編集:岩田忠利 / 編集支援:阿部匡宏 / ロゴ:配野美矢子
NO.627 2015.05.08 掲載          

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『とうよこ沿線』No2…昭和55年(1980年)9月30日発行 号名「秋」

 B5判 紙数:112ページ

 頒布:無料 希望者に最高300冊進呈
   
特集
      第2回誌上座談会「わが東横沿線を語る」

 
     テーマ<心に残る沿線のむかし>

 

ひとの人生に、それぞれ過ぎ去った歴史があるように、私たちのこの町にも歴史がある。

たとえ、ちっぽけな空間であれ、そこには汗と涙で築いた先人たち、その多くの足跡そのものが歴史である。
 いま、同じ地に生きる私たちは、それを知り、現在と未来に活かさなければならない。わが町こそ…と次代が誇れるように。

そこでいま、東横沿線の行政区分を越え、7区8名の代表が、上丸子山王日枝神社に集い、晩夏のかすかなセミの声、扇風機の風を背に、『沿線の昔と今』を大いに語る――。



 新丸子駅東口から多摩川に向かって徒歩5〜6分。
 平安時代創建の上丸子山王日枝神社社務所に各区代表、地域の“生き字引”が集う
                          
  撮影:川田英明(日吉)








  
 出席者の皆さん(沿線各駅代表)

斉藤秀夫さん(神奈川区代表。神奈川区旭ヶ丘在住。祖父の代、明治20年代後半から横浜に住む3代目。横浜市立大講師(地域政治論)。51歳
小林英男
さん(中原区代表。中原区小杉御殿町在住の7代目。小学校教諭、旧中原町助役、川崎市議、川崎市文化協会長など歴任。78歳)
竹若勇二郎さん(長唄家元。邦楽東明流家元。芸名・杵屋勘次。大田区代表。昭和元年から30年まで田園調布に住み、今も仕事場は同地、自宅は中目黒。64歳。)
豊田真佐男さん(世田谷区代表。江戸時代の家業は酒造業で、いまの屋号が“酒屋”。世田谷区歴史研究会理事、民生委貝。俳人。56歳)
安藤金三郎さん(目黒区代表。徳川時代初期から先祖は自由が丘。自由が丘商店街振興組合の前副理事長。いまは同街史編纂委貝長。画家,63歳)
板垣大助さん(港北区代表。日吉で16代続く旧家の当主。民生委員。農協役員等で地域に貢献。造園業。58歳)
和田由美さん 渡辺昌枝さん(渋谷の資料を持参、オブザーバーで出席。両人はいとこ同士。先祖は元禄12年渋谷で創業の酒問屋、宮益にあった「橋和屋」)

 司会 岩田 忠利(「東横沿線を語る会」代表。本誌編集長)

新連載



題字・イラスト:大和功一(向河原)

人間、外見を飾ろうとしたら、いくらでもきらびやかに着飾ることもできる。でもひとたび裸になってしまえば、そこには生のままの人間模様がある。
 ひとり暮らしの私には、別に声を交わさなくても、お馴染みさんが今日もそこに来ていることで心が落ち着く。

そして今日も、あの広々とした空間で、風呂桶のカラーンコローンという音を聞きながら、お湯につかっていると、「ああ今日もー日が終わった」という充実感が湧いてくる。

江戸時代の昔から、大衆のコミュニティーの原点だったお風呂屋さんには、今も昔も変わらぬ人間と人間の暖かい触れ合いがある――。


  第1回「えんせん御風呂探訪」都内編(都立大・自由が丘・田園調布・奥沢)

  その1例は…

小松湯(世田谷区東玉川2612
           7275222

超音波、赤外線、気泡器付の湯船は身体の疲れを十分にいやしてくれる。脱衣場のぶらさがり健康器でひと汗かいて、いざ出陣!
(最寄駅田園調布10分 奥沢7分 定休日・毎週金曜日)

          
   取材斑  取材:原田達蔵(田園調布)・小池幸子(日吉)  銭湯の挿絵:島田浩子(奥沢)

 
第2回「えんせん御風呂探訪」…第3号で川崎編(新丸子・武蔵小杉・元住吉)

