編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
 NO.629 2015.05.09 掲載

 
『とうよこ沿線』No4…昭和56年(1981年)3月1日

 B5判 紙数:96ページ

 頒布:有料 定価200円
   
      
       読者投稿(抜粋)  テーマ<わたしの仕事>

         明日のスターをめざす若者と…

           STA勤務
 高橋千代子55歳 渋谷区神泉町)



 「もスもス…、あのうー、ア、アカデミーですか。わたス、タレントになりたいんス。顔がええ、とみんながわたスのこというんデス……。わたスもズスン(自信)あんデス…」

 電話の主は北国の人で、温かい感じの女の子だ。さっそく私は彼女にオーディションの通知を送ってやる。そして最終審査の結果、本人のあまりの熱意にほだされて、入所手続書を折返し送付してやった。と、また電話が、
 「あのー、レッスン料は、わたスの方で、お金出すんデスか……? 」

 採用通知を見て、さすが現代っ子、純粋というのか厚かましいというのか、早くもタレントになったごとく錯覚している。私はこういう若い人には困ってしまう。

 私の仕事は、新人タレント養成所″の事務局勤務。この会社は渋谷にあるシンエイ・テレビアカデミー(STA)といって、春と秋に新入生を募集する。有名女性週刊誌にわが社の広告記事が掲載されると同時に、私の仕事は急に忙しくなる。東京近郊はもちろん、東北、北海道、九州から、ひきもきらず問い合わせの電話が鳴りっぱなし。



電話応対中の筆者

 あの彼女も、その中の一人だった。このような問い合わせの応答、申込書の郵送など入所に至る一切の事務、そして生徒たちからお月謝を納入させる重要な役割も、私の仕事なのである。

 私の事務所は、明日のスターをめざして全国から集まる若者たちの期待感に満ちている。デスクには女優志願の若く美しい女性がいる。それは、ちょうどレストランに並んだサンプルのように、わが社の看板にもっと適した人が座っているのだ。

 だが、そのサンプルさんが健康上の理由で突然辞めてしまったのである。どういうわけか、急拠、暗黙のうちにこの私がこの席に座る羽目になってしまった。

始め、サンプルのあまりの違いに生徒たちは目を白黒させていたようだ。私はいま、やっとその劣等感から開放された。それというのも、私の存在があのスターを夢みる生徒たちに大いなる優越感を与えているようであるからである。

女性弁護士の私は……
弁護士 横溝正子(横浜法律特許事務所 川崎区砂子在住)


きょうも奔走する横溝弁護士
 

 私のしごとは弁護士。その中心は「民事」事件の代理人としての活動と「刑事」事件の弁護人としてのそれです。ほかに横浜市の法律相談の担当、裁判所の調停委員としての調停、そして団体から依頼の講演。

 「弁護士をお嫁さんにするの! 女の弁護士なんて、足を組んでタバコをプカブカふかし、いつも帽子をかぶっているんじゃないの? そんな人をお嫁さんにして大丈夫?」

 17年前、私と夫の結婚話が出たとき、夫の母が発した言葉だそうです。これを聞き、私は思わず憮然としたものです。大方の印象がこんなところかも知れません。

 しかし婦人弁護士とて、取り立てて変わっているわけではなく、ちょっと正義感が強く、ちょっと頑張り屋が多い程度。ほとんどの人が結婚し、子供を持ちます。そして、ほかの有職女性と同じに家庭と仕事の両立に悩んだりしています。

 弁護士は他人の苦労を背負い込む面があり、背中が痛くなるほどあれやこれや、悩むこともあります。他面、うまく解決できた時の嬉しさは、何とも言いようがありません。

 仕事をするうえで、裁判所でも検察庁でも、女性弁護士が差別されることは「表向き」はありません。表向きだけでも、男女差別がないということは大変大事なことだと思います。
 この道へ入って16年、私も今が働き盛り。前後、左右をよく見廻し、バランス感覚を保ちながら、頑張っていきたいと思います。


          技能五輪に参加したボク
    

      コック
 半谷興道(ザ・ホテルヨコハマ コック 19歳  中区山下町在住)


