♪春には柿の花が咲き
秋には柄の実がうれる
(石本美由起・作詞『柿ノ木坂の家』)
表紙絵の坂、目黒通りを登りつめたところが、環七の「柿ノ木坂陸橋」だ。
環七を右折すれば「馬込」、左折すれば「上馬」、と標示ボートに出ているが、この周りは「馬」に縁のある土地のようである。昔は馬、今は車。
今年、春。都立大のキャンパスが八王子市に移転して、あとに「跡地利用」の大問題が残された。
清掃工場か? 住宅か?
ボクのふる里、都立大という街はこの目黒通りが駅近くを走っているので、車、車、車の街になってしまった。しかし、目黒通り自体は青山通りに似て、道幅も広く、街路樹も豊かで、東京では一、二をあらそう品格のあるストリートだと自負している。住民として願うこと。広大な跡地に欲しいのは、工場でも、住宅でもない。文化施設なんですね、本当は。
石本先生の『柿ノ木坂の家』、三番。
♪春くりや偲ぶ 馬の市
秋くりや恋し 村祭り
柿ノ木坂の あの娘(こ)の家よ
大学なんてなくなって、「市」や祭りが甦り、人々が触れ合えれば、そして、あの娘が来てくれれば、それがボクたちの幸せなんてすね。
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追伸 ここに登場の石本美由起先生作詞、歌手・青木光一が歌った『柿ノ木坂の家』は昭和32年に大ヒットしました。中高年の皆さんならどなたにも懐かしい歌でしょう。
ところが、上記の畑田さんのように「柿の木坂」といえば当然、目黒区の都立大学駅近くの「柿の木坂」を指すと思うでしょう。じつは、歌詞の舞台は、広島県大竹市の“柿の木”がある石本美由起先生の実家なのです。
本誌の企画にたびたびご協力くださった石本先生から私は、先生作詞の美空ひばりや島倉千代子などが歌うLP版レコードをサイン入りで頂戴しました。そのとき、私は歌『柿ノ木坂の家』誕生のいきさつを先生からうかがいました。
先生は幼いころ喘息の持病に苦しみ、家に閉じこもりがちの日々だったそうです。
広島の大竹市の家は高台にあり、宮島など瀬戸内海を見渡せる風光明媚な場所でした。庭には大きな柿の木があり、ひとたび喘息の発作が始まると、家から飛び出し、その柿の木にしがみつき、喘息と格闘、発作が鎮まるまでじっと耐えたということです。
石本先生のふるさと観は、「大きな柿の木のある見晴らしの良い家」そして「喘息で苦しんだ幼少期」を過ごした広島県大竹市の実家がすべてを象徴される、ということでした。 (岩田忠利)
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