  
取材斑  取材:吉谷恵美子(綱島)・内田恵子(武蔵小杉) マップ:大和功一(向河原)

 第3回「えんせん御風呂探訪」…第4号掲載  港北区編(日吉・綱島・大倉山・菊名)

 取材斑  取材:吉谷恵美子(綱島)・佐藤保子(大倉山)・久保島紀子(日吉)

 
第4回「えんせん御風呂探訪」…第5号掲載
                           妙蓮寺〜横浜編(妙蓮寺・白楽・東白楽・反町・横浜)

 取材斑  取材:室井絹子(反町)・川崎常子(菊名)
       イラスト:畑田国男(緑が丘)・川崎めめ(菊名)

      参加して…

        たった一度の人生だもの 

              
主婦  小川泰子(菊名)


新聞を読んで、生まれて初めて原稿を書きました。5月8日付の毎日新聞「東横線を縁に交流を」という見出しの大きな紙面でした。
 その5日後、編集長の岩田氏から、「“子育て中”と“神戸から横浜へ”という二つのテーマで原稿を書いてみてください」という電話……。
 「エッ、そんな…?」。本当にびっくりしました。そんな原稿を書く≠ネんて言葉は、作家や出版社の人のもので、私などとはトンと関係ないものと思っていたからです。

「手紙を書く調子でいいんですよ」といわれ、手紙魔の私は、軽率にも「それなら」と引き受けてしまいました。久しぶりに緊張した思いで机に向かい、「子育て奮闘中」と「わが町を想う」のふたつを書きました。
 きっと、ひどい作文だったのだろう。悲しいかな、採用されなかったのです。

そんなだった私がいま、本誌の取材、執筆、編集にと、以前では想像もできない忙しい毎日を送っています。私が余計なことを考えないようにというご配慮からか、岩田氏は、休むヒマなく書く″チャンスを与えてくださいます。
 「どんな人でも、熱意があればナンだってできるサ」という同氏は、住民による、住民の雑誌≠めざして、住民参加の窓口をいつもおーきく開いて待っておられます。そんな雑誌だからこそ、私みたいな者でも参加できます。

 育児に夢中でありながらも、「何かしなければ……。たった一度の人生だもの、もっと大切に生きたい」、と毎日あせりを感じていたのでした。この雑誌は私を救い、私の人生に大きな影響を与えてくれました。



          文句たらたらの私だったのに…

                 イラストレーター  板山 美枝子(綱島)




  私が「東横沿線を語る会」を知ったのは結婚、引っ越し、それから間もない頃でした。

 結婚をすると、女というものは、とかく夫の事情に左右されてしまいがちで、私は大好きな国立の街からしぶしぶと知る人もいないこの街に来たのです。何しろ私は、以前住んでいた国立の街をまるで恋人のように愛していましたから、こちらに来てしばらくは夫に文句たらたら言って、何もする気力がなかった程です。

 住んでいる街というのは、自分の肉体の一部だと思うのです。自分の住んでいる街が大好きで、その街並をながめているだけで、心が和むというのが一番幸せな暮らしだと思うのです。
 いま住んでいる所は、文化施設らしきものは何もなく、気心知れた友人もいないので不満だらけだったのです。

ある日、思い切って「東横沿線を語る会」に電話をしたのです。編集室の熱気が伝わってくるようでワクワクしました。数日して代表者の岩田さんにお会いし、さっそくその日から私もスタッフに入れてもらったのです。
 岩田さんは、東横沿線に住民の手づくり文化を創り出そうと目を輝かせて語ってくださいました。文化もない、友達もいないと不満たらたらの私は、その両方を一度に与えられました。
 縁あって住みはじめたこの街に、何とか自分たちの手で新しい文化を創っていきたい、と私も本気で考え始めました。
この会との出合いは私の人生の新しい冒険になるかもしれません。


      情報の“送り手”、延べ2333名の声

   編集の音(抜粋)




