古写真との遭遇とその連載
『とうよこ沿線』創刊号発行準備の昭和55年3月、ちょうど20年前のことでした。
「ウチに昔の写真があるんだけど、おめえさん、見るかぁ?」
小杉御殿町の鳶職の頭(かしら)、今は亡き原平八さんがこう言いなら、奥から厚紙に貼った大きな写真3枚を持ち出してきたのです。
写真の裏には2枚とも「大正7年、多摩川」と書いてあり、新聞の半サイズもある写真は丸子の渡しから現在の丸子橋あたりを撮った風景写真。2枚目は鮎漁の舟のそばに屋形船が浮かび、そこに鮎料理に舌鼓を打つお客10人ほどが写る、何とも風流な大人の川遊びの情景写真です。もう1枚は「昭和5年、砂利を運ぶ帆掛け舟」の写真。
多摩川が子供の頃の遊び場だった原さんはその古い写真を見ながら、思い出を紐解くかのように昔の多摩川の話を次々と。水が澄み、川底で鮎が泳ぐ様が見えたとか、向こう岸の東京側でもウサギ、ウズラ、シギなどの狩りもできたといった話。
今は多摩川の上を数分おきに走る東横線の電車、車が数珠つなぎの丸子橋、薄汚れた川の水・…‥。
同じ場所でありながらも写真に写る“昔と今”とでは、こうも違うものか‥…。そのギャップは私にとって、とても“魂消(タマゲ)たこと”であり、感銘深い新発見でした。
昔の写真を誌面に載せることで、読者の皆様が地域の昔のことに興味を抱くようになり、地域の環境問題にも少しは関心を持つようになる。こうしてみんなが地域を知ることで、地域への思い遣りや優しさが醸成されるのでは……。そうなれば、現実のいろんな地域問題の防止や解決の糸口になるかも。
そんなことを自分よがりに考えました。それからというもの、一軒一軒家々を訪ね歩き、ご家庭の大切なアルバムを拝見させていただいては写真をお借りし、その誌面タイトルを「アルバム拝借」とし、創刊号以来20年間、連載してまいりました。
そして今、連載5年目から読者の皆様から寄せられた「『アルバム拝借』の誌面を本にして、まとめて欲しい」とのご要望に、ようやく、港北区編を手始めに応えることができました。
お忙しいなか、古い写真を探してお貸しくださった皆様、発行に際してのご協力の皆様、本当にありがとうござました。
最後に本書読者の皆様にお願いです。読後のご感想や「ウチにはこんな昔の写真がある」「こんな情報も載せて欲しい」といった情報をお寄せいただければ幸いです。
|