編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.617 2015.04..30 掲載
 激動の20世紀を残す写真集  第5巻
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『わが町の昔と今』第5巻「青葉区編」

サイズ A4判
紙数 129ページ
発行日
平成14年(2002年)6月20日 発行
頒布方法  定価2500円
表紙
題字:大山聖也(書家・港北区日吉本町在住)

掲載写真:
 1. 明治20年、ハイカラな土志田彦夫さん
 2. 昭和46年、たまプラーザ駅
 3. 昭和39年、青葉台駅前の林でワラビ採り
 4. 昭和11年、呉服屋の行商
 5. 昭和4年、小泉逓信大臣を村総出で出迎え

装丁
デザイン:品田みほ(三ッ沢下町)
目次と掲載画像点数
 
1. たまプラーザ駅地区(写真53点)
2. あざみ野駅地区(写真47点)
3. 江田駅地区(写真53点)
4. 市が尾駅地区(写真47点)
5. 藤が丘駅地区(写真60点)
6. 青葉台駅地区(写真61点)
7. 田奈駅地区(写真25点)
8 子どもの国線沿線(写真55点)
9. .風俗編(写真34点)

   「青葉区編」の写真から・・・


開業(昭和41年)から5年後の昭和46年(1971)6月、高原の駅を連想する「たまプラーザ駅」                 

  提供:矢口正男さん(美しが丘)


        開店1号、喫茶店キング

昭和43年、たまプラーザの街で一番早く開店したティールーム・キング         提供:川辺 清さん(美しが丘)


たまプラーザ駅開業の翌年、昭和43年駅前の空き地に県公社ビルが建つ

 
これが 「たまプラ」最初のビル、ランドマークとして話題になりました。左手はるか後方の建物は鷺沼。
     提供:倉本文雄さん(美しが丘)




写真左の駅公社ビル、平成25年

撮影:石川佐智子さん(日吉)


昭和47年日吉・元石川線からの導入道路、22b道路開通

 
後方は美しが丘の市街地。ゴルフ練習場のネットがいち早く建ち、歩道に街路樹を植えるため等間隔に土が見えます
     撮影:飯島一世さん(あざみ野)



     写真左と同じ場所、平成25年時

 街路樹のケヤキが大木に生長し緑のトンネルに。写真左に写るゴルフの練習場は、2014年春に開店予定の家電・パソコン専門店の工事中です。   撮影:岩田忠利 






昭和40年、田園都市線高架下から通称「丸山の水車」と右手の野本ヤス宅を望む
  
撮影:根本藤吉さん(あざみ野



         写真左と同方向の平成25年時

 昭和61年にあざみ野駅が開業。写真左の野本ヤスさん宅は駅前になったが、正面竹やぶの中に。当時のまま茅葺き屋根の家が現存しています。
 
撮影:岩田忠利


昭和47年、江田駅東口とロータリー

提供:斎藤哲哉さん(荏田西)





平成25年、江田駅東口とロータリー

 撮影:石川佐智子さん(日吉)


昭和11年、印半纏に鳥打帽スタイルの呉服の行商

 
下市ヶ尾の車屋呉服店の若い店員は印半纏(しるしばんてん)に鳥打ち帽の出で立ち。自転車の荷台に柳行李を風呂敷で包み、しっかり紐で結わえて、さあ、お得意先へ出発!


 昭和12年、木登りの子どもたち。ここは朝光寺の西側(現在の緑税務署前付近)     
  提供:森 正男さん(市ヶ尾町)















昭和4年、時の小泉逓信大臣が片田舎の鉄を訪れるとあって、村中総出でお出迎え

  提供:村田 武さん(鉄町



大正10年、鉄の集落で縄ない機を借り受け、初めて機械で実習する  提供:村田 武さん(鉄町)




冬の再勝峠(さいかちとうげ)

 昭和40年、246号線の再勝橋から藤が丘、市ヶ尾方面を望む

撮影:富田克己さん(相模原)/提供:古性 浩さん(つつじが丘)


写真左の再勝橋から同方向を望む平成25年

撮影:石川佐智子さん(日吉)



昭和39年、青葉台駅開業前。初夏はヤマユリの群落

提供:古性 浩さん(つつじが丘)



