編集:岩田忠利/編集支援:阿部匡宏/ロゴ:配野美矢子
NO.616 2015.04..30 掲載
 激動の20世紀を残す写真集  第4巻
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第4巻「都筑区城郷編」
サイズ A4判
紙数 133ページ
発行日
平成13年(2001年)11月15日 発行
頒布方法  定価2500円
表紙
題字:桐田晃愁(書家 都筑区勝田町在住)

掲載写真(左上から)
 1. 神楽と囃子舞の名人、吉川磯右衛門さん
 2. 中原街道沿いに現存する池辺町・田丸保男家
 3. 昭和10年、都筑郡の郡役所などがある川和通り 4. 市営地下鉄グリーンライン中山駅
 
装丁
デザイン:品田みほ(神奈川区三ッ沢下町)
巻頭「はじめに」 慶應大名誉教授 中山浩二郎(都筑区川和台在住)
目次と掲載画像点数
 
1. 山田地区(写真77点)
2. 勝田・大棚・牛久保地区(写真99点)
3. 茅ヶ崎・荏田地区(写真58点)
4. 旧都田村地区(写真88点)
5. 港北区城郷地区(写真49点)
6. 風俗編(写真62点)
  都筑区城郷編」の写真から・・・
 
                純農村から一気にモダンな都市へ


昭和39年10月8日、茅ヶ崎町「境田橋」周辺

提供:北村 博さん(茅ヶ崎南)












写真左の道路が拡幅、中山〜北山田線に架かる「境田橋」を望む同じ場所、通称「区役所通り」の平成25年時

写真左の景観とは、まったく別世界のようです。後方はセンター北駅方面。
    撮影:石川佐智子さん(日吉)



           昭和30年の谷戸池

 
中央の土手の中腹の細い道は中原街道です。勝田地区の地形は早淵川よりも高いため水田に水を引けず、谷戸池・丸沢池・権田池という3つの溜池の水を灌漑用としていました。
   提供:関 岳夫さん(勝田町



 写真左の池は埋められ交差点「茅ヶ崎中学入口」に

 
後方の道路は新羽〜荏田線、左右の道は中原街道で、右へ勝田橋方面。右手の高層マンションは港北ニュータウン・イオの7番館です。
 2013.8.9 
撮影:石川佐智子さん(日吉)





昭和12年中原街道沿いの関恒三郎家の4000坪の屋敷

 
中央左右の道が中原街道。中央の2階建ての建物は母屋ではなく、間口20m、奥行き4.6mの長屋門です。この門は江戸期の“安政の大地震”で崩壊、明治期に半分ほどに縮小して再建したものです。
   提供:関 恒三郎さん(勝田町



写真左の平成25年時、関家長屋門
撮影:石川佐智子さん(日吉)







       昭和15年、東京のお客(?)、母と子

 
母親は旧姓鈴木ミヨさん。後方は勝田橋。バスで始発の新丸子駅から終点・勝田まで乗って東京からお客に来たのでしょうか。服装が地元の当時の子供たちらしくなく、都会っ子らしい。
 
後方右手の家は鈴木正三さん宅、左は鈴木仲七さん宅
                           
提供:鈴木進さん(勝田町)



写真左と同方向を望む平成25年
撮影:石川佐智子さん(日吉)





昭和39年5月、道中坂下

道中坂下の東急バス折返し所とその向かい側にあったスタンド
撮影:前田徳次郎さん(東山田町)



写真左の現在地は右手鉄塔の下

撮影:石川佐智子さん(日吉)



昭和38年、北山田の水田地帯

提供:男全富雄さん(北山田町


  写真左の現在地「北山田交差点」付近一帯

   現在地は日吉・元石川線の北山田交差点付近一帯です。
    2013.7.15 撮影:石川佐智子さん(日吉)


  昭和38年、北山田の重代(じゅうだい)谷戸の集落

    提供:男全富雄さん(北山田町



             写真左の現在

 現在地は日吉・元石川線の上り線(北山田5丁目)と下り線(北山田4丁目)の両側にバス停「重代」の名前が残っているだけです。
 2013.7.15 撮影:石川佐智子さん(日吉)



昭和9年、村人の協力で灌漑用水堀を暗渠排水にし地上を道路にする工事完成
 
 
左の人たちは欄干橋の下で完成を祝う折本の皆さん。
    提供:加藤恒雄さん(折本町)



        写真左の場所、平成25年時

 後方の橋はむかし「欄干橋」と呼んでいましたが、今は真照寺の近くにあり「真照寺橋」と呼んでいます。                撮影:岩田忠利





昭和38年、上麻生道路の新設工事現場

 
左手の森の辺りは現在レストラン藍屋、後方が地下鉄「岸根公園駅」
 
提供:高橋 稔さん(岸根町)



写真左と同方向を望む現在

 右車線の渋滞は、すぐ先の岸根交差点から連なっています。
 撮影:岩田忠利
















  昭和45年1月、環状2号線の新横浜陸橋が開通!