 ぼくはザ・ホテル・ヨコハマのコーヒーショップでコックとして働いています。ここのコーヒーショップは、朝7時にオープン、主に宿泊客の朝食を作ります。卵料理や和食の朝食。そして11時からはランチです。ランチがディナーにかわり23時にオーダー・ストップとなります。

 ぼくにこの仕事場の親父であるチーフがある時、こんな意外なことを突然口走ったのです。
 「技能五輪に参加してみないか?」と。深くも考えずぼくは「参加します」と答えてしまった。大会の課題にいざ目を通したところ、驚きとともに、責任を感じました。それが今まで調理したことも、口にしたことも無い料理なのです。
 そこでその課題を毎日、先輩に教えていただきました。なにしろ初めてなのでよく怒られました。なぜ、怒られてまでして大会に参加しなくてはいけないのかと再々考えたものです。しかし、褒められ時もあった。そんな時は、とてもうれしくて一生懸命に練習したものでした。

 神奈川県大会では、慣れていない料理と会場の雰囲気にのまれて、アガってしまいました。
  結果は、やはりダメでした。そして一年が経ち、チーフから「もう一度参加しなさい」と言われましたが、ぼくは前回の苦い経験から断りました。しかし、チーフや先輩の説得に、再び出場することになったのです。
 今回は、とても落ち着いて、自分のやりたいものに手もスムーズに動きました。結果は、なんと第1位=c…。とてもうれしかった。

 またまた、「今度お前は、全国大会へ参加するのだ!」と言われたのでした。またもイヤでたまらない。自分の仕事場でのチーフとホテルでの料理長・ムッシュが練習には手を取って教えてくれました。全国大会に対する不安とムッシュに教えてもらう緊張から夜もろくろく眠れない日もありました。

ムッシュはとても優しく、そんな優しさが自分をがんばらせてくれたのです。そして、ついに全国大会――。この時も、忙しいムッシュは付き添って来てくれました。

 結果は、輝かしい優勝≠ナした。こんなうれしいことは生まれて初めて……。何のとりえもないボクが……と思うと、どうしても信じられません。その喜び以上に、ムッシュや先輩方のありがた味が日が経つにつれ、ジワジワと湧いてくるのでした。



ぼく(左)と木川料理長
  
      参加して…

          飛んで火に入る夏の虫 

              
主婦  佐藤保子(大倉山)

 「校正ってナーニ」「割付けってどう言うこと?」これが3年前の私の姿。
  息子の中学校のPTAの役員を有無も言わさず押しつけられ、与えられたのは広報部というところで新聞作り。その時学んだのは、未知の事を知ること、皆で力を合わせることなどが、何事にも代えられない喜びだという事実でした。

 昨年の初夏、新聞でとうよこ沿線″編集者の募集記事を見た私は、「これだ! 面白そう。でもヤメタ。皆ベテランばかりに決まっている……」。しかしチャンスは再びめぐって来ました。「外国人と日本語で話そう」の本誌主催の新聞記事です。いつも英語で痛めつけられているので、たまには日本語で溜飲を下げてやろうと当誌を取りに日吉の編集室に来たのが運のつき。

「雑誌作りに協力してください!!」の編集長のスゴーイ迫力に負けた飛んで火に入る夏の虫は、取材・執筆・校正・販売と飛び廻わされ、忍耐と努力の連続――。
  今まで何気なく読んでいた新聞、雑誌の編集の裏に隠れた血と汗の滲み出るような苦労を思うと、あだやおろそかにポイと捨てられない気持ちでチラシのイラストの細部にまでジーッと目をこらして眺める昨今です。

 内気で控えめだった私が、広告取りに歩いているなんて誰が信じるでしょう。やろうと思えば何でも出来るものなのですねェ。

 こんな女に誰がしたァー。そこで<カンナン汝を玉にす> <玉麿かざれば光なし>
  この句を座右の銘とする事に決めました。早く玉にナリタイナァ〜。



          動悸を抑えての取材活動が…

                      主婦  吉谷恵美子
(綱島)



 

 昨年の9月、お茶仲間の新聞の編集をしていた時、この本を知りました。年1回で8号になるお茶の新聞が、相も変らぬということで、編集について少し勉強しなければと思っていた矢先、渡りに舟とばかりにスタッフの一員に加えていただきました。

