりたいものだと思いつつ、自分では得意な分野と思いこんでいるイラスト描きの方に追われている始末です。

今回「参加して」に一筆と言われたのですが、私はこのお正月から参加した、いわば中途採用の人なので、えらそうなことはいえません。
 初めて編集室におじゃましたのは、忘年会、新年会と、一番良い時(?)でビールやら煮物やら、私は飲みかつ食べに行ったようなもの。つい「なかなか居心地よさそうだわい」などといい気分のまま今日に至っています。

 ここの編集長というのがもう周知のとうりの変な酋長(?)で「浅野さん、このカット、小さいけれど重要なんだ」などと仕事を押しつける天才で、人のいい私はつい、引き受けるはめになってしまうのです。
 つまり、あなたも、あなたも、皆この雑誌作りをする資格があろうというものです。興味のある人はジャンジャン編集室のドアを押しましょう (私もその一人なのですから)。ここには、いろんな人との出会いがあります。内輪同士で楽しんでるだけなんて嫌いだけど、ここには、そんなところがなくて私は気に入っています。

 でもイラスト描きは実に孤独な仕事なので聞きたがり屋の知りたがり屋の私としては、私もしたい「お宅訪問」、私も食べたい「わが家の味」といった矛盾との闘い(?)の日々。でも、絵を描くことが何より楽しい。


      情報の“送り手”、延べ2333名の声から

   編集の音(抜粋)




売れ行き良好の由、お蔭でいつも贈呈している公共機関やお買い上げのご常連に欠礼の始末。残っても困る、不足も困る、げにままならぬ浮世だが、次号は減らさぬように。
(武蔵小杉・郷土史家・小林英男)





締め切りが過ぎ、原稿、写真、イラスト、ぞくぞく来れど、広告のヤツめ、またまたどん尻とは情けない。「コーコクの興廃コノ一戦ニアリ。各員一層奮励努力セヨ」。東郷大将の気持ち、よーく分かったような分からないような。
(日吉・主婦・鈴木善子)



初めての取材。知らない駅、知らない街、知らない人々――。でも親身になって協力して頂いた人たちの温かったこと。世の中捨てたもんじゃありませんね! 
(白楽・大学生・中本英美)






沿線の駅々をもっと芸術的に……。田園調布の駅を例外としてどの駅の建物もマンネリで新鮮味がない。建築費1パーセントをさいて、建物の構造に町の特色をだしたり、屋上に風見鶏をつけたり、プラットホームのタイルに絵をはめ込んだり、駅前に噴水や彫像を設置して芸術的な雰囲気を出してほしいもの。沿線に住む建築家や芸術家たちにいろいろアドバイスしてもらってはどうでしょう。
(妙蓮寺・大学教授・越村信三郎)






「東横糖尿病協会」副会長に就任して以来、断酒を宣言。多くの酒友を失ったが、先日、本誌の「ちょっと一杯途中下車」の取材に同行。一夜に8軒をハシゴ。ビール、日本酒、ウイスキー、カラオケ……。翌朝、鼻をつまんでの迎え酒でやっと正気に戻った。
(都立大学・郷土史家・前川正男)




熱い夏、汗を流して取材に歩いた日々を50年後の冬に想い出すことができれば幸せです。スタッフに加わって、ちょうど1年目の私。
(綱島・イラストレーター・主婦・板山美枝子)




初めて編集会議に出席。バス渋滞にて綱島から日吉まで普通なら15分位で行けるところ1時間もかかった。お蔭で定刻に大幅に遅刻してしまった。超満員だ。活気でムンムン。少年記者・千葉君の活発な発言に一同目をみはった。
(大倉山・広告業・井上 幹)






雑誌づくりには創造する楽しさがある。「わが母校」の原稿完成までの日々は、思案投げ首、この楽しさの連続――、ホント。美辞麗句を並べたてた学校紹介は禁物。そんなのメチャメチャつまんない。第一、読者に迷惑ナノダ。だから事実に忠実。我田引水的な、自慢話めいた記事は極力避けた。原稿を依頼した同窓生はホンの一部。この雑誌を読んで、俺も書きたかった! と叫んだ人がいたら、謝る。ゴメン。また今度ネ。
(日吉・日大高校教諭・樋口政利)