 
環状2号線が新横浜〜小机駅間の横浜線線路をまたぐ跨線橋が完成、その開通祝賀の渡り初めパレード。
当時は横浜線が境界で手前が岸根町、向かい側が新横浜でした。左上に大倉精神文化研究所(現大倉山記念館)が見えます

                    提供:岩田秋正さん(岸根町




   写真左と同じ場所から反対方向を望む現在

 現在は道幅が拡張され、交通量がもの凄く、歩道橋の上から写真左と反対方向の岸根町方面を見た現在の新横浜陸橋です。
                    撮影:岩田忠利








    昭和29年、マラソン大会

 
城郷、新治、大綱などの各地区対抗のマラソン大会。選手が上麻生道路の岸根山王下にさしかかり、伴走のトラックに乗った監督らが声援を送っています。
 
提供:伊藤義雄(岸根町)


       写真左と同じ場所、岸根山王下の現在

 
上麻生道路は拡幅され交通量が激しい幹線道路に。後方は東神奈川方面、右後方が地下鉄「岸根公園駅」
                               撮影::石川佐智子さん(日吉)







昭和15年、コマ回し

戦闘帽、股引(ももひき)き、下駄履き姿が印象的 
提供:安藤尊仁さん(鳥山町)


   昭和15年、パチンコに興ずる子

 パチンコは二俣の枝に2本のゴムをくくりつけドングリの実を弾にして撃つ男の子の遊び。二人とも裸足です                                        
   提供:安藤尊仁さん(鳥山町)



 昭和18年、疎開児童。この中に女優・草笛光子さんも…

 
鳥山町の三会寺に学童疎開した神奈川区の斉藤分国民学校(現斉藤分小)5年生。
 学童の最後列、右から4人目が女優の草笛光子さん。 草笛さんの当時の思い出は「ひもじい思いをしたこと」と「三会寺上空で日米空軍機の空中戦があり、その流れ弾が三会寺の屋根に当たったこと」だそうです。
             提供:安藤尊仁さん(鳥山町)



   昭和27年、城郷保育園(現城郷幼稚園)の馬車

 
園児を乗せた送迎馬車がゆく。今の園児送迎バスのはしり。
 当時「お馬に引かれてパカパカと、おうちに帰れる」と園児は大喜びでした。
 この模様はわが国のテレビ放送開始のその当時、「今様良寛さん」というタイトルで紹介されました。
                         提供:安藤尊仁さん(鳥山町)



    編集後記       岩田忠利(編集長) 


                熱心な地元の皆さまのご協力で半年かけて発刊

本巻は緑豊かな田園から近代都市、港北ニュータウンへと、目をみはる変貌をとげた「都筑区」と第1巻・港北区編で取り上げられなかった横浜線沿線の港北区城郷地区です。

片側3車線のハイウエー並み道路をビュンビュン飛ばす車。そこから一歩入ると瀟洒な住宅とモダンな高層マンションが立ち並ぶ港北ニュータウン‥‥‥。見るものすべてが新しい。過去をきっぱり切り捨てて生まれ変わった町のように私の目に映ります。「この町のどこに昔の写真などをお持ちの方がいるだろうか」。そんな不安が内面にへばりつく日々でした。

5月のある日、面識のある勝田町の関岳夫さんと南山田町の小泉光秋さんを訪ねて相談。ご両人は生粋の土地っ子で、「ま、知り合いに声を掛けてみましょう」と快諾してくださいました。その後3カ月、さぞやご苦労もあったことでしょうが、質量ともに私の予想を遥かに超えるセピア色の写真を借り歩いてくださいました。その後、旧家らしき家々を訪ね歩いていると、佐江戸の並木誠久さんは町内を回って借りてくださったり、荏田南の敷田博昭さんが各地の持ち主を紹介くださったりとそのご好意に救われました。

  家屋敷や田畑をブルドーザーで切り崩し、昔の面影がみじんも感じられないほど変わった景観は土地っ子にとって故郷を失ったのと同然の、言いようのない寂しさがある、と多くの皆様から聞きました。また同じ口から「学校も買い物もあの山坂を歩いて通った昔の生活は便利な今では考えられない」とも聞くのです。これは豊かな自然と文明の進化との調和の難しさであり、二律背反するのでしょうか。

 古い写真であればあるほど持ち主は高齢者やその子孫の方々です。年数や人名などに曖昧な場合が多く、そんな時はその写真を持ち歩いて複数の人に尋ね、事実に近づけるよう努めました。もし誤りなどございましたらご容赦のほどをお願い申し上げます。

 ともかく約半年を要して本巻が世に出ます。この1冊が皆様の町の環境や生活を話しあう資料となり、より良い町づくりにお役立てできれば幸いです。

 本書発行に当たり企画段階に都筑区内の情報提供や助言を頂戴した都筑区役所区政推進課の武井伊織課長、また貴重な写真やお話、大切な資料などをお寄せいただいた皆様、ご多忙中に巻頭文を執筆された中山浩二郎先生、題字をお書きくださった桐田晃愁先生、また当編集スタッフの皆様と出版に親身になってご協力くださったフジプランズの緑川喜代次さんに厚くお礼を申し上げます。

         平成1311月吉日    本書編集発行人  岩田忠利

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