今回の表紙は、我が「編集室」。創立満10周年にして初めての登場、そして誠に残念ながら最後の登場でもあるのです。じつは、綱島街道拡幅工事のため秋までには移転し、年内取り壊し予定です。 思い起こせば昭和55年2月から現在に至るまで約5千人の人々がこの編集室を訪れ、50冊の『とうよこ沿線』を産みだしました。まさに、この地とこの空間は全員の血と汗と涙の拠点、想い出のいっぱい詰まった場所でした。 そこで、「ご苦労さん」の感謝の気持ちを込めてスタッフ一同が思いっきり元気な姿で、いざ、ご挨拶。 〜まず中央に控えしは、縦縞のスーツ姿も粋筋の、会員吸引力旺盛な編集室の「顔」岩田忠利編集長で、ござ候。 〜その横に控えしは、空色のツーピースも品良く笑顔良く、編集室の立役者・善子ママさんここにあり。 〜その上、窓から名のりをあげるマドンナ編集委員・高橋かすみさんと、その子、未来の女編集長・奈々子ちゃんなり。 〜続いてパソコン上に控えしは、若手(?)の三羽ガラス。左からイラスト担当・お髭の江川久さん、パソコンの虫・小田房秀さん、見たままズバリ笑いを誘う菅間映二さん。 〜そして僭越ながらどん尻に控えしは、散らかし坊主の拓磨(1歳)と私。 編集室の賑やかな雰囲気が少しでも伝わればと…。
元来は海岸地方に自生する常緑低木であるが、ふだん、われわれが目にするのは生垣での柾である。
東京・川崎・横浜といった行政の垣根を越えた、住民の集いの場を……という声から生まれた『とうよこ沿線』が苦節10年を重ね、念願の50号を迎えた。
無機的なブロック塀は日本の町並を貧しくした。柾の生垣にかこつけるわけではないが、隣近所の付き合いは、善かれ悪しかれ、有様的でありたいものだ。 (大倉山 江川 久)