 「来るものは拒まず」のアットホームな編集室に顔を出すようになって、めまぐるしいほどのいろいろな体験。最初、編集≠ニいうものを少しでも盗み見られたらそれだけで幸いと思い、「雑用ならお手伝い出来そうですので……」などと殊勝なことを言っておりました。
 が、編集長から「能力以上のことをやってみないか」と勧められると、断りもせず胸の動惇を抑えてホイホイ取材に……。初めての取材らしい取材は東横線渋谷駅長さんでした。俳優さん、学者さん、国会議員さんなど……にも会い、四苦八苦して文章も書き、そしてお料理のカメラマンまでしました。恐いもの知らずとは、このことでしょう。

 さまざまな考えをもった沢山の方たち。本当にいろいろ考えさせられ、学ばせていただきました。
 暇をみつけては編集室にやって来るスタッフたちは、一様に明るく、どういう訳か忙しい毎日を送っていらっしゃる。とかく視野が狭くなりがちな主婦にとって見習いたい面をたくさん持っている方ばかりです。

「出来そうにないと思ってもやってみるんだ。きっと向上するよ」という編集長の言葉は、今も耳に残っています。


 

        人間が好きだから    

                  川崎市人生相談員  
石川静恵
(高津区北見方)


武蔵小杉駅前にある婦人会館の3階相談室で相談員の私は、来訪者……つまり人生相談に来る人を待っていた。つれづれなるままにふと手にした机上の雑誌。この一瞬が本誌と私の幸運な出逢い(私サイド)、悪縁の始まり(本誌サイド)となった次第。

 川崎全市から選ばれた我々10人の相談員が、それなりの勉強もして腕を撫して待機しているのに、相談室の扉を叩く人は数少ない。さほど悩み少い世とも思えないので、これはひとえに存在を知られていないゆえと、本誌の誌上で紹介して欲しい旨電話した。

 岩田編集長のバリトンとテノールとアルトのカクテルだみ声応待も心地よかったし、同年輩の鈴木ママさんの存在も嬉しく、私は欣然とこの輪の中に飛び込んだ。

 自然と人間、この大切なもの二つの二者択一を迫られた時、私は躊躇なく後者を取る。前者を選ぶ人に科学者・物理学者などあり、後者に作家・芸術家などがいるそうだが、ともあれ私も後者側。愚かでいじらしく涙ぐましく強くて弱い、もろもろの人間像を愛する。あの一つ一つの窓の中にそれぞれの愛憎悲喜劇があるのだろうなと思う時、愛おしさの余り団地の建物全部を抱きしめたくなる。(ゴジラみたいなどと言わないで)

 取材でいろいろの人に逢い、各種各様の人間の素晴らしさに接しられる喜びの大きさは、想像以上の収獲であった。初老の域に入る私の持ち時間はそう多くない。しかし本誌が与えてくれる充実感を支えとして、残照の中にキラッと輝いていたい。


       情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)





初春の夢――。東横線の駅々を10階建てのビルに改造、屋上を児童の遊び場に、9階を子供の宮殿にする。主婦たちは幼児を預けて、さっそうと通勤。「子供は王様」というモットーは北朝鮮の専売ではない。
(妙蓮寺・大学教授・越村信三郎)





沿線の緑と共に、子供の頃から馴れ親しんできた、グリーンの電車がだんだん姿を消していくのは淋しい。せめて銀のボディに緑のストライプを入れてくれたらいいのに……。
(学芸大・交通評論家・江間守一)




類は類を呼ぶ。取り憑かれた男のもとに馳せ参じた、これまた取り憑かれた紳士淑女たち。その共通項は粗忽(そこつ)、単純、お人好し、野次馬根性丸出し、人好きでおしゃべり…。そして美男美女?
(日吉・主婦・鈴木好子改め、鈴木善子)





憧れのカネボウ・伊藤社長邸を訪問できたなんて本当に光栄なことです。社長さんの温かいお人柄にふれられたし、色々なお話も伺えたし、とても勉強になりました。
(菊名・学生・浅野桂子)