春はクヌギ林でワラビ採り

提供:古性 浩さん(つつじが丘




昭和41年4月1日、青葉台駅開業! 開通当時の青葉台駅と駅前通り

 後方の住宅地はつつじが丘。左手の階段は通称“62階段”。
 提供:藤本静江さん(青葉台)


昭和43年夏、たちばな台の水田

提供:綾部直行さん(たちばな台)





写真左と同じ場所、平成25年時

 交差点「たちばな台二」。
 撮影:石川佐智子さん(日吉)


明治20年、舶来品を身につけた村一番のハイカラ青年

 自転車を村で一番早く買い、天気のいい日はお金を握って銀色に輝く自転車に跨り、奈良村からいくつもの村々を経て神奈川宿に出て、港ヨコハマへ・・・。めざすは外国船から下船する外国人客。珍しい舶来品が目に入ると、その場で手ぶり身振りで交渉、次々手に入れました。
 写真のソフト帽、スカーフ、ハンドバッグは彼のお気に入りの舶来品・・・

  提供:土志田 克さん(奈良2丁目)




昭和40年5月5日の「子ども日」、子ども国が開園。その開園式にご臨席の美智子妃殿下(現皇后陛下)とご一緒の秋篠宮。右後ろは浩宮(現皇太子殿下)
                        
         提供:金子 智さん(奈良町)






    編集後記      岩田忠利(編集長) 



    写真が集まりだしたのは、めげずに3週間日参してから

 
「知人友人はゼロ。土地カンもなし。これで第5巻の青葉区編を出せるだろうか……」。
 東横線沿線をホームグラウンドに20年間走り回ってきた、取材開始前の私の脳裏はそんな不安でいっぱいでした。
 とにかく青葉区内を走り回ること、そして一人でも多くの人と会うこと、この2点を心がけ日吉の編集室から青葉区へ向けて車を走らせました。
 区内に着くと旧家らしき家を連日訪ね歩く。それも東は川崎市境のたまプラーザ駅周辺の美しが丘から、西は東京・町田市に隣接した奈良町の玉川学園駅近くまで。青葉区は横浜市18区の中のたった1区にすぎない、と最初はたかをくくっていたが、実際に行動してみると、青葉区は広い。

 その挙げ句、訪問先から返ってくる言葉はいつも決まって「昔はカメラを持っていなかったから」とか「家を建て替えたときに処分してしまった」、おおよそどちらかに近い断りの口上です。
 でも、これにめげていたら青葉区編は世に出ません。3週間ほど通うと、徐々に協力者の皆様が現れ、大切な写真を貸してくださったうえに町内の見込み先を紹介してくださいます。また、親戚や友人知人、近所を回って私の代わりに探してくださる、という心ある有難い方もいらっしゃいました。
 
 お陰さまで活動の成果は、写真点数2千枚を超えました。
  ここに貴重な写真や大切な資料などをお寄せいただいた皆様方、また私の代わりに写真探しや撮影にご足労くださった青木茂子さん、横溝和雄さん、森 實さん、石原功さん、吉浜利一・武代ご夫妻、秋元みほさん、飯田勇二さん、石井鋭儀さん、飯塚嬉恵さんに改めて御礼申し上げます。

 本書の編集方針の一つは、写真の表面的なものだけではなく、背後にある“見えない部分”を表に出し、より事実に近づけることとしました。それは時代的背景や世相、写真に隠れた状況説明。何の変哲もなさそうに見える一枚の写真でも歴史のヒダをえぐる物語が隠されているからです。
 つぎは昔の風景写真にはできるだけ現在の同位置から撮影した対比写真を載せました。
 昭和404月の田園都市線開通前後を境にその景観は激変し、まったくの別世界。その土地の地主でさえ、現在地が確認できないほどの変わり様では若い方や移り住んだ住民の皆様にその風景を思い描いてもらえないからです。
 この1冊が皆様の町の環境や生活を話しあう資料となり、より良い町づくりにお役立てできれば幸いです。

 本書発行に当たり、助言やご紹介をくださった青葉区役所の職員の皆様、また、ご多忙中に題字をお書きくださった大山聖也先生、また新しいパソコンの立ち上げにご協力の糸井保君、イラストマップの阿部紀子さん、出版にご協力のフジプランズ・緑川喜代次さんに厚くお礼を申し上げます。

       平成145月吉日    本書編集発行人  岩田忠利

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