手づくり雑誌なら私にもできると、編集室に出入りして2カ月。校正、取材、販促等、色々手を出して広告取りでダウン。一流誌作りは、私にはやはり高嶺の花。
(日吉・カメラマン・森 邦夫)





取材を頼まれる。まったくの白紙。さて、どこから取りかかるかと思案投げ首。電話で問い合わせる。図書館へ行く。取材に行く。全体を把握するまでの時間の長さよ。ヤレヤレ今回も終わった。無上の喜び。   (大倉山・主婦・佐藤保子)




かわいい1年生の子に、『とうよこ沿線』のステッカーをあげたんです。2人にあげたのに、その子がクチコミで教えたらしく、5人ぐらいが教室におしかけて、シールちょうだい……。ただいまボクは困っています。(奥沢・小学生・千葉敏行)




ぼくはこんど『とうよこ沿線』にはいらせていただきました磯野猛です。ぼくは、まだ新米ですが、いい文をたくさん書き、『とうよこ沿線』を楽しい本にしていきたいと思います。どうかよろしく。
(田園調布・小学生・磯野 猛)






うまい文章は書けなくても、自慢じゃないが原稿〆切り日だけは守ってきた。それが今年の猛暑に身心共にクタクタ。編集長じきじきの原稿の催促。電話が鳴るたびに、じつは編集長からではないかとビクビクしていたのです。暑さも言い訳。がんばらなくちゃ。
(緑が丘・主婦・内野瑠美)




いつも、原稿が書けない、書けないと、わめいています。今回はもっと最悪。ボツにされた原稿を持って一人寂しく夜更けの道をトボトボ帰りました。道端の電柱を、片っぱっしからたたきながら。電柱にヒビが入っていたら私のせいかもしれません。日吉・会社員・久保島紀子)





「“人”、この字は二人が互いに支え合って立っている姿なんだよ」こんな話を聞いたことがあります。私も一人では原稿を書けませんでした。多くの方々のおかげです。人のつながり、助けあい、大切ですね。
(綱島・主婦・矢敷和子)





今号から初参加です。他のみなさんが土台をしっかりつくった後で、ノコノコやって来たみたいで、少々うしろめたい気がします。が、私なりに楽しくがんばっていきます。どうぞよろしく。
(都立大学・会社員・浜田順代)





美容の話に胸躍らせてインタビューに出撃。テープを回すこと1時間。中年おばさんだとて、手入れ次第では希望が持てるというお説に大いなる収穫″ありと帰ろうとしたとたん「3枚以内にまとめて下さい」という巌しいお達し。初仕事はきついきつい文字との格闘で終わり。
(大倉山・主婦・佐田美智子)




ここにあったヒトリシズカは植えたものです。盗って行かれた方、もどして下さい(花咲爺さより)――と書かれた小さな立て札が大倉山公園にありました。いつまでも心に残ってなりません。
(元住吉・ライター・朝凪愁星)




『とうよこ沿線』に参加させていただいて、楽しい気分を味わっております。思いがけない新しい方がたともお知り合いになれ、生きている幸せをしみじみと感じます。あなたともお友達に……。
(元住吉・歌手・久保幸江)





個人プレイではありません、「沿線」のお仕事は。だから駅売店や店頭のラックに残り少い部数を見かけると、「追加をお届けしましょうか」。ついに担当外のお店まで声を掛けたくなります。それほど気になりますの、『沿線』の売れ行きが。
(大倉山・主婦・山室まさ)

















 本号の表紙の出来、いかがかな?

沿線の一人でも多くの皆さんに愛され親しまれる雑誌を大目標に、その顔″のメーキャップ≠ノずーっと悩みつづけてきた。男のくせに……。

 ある時『井崎一夫の漫画はがき』なるものが私の手中に。以来、なんとも温か味のある絵であることか……、とその魅力に取りつれてしまった。それからは、変な男が都立大のベテラン先生宅へ夜討ち朝駆け、三拝九拝。

 引受けられた情熱の先生は、灼熱の多摩川を隅から隅まで歩くこと3日間、そして描きあげた絵を納得するまで十数枚描きかえるほどの凝りよう……。ようやくご自分が納得されたのがこの表紙絵――。
 乞う、皆さんの表紙のご感想!
(本会代表・編集長・岩田忠利)



絵:井崎一夫
(漫画家)
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