編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.628 2015.05.09 掲載

 
『とうよこ沿線』No3…昭和55年(1980年)12月1日

 B5判 紙数:96ページ

 頒布:無料 希望者に最高300冊進呈
   
特集
      第3回誌上座談会「わが東横沿線を語る」

 
     テーマ<心に残る沿線のくらし>

  
 出席者の皆さん(沿線各駅代表)

斉藤秀夫さん(神奈川区代表。神奈川区旭ヶ丘在住。祖父の代、明治20年代後半から横浜に住む3代目。横浜市立大講師(地域政治論)。51歳
小林英男
さん(中原区代表。中原区小杉御殿町在住の7代目。小学校教諭、旧中原町助役、川崎市議、川崎市文化協会長など歴任。78歳)
竹若勇二郎さん(長唄家元。邦楽東明流家元。芸名・杵屋勘次。大田区代表。昭和元年から30年まで田園調布に住み、今も仕事場は同地、自宅は中目黒。64歳。)
豊田真佐男さん(世田谷区代表。江戸時代の家業は酒造業で、いまの屋号が“酒屋”。世田谷区歴史研究会理事、民生委貝。俳人。56歳)
安藤金三郎さん(目黒区代表。徳川時代初期から先祖は自由が丘。自由が丘商店街振興組合の前副理事長。いまは同街史編纂委貝長。画家,63歳)
川田 需さん(港北区代表。日吉で鎌倉時代から続く旧家の当主。歯科医。70歳)
和田由美さん 渡辺昌枝さん(渋谷の資料を持参、オブザーバーで出席。両人はいとこ同士。先祖は元禄12年渋谷で創業の酒問屋、宮益にあった「橋和屋」)

 司会 岩田 忠利(「東横沿線を語る会」代表。本誌編集長)

      参加して…

       感動の涙を流せる喜び        
                      
                      
出版社勤務  久保島紀子
(日吉)


  こんなにも人と人との出会いというものがすばらしいものだったとは――。いつの間にか忘れかけていたものを、最近、少しずつ取り戻してきたような気がします。今ふり返ると、涙を流すということさえ、どこかに置き忘れていたような……。

 『とうよこ沿線』の活動を無我夢中でやり始め、次第に、大切なものを一つ一つ取り戻して行く自分に気がついたのです。それと同時に生来の涙もろい自分に戻り、今では目をうるませっぱなし。人ってなんていいんだろう。こんな人もいるんだっていうことをみんなに教えてあげたい、という気持ちでいっぱいになります。それなのに文字にすることのできない自分がもどかしい。

 目を輝かせて自分の夢を語ってくれる人に会った時、偉い先生がご自分で私のためにお茶を入れてくださった時、2度目の取材に行き、目があった途端とても素敵な笑顔を見せてくれた人。(私のことを覚えていてくれたこと)、別れぎわに「楽しかったよ」って言ってくれた少女に会った時……。感動の涙を素直に流せることの喜びを感じています。そしてまた、その感動をいっしょに分けあえる人がそばにいるということは幸せなことです。

 このきっかけを作ってくれたのは、いつも夢を持ち続けている(そしてこれからもずっと持ち続けるであろう)編集長であり、スタッフであり、その中から生まれた『とうよこ沿線』」なのです。


          自分を成長させてくれるこの会…

                     学生  浅野桂子(菊名)



 

 私はフェリス女学院大学の国文科の3年生です。学生である私が「東横沿線を語る会」を知り、現在編集スタッフの一員であるということは、私に大きなプラスとなっています。
 今までは、同年代の学生社会しか知らなかったのに、この会にはいったおかげで、いろいろな年代・職業の方と接することができるようになったからです。岩田編集長を始め、熱心なスタッフの方々には、頭が下がります。情熱的で活動的でやる気満々の人たちの集まりが、この会です。

とくにご主人や子供の世話をしながら、毎日のように取材に走り回る主婦の方々は、相当なものです。プロも顔負けです。それに比べれば私など、「学生だから」という甘えがどこかにあるせいでしょうか、他のスタッフの方々の足元にも及びません。私に限らず、どうも今の学生はやる気がない人が.多いように思えます。

 また、他の人の話を聞くということの大切さを、私に教えてくれたのもこの会です。取材でいろいろな方とお会いしてお話をうかがうたびに、自分が少しずつ成長していくように思えます。自分と全く違った世界に生きる人のお話は、とても興味深く新鮮です。

 取材や編集会議は楽しいのですが、一つだけ苦しいことがあります。それは文章を書くことです。いつも、大学の授業でやっている「文章表現論」の教科書を片手に、消しゴムにまみれながらこの原稿を書いています。
 この会は、私を成長させる要素をたくさん持っていると思います。


       情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)





反響を2つ、3つ紹介。本誌を早速知人に配布したところ新丸子駅前のH君、とてもなつかしい写真が出ているので回覧している。中原消防署前のH君、読みでがあるので毎日少しずつ読んでいる。小杉駅前のK氏、長続きすればよいが……?
(武蔵小杉・郷土史家・小林英男)



岩田編集長の心意気に、少しでもお役に立ちたいと参加したばかりです。健康であることの素晴しさを特に感じている私なので、それを生かして仕事をしたいと思っています。
(反町・主婦・室井絹子)