或る日の午後の東横線。田園調布で乗った高価な毛皮姿の老婦人。お歳は70以上で足元がヨチヨチ。すかさず立ち上がって席を譲ろうとした女高生を睨んで「結構ざまス」。クソッたれ婆あめ。
(大倉山・ボクシング評論家・石川 輝)








素晴らしい人達との出会い、初めてのインタビュー、レイアウト。何だか授業料免除で勉強させていただいているようで申しわけない思いです。せめて非力は体力で≠ニ思っていましたが、それも現在、自信喪失気味……。
(都立大学・主婦・藤田聡子)





世の中思うようにいかない。イライラしていると、「風呂屋取材に行ったんだろ。綱島温泉へでも入りに行ったら」と息子。「なぜよ」。「ヒステリーに良く効くって広告に書いてあったぞ」。鳴呼。
(大倉山・主婦・佐藤保子)





沿線の現在を書き残し、またあまりの変化の激しさに埋もれ忘れ去られる過去、それを発掘することによって、本誌は資料としても保有しておく価値があると私は信じています。
(元住吉・医師・布施徳郎)






コミュニティー活動には、その成員の民度の高さが不可欠だと思います。既存の組織や行政の枠を脱却した本会のような活動こそ、真の地域活動に迫るもの。自らの地域を自らの手で育てていこうとする心に支えられ、それが結実したのが『とうよこ沿線』。今後を期待します。
(日吉・公務員・飯島悦郎)





60万石の大名でも世に知られぬ馬鹿殿様もあった。芭蕉も頼山陽も一管の筆によって重きをなした。石に刻まれた文字よりも紙に記された文字の方が遥かに重い。その教えのひとつが『とうよこ沿線』であるかも知れない。
(等々力・郷土史家・豊田真佐男)



この世に生まれて、4分の1世紀を過ぎてから、今まで一度も日吉から離れなかったことに気付いた。道産子の血をひく日吉っ子。『とうよこ沿線』を通して、野次馬根性を大きく立派に育てたい。
(日吉・事務員・浜 理恵子)




今まで何気なく見ていた風景にも、編集のお手伝いをするようになってからは、心に留めて見るようになった。今年もすべての面に意識の目を育てたい。書くことの難しさを知るのは、それから、か…。
(菊名・絵本作家・川崎常子)




詩――優れたイエローの春に、あなたの遠い神々が、そうであったように、足もとの草や木から、足もとの動物たちから、足もとのルールを、静かにそして酷しく、教えられた。人は人だけで生きられないことを。
(綱島・会社員・細川達男)




仕事に追われた日々、いつしか敷居が高くなっていた編集室。「この道忘れたのかい」と編集長からの電話。恐る恐る訪ねると、仲間のいつもと変らない笑顔。あ――、ここが私には最高の憩いの場だ。
(綱島・店員・石井真由美)



大倉山に居住して20年余り、附近の野山で採集した昆虫標本が20数個の標本箱になりました。住宅や工場が増えている現在の大倉山かいわいですが、まだまだ自然を、探し楽しみたいと思います。
(大倉山・電電公社員・松本幸雄)




ちょっとひと言……。今の物価高のご時世にこれほどの雑誌が「非売品でタダ」というのも、首をかしげたくなります。永く続けてもらうためには、大変な経費の一部だけでも有料化で充当したら? 
(狛江市・会社員・茂手木勝己)




ふとしたキッカケで編集室を知り編集長の誠意に打たれました。仕事の傍らお手伝いでもと思っております。いつの日か、老骨にムチ打ってそれが生き甲斐になれることを楽しみにしております。 
(大倉山・会社員・山室まさ)



似顔絵ならなんとかなると、引受けたが、外面が似てるだけではだめ…。人間の内面まで表現できなければ、よい似顔絵とは言えないようだ。まだまだ勉強しなければ…。
(向河原・似顔絵担当・大和功一)




投稿者の皆さんの年齢がまちまちなのを喜んでいます。次回からも、さらに幅広い層の皆さんからの力作を楽しみにお待ちしております。
(南加瀬・東横ポエトリー選者・荒川洋治)





私たち有志8人は1月23日東急本社を訪ねた。東横線各駅に夢の箱$ン置という私たちの企画を携えて。応対に当たった遠藤管理部長と町田係長の色よい返事を、一日千秋の想いで待つこの頃。 
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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