世の中で一番おいしい食べ物は、ホウレン草のおひたし――これは昭和24年の第3次吉田内閣の厚生大臣になった、赤坂とらや≠フ主人・黒川武雄氏の言葉。私も同感、いまだに忘れない。
(大倉山・ボクシング評論家・石川 輝)




私は新聞配達員。創刊号をお客さんにあげたら、みんな大喜び。「次号はいつ? また持って来てくれる?」とせがまれたり、ねだられたり。こんな喜ばれたことってあったかナ? 
(日吉・新聞配達店経営・加藤富也)



何もかもが新鮮に感じられるこの頃。単に視覚の中を通り過ぎていたことが一つ一つ私の心を引きつける。力不足を痛切に感じながらも、少しずつ変わる自分を見つけました。
(日吉・出版社勤務・久保島紀子)




気前よい広告協賛者の温かさに感激したり、トコトン値切る先方の冷たさに涙したり。でも大勢の読者が待っている。広告こそ、本誌発行の経営基盤かと思えば3号へ、またファイトが湧いてくる。
(日吉 主婦・鈴木好子)




いろいろな人達が、それぞれの形で参加しているだけに、寄せ鍋になるのかチャンコ鍋か、はたまた闇汁か……。ともあれ2号目にあたって、徐々にではあるが育ての苦しみに変わりつつあるようだ。
(代々木・漫画・曽我二郎)




若さ一杯の人達が足でとってくる原稿が出来上った時、心ひかれる本となる。本誌の編集部員は、まさしく足でとってゆく。いくら便利でも電話での取材は、なかば価値を失っている。春秋に富む人達の活躍を期待したい。
(日吉・医師・吉村忠一)





綱島駅で創刊号キャンペーンに参加し配りました。手渡した奥様に「近所の人にも差し上げたいから」といわれ、数冊を差し上げました。お礼にと、お菓子をいただいて恐縮しましたが、皆様に喜んでもらい、うれしいキャンペーンでした。
(綱島・パン教室主宰者・李家ミユキ)





週刊誌・月刊誌よりも読みごたえのあるこんなタウン誌が、かつて存在したでしょうか。「東横沿線」から、ゆくゆくは「東急沿線」まで、この隔月誌が発展し愛されてゆくことを願ってやみません。
(田園調布・主婦・殿岡時子)





編集のカット、スケッチどれも私にとって真新しいものでした。絵画を本業にしていても、それだけではダメだということをこの雑誌に教えられました。
(奥沢・学生・島田浩子)






前号で井上正夫碑の記事は多大な反響を呼び、とくに北条秀次氏(劇作家)や水谷良重さん(女優)からも伝言をいただきました。この碑は何分にも個人所有の土地にあるため如何とも仕様がないが、碑の存続は今後も見つめたい。
(日吉・画家・林 衝)





創刊号の無料配布キャンペ−ンに参加! 無関心に通りすぎる人が多い中、立ち止って読みはじめ熱心に質問してくださる方、最後の一冊を「幸運だったわ」と何回もおっしゃる方、少数ではあってもこのような方々がいて、とてもうれしい体験でした。
(代官山・主婦 三樹久恵)




偶感――。“文は人なり”という格言から定義すれば、『とうよこ沿線』の出版は沿線住民の“民度”の高さを証明している。私は郷土史発掘を生涯の宿題と心がけているので、この道を通じて読者に奉仕する。
(等々力・俳人・豊田真佐男)





東横サバクに樹を植えよう! 味ゆたかな樹を植えよう! 人に語り告ぐ樹を植えよう!
樹は道しるべ 
(綱島・会社員・細川達男)




締切2日前、心が高揚して眠れないまま夜が明けた。突然、窓の外から音楽が流れこむ。ベランダに出てみると、空にステキな虹がかかっていた。きれいな朝顔が7つ開いていた。太陽が静かに昇っていく……。
(綱島・イラストレーター・板山美枝子)





ゼロから1、1から2……。やっとここで点≠ゥら線″になった。次号3がうまくいけば面″となる。そこで初めて、私のホップ段階は成功する。沿線の仲間はもちろん、全国の同志と、さぁ大きくステップ、ジャンプ‥‥‥。
(本会代表・編集長・岩田忠利)
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