初めての取材で緊張気味。そのうち、「どうにかなるさ」と居直って、なんとか取材を終えました。初対面の私なのに、快く取材に応じて下さったお風呂屋さん、ありがとうございました。
(武蔵小杉・音楽講師・内田恵子)





「3号は散号(さんごう)になるよ。何回となく耳にした言葉。広告集めも持ち前の強気と信念でなんとか。編集室のおんな牢名主を自認(?)の私も、皆様の善意にはいつもホロリとさせられています。
(日吉・主婦・鈴木好子)





現実から逃げ出したい……そんな気持ちの晩秋。精神の混乱する中でもがいていた私。『とうよこ沿線』がなければ蒸発してただろう……。
(綱島・イラストレーター・板山美枝子)




ほとんど車で動いていたのに、この編集に携わるようになってからよく電車に乗る。これが実に便利。なによりも速いし駐車場の心配がない。第一経済的である。ひとつ豪華に食事でもしましょうか。 
(綱島・主婦・吉谷恵美子)




日吉に落ちた隕石が、強烈な力で震動開始。東横沿線の人々の目を覚まさせた。水に投じた石のように輪が段々と広がって、輪が和になってできた雑誌。「初心忘るべからず」を肝に銘じながら。鮮度をいかに保つかは、私と雑誌の共通課題。
(日吉・主婦・野崎昭子)




皆さん、特に女性陣活躍で第2号は本当によく出来ました。ただ、欲を言わせていただけるなら、全体に力みすぎている感じ。もう少し肩の力を抜いて、気を楽にしたら……と思います。
(大倉山・ボクシング評論家・石川 輝)





『とうよこ沿線』を小学校や農協へ配布したら、お母さんたちに1号もほしかったと大層喜ばれた。表紙、赤いケイトウの花もよかった。これから花木と人とのふれあいを語るページをふやして欲しい。
(武歳小杉・建設業・原 平八)





第2号の配本からお手伝い。いまの私の実感はただただ、ビックリ お金のほうはどうなっているのかしら? 私の願いはこの雑誌がいつまでもいつまでも続くこと。それだけなの。
(綱島・主婦・矢部黎子)





相手に自分の気持ちをハッキリ伝えることが会話の基本だが、相手の気持ちを傷つけないという日本語の発想がそれを邪魔することがある。前置き、理由、言い訳などを省くことを心掛けてみたら? 
(渋谷・日本語学校経営・中西郁夫)





砂あらし吹き荒れる“とうよこサバク”
道しるべの樹よ 倒れるな  道しるべの樹よ 埋まるな  道しるべの樹よ 育て
(綱島・会社員・細川達男)




さまざまな人が参加しており、とても興味深く、タウン誌の新たなる方向性を感じました。今後は、作り手の素人っぽさや自己満足に陥らず成長してほしいと思います。
(横浜・イラストレーター・赤坂義樹)




東京と神奈川の文化の交流は今まで多摩川という国境によって阻まれていた。国境の開所を開門させたのが、東横線。関所を踏み破った者は岩田弁慶。しかし岩田弁慶は絶対に立往生してはならない。
(等々力・郷土史家・豊田真佐男)




久しぶりに編集室に顔を出すと、新しい仲間の方がいっぱい増えていた。そして、たったいま、初対面の挨拶を交わし人と賑やかに喋りながら仕事をする。これぞまさに『とうよこ沿線』最大のメリット!
(綱島・主婦・有馬新子)





地域コミュニティーとはいったいなんだろう。それぞれの人が自身の心を持ちよってそこに一つの集約されたものが出来る。すばらしい事だ。一つの輪はきっと幾重にも広がっていくだろう。期待!  
(南千束・フリー・青山雄价)




「こんな立派な本をタダで貰っていいの」と配る人ごとに目を丸くされた。皆が協力して、取材なども短期間に、これほどの本を作ったことは、本当に素晴らしい!
(緑が丘・団体役員・栗山重治)





先日の「外国人と話す集いは大変よい企画だった。私達グループのテーマは、「子供のしつけ」。人間の成長過程で最も大切なときに保育園に預けることは、肉休・精神の両面で非常にマイナスだ。
(武蔵小杉・著述業・ローゼ・レッサー)





ああ困った、困った。またまた何でも知りたい精神が始まった。ひまな人ねェ、と蔭の声が聞こえそう。だけど、死ぬまで直らない。だから死ぬまで、『とうよこ沿線』で頑張っちゃう。ガンバリおばさんで。
(大倉山・主婦・佐藤保子)





編集とはまったく大変な仕事だと思います。馴れない取材では手ちがい、勘ちがいの続出でシドロモドロ。しかし97歳のおばあちゃんは、すばらしかった。個人的にもう一度会ってみたい。
(綱島・機械設計・宮原嘉嗣)









足跡のない新しい道――。人っ子一人通らない雪原を歩むときは、つねに不安と希望がある。それは学生時代の、山の単独行で知った。
あの頃あの時を思い出しながら、私はこれから、新しい道をめざしてみたい。しかし、いまここには、一緒に頂上をめざす多くの楽しい仲間がいる。この仲間と一緒なら、たとえ前途にどんな茨の道があろうとも、互いの勇気と思い遣りが、その難関を突破させてくれるであろう。
 そう信じると、私の夢は果てしなく、ますます希望が湧いてくる……。
(本会代表・編集長・岩田忠利)

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