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世の中で一番おいしい食べ物は、ホウレン草のおひたし――これは昭和24年の第3次吉田内閣の厚生大臣になった、赤坂とらや≠フ主人・黒川武雄氏の言葉。私も同感、いまだに忘れない。
(大倉山・ボクシング評論家・石川 輝)
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私は新聞配達員。創刊号をお客さんにあげたら、みんな大喜び。「次号はいつ? また持って来てくれる?」とせがまれたり、ねだられたり。こんな喜ばれたことってあったかナ?
(日吉・新聞配達店経営・加藤富也) |
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何もかもが新鮮に感じられるこの頃。単に視覚の中を通り過ぎていたことが一つ一つ私の心を引きつける。力不足を痛切に感じながらも、少しずつ変わる自分を見つけました。
(日吉・出版社勤務・久保島紀子)
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気前よい広告協賛者の温かさに感激したり、トコトン値切る先方の冷たさに涙したり。でも大勢の読者が待っている。広告こそ、本誌発行の経営基盤かと思えば3号へ、またファイトが湧いてくる。
(日吉 主婦・鈴木好子)
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いろいろな人達が、それぞれの形で参加しているだけに、寄せ鍋になるのかチャンコ鍋か、はたまた闇汁か……。ともあれ2号目にあたって、徐々にではあるが育ての苦しみに変わりつつあるようだ。
(代々木・漫画・曽我二郎)
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若さ一杯の人達が足でとってくる原稿が出来上った時、心ひかれる本となる。本誌の編集部員は、まさしく足でとってゆく。いくら便利でも電話での取材は、なかば価値を失っている。春秋に富む人達の活躍を期待したい。
(日吉・医師・吉村忠一)
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綱島駅で創刊号キャンペーンに参加し配りました。手渡した奥様に「近所の人にも差し上げたいから」といわれ、数冊を差し上げました。お礼にと、お菓子をいただいて恐縮しましたが、皆様に喜んでもらい、うれしいキャンペーンでした。
(綱島・パン教室主宰者・李家ミユキ)
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週刊誌・月刊誌よりも読みごたえのあるこんなタウン誌が、かつて存在したでしょうか。「東横沿線」から、ゆくゆくは「東急沿線」まで、この隔月誌が発展し愛されてゆくことを願ってやみません。
(田園調布・主婦・殿岡時子)
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編集のカット、スケッチどれも私にとって真新しいものでした。絵画を本業にしていても、それだけではダメだということをこの雑誌に教えられました。
(奥沢・学生・島田浩子)
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前号で井上正夫碑の記事は多大な反響を呼び、とくに北条秀次氏(劇作家)や水谷良重さん(女優)からも伝言をいただきました。この碑は何分にも個人所有の土地にあるため如何とも仕様がないが、碑の存続は今後も見つめたい。
(日吉・画家・林 衝)
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創刊号の無料配布キャンペ−ンに参加! 無関心に通りすぎる人が多い中、立ち止って読みはじめ熱心に質問してくださる方、最後の一冊を「幸運だったわ」と何回もおっしゃる方、少数ではあってもこのような方々がいて、とてもうれしい体験でした。
(代官山・主婦 三樹久恵)
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偶感――。“文は人なり”という格言から定義すれば、『とうよこ沿線』の出版は沿線住民の“民度”の高さを証明している。私は郷土史発掘を生涯の宿題と心がけているので、この道を通じて読者に奉仕する。
(等々力・俳人・豊田真佐男)
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東横サバクに樹を植えよう! 味ゆたかな樹を植えよう! 人に語り告ぐ樹を植えよう!
樹は道しるべ
(綱島・会社員・細川達男)
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締切2日前、心が高揚して眠れないまま夜が明けた。突然、窓の外から音楽が流れこむ。ベランダに出てみると、空にステキな虹がかかっていた。きれいな朝顔が7つ開いていた。太陽が静かに昇っていく……。
(綱島・イラストレーター・板山美枝子)
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ゼロから1、1から2……。やっとここで点≠ゥら線″になった。次号3がうまくいけば面″となる。そこで初めて、私のホップ段階は成功する。沿線の仲間はもちろん、全国の同志と、さぁ大きくステップ、ジャンプ‥‥‥。
(本会代表・編集長・岩田忠利)
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